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[2010.07.14]
■ぶらり全駅下車の旅(東中野~大久保)
東中野駅は快速電車も停まらない駅である。 
東京駅までに行く間に快速電車が止まらない駅は、東中野、大久保、代々木、千駄ヶ谷、信濃町、市ヶ谷、飯田橋、水道橋の8駅だけである。 
 
そんな東中野駅だが、以前はよく降りた。 
それはそこに日本閣があったからだ。 
日本閣というのは、この辺りでは大きい結婚式場で、知り合いの結婚式や会合などでよく来た覚えがある。 
 
元日本閣の高層マンション 


それが今回の旅で無くなっていた。 
素晴らしい広い日本庭園があり、豪華な感じがしたものである。今は高層マンションとなってしまった。・・・・と、思ったら、どうやらその高層マンションの中で結婚式場はやっているらしい。 
 
その先に進むと、フォークソングにもなった神田川を渡る。 
両側に桜が植えられていて、遊歩道もある。 
川岸の桜の葉の間を中央線が通り過ぎるのが見えた。 
 
神田川 
 
更に進むと市場に出る。 
ここは古い。私が電車に乗り出した頃からそこにある。 
裏門が開いていたので、黙って中に入る。 
野菜の箱が山積みとなっていて、フォークリフトが走り回っている。 
 
東京青果市場 
 
正面から出ると、そこには小さな問屋が何軒かあり、1階の見える場所でオバサン達がニンジンを小分けして袋に詰めている。 
 
そこを更に進むと突き当りとなり、左に曲がりJRのガードをくぐる。そして線路に沿って左に曲がったら、大久保駅だった。 
 
ガードをくぐる 
 
(おまけの話) 
東中野には私の姉の友人のTさんが住んでいた。 
私の高校生の頃は、なぜだか姉の友人達とよく遊んだ。 
その頃は年上の女性に結構、可愛がられたのである。 
 
Tさんの実家は青梅街道沿いで家具製造工場を経営していた。 
その頃にやっと日本でも流行り出したベッドに、私も寝たかった。そこで彼女の実家に行って、相談をした。 
 
東中野から大久保へ 
 
当時の普通の家は部屋が狭く、流行りのベッドと応接セットの2つは部屋に置けないので、ソファーベッドというものがあった。 
 
昼間はソファーとして使い、夜は広げてベッドにするのである。それを買って、自分の部屋に置いた。 
 
それまでは畳の上に寝ていたので、ベッドが嬉しかった。 
そんな話を女房にしたら、『そうなの。私は生まれた時からベッドよ』と言われてしまった。 
これが千代田区生まれてと、小金井の違いか? 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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