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[2009.09.03]
■やって来た元演歌歌手
今年も多くの私の友人達と女房の友人達がやって来た。 
数えたら、全部で20人だった。 
そんな中に中学・高校時代の同級生の元演歌歌手のM君がいた。彼のことは以前にブログに書いた。 
 
そのM君が同じく同級生と3人で伊達にやって来て、コテージに泊まりゴルフと観光を楽しんだ。 
他の2人は元リネン会社の社長Y君と、塗装会社の会長S君である。 
 
立香山の頂上で 
 
しばらく天候不順であったのが、彼らが来たら北海道らしい天候となり、空は抜けるように青い。 
朝晩は肌寒いくらいで、気持ちが良い。 
伊達市の営業マンを自任している私からのなによりのプレゼントである。 


1日目と2日目の夜は錦町に繰り出した。 
元演歌歌手はさすがに歌が上手い。 
私の歌とはレベルが違う。 
 
夜の錦町 
 
昔の芸能界の裏話を聞き、演歌を聞き、私と女房は大いに楽しんだ。 
彼はレコードを14枚出したそうだが、その中でも売れた『北国の夜』はなんだか聞いたことがあるような題名だ。 
聞いたことがあるのは千昌夫の歌った『北国の春』かー。 
 
マツカワ 
 
ゴルフ、寿司、演歌、観光、温泉、漁師料理、演歌、ゴルフ、ジンギスカンという内容で2泊3日は過ぎて行った。 
せわしない滞在であったが、それでも彼らは十分に楽しんで帰って行った。・・・・と、思う。 
 
五色温泉 
 
女房の話。『若い頃に遊んでいた人は、この年になると魅力的な男になり、いい味を出すのねー』。 
そこへいくと、私は薄味だ。 
 
(おまけの話) 
私が7年前に会社を売却して引退してから、その経験を生かして同級生の社長を2人引退させた。 
更に静岡で社長だった友人も引退させた。 
・・・なんて言うと、本人達からクレームがつきそうだ。 
『俺は自分の判断で引退したのだ!』・・・と。 
 
神仙沼 
 
1人は今回のY君で、もう1人は建設会社を経営していたM君である。M君は昨年の夏に伊達に来ている。 
今では2人とも、引退後の人生を大いに満喫している。 
そして言っている。『あの時に引退して、本当に良かった』 
 
『自分がいなければ会社は駄目になる』と現役の社長は思っている。 
でも、それは幻想であって、その人が居ない方が会社は上手く行くこともあるのである。 
それは彼らの会社のその後が証明している。 
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▼コメント(2)
名前:SHINJI  2009.09.06 08:07:42
本文とは関係ないのですが、添えられていた写真、神仙沼、が素晴らしいので、ひとことお伝えしたく思いました。 まるで、モネの絵のようだし、それ以上にすがすがしさが伝わってきます。 
名前:H.YAMA  2009.09.03 08:20:46
元リネン会社社長のYであります。妻の介護を理由に引退を決意したのですが、橋本君の繰り返しのアドバイスに背中を押してもらった。『あの時に引退して、本当に良かった。』妻には十分な手を尽くす事が出来て、後悔はない。引退後の100年来の不況を見るに付け、自分の実力からして、とても維持できていなかったと思う。世代代わりをして、順調な経営が続いている事を喜んでいる。  
今年に夏は、孫を連れてGUAMに遊び、S君の清里の別荘でのゴルフと温泉、仕上げが、橋本君の長年のお誘いが実現しての北海道ゴルフと観光と美食の旅を満喫できた。  
若い頃に遊んでいない自分には、あらゆる事が初体験で興奮する。薄味をこれから濃く味付け出来るかが課題であります。  
加齢を乗り越えて、如何に生きるかが問題だ。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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