■白頭山(ペクトゥサン)の話から
北朝鮮と中国の国境にまたがって白頭山(韓国名:ペクトゥサン)という火山がある。中国側では、長白山(中国名:チャンパイシャン)と云われる。中国側のこの山の麓で長白人参(高麗にんじん)が栽培されている。北朝鮮のTV放送で、韓国の伝統衣装チマチョゴリを着た女性アナウンサーがしゃべる画面の後ろに山の上の湖の絵がある。あの山こそ白頭山で、湖は山頂のカルデラ湖 天池である(と思われる)。
4月21日に伊達のカルチャーセンターで福岡大学理学部 奥野充教授による「白頭山噴火の年代測定について」という題の講演があった。講演は、炭素14(以下14Cと略記することがある)を用いた年代測定法とはどんなものか、そもそも14Cとはどんな性質のものなのか、この測定法で得られた年代と歴史年代との誤差をどのように合致させるのか、14Cの量が異常に上がった西暦775年イベントとは、また水月湖(すいげつこ)の年縞(ねんこう)とは、など年代測定に関わる広範なお話が聞けた。もとより専門外の話で充分に理解したわけではなく、面白そうなさわりに触れたという程度である。
その後、講演でいただいたキーワード、気になったことについてインターネットのWikipediaなどで調べたことを整理してみたい。いずれも年代測定に関する話題である。
◆白頭山の噴火
結論から入ると、白頭山の噴火は946年にあったと特定できた。現地での地層調査、埋没されていた樹木の年輪(樹幹ディスク)、14C の測定とキャリブレーション(較正)により特定した。この年に日本の奈良でも降灰の記録があるそうだ。この時の噴火は世界最大級の巨大噴火で、火山灰は偏西風に乗って日本の東北地方にも降り注いだといわれる。926年に渤海国が滅亡したことと、白頭山の噴火は関係があるのではないかと取りざたされていたが、どうも噴火は滅亡の後なので、関係はなさそうだ。年輪を子細に調べると、噴火が起きたときの季節も分かるそうだ。946年の冬に起きたのではないかと云われている。
話はちょっと横道に逸れて、
946年と云えば、日本では平安時代にあたるが、この時代は日本でも火山活動が活発だった。
806年に磐梯山が噴火して、その翌年807年に会津徳一(徳一菩薩)がそれを鎮めるためか会津に慧日寺を建立した。鳥海山は、810-824年、840年、871年と噴火を繰り返している。朝廷は、この山を畏れて、噴火のたびに階位を授けて累進していった。
富士山も万葉時代から引き続いて、この時代に火山活動がもっとも激しかった。
800年から802年(延暦19~21年)にかけて、激しい噴火が続いた。「日本後記」によれば、「昼は噴煙によって暗くなり、夜は火光が天を照らし、雷のような鳴動とともに火山灰が雨のごとく降り、山麓の川の水が紅色になった」と記されている。また一連の大噴火による噴出物で、当時重要な街道だった足柄路が埋没したため、新たに箱根路が開かれたと伝えられている。
864年(貞観6年)の噴火は、有史以来最大規模の溶岩を流出したもので、「貞観の大噴火」とも呼ばれており、平安時代の史書として名高い「日本三代実録」に詳細な記述がある。それによれば、「膨大な量の溶岩が山野を焼きつくしながら流下し、本栖湖と剗の湖(せのうみ)に流れ込んで、水を熱湯に変え、魚などを死滅させるとともに多くの農家を埋没した」とある。また、本栖湖や剗の湖に溶岩が流れ込む前には、「地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁」と記されており、激しい雷雨、さらには深い煙霧によって、山野の見分けもつかないほどになったというのである。(中略)
貞観の大噴火は、富士山の北西斜面で始まり、約三か月間継続した。現在は長尾山と呼ばれている側火山を生じ、たびたび流出した大量の溶岩が、斜面を広くおおいつつ流れくだって、民家を埋め、本栖湖や剗の湖に流入したのである。
この溶岩流は「青木ヶ原溶岩」といわれており、以後1100年あまりの間に、溶岩流の上には大森林が発達してきた。いわゆる「青木ヶ原樹海」で、野生動物の宝庫としても知られている。(中略)
貞観の大噴火以後も、富士山は頻繁に活動を繰り返し、しばしば溶岩を流出した。932年(承平2年)の噴火では、噴石によって大宮浅間神社が焼失した。
937年(承平7年)の噴火については、「日本通記」に「駿河国富士山神火埋水海」と記されており、溶岩流が川を堰き止め、それによって現在の山中湖が誕生したものと推定されている。それ以後、952年(天暦6年)と993年(正暦4年)には、北東側の斜面で噴火が発生したとされる。1017年(寛仁元年)には、北斜面の三か所から噴火、1033年(長元5年)の噴火では溶岩を流出、1083年(永保3年)には七か所から溶岩を流出するなど、平安時代は、まさに富士山激動の時代だったのである。(後略)
(以上、富士山についての記述は「地震と噴火の日本史」伊藤和明著 岩波新書から引用させていただいた。伊藤さんは文学にも造詣が深く、この本の中でも、富士山に関わる短歌、物語などを紹介している。興味のある方はぜひご一読を)
話はまた、炭素14に戻る。
わたしたちが炭素といっているものには、原子核の構造により3種類がある。その中で炭素14というのは、
炭素のうちの0.00000000012%を占め(極めて微量にしか存在しない。これが少しくらい増えただけで地球温暖化には直結しない)、原子核は6個の陽子と8個の中性子からなる。炭素の大部分(98.9%)を占める炭素12(12C)は6個の陽子と6個の中性子、1.1%を占める炭素13(13C)は6個の陽子と7個の中性子からなる。炭素14の半減期は5730年でベータ崩壊して窒素14になる。
炭素14は対流圏上部から成層圏で窒素原子(N)に熱中性子(n)が吸収されることによって生成される。宇宙線が大気に入射するときに様々な反応が起こり、その時生成される中性子の作用による。半減期の性質を利用して年代測定が行われる。
放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい、英語: radiocarbon dating)は、自然の生物圏内において放射性同位体である炭素14 (14C) の存在比率が1兆個につき1個のレベルと一定であることを基にした年代測定方法である。対象は動植物の遺骸に限られ、無機物及び金属では測定が出来ない(Wikipedia放射性炭素年代測定による)
奥野先生の話では、現在は加速器質量分析法(AMS)という直接14Cの数を測る方法があり、1mgの試料があれば測定できるとのこと。
◆775年イベント(Miyake Event)
発見者の一人、名古屋大学 太陽地球環境研究所
三宅芙沙特別研究員の名前をとり、“Miyake Event”
とも呼ばれる。
2012年に名古屋大学 太陽地球環境研究所の研究チームが屋久杉の年輪を検査した結果、西暦775年にあたる年輪から炭素14やベリリウムなどの放射性物質の割合が過去3000年間で最も高くなることを発見した。これらの放射性物質は宇宙から降り注ぐ宇宙線が大気中の窒素と衝突して生じる。
これにより、775年頃に地球に宇宙線が大量に飛来したことが明らかになった。この研究結果は2012年6月にイギリスの科学雑誌Natureに掲載された。
また、ドイツの年老いた木の年輪や南極の氷からも同じ頃、放射性物質が急増していることが判明している。宇宙線は肉眼では観測できないので、宇宙線を直接観測したという記録は当然、存在しない。しかし、世界中の文献に宇宙線をもたらすきっかけとなった現象が記されている。その中で、イギリスのアングロサクソン年代記には、「西暦774年に、空に赤い十字架と見事な大蛇が現れた」という記述がある。
また、ドイツにある修道書を調べた結果、「西暦776年に、教会の上を燃え盛る2枚の楯が動いていくのを目撃した」という記述があり、さらに。当時の中国(唐)の天体観測を記録した新唐書には、「西暦767年の7月頃に、太陽の脇に青色と赤色をした気(ここでは、“もや”のような物体を指す)が現れた」と記されている。
宇宙線の割合や前述の文献の記述から、以下の3つの説が考えられている。
・超新星爆発説
地球のすぐ近傍で、超新星爆発が発生し、それに よって誕生した宇宙線が原因であるという説であ る。この場合アングロサクソン年代記に記された 「赤い十字架」は超新星爆発が肉眼で観測されたも のではという指摘もあるが、超新星残骸が見つから ないという疑問点もある。
・太陽フレア説
775年頃に巨大な太陽フレアが発生し、そのときに 放出された宇宙線が原因であるという説。前述のド イツの修道書に記述されていた「燃え盛る2枚の 楯」とアングロサクソン年代記に記述されていた 「見事な大蛇」、新唐書に記されていた「気」は太 陽フレアによって発生したオーロラである可能性が ある。しかし、そのためにはこれまでに我々が観測 した最大の太陽フレア“キャリントンフレア”の10 倍という規模の太陽フレアがその時に発生していな ければならない。
・ガンマ線バースト説
天文学の分野で知られている中で最も光度の高い物 理現象であるガンマ線バーストが銀河系で発生し、 それによって発生した宇宙線が原因であるという 説。ガンマ線バーストなら、短期間に大量に発生し た宇宙線を説明出来る。しかし、そのためには地球 から3000から12000光年離れた位置でガンマ線バー ストが発生しなければならない。ガンマ線バースト は1つの銀河で数万年から数千万年に1度の極めて珍 しい現象で、それが775年頃に我々の銀河系内で起 きたとは考えにくい。
など諸説ふんぷんというところである。
奥野教授たちも、この発見の後、炭素14による年代と暦年の較正曲線を調べていくと、775年あたりで大きく変化していることに気づいた。年代測定学者のサイドからも775年イベントは裏付けられた。
話は代わって、年代測定について、日本には世界に誇れるこんな湖があるということ。
◆水月湖の年縞(ねんこう)
以下は、福井県 自然環境課(2013年8月)作成のパンフレットに拠る。
はじめに、
「水月湖の年縞」のタイトルの脇に、――湖底に眠っていたものは・・・世界の標準時計
とある。
福井県の美浜町と若狭町にまたがるのが三方五湖である。湖の周辺では縄文時代の遺跡が見つかり、2005年には国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された。その中で最も大きな湖が、水月湖であり、ここで学術ボーリングが行われ、湖底から年縞と呼ばれる縞模様の堆積物が採取された。
年縞には、昔の湖周辺の様子や気候、地震などが記録されている。1年に1枚の縞模様が形成されることから、縞を数えれば、その年代を特定することができる。また年縞に含まれる葉の化石などを分析することで、世界中で発見された出土品などの年代決定にも用いられる。2012年7月に行われた国際会議では地質学的な時間スケールとして半月湖の年縞を使うことが決まり、世界の標準時計となった。水月湖の年縞は過去7万年分も連続して堆積しており、世界でも例を見ない規模のものである。なぜそのようなことが可能だったのだろう。キーワードは、「かき混ぜられない」「埋まらない」にあるという。
・流れ込む大きな川のない地形
直接流れ込む大きな河川がなく、水深も深いため、 大雨などによる大量の水や土石の流入で湖底がかき 乱されることがない。
・山々に囲まれた地形
周囲が山々に囲まれているため、風が遮られ、波が 立ちにくく、湖水がかき混ぜられない。
・生物のいない湖底
湖水がかき混ぜられないことにより、深いところ は、酸素のない層になっている。つまり水月湖の湖 底には生物が生息できず、年縞が生物にかき乱され ることがない。
・埋まらない湖
本来、湖は時が経てば上流からの土砂などの堆積物 で埋まってしまう。しかし、水月湖は、周辺の断層 の影響で、長い間、沈降し続けている。そのため、 堆積物で湖が埋まることなく、湖底に堆積物が溜ま り続けている。
年縞のできかた:なぜ縞模様になるのか。
水月湖の湖底には、春から秋にかけては土やプランクトンの死がいなどの有機物、晩秋から冬にかけては湖水から析出した鉄分や大陸の黄砂などの鉱物質が堆積する。有機物を多く含む層は暗い色に、鉱物質を多く含む層は明るい色となり、色の暗い層と明るい層の1対が1年をかけ縞模様になっていく。水月湖の年縞堆積物は、1年で平均0.7mmの薄さで、7万年にわたり堆積してできた。
年縞から何がわかってくるのか。
・堆積の変化・火山灰・黄砂からは
年縞には、大洪水や地震の痕跡も記録されている。 少なくとも約3000年に一度の周期で、大規模な地震 があった可能性が分かってきた。火山灰や大陸から の偏西風に乗ってくる黄砂も年縞に含まれている。 火山灰からは火山が噴火した年代、黄砂からは偏西 風の風向きの変化なども分かる。
・落葉や花粉の化石からは
湖の周辺に生育していた植物の種類が分かり、その 植物が育ちやすい気候や環境だったことが分かる。 そうしたことから気候の変動が見えてくる。
なぜ世界の時計なのか。
水月湖の年縞に含まれる葉の化石は、年縞の枚数を 数えることによって何年前のものかが分かる。その 化石の放射性炭素年代測定の値が基準となり、水月 湖の年縞は、世界中でいま最も正確な「世界の標 準」(地質学的な時間スケール)として採用されて いる。
門外漢のわたしにとって、炭素14とはどんな代物で、年代測定にどのような性質が利用さ
れているのかもよく分からなかった。
また、白頭山の噴火については古文書などに記載があり特定されているものかと思ってい
たが、どうもそうではなかった。
775年イベントの原因についての仮説や、その頃に世界中で起きた不思議な現象なども興味
を魅かれた。
福井県の水月湖の年縞も面白い話であった。日本に世界水準となるような“地質時計”が
存在して、それが極めて特異な自然環境が生み出していた。
白頭山の話から、年代測定にまつわる多方面の話をお聞き出来てよかった。
(2018-5-17記)