■ふるさとに帰るということ。
今朝、室蘭東町ターミナルから新千歳空港行きのバスに乗って娘が東京に帰りました。
伊達にいる間、毎日旧友と遊びまくり、私とレクリエーション的に喧嘩もし、八重ちゃんに『説法』を受けるという忙しい数日間を過ごした娘。
そんな中、影むしゃは三人の言動にハラハラドキドキニコニコするしかなかったようです ^_^;
地方から出て来て東京に住む、娘の友達が話しているそうです。
「実家に帰ると、次々とテーブルに食べ物を出され、食べろ食べろと言われて困る。」と。
すごく良く分ります。
その親御さんの気持ち。
私も数年振りに”いくらの醤油漬け”を作りました。
そして鍋の具材を買ってきたり、大好物の栗を茹でたり、林檎や洋ナシを買ったりetc.
お陰で、朝から山盛りのいくら丼を食べさせられた娘は、3時のフライトだというのに、空港では恐らくランチ抜きのはずです。
「こんなに食べたら太っちゃう~~!」と言いながら食べていましたから(笑)
たまに帰って来た時くらい、田舎の美味しい物をたくさん食べさせてあげたい。
それは、実家の親御さんたち共通の思いなのでしょう。
そしてそれは、親としてまた子供たちの世話を焼ける!という喜びの表現でもあるわけです。
またそれは、親としてもうその位しか子供にしてあげることが出来なくなってしまったという現実を、改めて痛感させられる行為でもあるわけです。
何かをしてあげたくてしてあげたくて、里帰りした子供をもてなそうと、実家の親たちは頑張ってしまうわけですね。
ほんと、親って健気だなぁ~ (/_;)
でも。
一方の子供たちもその気持ちを汲もうと頑張る。
そんな心遣いが嬉しくて、親は親としての喜びに浸ってしまう訳です。
ほんと、子供って大変だなぁ~ (/_;)
まあ何はともあれ、ニコニコと満足げに帰って行きました。
少しは都会のストレスを払い落すことが出来たのなら良しとしましょう。
影むしゃもビックリ!の母娘喧嘩もたくさんしたけれど、娘のお陰で楽しい数日間でした。
ふるさとに帰るということは、自分の原点に戻るということなのかもしれません。
"不要なこと"がリセットされて、”大切なこと”を思い出すことが出来たなら、ふるさとの親としての役目が果たせたのかもしれないなぁ・・・と思うのであります。