■最後のおせち ~かまぼこの板談義
初めてお重の蓋を開けたとき、「わあ~!!美味しそう!」と、歓声を上げてもらえた「おせち」も、2日・3日と日を追う毎に、「またこれか...。」と仕方なく箸をつけられる存在へと、降格していきます。 それならば、元旦に食べきれる量にすればいいものを、古来よりの慣わしが災いするのか、ついつい多めに用意してしまうんですね。
スーパーは元旦営業が当たり前の時代なのに...。
そして今朝、我が家の最後の「おせち」板付きかまぼこを食べ終えました。
板に薄く身が付いているのを見て、私は子供の頃に飼っていた犬のことを思い出しました。
その犬は、かまぼこの板が大好きで(ほんとは身のほうがずっと好き)、身を少し多めに残した板をあげると、それは見事に綺麗な板だけにするのです。
しかも、板には傷一つついていませんでした。
だからお正月明けになると、赤かまぼこ・白かまぼこ・焼き板かまぼこの三枚の板を、嬉しそうに次々に咥えご満悦でした。
そして私は、みるみる綺麗になるその板と愛犬の夢中な顔を、しばらく眺めているのが好きでした。
そんな話を娘にしたら、娘も「かまぼこ板の思い出」を語りだしました。
「これを見ると、家の玄関を思い出すんだよね~」
「え?」
「お母さんさ、これに名前書いて表札にしていなかった?」
「げっ!...。」
なんつーことを覚えているんだろ この子は...。
そう言えばそうでした。
表札なんかに何千円も払うなんて、あ~もったいない。
要は、ここに誰が住んでいるか分かればいいんだもの。
方位とか、風水とかにこだわる方なら、こんなこと到底考えられないですよね。
当時は、バリバリの倹約家主婦だった私は、かまぼこの板もフル活用していたのです。
今なら、ちょっとカジッタことのあるトールペイントで、格好つけて書くのでしょうが、あの時は板に油性マジックで表札を書いていたのです。
汚れてきたら、また新しく作ればいいでしょ♪
他には、何かの台の高さを合わせるときに、下に噛ませて揃えたり、葱などのちょっとした薬味を切るときのまな板にしたりetc.と、廃物利用を楽しみながら節約をしていました。
今みたいに100均なんてなかったしね。
それにしても、本人さえ忘れていたそんなことを覚えているなんて、侮れないぞ我が娘。
あと、何を覚えているのやら...。
お願いだから、よそではしゃべらないでね。