■ビリー・ホリデイ
「れん」のJAZZのCDは全て父の遺品ですが、一枚だけ私がプレゼントをしたものがあります。 これは、父が亡くなるひと月前の話です。
以前のブログで、父がJAZZ好きだった話を書きました。
いつもJAZZがかかっている家でしたので、私も子どもの頃から聴き慣れてはいましたし、JAZZが流れていると耳に心地よさは感じていました。
けれども特に深い興味を覚えることもなく、私はもっぱらフォークやニューミュージック、フュージョンなどが好きでした。
そしてここ10年位は、ジャンルのこだわりも無くなり、「あっ、この曲好き!」という風に、ラジオやテレビから流れる好みの曲に反応する程度でした。
父が余命あと「ひと月」を宣告されたとき、「やっぱり聞いておきたい!」と、私は急いでCDを買いに走りました。
何を聞いておきたかったか...。
それは、父の知るJAZZにまつわる色々な話でした。
アーティストの話・曲の話など、父からしっかりと
聞いておきたかったのです。
本当は、父があと一年と分かったときから、私が父の気持ちを受け継ぎたいと思い、話を聞いておかなければ...と思っていました。
けれどもそうすることは、私にとっては「不治」を受け入れることに繋がり、意地で避けていたのです。
ですからこの時まで、どうしても素直に聞くことができないでいました。
私は、店の入り口付近にあったワゴンセールに目を落としました。
偶然、JAZZのCDばかりが入れられていたワゴンに
は、色々なアーティストのものがありましたが、たまたま目に付いた「ビリー・ホリデイ」のものをとると、急いでレジへ行き買って帰りました。
誰のCDでも良かったのです。
ただ、話のきっかけになるものが欲しかっただけでした。
「ほら、お父さん。本屋へ行ったら安かったから買って来たよー。」
「おう。ビリーホリデイか。」
「嫌い?」
「いや、好きだよ。」
「ねえ、この人どういう人だったの?」
「ビリーホリデイは、JAZZシンガーとして類稀な才能を持っていたんだけれど、人種差別や貧困で子供頃から壮絶な人生を送って、最後は麻薬中毒が原因で死んだんだよ。それで...」
もうこの時には、私は泣きたくなるのを必死で堪えていたので、こともあろうに父の話を半分しか覚えていないのです。
きっと父は、母も私もあまり興味がないようだったので、それまでJAZZについて何かを語ろうとしなかっただけたったのです。
父は、知る限りの彼女の話をしていました。
結局私は、このビリー・ホリデイの話しか、父から聞くことはできませんでした。
「親孝行、したいときには親はなし」
その心境が、実感としてわかります。
八重ちゃんは大切にしなきゃ。
何故かしら?...急に改めてそんなことを思いました。
<付録写真>
~どちらも、ご存知たまねぎです。
でも、左のたまねぎ大っきいでしょう?
これは、これまた知名度・人気度急上昇中の、230号線沿い「とれた」さんの作物です。
名前は忘れましたが、右のポピュラーたまねぎに比べて、臭いが少なく甘みが強い品種なのだそうです。
というわけで、今週の「れん」のメニューのサラダに入っていまーす♪