■1986.6.20 / 00:24pm 3760g
昨日は東京に住む息子の21回目の誕生日でした。 冬くらいから、何度電話をしても何度メールをしても、全く連絡の取れなかった息子。
一緒に住んでいる娘に聞けば、「学校とスキーとバイトであんまり家にはいないけど、元気だよ~」と言う。
「元気なら、まいっか...。」
「ううん...全然よくないよ...。」
大概のことは「まいっか」で済ませる私ですが、「母」としての「私」になったときは、なかなかそうもいきません。
離れているのでなおのこと、余計な心配ばかりが募ります。
と同時に感じる寂しさ…。
21年前、伊達の個人医院で生まれた息子は、分娩台に上がってからものの15分でこの世に飛び出してきました。
娘のときは12時間以上掛かったのにです。
私としてはまた、あの文字通り気の遠くなる時間を覚悟して台に上がったので、「え?もう生まれちゃったの!?」という感じでした。
「そうかそうか♪早くお母さんに会いたかったのね♪♪」などと、勝手に思い喜んでいたっけ。
3760gの息子は新生児室では一番大きく、髪の毛も茶色く泣き声も一番大きかったので、とても目立っていました。
とにかく良く泣く子でした。
さっきご対面したばかりのわが子の声が、病室に居ても分かるほど。
すると、しばらくして看護婦さんが息子を抱いて病室にいらしたのです。
「息子さんがあまりにも大きな声で泣くので、他の赤ちゃんが眠れないのです。お母さん一緒に寝ていただけますか?」
「はい!もちろんです!」
当時は、産科病棟は母子別室の病院がほとんどでした。
だからこういう風に、生まれた日に同室にするケースは珍しいのです。
ましてや同じベッドというのは、ほんとに珍しい!
でも私は嬉しくて嬉しくて、息子の脇で添い寝をしました。
不思議なものです。
私の心音で安心するのか、あんなに泣いていた息子がピタッと泣き止み、スヤスヤと寝ているのです。
人間の子供は、どの段階で自分の母を認識するのでしょう?
絆というものは、へその緒で繋がった時から生まれるのかしら?
そんなことを、眠るわが子を見つめながら思った記憶があります。
さて、まったく連絡のとれない息子に、先日手紙を書きました。
内容は、「お誕生日にケーキを焼いて送ってあげるから、どんなケーキがいいかリクエストの電話をちょうだいね」というものでした。
ところが待てど暮らせど、相変わらずの音信不通...。
まったく…ドラ息子!…。
私は、がっくりと悲しくて胃の痛む思いを抱えていました。
そして先日、チセヌプリを下山途中に、見知らぬ番号から電話が掛かってきました。
誰だろう...?
出るのをかなり躊躇ったのですが、恐る恐る出てみました。
なんと息子からでした。
携帯を買い換えたのだそうです。
え~!そんなこと知らなかった~/(><)p
まったく…教えてよ…。
「遅くなってごめん。~~中略~~。ケーキ、ガトーショコラでいいよ。」
私は8ヶ月振りに聞く息子の声が嬉しくて、泣いてしまいそうなのをグッと堪えていました。
本当はそんなことどうでも良かったくせに、「ガトーショコラ<で>って?<で>って何よ!」と切り返しました。
すると「ガトーショコラ<が>いいです!」と慌てて言い直していました(笑)
単純にもすっかり機嫌を直した母は、ガトーショコラとチーズケーキとキャロットケーキ、おまけに駄菓子の詰め合わせを、クール宅急便でイソイソ送ってあげたという訳なのです。
...。
ものすごーく個人的な話ですが、この年齢の息子をお持ちのお母さんなら、こんな気持ちがお分かりになるでしょ?
あ~あ...親大ばか丸出しじゃん...。
「夏休みには帰るよ」
最後にそう言った息子。
あまり期待せずに待つことにします(←だって二度も振られてる!)
でも...きっと、キリンさんよりも首をながーくして、指折り数えて待っちゃうんだろうなあ(^^;)