■巻き戻しのメモリー ~その3 人間の『良心』について。
”人間の『良心』について。” とタイトルに書きましたが、大上段に構えて論じるわけではありません。
…というより出来ませんし。
この一ヵ月間、普段は単純な私でも、いろいろなことを、自分なりに深く感じていました。
一つは人間の良心。
先日、セルフのガソリンスタンドで給油をしました。
1.10000円札を入れ、2.2000円分の給油ボタンを押し、3.レギュラーのノズルを取って給油をし、☆・・・。5.レシートを取り、札幌へと向かいました。
札幌で目的の物(それが何かはまた後日)を見付け、支払いをしようと財布を開くと、やけにお札が少ない。
そうです。
1.~5.の流れのうち、☆4.おつりを取る。という行為が抜けていたのです。
頭を真っ白にしながら、ダメもとでガソリンスタンドに電話をしてみました。
すると、次に給油した方が届けてくださったとのことで、無事に手元に戻って来たのです。
係の方によると、現金やプリカなどは普段あまり戻って来ないのだそうです。
誰もがそうだと信じたかったのですが、私はラッキーだったということなのですね。
この方の良心に心から感謝いたします。
どうもありがとうございました。
さて、一方、「れん」の周辺でのこと。
実は、最近とても残念なことがあります。
それは、ごみの捨て方。
曜日、出し方などルールを守らない人が多くいるのです(大人)。
それから、近所の道路や空地への駄菓子の空き容器(袋)の投げ捨て(子供)。
目に余るものがありガッカリさせられています。
昨日、それらを夫がせっせと拾ってくれました。
影むしゃ職にある時は、日常的に取り組んでくれているのですが、スキーシーズン中の校長職にある夫は、久々に戻った伊達で影むしゃ魂を呼び起されて頑張ってくれたのです。
その量たるや半端ではありませんでした。
看板や張り紙で注意を呼びかけようかとも思いましたが思い止まりました。
「綺麗にしておけば捨てなくなるよ。」
そんな夫の一言で。
大人は子供の見本でありたい。
子供の良心は大人が育てたい。
つくづくそう思います。
最後に、被災地から送られる映像を拝見して・・・。
被災した方々の忍耐強く、他者を思い、秩序を乱さない行動に、強く心を打たれました。
自らの危険を顧みず、心配する家族に見守られながら、一人でも多くの人を助けようと働いていらっしゃる人々の勇気ある行動に感謝の気持ちで一杯になりました。
現地へは行けなくても、自分の生活をさておき、各種支援活動を続けている方々の温かい行動にも感謝の気持ちで一杯になりました。
さて私は?
せめてもの節電と、僅かばかりの募金と、心を添わせることくらいしか出来ない。
無力感に苛まれ、ともすれば無気力に陥りそうになる気持ちをなんとか奮い起し、自分の日常生活に何か意味を持たせて捉えなければ、良心の呵責に耐えきれず心が破裂しそうでした。
でもきっと、ほとんど被害をうけていない人の多くは同じような気持ちになったのではないかと思います。
明るく前を向かなければ!
そう思えるようになったのは極最近のことでした。
…と、こんな感じで『良心』について色々感じていたのでした。
人間の『尊厳』の源の一つは、この『良心』なのではないかと思っています。
そして私は誓いをたてました。
心の中での誓い。
誓いに背かないように努力しながら生きてみたいと思います。