■イタンキの波と戯れた日。
プロフィールにもありますが、私は4歳から15歳まで神奈川県藤沢市鵠沼海岸に、13歳から23歳まで神奈川県三浦市三浦海岸に住んでいました。 いわゆる湘南海岸に20年、潮の香りの届くところに住んでいたのです。
その間ずっとしてみたかったこと、それはサーフィン。
中学生になって部活漬けの毎日になるまでは、夏休みには毎日海へ行って泳いでいました。
だから、夏は真っ黒。
小学校の「くろんぼ大将コンテスト」で優勝したほどです。
鵠沼海岸と言えば、サーファーのメッカ。
私が泳ぐ傍らで華麗に波に乗るお兄さんやお姉さん。
「かっこいいなあ・・・」
彼らは天気が荒れるほどに喜び、より高い波を求めて海へ繰り出していきます。
それこそ台風の時でも海にいる。
もちろん、真冬でもアザラシと見間違うようなウェットスーツを着て波間にいる。
いつか私もしてみたい・・・。
子供ながらにそう思っていたのです。
けれども、それこそ台風の日の鎌倉の材木座海岸で、サーフボードを抱えて海へ出かけたきり帰らぬ人となってしまった叔父の話を聞かされていたので、ちょっと恐ろしい気持ちもありました。
三浦海岸に越してからも、やはり「いつかは・・・」という気持ちは消えていませんでした。
三浦海岸は、鵠沼海岸に比べると波はずっとずっと穏やかでした。
これじゃ映画みたいにチューブライディングはできないわね・・・。
やっぱり鵠沼の海の方が面白そうだわ!
と、出来もしないくせに生意気なことを感じていました。
私がちょうど10代後半の頃、爆発的なサーフィンブームがやってきました。
それこそ出来もしないくせに、車にキャリアを付けてサーフボードを積んでいれば、男の子はモテル時代だったのです。
そうそう!「丘サーファー」なる人たち。
そんな風潮に、私の中では「サーファー=軽薄」のイメージが出来上がってしまい、すっかりサーフィン熱が冷めてしまったのです。
けれども弟はその波に乗り、サーファーとなりました。
へそ曲がりな私は「ふんっ!!」てなもんです。
そして私の心は、山へ山へと向かって行ったのでした。
春にイタンキ浜を訪れた時、ずっと封印していた気持ちがうずき始めたのを感じました。
いい年になり、曲がっていたおへそは元の素直な位置に戻ったような気がしました。
海で泳ぎたい!
やっぱりサーフィンがしたい!
・・・と、そんな折。
物事、「強く念じると思いが叶う」という話を聞いたことがありますが、まさしく救世主が現れ私の願いを叶えてくれました。
私はついに、生涯に一度出会えるかどうかの、感性と体にぴったりと合った遊びに出会ってしまった気がしました。
崩れていく波に飲み込まれ、海中に潜らされて鼻から海水を飲みまくる。
アウトサイドに向かう時、上手くジャンプスルー出来ずに飛んできたボードに頭をぶつけられまくる。
イタンキの海の手痛い洗礼を何度も受けました。
そりゃあ痛くて苦しかったけれど、へーきのへっちゃら♪
もう幸せで楽しくて仕方がない♪
教えてくれたHさんは、私より6歳お兄様。
室蘭で誰よりも早くサーフィンを始め、チームを作って全国の色々な大会にも出場したことのある方です。
「どの位練習したら立てるようになりますか?」
私は、早く子供のころに見たお兄さんやお姉さんのように波に乗りたかったのです。
ところが、「10回くらい通えば立てるようになるかな?男なら50人に一人くらい初めてで立てる人もいるけれど。」という答え。
10回か・・・。
道程は遠いなあ・・・。
でも絶対に立ちた~い!
私は海水ガブガブ飲みながらも、ボードにガンガン叩かれながらも必死・・・?いいえ、今度ばかりは違うなあ・・・そうだ!夢中!
とにかく楽しいから全く凹まなかったのです。
すると!
奇跡が起きました!
立てたのです!波に乗れたのです!
その時の私は、きっと子供のような満面の笑みだったことと思います。
小さい波をほんの何秒かのテイクオフでしたが、もー大大大満足でした。
途中、Hさんのお友達にごちそうになった「かき氷タイム」はあったけれど、約三時間のサーフィン体験はあっという間でした。
教え上手でおだて上手なHさん。
イントラはこうでないとね。
私も見習おうっと♪
本当にHさんに感謝です。
まずいなあ・・・これはハマる予感・・・。
あまりにも楽しすぎました。
顔は当然真っ黒に。
これまたまずい・・・。
「くろんぼ大将」に喜べる年じゃないからね・・・。
「年を考えなさい!」
耳タコ言葉が聞こえそうだけれど、年を考えるからこそ”可能な限り”やってみたいことはやるんだもーん♪
もう開き直りさっ♪
心は二回目に飛んでいます♪