■父の形見
なぜか急のことだが、私もそろそろ身辺整理をした方が良いと思うようになった。その理由の1つに、部屋にガラクタが増え過ぎたということもある。 また過日のことだが、急に心臓が痛くなり、いずれ心臓病で急死するんじゃないかと気が付いたこともある。
少し片付けていたら、「父の形見」という言葉を思い出した。『なにが私の父の形見かなー?』と考えたが、なかなか思い当たるものが無いのである。
作者不明の「薔薇」
父の着た衣類というのも無いし、愛用していた道具も無い。趣味の無い人だったので、それらしき物も無い。
父の写真もアルバムは姉が持っていて、私は持っていないので、葬儀用の1枚だけである。
そして気が付いた。絵画と彫刻があった。
絵画は鈴木信太郎という日本画家の書いた花である。
鈴木信太郎作 「花」
彫刻は中村博直の裸婦像である。
中村博直作 「裸婦」
母が生きている時に、『この絵は高いので、いずれ売却して兄弟姉妹で世界一周でも行きなさい』と言っていたのを思い出した。
そこでインターネットで調べて、美術商に問い合わせてみた。その答えは、『実物を見ないとハッキリした価格は出せませんが、50万円以下です』と、冷たい知らせだった。
そこで、もう彫刻を鑑定してもらう気が起きなくなってしまった。
美術品はダイヤモンドに似ていて、買う時は高いが、売る時は予想以上に安くなってしまうのである。
親の形見をお金に換算するということが、そもそも間違っているのかもしれないなー。
女房の友人の板倉画伯作 「椿」
(おまけの話)
父親の形見のことを考えていたら、自分の形見はどうなるんだろう?、と連想した。
私は娘が1人だけなので、男物の衣類だとか愛用の品なんて迷惑に違いない。そうかといって、高価な物は持っていない。色々と考えてみたが、やはりなにも無い。
私の女房と娘は女同士だから、使える物があるだろうと思う。
最近の母親は若づくりなので、そのまま着られる洋服もあるようだ。靴もサイズが一緒なので、履ける。
私が趣味で彫った多数の仏像なんて、まるで迷惑な品だろう。これは棺桶に入れて、焼却してもらおう。
長い間に撮った写真も、自分以外には必要ない。
形見には迷惑な仏像達
そう考えると、形の無い形見はどうなんだろうと思った。
たまには私を思い出してもらえるように、キーワードを残すのがいいのではないかと思い付いた。
私のキーワードは、インターネットのこのブログ「むしゃなび」がいいかもしれない。