1964年東京・品川区小山生まれ。
幼稚園から中学校卒業までは千代田区の公立学校に通い、
秋葉原とお茶の水の間(千代田区外神田)、聖橋をのぞむ神田川沿いに住んでいました。
その後、港区の都立三田高校に通いました。

高校卒業後2年間、進学を前提に世田谷区経堂で住み込みの新聞配達をしていましたが、
大学進学よりも少しでも早く社会に出て働くことに惹かれて、
1985年文京区の青少年団体に就職。
青少年団体では、国際青少年イヤー(IYY)イベントや東南アジア交流事業などを経験。

1986年8月には、その青少年団体とゆかりのある国会議員の秘書となり、永田町の議員会館で12年間働いていました。
その12年間は中曽根内閣の自民党圧勝にはじまり、田中角栄氏の政界引退、竹下・金丸時代、政治改革、新党さきがけ、民主党へと、目まぐるしく政治の世界が変わる時代でしたが、貴重な経験をさせて頂きました。

1997年10月には家族で北海道移住を決意して、秘書の仕事を辞めさせて頂き、1998年2月に伊達市に移り住みました。
伊達市では、土木作業、農作業、本屋店員などをつとめながら、子供たちの選択肢を広げるために「シュタイナー教育」普及活動に参加。
のちに学校法人のシュタイナー学校設立につながり、ふたりの息子たちもその学校の卒業生となりました。

2000年の有珠山噴火では、民主党災害対策本部現地スタッフとしてボランティアの受け入れや支援物資の受け入れや配給業務を行いました。
またその年、噴火がおさまってのち、ITサポートの会社を仲間と共に起業。
その会社は、のちに株式会社アップデート(旧(株)西胆振ケーブルテレビ)となって、
大滝ケーブルテレビの運営を担ったり、地域ポータルサイトむしゃなびを運営する会社になりました。

2003年には伊達市議会議員選挙に出馬し初当選。現在5期目をつとめています。
議会では、議長、産業民生常任委員長、文教常任委員長、議会運営委員長、広報特別委員長、西いぶり広域連合議会議員をつとめてきました。

現在は、市議会議員をつとめながら、個人事業によるパソコンサポート会社を経営し、ホームページ作成や法人・個人のITサポートをしています。
また豊浦町にある学校法人北海道シュタイナースクールいずみの学校の運営に監事として参加しています。


この町に思うこと こくぼ重孝

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25年前、東京からこの北海道伊達市に移住した。都会であくせくして生きてきた自分にとって、この街は楽園のようだった。そんな楽園も暮らしていくといろんなことがあった。徒然なる街ではなく、変化があり退屈しない街に住んで感じたことを600字に絞って綴っていこうと思う。

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