■実はお煎餅が好きでして...。
カフェなんてやっているのだから、「珈琲にクッキーが好きなの...うふっ」とか言いたいのですが、実はお煎餅にお茶の方が好きです。 「な~んだ、やっぱオバサンだね!」って?
そうじゃなくて(ちょっとそうだけどサ)、子供の頃からの好みなのです。
それは多分、江戸っ子だった父の影響だと思います。
父は、東京は蒲田の生まれでした。
高校生になって大阪へ出て行くまでは、昔の羽田空港の側に住んでいたと聞きました。
今はどうかは知りませんが、私の子供の頃、蒲田の駅前にずらっと並ぶ縁日に、よく連れて行ってもらいました。
あまり、「あれが欲しい。これが欲しい。」とは言わない子供だった私は、ところ狭しと並ぶ色々な店を見ているだけでワクワクと楽しく、ただ一つ水飴の中に杏が入った「あんず飴」だけは、「あれ食べたい」と言って買ってもらいました。
蒲田へ行くと、父はそこに住んでいた頃の話をしてくれました。
その話の中で、私の興味を一番そそったのは、”穴森煎餅”の話しでした。
父の煎餅好きは、よく知っていました。
お酒も甘い物もダメな父のおやつといえば、煎餅か果物でした。
味にうるさかった父は、スーパーで買ってくる煎餅でも、「どこどこの何じゃなきゃ!」みたいなところがあり、お気に入りはどこかのメーカーの”品川巻”でした。
細くて小さくて固めの煎餅に、浅草海苔がくるっと巻いてある物です。
全てにおいて拘りの強い父は、「何だっておんなじよ~」と大らかに言い放す、八重ちゃんとは実に対照的でした。
そんな父が、もっとも好きで憧れに近い存在の煎餅が、”穴森煎餅”だったのです。
私も、小さい頃に一度だけ家にあるのを見たことがあったのですが、「これはお父さんのだから」と言われ、食べさせてもらえなかったのです。
代わりに「あなた達はこっち」と、違うおやつを与えられました。
でもその時、ちらっと横目で見たら、栗のような形をした薄い煎餅で、高級感をかもし出す缶に入っていました。
その後も、何度か”穴森煎餅”の話題を耳にしましたが、なかなかお目にはかかれませんでした。
父が病床に臥した時、「穴森煎餅が食べたいなあ」と言いました。
私はどうしても食べさせてあげたいと思い、東京へ飛んで行きました。
初めて訪れた店の戸を開け、「お煎餅をください」と言ったのですが、支店も持たなければ地方発送もしないその店は、完全予約制だったのです。
どんなに事情を説明しても、とうとう売ってはもらえませんでした。
仕方ありません。
予約分しか焼かないのですから...。
その話を聞いた横浜に住む弟が、後日”穴森煎餅”を持ってお見舞いに来ました。
でもその時は、食事もままならないほどに衰弱していたので、憧れの煎餅を目の前にしながら、一枚食べるのもやっとでした。
あの時とは違い、しきりに家族に勧め、それを食べる私達を黙って見ていている父が悲しかった...。
大切に大切に食べていたのですが、あと10枚ほどになった時、とうとう父は亡くなってしまいました。
残されたお煎餅は、弔問に来てくださった極親しい方に、供養ということで食べていただきました。
私の食の好みは、かなり父の影響が大きいと思うのですが、殊に「煎餅好き」は舌と思い出がそうさせるのだと思います。
あ~なんだか、パリッとボリッとしたくなってきました。
確か居間にまだあったはず。
ちょっと探してきます...。