■思い出が汚された瞬間...みんな悲しいよね。
ペコちゃんが泣いています。 ポコちゃんも泣いています。
恐らく、「三丁目の夕日」に懐かしさを感じる世代なら、子供の頃の「不二家のケーキやパフェ」は、特別な日しか食べられない、最高のご馳走だったはず。
神奈川県の鵠沼海岸に住んでいた頃、父のお給料日に、家族揃って藤沢の町へ出て、不二家レストランで外食をさせてもらえるのが、月に一度の最高の楽しみでした。
その時にいつも迷うのが、チョコレートパフェにするかイチゴパフェにするか...、メロンソーダにするかレモンスカッシュにするか...、スパゲティーミートソースにするかスパゲティーナポリタンにするか...でした。
時に、「ふたついいわよ」と母に言われたら、私達兄弟は大喜びで、主食のどちらかと飲み物を注文します。
そして、「今日はひとつだけ」と言われたら、グッと我慢をしてパフェのどちらかを注文するのです。
店を出るときは、時々衣装替えをする「ペコちゃん」の頭を、「また連れてきてもらえますように」との願いを込めて、ポンッと触ってから帰ってきました。
誕生日のケーキも、もっちろん楽しみでした。
遠足のときのおやつには、ミルキーが必需品でした。
あんなに甘いのに、まったく飽きることなく立て続けに食べられる飴は、後にも先にもミルキーしかありません。
高校生になって、部活の帰りに友達と食べる不二家レストランの苺クープ(確かそんな名前)は、トロ~リカスタードクリームと生クリームの上に、スポンジケーキが乗っていて、その上に生クリームと苺が乗っていて、それはそれは美味しかったのです。
部活の疲れも吹き飛び、友達との会話も弾む幸せのデザートでした。
これも、お小遣いをもらった直後の月イチの楽しみでした。
母が、父方の祖母の介護をしていた頃、介護疲れで身も心も一杯一杯になったとき、自分を癒すためにたま~にこっそりと、不二家パーラーでパフェを食べていた...という話を、つい最近聞きました。
娘が三歳くらいの頃、おどけてニヤッと笑う娘のまあるい顔を見て、亡父が「ペコちゃん♪」と呼んでいました。
娘もそれを覚えていて、今でもペコちゃんを見ると、「おじいちゃんにペコちゃんて呼ばれていたよね」と思い出話を語ります。
私達家族にとっても、たくさんの思い出をくれた不二家。
今回の事件は、そんな大切な思い出まで汚された気持ちで、とても悲しくなってしまいました。
夢を売る会社だと信じていたのに...。
消費者をはじめ、FC契約をされている方々も皆が悲しんでいます。
たくさん反省して、企業体質を当たり前に正して、ペコちゃんとポコちゃんが、再び笑える日を迎えさせてあげてください。
そうでなければ、みんなの夢や思い出がここで途切れてしまいます...。