■神奈川県藤沢市立S中学校3年4組~あの頃の私を回想した。
昨晩、中学校時代からの友人Tsuちゃんからメールが届いた。 本当は結婚して荒井さんになったのでAさんなのだけれど、私にとっては今もTsuちゃんだ。
用件は、「伊東先生のリクエストで同窓会をするよ!辻ちゃんなら(私の旧姓)1000km離れていたってどうってことないでしょ?」というものだった。
それはもう、二つ返事で「行く!!」と言いたいところだったけれど、飛行機は8月14日と言えばお盆料金。
往復6万円以上もかかるのだ。
それはやっぱり無理ですね…。
でも、気持ちはあの頃に飛んでいた。
以前もブログに書いた気がするけれど、伊東先生はあの伊東四郎さんの実兄だ。
あの四角いお顔をグイっと両サイドから押し付けたような細面のお顔だけれど、目鼻などのパーツは似ていたような気がする。
電線音頭も踊らないし、「ニン!」とも言わなかったけれど、オリジナルでとっても面白い先生だった。
お話が上手で、苦手だった社会科を好きにしてくれた。
授業中はとても厳しかったけれど、社会科の授業が待ち遠しくなった。
実は伊東先生に受け持っていただいたのは2カ月だけだった。
3年の6月に転校したからだ。
そのたった2カ月がなければ、そしてTsuちゃんとの出会いがなければ、私はあの中学校で過ごした2年2カ月を思い出すことはなかったかもしれない。
とにかく勉強に厳しい学校だった。
当時、公立学校であるのにあれだけ受験勉強をさせる学校は他にあまりなかったのではないかと思う。
それが証拠に、その厳しさを週刊誌に取り上げられたことがあるほどだった。
だから常に生徒たちはピリピリしていた。
どの先生も総じて厳しいのだが、テストの点数公表は当たり前。
悪い点数を採ると、皆の前でなじられる。
テスト2週間前になると勉強ノートの提出が義務付けられ、土日なら10時間以上、平日であっても1日6時間以上勉強した証を示さないと、やはり皆の前で罵倒される。
私にとっては、部活動をしていた体育館が唯一の逃げ場だったのだが、部活動をしている生徒を嫌う先生もいた。
まだまだ色々あったが、思い出すと具合が悪くなるのでこの辺で止めておく。
そんな具合だから、休み時間にトイレ以外で席を立つ生徒はいなかった。
とにかく皆、ずっと勉強をしているのだ。
けれども伊東先生は違った。
始業式に先生が、3年4組の生徒を前に最初に話してくれた話はこうだった。
「休み時間は休むためにある時間です。このクラスは休み時間に勉強をすることを禁止します。」
「それと、廊下で会ったら必ず顔を見て『こんにちは』と挨拶をしましょう。」
こんな当たり前のことを言ってくれる先生は初めてだった。
目の前が晴れたような気がした。
たぶん、あの時の3年4組の生徒全員が先生の言葉に救われたと思う。
休み時間に笑い声が聞こえる教室は3年4組だけだった。
時限毎に入れ替わる先生たちが私達のクラスの教壇に立つと、皆一様に驚いた顔をした。
呆れ顔の先生もいたが、「お・・・、伊東マジックにかかったね。」と言った先生もいた。
この反応の違いは、きっと先生同士の関係を象徴していたのだろう。
とにかく、このクラスでの2カ月間があったからこそ、1000km離れていても3年4組の同窓会に是非参加したい!!と思った。
現実には行けないけれど、そんな気持ちにさせてくれた伊東先生を始め、3年4組の皆に心からお礼を言いたい。
8月14日はきっと盛り上がるだろう。
後でTsuちゃんに話を聞きたいと思う。
ところで先生、おいくつになられたのだろう・・・?