■父の命日に想ったこと。
5年前の昨日、父は亡くなりました。 厳格な父は躾に非常に厳しく、礼儀・マナー・言葉使い・立居振舞いなど逐一チェックされては、叱られ直されました。
あまりにも厳しくうるさく、時には手も上がるので、ハネッ返りの私は随分反発をしたものです。
そうして、さらに怒られる…という場面が多々ありました。
けれども成人してからは、私がどんな道を選ぼうとも、自由にさせてくれました。
生きていれば86歳になる父は戦争経験があり、大事な青春時代を徴兵で無くしてしまったので、私達子供には自由に生きてほしいと思ったのかもしれません。
また、そんな経験からかとても忍耐強く、末期癌でひどく苦しんだにもかかわらず、決して弱音を吐きませんでした。
「戦争に比べれば、この位でへこたれるものか!」という気持ちがあったのかもしれません。
それでも、見るに耐えないほど苦しむ父を見かねて、私は「お父さん、もうそんなに頑張らなくてもいいよ」と、父の背中を擦りながら涙ながらに言ってしまったのです。
その時の、父のふっと気の抜けた表情に私は気付いてしまいました。
それから一週間後、父は天国へ行ってしまったのです。
痰が気管に詰まり苦しかったのに、ナースコールもせずに頑張ってしまったための、呼吸不全が直接の原因でした。
夜中、病院からの電話で駆けつけた時には、もう息はありませんでした。
「母と暮らせば」のkoyakazさんがブログで、”千の風になって”という歌と、亡くなったお父様のことを重ね合わせて書いていらっしゃいました。
とても共感できるお話しでした。
”千の風になって”を初めて聴いたとき、歌いだしの歌詞に思わず絶句してしまいました。
私は、お墓の前でも仏壇の前でも、すぐに泣いてしまうからです。
だって、お墓にお骨を納めるのを確かに見ましたもの。
仏壇にはお位牌もありますもの。
だからやっぱり、そこに居るような気がしてしまうのです。
晩年の父は、若い頃の厳しさや恐さは全く消え、随分と温和になっていました。
自分はさて置き、常に家族を心配していた父は、例えば家事を済ませた私が、ストーブの前でうたた寝をしていたりすると、やっと歩ける足でよろよろと起きてきて、そっと毛布を掛けてくれたりしました。
自分が癌で苦しんでいても、いつも母や私や子供達を守ろうとしてくれていたのです。
そんな父の温かさは、亡くなってしまった今でも、時々気配として感じることがあるのです。
不思議です。
父が家族を思う愛情の深さを、昨日仏壇に手を合わせた時に改めて感じました。
そして、父が私達を守ってくれているように、私も愛する者たちを全力で守っていきたいと、切に感じた命日でした。