■北海道の列車たち2
日高本線は、苫小牧と日高の様似を結ぶ路線である。
2015年1月の高波による路盤流出によって鵡川―様似間が運休を余儀なくされた。その後も2015年9月の台風、2016年の台風によって被害がさらに増大した。JR北海道は復旧には沿線自治体の財政支援が不可欠としているが、財政難に悩む沿線自治体にはその余裕はない。
現在運転されている苫小牧―鵡川間は約30kmであり、日高本線の全長146kmのほんのちょっとした区間である。(この区間も先日の胆振東部地震のため現在は不通となっている。2018年12月に復旧予定と聞く)鵡川は胆振地方に属するので、現在はまったく日高地方を走っていないことになる。
学生時代に様似のアポイ岳に登ったことがあるので、おそらく帰り道に様似から苫小牧まで乗車したことがあるのだろうが記憶にない。
挿絵は、日高本線の節婦(せっぷ)駅と新冠(にいかっぷ)駅の間の海岸線を走る列車。海岸べりを多く走るので、波に洗われる個所も多いのだろう。
宗谷本線は、旭川駅から名寄駅を経て稚内駅までを結ぶ日本の最北を走る路線である。途中の士別、名寄、音威子府(おといねっぷ)、中川、幌延(ほろのべ)の間は、天塩川と国道40号線にほぼ並行して走っている。戦前は、稚内から樺太(サハリン)の大泊(コルサコフ)までの稚泊航路があり、樺太とをつなぐ重要路線であった。
わたしの思い出は学生時代に仲間と冬の豊富駅に降りて、ここからサロベツ原野を歩いたことだ。正月明けの1月上旬に豊富駅に着き、駅舎でソリの組み立てを行った。車内にバラシて持ち込んだ古いスキー板と木箱を釘で打ち付けて、簡易ソリを作り、これにキスリングザックを載せて冬のサロベツ原野を歩こうという計画だった。豊富の町中は、道路も除雪されソリを引く抵抗も少なく快調だった。町のおばさんに「あんたがた自衛隊さんかい?」と聞かれ、「いいえ、学生です」とやり取りした記憶がある。こんな時期に、こんなことをするのは、自衛隊さんの訓練かなんかと思われたようだ。
町の郊外に出ると、雪の量が増えて、ソリで引っ張るのに抵抗が増した。途中からは、ザックを背負ってスキーで歩く方が楽な時もあり、そのようにした。ペンケトー、パンケトーという沼があり、初めは恐る恐る凍った湖面に足を下ろしたが、厚く凍っていることが分かり、大胆に沼の真ん中を歩いて行った。海岸の近くまで行くと、吹きすさぶ烈風と雲間に日本海に浮かぶ利尻山を眺めた記憶がある。
挿絵は抜海(ばっかい)駅と南稚内駅間を走る急行「利尻」。こんなにも海の向こうの利尻山が大きく見えるところがあるのだ。
かつて音威子府駅から宗谷本線と別れて、中頓別(なかとんべつ)、浜頓別(はまとんべつ)を経由してオホーツク海側に出て稚内までを結ぶ路線があった。天北(てんぽく)線である。旧国名である天塩と北見を結ぶ意と聞く。
2014年3月初旬に、中頓別で研修会の用事があり出かけた。音威子府までは列車で出かけて、その先の中頓別町までは町の方が迎えに来てくれた車に乗せていただいた。冬の道北地方に出かけたのは、学生時代のサロベツ原野ソリ歩き以来だったかもしれない。中頓別は、盆地なので冬には氷点下30℃くらいになる。3月初旬のこの時期でも、雪がさらさらして軽かった。日本最北の鍾乳洞「中頓別鍾乳洞」があり、かつてこの地域は海の底で、ホタテなどの貝殻が堆積して石灰岩の台地が出来ていた。研修の翌日には、町の方々とスノーシューを付けて、冬の鍾乳洞を見学するツアーに出かけた。
排雪列車という線路やその周辺の雪を除雪していく列車がある。昔の絵本でラッセル車という言葉を聞いた覚えもある。前述の2014年3月の中頓別旅行の帰り道に、名寄駅で旭川行き列車を待つ間に、ホームに停まっていた排雪列車を見かけたことがあった。
スケッチは、宗谷本線の蘭留(らんるい)駅−塩狩駅間を走る排雪列車である。初め下絵のつもりで描きだしたが、白い雪の世界だから、鉛筆画に列車だけ色鉛筆で赤く塗っただけでもいいかな、としてしまった。雪深さが出ているかな!?
夕焼けの斜里岳をバックに走る釧網本線 斜里―中斜里間の列車。
同じく釧網本線の斜里岳の麓、緑―札弦(さっつる)間を走る「マウントレイク摩周」。
道東や知床は社会人になってからも何回か訪れているが、車で回っているため釧網本線には乗ったことがない。学生時代に知床半島を巡る旅をしているが、そのときはどの列車を使ったのかが思い出せない。
斜里町清里や小清水町から見える斜里岳は裾野を伸ばした秀麗な山である。
社会人時代の晩年2005年の夏休みに、斜里岳を訪れた。新潟―小樽フェリーで早朝に北海道に上陸してから陸路を走って、その日の夕方に清里の山小屋に着いた。泊り客はわたし一人だけだったので、「2階のスペースを全部使って寝ていいよ」とのことだった。
夕食はコンビニでもとめた弁当などで、管理人さんといっしょに一杯飲りながらおしゃべりをした。管理人さんも山の好きな方で、玄関にいるワンちゃんを相棒に冬の近辺の山を歩いている話を伺った。翌日斜里岳に登ったが、山頂は霧に包まれて、四囲の景色はまったく見えなかった。
以下の情景は2010年当時の、“SL冬の湿原号”の様子である。
1月の釧路駅構内、冷えた釜に火が入る。石炭を放り込んで、ボーボーと燃やしてエネルギーを蓄える。各部の点検操作を行う。もうもうと立ち上がる蒸気。2時間後、SLは息を吹き返す。煙突からもくもくと煙を上げながら、釧路駅のホームに入っていく。
1月から3月の間、“SL冬の湿原号”は、釧路―標茶(しべちゃ)間で運行される。
機関車C11 171は昭和15年の製造で長く公園に置かれていたが、平成11年に復活された。総重量68t、610馬力でいま北海道の各地を駆け巡っている。
駅のホームでは、ファンがいっぱい待っていて、ヘッドマークを入れて記念撮影する。
ポォーポォーの汽笛の合図で出発、釧路―標茶間48kmを1時間15分で走る旅に向かう。
釧路川橋梁は、SLファンにとって、なかなかのシャッターポイントとなっている。冬の釧路川は凍っていたり、氷が水面に浮いていたりしている。その氷混じりの川の風景と共に橋にさしかかったSLを捉えるというのは、他には無い光景となる。
釧路湿原に入る。車窓から眺めていると、まばらな林の向こうにエゾシカの家族が現れる。こちらを見ている。思わず車内の人々も手を振る。
オオワシも近くの空を舞う。
湿原の川にカヌーを浮かべているそばをSLが通り過ぎていく。
◆参考資料
・「鉄道アルバム 北海道の列車」写真集 朝倉政雄著・撮影 北海道新聞社
の写真を参考に絵を起こした。一部、背景や季節を変えた。
・SL冬の湿原号の絵と文章は、
2010年12月24日放送 NHK(北海道版)
「北スペシャル」駆け抜ける、四季−北海道SLの風景 から描き(書き)起こした。
(2018-11-1記)