■百人一首
夏休みTV番組の中で「百人一首」のことが分かり易く紹介されていた。面白かったので、以下に簡単に書き留めてみた。わたしは「百人一首」かるたはしたことがないが、子供の頃にカードを使ったゲーム*「坊主めくり」を楽しんだ記憶はある。 「百人一首」は成立が13世紀ごろで、藤原定家が編者である。それまでの500年間における100人の歌人の秀歌を集めたベストアルバムといえる。定家が京都嵯峨野の小倉山荘で編纂したので、小倉百人一首と呼ばれている。
男女比は、男性歌人79人、女性歌人21人。
歌の割合 恋:43首、四季:32首、旅:4首、離別:1首、雑:20首
詠み人の中には、古いところでは飛鳥時代のヒーロー 天智天皇、絶世の美女 小野小町新しいところでは鎌倉時代の順徳院などが含まれる。
ちょっと変わった名前の蝉丸(せみまる)の歌から、
これやこの 行くも帰るも別れつつ
知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
逢坂(読み:おうざか)の関は京都と滋賀の境で諸国を旅する人の交差点のような場所。盲目の琵琶奏者ともいわれる蝉丸は平安時代前期の人で、この地に庵を結び、隠遁の生活をしていた。日々この町に出て、見えない目で通りの方を眺め、行き交う人々の話し声、にぎわいを感じていた。
そうだ、ここだ。出発する人も帰ろうとする人も、知っている人も、知らない人も、富める人も、貧しい人も、みんな行き交い、すれ違い、会っては別れを繰り返す、ここがその逢坂の関なのだ。
テンポがよくリズム感のある歌である。行ったり来たり感が出ている。
「も・も・も・も」が入ることでリズム感が出てきている。
世の中を詠んでいる歌で、
こんなにたくさんの人々がいるのだから、我々は全ての人を知って仲良くなれるわけではない。大勢の行き交う人、会っては別れ、その中の一部の人と我々は何かのご縁で知り合い、一緒に過ごす。このことを大切にしなければ。
この「も・も・も・も」の繰り返しでリズム感を作るということは、後世の我々にも引き継がれたと思う歌がある。
唱歌「おぼろ月夜」(作詞 高野辰之)の二番の歌詞
里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
さながら霞める おぼろ月夜
詩は脚韻(リズムを作って響きの心地よさや美しさを作り出す)を踏み、各行4+4+3+3音で構成されている。特に「も」音の繰り返しが音楽的である。
僧正遍照(そうじょうへんじょう)は、平安時代前期の僧・歌人。百人一首には次の歌が選ばれている。
天(あま)つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
宮中でおとめたちが舞いを舞っている。その姿が何とも美しい。
空を吹き抜ける風よ、その雲で天女が帰るための道を封鎖しておくれ。もう少しだけ、この地上であでやかに舞うおとめたちの姿を見ていたいから。
おとめたちを天女に例えている。いろいろな解釈ができるが、雲自体が階段状の道になっているともとらえられる。昔の人の豊かな空想力といっしょに遊ぶことができる。昔の人は自分の語彙力を駆使して、感動を加工している。
藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)は、平安末期の公家で歌人。
長らへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
諦めずに生きていれば、今の悩んでいることも苦しいことも、全部懐かしく思い出される日もきっと来るはずだ。あんなに苦しかった昔だって、今は懐かしく思えるのだから、きっと大丈夫だよ。いとおしくなるときは、必ず来るからね。
未来から今の自分を見ている歌とも解釈できる。過去から未来に立ち位置を自在に変えられる、ともとれる。
源実朝(みなもとのさねとも)
源頼朝の子で、鎌倉幕府三代将軍。12歳で政権につくが、実権は北条氏が握っていて、また内紛の絶えない時代であった。正二位で武士として初めて右大臣まで昇任した。28歳の時に甥の公暁(くぎょう)に鶴岡八幡宮で暗殺された。
正岡子規は、明治時代に短歌俳句の改革に臨んだが、過去の歌人の中で源実朝の歌を高く評価している。
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
あまの小舟の 綱手(つなで)かなしも
浜辺でじっと海を見ている。
ありえないことだけど、世の中がずっと平安であればいいのになあ。いつまでもいつまでも。絶えず変化する波、そこに浮かぶ舟、その舟をつなぐ綱、その綱を引く漁師の手・手・手・・・・。どうってことのないこの渚の景色が、きょうは特別なものに見えるんだ。
背景としては、実朝の人生―若くして政権の座に就いたが、争いの激しいときで、身内も信用できないような状態であった。実権は自分になく、自分の思うような為政はできなかったーーを考えることが必要である。
“かなしも”は、何を考えていたのだろう。
この時代の“かなし”は、切なく悲しい、いとしい、こころが動かさられる様などを意味していた。“綱手がかなし”実権を握っていない自分に比べ、漁師さんは、しっかり綱を握っている。その実態がある確かさ、綱というガイドラインのあるうらやましさに比べ、自分はあっちこっちと定まらないかなしさ。実朝はどんな気持ちだったのかなあ、といろいろ情況を考え、こちらが想像する余白がある。
和歌は、作者と受け取り手の共同作業で世界が立ち上がっていく。和歌は“冷凍食品”とも考えられる。熱(情熱)を加えないと食べられない。この情熱は、少し難しい古語にも好奇心を持って、ていねいに読んだり、何か資料を調べたりする意欲なのかもしれない。
*「坊主めくり」 かるたのうち絵の描かれた札を使う。重ねた札を順番にめくってゆき、最終的に持ち札が多い人が勝ち。坊主が出たら札を没収されたり、姫が出たら場の札をもらえたり、様々なルールがある。子供から大人までがいっしょにゲームできる。最後までどんでん返しがあり、スリリング。
◆参考資料
NHK教育TV「100分de名著」の中で「百人一首」を紹介。ゲスト 木ノ下裕一氏の解釈を載せさせていただいた。
挿絵 安野光雅画集から「東大寺 二月堂」を習作
(2018-9-14記)