数年前には、JR北海道では事故が多発して、その安全に対する意識の欠如、隠ぺい体質などが厳しく問われた。最近は、赤字路線の問題で現在の北海道の路線のおよそ半分が廃止検討対象になっている。昔に比べて、地方の過疎化による利用者の減少、自動車の普及、高速道路の延長などで列車から車への転換が進んでいる。
過去には日本のエネルギー供給基地として石炭の発掘と運搬、北洋漁業による魚類の運搬、豊富な野菜や木材の運搬などで北海道の隅々まで鉄道網は敷かれていた。
[2018.10.27]
[2018.07.26]
早池峰山(はやちねさん)は、岩手県の北上山地の最高峰で、古来から山岳信仰の山として知られる。また、かんらん岩や蛇紋岩質の山には、ハヤチネウスユキソウをはじめとする、この山だけの固有種の花が多いことでも知られている。
奥深い山である。宮古港から中型のバスやシャトルバスを2回乗り継ぎ、約2時間半かけて小田越という登山口に着いた。
奥深い山である。宮古港から中型のバスやシャトルバスを2回乗り継ぎ、約2時間半かけて小田越という登山口に着いた。
[2018.06.26]
札幌の北海道立近代美術館で「ブリヂストン美術館」展が開かれていた。先日、伊達市民カレッジのイベントでここを訪れた。道立近代美術館とそばにある三岸好太郎美術館の2つの美術館に多くの作品が展示されていた。この付近は緑が豊かだった。
[2017.12.23]
この秋、会津の方を旅した。
会津若松市は、車で通過しただけだったが、その南の方の大内宿(おおうちじゅく:下郷町の大内宿観光協会の表記に従う。別に“おおちじゅく”と読ます資料もあり)を訪れた。
かやぶき屋根の民家が多く残るところで、江戸時代の宿場町とはこのような風景だったのかと思い描かせる。現代では、おみやげを売る店やそばを食べさせる店が並ぶ観光地になっている。少し傾斜地の両側にこれらの店が数十軒並び、道路端の両側にはきれいな水路がある。昔はこの水路で野菜を洗ったりしていたのだろうか。
会津若松市は、車で通過しただけだったが、その南の方の大内宿(おおうちじゅく:下郷町の大内宿観光協会の表記に従う。別に“おおちじゅく”と読ます資料もあり)を訪れた。
かやぶき屋根の民家が多く残るところで、江戸時代の宿場町とはこのような風景だったのかと思い描かせる。現代では、おみやげを売る店やそばを食べさせる店が並ぶ観光地になっている。少し傾斜地の両側にこれらの店が数十軒並び、道路端の両側にはきれいな水路がある。昔はこの水路で野菜を洗ったりしていたのだろうか。
[2017.10.24]
下北半島は、“まさかり”とか“斧(おの)”の形に例えられる。
今回、その刃の部分にあたる陸奥湾の北側のところを巡ってきた。
函館から下北半島の突端の大間、本州最北端の地はまことに近い。函館港からフェリーで出発して、大間港に着くまでの1時間半は、後ろにずうっと函館山が見えている。函館山と大間の距離は、海上30km弱である。下北と北海道の陸地の最短距離は18km。大間の人は函館局のテレビ放送を視聴し、フェリーで函館の病院に行くとも聞く。函館からは日帰りで大間のまぐろまつりにまぐろ丼を食べに行く。
今回、その刃の部分にあたる陸奥湾の北側のところを巡ってきた。
函館から下北半島の突端の大間、本州最北端の地はまことに近い。函館港からフェリーで出発して、大間港に着くまでの1時間半は、後ろにずうっと函館山が見えている。函館山と大間の距離は、海上30km弱である。下北と北海道の陸地の最短距離は18km。大間の人は函館局のテレビ放送を視聴し、フェリーで函館の病院に行くとも聞く。函館からは日帰りで大間のまぐろまつりにまぐろ丼を食べに行く。
[2017.09.17]
三笠市のジオパークを訪れた。北海道のジオパークの仲間が一堂に会して、その土地のジオパークを知り、互いに親睦を深めるという目的で毎年違う場所で開催している。
国道12号線沿いに三笠道の駅があるが、三笠市の中心は、そこから10kmくらい東側に入ったところにある。
国道12号線沿いに三笠道の駅があるが、三笠市の中心は、そこから10kmくらい東側に入ったところにある。
[2017.08.17]
[2017.06.20]
釧路の町を訪れた。
道南の伊達に住んでみると道東は遠い。感覚としたら、本州から女満別空港に降りて、レンタカーで網走など道東を巡る方が楽に感じる。
伊達から釧路までは、陸路373km。ほぼ東を目指して北海道を横断する。370kmという距離は、東京を起点とすると西は名古屋(348km)のちょっと先、北は仙台(370km)までと同じになる。
1950年代の釧路風景
道南の伊達に住んでみると道東は遠い。感覚としたら、本州から女満別空港に降りて、レンタカーで網走など道東を巡る方が楽に感じる。
伊達から釧路までは、陸路373km。ほぼ東を目指して北海道を横断する。370kmという距離は、東京を起点とすると西は名古屋(348km)のちょっと先、北は仙台(370km)までと同じになる。
1950年代の釧路風景
[2017.03.09]
ジオパーク友の会では三陸ジオパークの方々との交流を図るために、岩手県宮古市を訪ねる旅を実施した。(2017年3月3日~5日)
行程は、苫小牧から八戸へフェリーを往復利用して、1泊3日(一日は船中泊)の旅であった。八戸からはバスで蕪島、久慈の琥珀博物館、北山崎の断崖の景観、普代村水門、普代―田老間は三陸鉄道のこたつ列車、田老では東日本震災の跡地、たろう観光ホテルなどをガイドさんに説明していただいた。そして八戸に戻る一泊の旅であった。
行程は、苫小牧から八戸へフェリーを往復利用して、1泊3日(一日は船中泊)の旅であった。八戸からはバスで蕪島、久慈の琥珀博物館、北山崎の断崖の景観、普代村水門、普代―田老間は三陸鉄道のこたつ列車、田老では東日本震災の跡地、たろう観光ホテルなどをガイドさんに説明していただいた。そして八戸に戻る一泊の旅であった。
[2017.02.01]
今回訪れたサン・ピエトロ村から車で1時間くらいのところに、この地域でも大きな都市であるボルツァーノ市がある。ここは古より、イタリアからチロル、南ドイツに向かうときに通る要衝の地である。ボルツァーノの街並みは古い石造りの建物が多く、町中は観光客が行きかう姿が目立つ。この町にある南チロル考古学博物館には、1991年にチロル山中の氷河の中から発見された“エッツィ”(アイスマン)が眠っている。