ここ2年くらい昭和史のことを知りたくて、半藤一利さんの「幕末史」、「日露戦争史」、「昭和史」、保坂正康さんの「太平洋戦争を考えるヒント」などを読んでいる。
なかなか自分の思いを整理するところまで行かないのだが、多くの歴史的事実や歴史の変曲点での道選びに示唆されることが多い。
以下、読んだところで「そうだなあ!」と感じたところを引用させていただく。
[2015.09.15]
[2015.08.19]
わたしたちの年代の子供の頃は、外でいっぱい遊びましたね。
わたしたちよりかなり先輩の小沢昭一は1929年(昭和4年)東京 蒲田の写真館に生まれる。当時の蒲田は東京の郊外で、新興地区として活気のある場所だったそうだ。
小沢昭一著「散りぎわの花」文芸春秋社 の中に次のようなくだりがある。
懐かしかったのでその一節を紹介させていただく。
わたしたちよりかなり先輩の小沢昭一は1929年(昭和4年)東京 蒲田の写真館に生まれる。当時の蒲田は東京の郊外で、新興地区として活気のある場所だったそうだ。
小沢昭一著「散りぎわの花」文芸春秋社 の中に次のようなくだりがある。
懐かしかったのでその一節を紹介させていただく。
[2014.06.19]
いささか季節外れになってしまったが、以前3月後半に書いたエッセーを載せる。
風呂上り、いただいたお酒を飲む。男山「御免酒」。
ご近所の雪かきをしたお礼にいただいた。高齢の女の方一人なので、つい雪かきをお手伝いしたら、お礼にといただいた。ありがたく、いただく。
風呂上り、いただいたお酒を飲む。男山「御免酒」。
ご近所の雪かきをしたお礼にいただいた。高齢の女の方一人なので、つい雪かきをお手伝いしたら、お礼にといただいた。ありがたく、いただく。
[2013.12.26]
明治9年(1876年)3月、日本に到着した日の夜に、ミルンは初めて地震というものを体験した。大きな地震ではなかったが後に彼は「地震がまるで私を歓迎し、真剣な注意を払えと促しているようにみえた」と述懐している。
それから数週間しないうちに、ミルンは、地震現象に
強い関心を持っている人々を集め、精密な地震計の必要性を説いた。
ミルンは、近代化を推進する明治政府に雇われた“お雇い外国人”の一人であった。
それから数週間しないうちに、ミルンは、地震現象に
強い関心を持っている人々を集め、精密な地震計の必要性を説いた。
ミルンは、近代化を推進する明治政府に雇われた“お雇い外国人”の一人であった。
[2013.11.05]
大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。犠牲者10万人を超える日本の自然災害史上、空前の大惨事となった関東大震災である。
今年は、この関東大震災から90年の節目に当たり、防災の番組も多かった。
今年は、この関東大震災から90年の節目に当たり、防災の番組も多かった。
[2013.08.31]
前回に引き続いて“見える化”の話である。
前回エッセーを書いている時に、友人から資料が送られて来た。
「CHEER news 素粒子で地球を覗く」というレポートである。
前回エッセーを書いている時に、友人から資料が送られて来た。
「CHEER news 素粒子で地球を覗く」というレポートである。
[2013.05.12]
73歳にして北海道の開拓を志した医師関寛斎。そんな彼を傍らで、ずうっと支え続けた妻あい。
高田郁(たかだ かおる)さんの小説「あい 永遠に在り」は、妻あいから見た関寛斎の物語である。
高田郁(たかだ かおる)さんの小説「あい 永遠に在り」は、妻あいから見た関寛斎の物語である。
[2013.02.26]
最近、日本の周りでの領土をめぐる問題が多く起こっている。
中国との間には尖閣諸島の問題、韓国との間には島根県の竹島をめぐる問題、そしてロシアとの間では、北方四島をめぐる交渉を進めようとしている。
領土問題・交渉は相手があることだし、一筋縄ではいかない問題で、これからも粘り強い外交交渉が必要となってくるだろう。
中国との間には尖閣諸島の問題、韓国との間には島根県の竹島をめぐる問題、そしてロシアとの間では、北方四島をめぐる交渉を進めようとしている。
領土問題・交渉は相手があることだし、一筋縄ではいかない問題で、これからも粘り強い外交交渉が必要となってくるだろう。
[2013.02.09]
150年前の1863年。北ドイツ生まれの一人の豪商は、それまでの事業活動から、小さい頃の夢の実現に向けて大きく舵を切った。
ハインリヒ・シュリーマン、その時41歳だった。
ハインリヒ・シュリーマン、その時41歳だった。
[2012.05.17]
伊達の近郊の畑ではビートの栽培が行われている。ビート(甜菜・砂糖大根)は、5月頃に苗が植えられ、夏場にぐんぐん成長して、10月頃に収穫される。