■移住の難しさを知る
私の友人の1人に引退後に千葉県に移住した男、Oさんがいる。 彼は私のニューヨーク時代の友人で、NY博同窓会の幹事もしてくれている面倒見の良い男である。
そのOさんは彼の住む町のNPOに所属して、移住定住の為のプロジェクトの委員をしている。
時々、参考の為に、私に伊達市の取り組みなどに付いて問い合わせて来る。
トビウオ
最近になって、またOさんからメールが来た。
それによると、どうも移住には色々と問題があるようだ。
ある程度は想像が出来ていたが、町の取り組みと住民との意識のズレが大き過ぎる。
緑の渓谷
この連絡を他山の石として、伊達市がそうならないように多少は参考にしたらどうかと思う。
『この町ではせっかく移住して来ても、やがて出ていってしまうケースが多いと知りました。
1日に2本しか運行されない路線バスも近々廃止になり、車がないと生活できない。国道沿いの旧市街は寂れてシャッター通り。
神社の門前あたりは、昔のしきたりがまかり通っていて、お神酒代とか奉納金とか自治会費の他にもやたらお金を徴収される。
農家の多い地区に移住すると、農家ではないからと村八分というか疎外される・・・。
サクランボ
我が物顔の「老人会」は23名。古狸の会長がいるために新人が入らない「婦人会」は6人。やがて消滅する、いや消滅した方が良い・・・。』と、かなり悲観的な話だった。
(おまけの話)
私が伊達市に行くようになって、今年で8年目である。
幸いに伊達市は他所から来た人達が作り上げた町なので、昔から住んでいる住民が我が物顔ということはあまりない。・・・と、思う。
新宿三井ビル
ただ、夏の間だけ住む場合と、移住した場合とでは条件が違う。
移住してしまうと、そこを最後の場所と決めている人が殆どなので、楽しく暮らせないと後悔することになるが、もうその時は手遅れなのである。
人間というものは、人と関らないでは生きて行けない。
知らぬ土地で知らぬ人と関るのは難しいことだ。
私の場合は伊達市に来たということが、ラッキーであった。
また人との関わりが好きだということも、溶け込むのに有利だった。
東京スカイツリー
Oさんは車が運転出来なくなったら、都会に戻りたいと言っている。
「田舎に住もう」とテレビなどでは無責任に放送しているが、全国の田舎では、Oさんのような人達がかなりいるのではないかと心配だ。