
観光・体験
観光・体験 記事一覧
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2025/07/10(木) - 観光・体験
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波動とは・・・。
おはようございます。 今日も早起き元気な麗人さんです。 昨日、今日と心地が良い空気感ですね。 暑さもちょっと和らいだ感じがします。 北海道の夏と言うイメージですね。 昨日ですが、ある話を聞いておりました。 その中で大きなヒントを得ることができました。 どのようにお話しすれば皆さんにお伝えできるのか難しい話ですが ちょっとシェアさせていただきます。 ******** ある2人が会話をしておりました。 AさんはBさんにこんな話をしました。 昨日、あそこのデパートに売っていた調理器具がめちゃめちゃ気になって買ってきたんだよね、、。 それでね、使ってみたら、めちゃめちゃ使い勝手が良くて 何かこれがあれば、いろんなものができそうって感じがしたんだよね! 何か料理が楽しそうだわ〜! すると、Bさんがこんなふうに答えました。 でも、それ高いんでしょう? 私買えないわ〜。 すると、Aさんは そっか〜と言って会話が終了! ごくごくあり得るお話ですよね。 その2人の会話に何が生まれたか? 実は、Bさんのお話にAさんが波に飲み込まれてしまったような形です。 会話の例はここまでにします。 ******** 人々の会話って波動の中で成立していることが非常に多いのです, こういったから、あー言ったから って言うポイントポイントの 耳から聞き入れた言葉によって 会話は終了してしまうが Aさんが一言 えー、そんな高くないよ 一緒に買って使い方シェアしよう! って話をして、Bさんの沈んだ波動を 上向きにしていたら もしかして、Bさんもなら私も買ってみようかしら? って話になっていたかもしれませんよね。 ここで言いたいのは 波動の話です。 買う買わないの話ではなく もし落ち込んでいる人がいたとしたら ちょっとでも、その人の波動を変えてあげることってできるよね! って言う話です。 皆さんも普段からこんな場面ってあるかもしれません。 帰ってから何かモヤモヤする時もありませんか? それってもしかして? その人に同調しているのかもしれませんよね。 自分の心を上向きにしているのなら 自分の波動を下げない行動と 言動に心がけたいですね。 それでは、今日はこの辺で! 今日も張り切って行くぞ! もし、ここで私が こんなふうに言ったらどう思います! 「あぁ、今日もめんどくせ〜 あの人くるし〜!」 なんて、言葉をここで発してたら やばい人になりますよね 笑 麗人やばいわ〜 笑 って噂がめちゃめちゃ広がりますよね〜。 良い波動に心がけましょう。
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2025/07/10(木) - 観光・体験
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小さな話(28)
【我慢の70分】 35度の気温で暑くて行く予定が無かったので、宝町の「宝くじドリーム館」にイベントを見に行った。この日はランチタイム・クラシック・コンサートをやっていた。 出演は廣田美穂(ソプラノ)、中井亮一(テノール)の競演で、100人くらいの観客が来ていた。 私はどうもオペラは苦手で、イタリア語で歌うので、なにがなんだか分からない。 それに特にソプラノは脳天を突き抜けるような高音が、私には耐え難い。 通常は50分くらいのイベントが、この日はアンコールを含めて70分にも及んだ。 来ている人達は老人ばかりで、オペラが好きとも思えない。ただ涼みに来ていたのでは? 【築地市場の外国人】 都バスで銀座方面に出る時は、築地場外市場の横を通る。 市場には多くの外国人観光客が、何が面白いのか暑い中を見物に来ている。 どこの国でも、市場はその国の庶民の生活が分かり面白い。 でも築地市場は専門業者はほとんど豊洲に移ってしまい、今では観光地になってしまった。飲食店や買い食い店ばかりになってしまい、庶民の台所ではなくなった。 暑い日が続くので、若い外国人女性は下着のような格好で歩いている。 イスラム教徒も来ているが、目の毒ではないだろうか? 【今日から一句】 毎週木曜日の午後7時から、6チャンネルで「プレバト」という番組がある。 その中のコーナーで「俳句」があり、「夏井いつき」という口の悪い先生が登場する。 私は以前に「かに道楽」と「おーい、お茶」の俳句募集に応募したことがあるが、入選にはほど遠かった。 最近になり図書館から夏井いつきの「今日から一句」という本を借りて来て、少し勉強しようと思った。俳句を初任者向けに易しく解説している本だが、「そうかー!」と勉強になった。参考になったのが「映像を切り取る」と、「季語+季語と関係ない12音」であった。 そこで私も一句。 『炎昼の 買い食いだらけ ツーリズム』 (暑い中を外国人観光客が買い食いをしている様子) 【もうこの季節】 銀座4丁目のバス停近くの小公園の前を通ったら、もうミスト噴射を始めていた。 例年なら7月の半ば過ぎないと始まらないと思っていたが、今年は早く始めたようだ。 東京の「梅雨入り宣言」が出されたら、それをキッカケのように高温の日が続いている。 地球温暖化が言われて久しいが、梅雨が無くなったような気候は温暖化に関係があるのだろうか? ミスト噴射は見ているだけで、涼しげである。 その下に行くとミストを浴びて一瞬は涼しくなるが、そこを離れると元の木阿弥である。 【なにを並んでるの?】 銀座4丁目のバス停の近くに、いつも外国人が並んでいる場所がある。 その前に行ったが、店は無くエレベーターを待っている人達だった。 ビルのフロアの看板を見ると、どうも7階の「幸せのパンケーキ」以外になさそうだった。 『なぜこんなところに並んでいるの?』とも聞き難いので、家に帰ってから調べてみた。この店は創業は2015年で、表参道店が第一号のようだ。全国に23店舗もあるのに知らなかった。メニューを見たらスタンダードのパンケーキは1380円、飲み物が350円で、両方で1730円はかなり高い。 行ってみたい気もするが、外国人に混じって並んでまでは食べたくない。 【2両連結BRT】 東京BRTが運行を始めた頃は乗客も少なく、「これで採算がとれるのだろうか?」と心配した。ところが最近は利用者が増えて、座れない時さえある。 「汐留」から帰る時に、たまに「晴海5丁目」、別名(HARUMI FLAG)行きに乗ることがある。これに乗ると私の住むマンションの裏側に停留所があるので、少し歩くが運河沿いで気持ちが良い。 停留所で降りたら、向かい側に2両連結のバスが見えた。 近付いてみたら、後部のガラスに「全長18m追い越し注意」と書いてあった。 車体重量は約12トンのようで、ガソリン車であった。保有台数が少ないので、滅多に乗ることはない。 (おまけの話)【同級生交歓】 段々と古くからの友人が亡くなったり、パソコンを止めたりして交流が減って来るのは仕方ないことだ。だから残っている友人は大切にしようと思い、毎月1回、中高時代の同級生と「都心を歩かない会」を開催して来た。 今回は新橋駅集合で、東京BRTに乗って東京ビッグサイトへ行ってランチの企画となった。 東京BRTの新橋停留所に行ったらなぜか臨時便で大勢の中年女性が列を作って並んでいる。腕章を付けた係の男性が案内をしている。 私は彼に聞いてみた。『これは何の団体ですか?』。 男性は面倒くさそうに『色々やっている会です』と言った。 家に帰ってからネットで調べたら、「三菱UFJ銀行」が主体となり147社が参加して、保険・人材派遣などをやっているグループの顧客の会のようだった。この日は会員向けにバーゲンセールを有明GIM-EXで開催するようで、みんな途中で降りて行った。 東京BRTの終点の「国際展示場」で降りて、すぐにランチ会場の「COCOS」に向かった。この店は席でタブレットで注文をすると、配膳ロボットが料理を運んで来る仕掛けになっている。ところが珍しいミスが発生し、ロボットが私たちが注文していない料理を運んで来た。 食後は東京ビッグサイトを背景にみんなで記念撮影してから、館内に入りカフェでお茶の予定だった。しかしものすごく広いカフェには空席が無く、仕方ないので帰ることにした。 1階の広い都バスの停留所に行って、「東京駅丸の内南口」行きのバスを待つ。 しばらくしてやって来た都バスは、乗る人も少なくガラガラだった。 バスが「新豊洲駅前」に到着したら、予想通りに大勢の外国人観光客が乗り込んで来た。彼らは外国人に人気の「チームラボ」に行った帰りなのである。 バスはギュウギュウ詰めでもう乗れないので、途中のバス停では乗車口を開けなくなった。私は途中の「勝どき駅前」で降りたが、混み過ぎていてみんなに挨拶も出来なかった。この路線を利用する時は、いつも「オーバーツーリズム」を体験している。
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2025/07/08(火) - 観光・体験
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写真で見る東京(113)・・・・兜町を探索
【兜町】 「中央区まちかど展示館」という名のサイトがある。 それによると『中央区は江戸時代より、わが国の文化・商工業・情報の中心として発展してきた長い歴史と伝統を誇る由緒あるまちです。面積は小さいながらも、江戸五街道の起点である名橋「日本橋」、世界のショッピングストリート「銀座」、日本のウォール街「兜町」、・・・』 『食文化の中心「築地」佃や月島を初めとした豊かな水辺等さまざまな魅力に満ちあふれ、多くの人たちが集う活気とにぎわいのまちとして、めざましい発展を遂げて来ました。以来400年余り、中央区は歴史と伝統を育み、江戸伝来の老舗や地域のお祭りなど、多様な文化資源が脈々と息づいています』とある。 【東京証券取引所】 1878年に現在の東京証券取引所の前身である「東京株式取引所」が設立された。 設立に関しては1万円札に登場している「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢 栄一が尽力している。 昔の株取引は「場立ち」という人たちが、手話のような手の動きで売買を行っていた。 それも1999年に廃止されて全てコンピューター処理になったので、見学しても面白みはない。建物は立派である。見学は裏の入口から、誰でも予約なしで入館できる。 でも見るものが無いので、あまりお勧めできない。 【兜神社】 東京証券取引所からすぐの場所に「兜神社」がある。 現在は証券界の守り神・商業の神様として信仰を集めているが、「明治4年(1871年)に東京商社(三井物産の前身)の移転に伴い、「鎧稲荷」、「鬼塚」が遷座した。その際に兜塚として祀られていた源 義家を御祭神に「兜神社」として社殿を建立した。 更に「鎧稲荷」と合祀して兜町の鎮守「兜神社」が創建された。 この神社は今では源義家とはあまり関係なく、証券会社のサラリーマンが株価上昇を願いにやって来る。御祭神は源義家から「お金」に替わってしまった感じだ。 【銀行発祥の地】 「〇〇発祥の地」というのは中央区に多くあり、「銀行発祥の地」も兜町にある。 明治6年(1873年)、前年に制定された「国立銀行条例」に基づき、日本最初の銀行である「第一国立銀行」が、この場所に創立された。 兜町に来ると、古い建物はなんでも「渋沢栄一」が関係していて、ここにあった第一国立銀行も渋沢栄一が中心的な役割を果たした。 当時の建物は三井組が建てた「三井組為替方」を譲り受けたもので、海運橋のたもとに建つ壮麗な和洋折衷建物として有名だった。場所は東京証券取引所の斜め裏手になり、現在は「みずほ銀行兜町支店」になっている。 【郵便局発祥の地】 私が意外だと感じたのだが、「郵便局の発祥の地」も兜町にあった。 「郵便」という言葉が使われ始めたのは明治初年の頃で、明治3年(1870年)に創設し、明治4年3月1日に東京~京都~大阪の3都市とその間を結ぶ東海道道筋の62ヶ所の宿駅で新式郵便事業が開始された。 この場所は高速道路の下を少し行った左側にあるのだが、そこへ来てみて分かった。 いつもは都営「浅草線」を「日本橋駅」で降りて、この日本橋郵便局の向かい側を歩いて日本橋へ行っていた。 ウロウロと歩いている割には、私は各建物の位置関係が頭に入っていないのである。 【山二証券】 この証券会社のビルはスペイン瓦の庇や丸窓、石やタイルの外装等、豊かな装飾で歴史的な外観となっている。 創業は明治44年(1900年)であるが、似たような証券会社に「山一証券」があった。 山一証券は1897年なので3年遅いので、遠慮して「山二」としたのかもしれないが、ネットで調べたが不明である。 私の親戚が山一証券に勤めていたことがあったが、1997年に倒産してしまった。 倒産の記者会見で社長が「私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」の言葉だけが有名になった。 「山一」が倒産し、「山二」が残ったという皮肉な歴史である。 【KABUTO ONE】 兜町に行けば必ず行く場所が「KABUTO ONE」で、場所は「茅場町」交差点の角にある。中央区の広報でも『兜町は明治以来「コト始めの街」、「投資の街」、「証券の街」としての地歴を有し、時代時代のイノベーションが起こり、投資家が集い、様々な情報が交流する舞台となって来ました。現在、東京都が推進する「国際金融都市・東京」構想を契機に新金融拠点形成に向けた再開発が行われています』とある。 その目玉が「KABUTO ONE」ではないだろうか? 1階の天井から世界最大規模のキューブ型大型ディスプレイ「The HEART」が下がり、刻々と株価を表示している。 また窓際には渋沢 栄一がベンチに座っているので、並んで腰かけることが出来る。 (おまけの話) 【ホテル K5】 変な名前のホテルだが、外国人観光客には大人気だそうだ。 ホテルの名前の由来は兜町の「K」と、元々の建物名「兜町第5平和ビル」の「5」を組み合わせただけで、特別な意味は無い。 ここは渋沢 栄一が設立した日本発になる銀行の分室で、建物内は日本人オーナーとスウェーデンの建築会社「Claesson Kovistro Rune」によって、活気あるブティック・ホテルになっている。しかしホテルの前を通ったが、1度目は気が付かなかった。 全くホテルらしくなく、しかも壁に「K5」と小さく出ているだけだ。 大正12年竣工の古い歴史的な建物の重厚で荘厳な雰囲気を生かしていて、周りの雰囲気に溶け込んでいた。 【スイーツ teal】 「teal」とは聞きなれない言葉だと思い調べてみたら、「青緑色」のことだった。 この店は渋沢栄一の旧邸宅跡である「日証館」の1階に2021年に開店したチョコレートとアイスクリームの店である。日本トップクラスのショコラティエの眞砂翔平氏とシェフパティシエの大山恵介氏がタッグを組んだ人気店だそうだ。 この場所は兜神社のすぐ近くの並びで女性には大人気の店で、この時も入店待ちの行列が出来ていた。でもここも店の名前が小さく、知らない人にはなんだか分からない。 住所が「兜町1丁目1番地」であることからも、色々と想像できる。 店の中に入ってみたがカフェ部分は少ししかなく、ほとんどのお客はケーキを買っていた。 【街角ピアノ】 「郵便局発祥の地」を見た時に、向かい側のビルに見覚えがあった。 そこは「日本橋ダイヤモンド・ビルディング」で、「三菱倉庫㈱」の本社があるビルだった。以前に来たことがあったのは、この1階に「まちかどピアノ」が置いてありその取材だった。 「まだピアノはあるかな?」と思って中に入ると、今まで通りにピアノがあった。 その時に高齢のサラリーマンがやって来て、ピアノを弾き出した。 まり上手とは言えなかったが、思い掛けないところでピアノ演奏が聴けたのは良かった。
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06/25(土) - 広告
四季を通じ、「外」とつながる暮らしの提案
ダイニングに向かう動線の視線の先にも、光の漏れる地窓。
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観光・体験に関する
特集記事
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BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
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景色がごちそう☆ “ モントーヤ “ ですごす ゆったり時間
温泉街から国道230号線を車で走ると、洞爺湖の上、畑の真ん中に突如現れる黒いコンテナ。 直線道路なので、気になりながらも通り過ぎ、農機具の倉庫かな?一体なんだろう?と気に留めていた昨年。 そんな、筆者のような読者の方もきっといらっしゃったことと思います。 そして今年、どうやらOPENしたらしい!との情報を得て、謎を解くべく取材をさせていただきました。 ↑この束石がポツネンとあるだけの国道からの入り口 ちょっぴり勇気がいる入り口からコンテナを目指して奥へ向かうと、そこには遮るものがほとんどない空間。 畑だと思っていたこの土地は、実は畑ではありませんでした。 周りを見渡して感動しました。 ぐるっと300度くらい見渡せます。 しかも、羊蹄山・尻別岳・ニセコ連邦・昆布岳・有珠山などなどが一望でした。 尻別岳 羊蹄山 取材に訪れたことをうっかりと忘れ、うっとりとゆったりモードにスイッチが入りそうになってしまったほどの眺望です。 「危ない 危ない」と、気を取り直して玄関に向かうと、思わず開けたくなる可愛らしい赤いドアがありました。 ↑入り口にメニューがあるのは安心します ↑ドアを開けると可愛いくて不思議でユニークなディスプレイ ↑厨房で忙しそうないずみさん こちらは、2022年5月にオープンしたカフェ&キャンプサイト “ モントーヤ “です。 札幌から6年前に移住して来られた オーナー 井上啓二さんと奥様 いずみさんが営むお店です。 実はお会いして驚いたことがありました。 ご縁というのは不思議なものだとも思いました。 ↑大きな窓からは遠くの山がよく見えます 奥様のいずみさんは2年前、筆者が企画したワークショップに参加してくださった4名様のうちのお一人だということ。 オーナーの啓二さんは、筆者がどうにも気になって気になって、何度も探しに行った洞爺湖畔の幻の珈琲ソフトクリーム屋さんのオーナーさんだったということ(数ヶ月で満足して閉店)。 そうだったんだ! そうだったんだ! このような形でお会いできるとは! と、敷地に入った最初から少々興奮気味の筆者…^^; 店内は、外からは想像できないくらい落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気の調度品が並んでいます。 ジャズが心地よく流れ、レコードジャケットやコレクションの古いカメラが並びます。 ↑筆者好みのアーティストとレコードジャケット ↑昭和感漂うレトロなコーナー。 「東京に居た頃は服飾デザインの仕事をしていました。いわゆるDCブランドの服です。札幌に戻ってからは、もともと好きだった馬の仕事に携わりました。馬の競りのためのプロモーションビデオを制作したり、牧場のWebを制作したりする仕事です。札幌競馬があるときは、競馬場で売店も営みます。だからまあ、そちらの仕事が本業かな。」 ↑こちらはオーナーの本業。代表取締役としての会社「inox」のwebページ なるほど…。 馬に関わる映像のお仕事と“ モントーヤ “の関連がいまひとつ見えませんでしたが、飲食業にはすでに携わっていらっしゃったわけです。 そして、奥様とのご縁も馬が取り持ったとか♡ ↑コンテナは雨よけにもなり、イベントなどのショップにもご利用いただけます。 1本だけ残したドロノキ(ヤマナラシかも)は、シンボルツリーになっています 「この5000平米の土地は、僕が買う前は何十年も手付かずだったそうです。太くなった木も草も伸び放題のジャングル状態。崩れ落ちた家もそのままで荒れ放題。呆然としてしまうような荒地となっていました。水道も通っていませんでしたので、大掛かりな工事になりました。途方に暮れるほどの手間を掛け、足掛け4年がかりで開墾していきました。」 「そこまで苦労して…。この場所の何にそんなに惹かれたのですか?」 「景色です。どこを見ても山があるこの景色を見ながら珈琲が飲みたかった。ただそれだけです。」 それまで、クールな面持ちで話をされていたオーナーの目が、ふっと力が抜けて優しくなった瞬間でした。 この景色を見ながら一杯の珈琲(お店の珈琲は札幌の有名焙煎ショップ「斉藤珈琲」の豆使用)が飲みたいというそれだけで、4年間も開墾をしてしまう井上夫妻がなんとも素敵です。 「でも、そもそも何故札幌から移住して来られたのですか?」 「きっかけはスイスを訪れたことでした。もう本当にスイスが素晴らし過ぎて、人生観が変わりました。ほんと、絶対に行ったほうがいい!」 この時のオーナーの目はキラキラに輝いていました。 そのご様子だけで、どれほどスイスが素晴らしかったのかが分かりました。 「帰国後、札幌に住まなくても今の仕事はできるよね?と夫婦で話すようになりました。その時の場所の候補は、北海道の都会ではない景色の良いところ、もしくは南阿蘇でした。 そうして洞爺湖畔に居場所を見つけ、その2年後、周りの山々が見渡せるこの場所が気に入り購入しました。」 それから、足掛け4年の開墾の日々が始まったのでした。 店舗は、コンテナ7つを繋げて造られています。 大きな窓の店内はオーナー自らがデザインされたもので、お気に入りの調度品は、山を楽しむためのレイアウトになっています。 「ところでメニューを見せていただけますか?」 とお願いし、見せていただいたのがこちら。なんと、絵本でした。可愛い〜♡ ↑画像はありませんが、珈琲おいしくチーズケーキが絶品です! ↑次回はこちらを食べてみたい! ↑生パスタも美味しそう〜♡ そういえば、入り口にも店内にも絵本が飾られていました。 てっきり、いずみさんのご趣味かと思いきや…。 なんと、「僕のアイディアです」と。 この時のオーナーはちょっとハニかんだ笑顔でした。 ↑思い切り照れたお顔で振り返ってくださったショット ところで、“ モントーヤ “ の “モン“ とは、フランス語で “私の”という意味だそうです。 つまり” 私の洞爺”。 それでも湖畔ではなく、300度にわたり遠くに山を望めるここを選んだのは、「ここで珈琲が飲みたかったから」。 ここがオーナーにとっての「私の洞爺」なのですね。 「洞爺湖も有珠山もいい。でも、ここから眺める羊蹄山も洞爺湖町のランドマークであって欲しいのです。阻害するものが何もない畑のど真ん中で、この景色を楽しみに来ていただきたいです。」 ↑キャンプサイトご利用の場合は店舗の玄関フード内のトイレが共用利用できます 今後は、プライベートキャンプサイトも整備して行くそうです。 ただし、利用できるのはオーナーの友達か、友達の紹介限定だそうです。 優しく尖った カフェ&キャンプサイト“ モントーヤ “。 広大な土地にポツンとコンテナは目立ちますが、素敵な隠れ家を見つけました。 ―モントーヤ情報―虻田郡洞爺湖町成香19営業日時はInstagramまたはHPをご確認ください。Instagramhttps://instagram.com/montoya_108?igshid=YmMyMTA2M2Y=HPhttp://montoya.jp/*イベントのご利用も可能です。HPのお問合せフォームよりご相談ください。
Rietty
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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