■赤い故郷。
少し話が戻ります。 昨年末に身内に不幸があり、三重県へ行った時の話です。
あの時はきちんとした目的があったのだけれど、実は私、密かに別の目的を持っていました。
その一つは以前のブログにも書きましたが、33年振りに訪れた母の故郷で、あの頃の自分に再会することでした。
昔と変わらずにいてくれるはずだった自然は、残念ながらあの日のままではなかったのですが、一つ分かったことがあったのです。
それは私が椿の花を好きな理由。
私はこの時までずっと、神奈川に住んでいた頃に隣の空き地に椿の木があり、「一年中艶やかで濃い美しい緑の葉」「早春に咲く真っ赤な花とその蜜を吸いに来るメジロの風情」「終わりには潔く一気に落ちる花」と、季節毎に移り変わるその姿を見ていたからだと思っていました。
でも、それだけではなかったと知ったのです。
母の故郷で早朝散歩をした時、山肌に生い茂っている木のほとんどが野生の椿だったと気づいたのです。
これだったんだ・・・。
山肌全体がこんな感じ。
花の時季は素晴らしいでしょうね。
子供の頃は気にも留めていませんでしたが、この風景が私の中に刷り込まれていたのです。
ここに行くのはいつも夏休みだったので、山が燃えるように赤くなるであろう風景は見たことはないのですが、木の数から察するに、もしその絵が世に発表されたら写真家たちが殺到するであろうこと間違いなしでしょう。
私も見てみたい・・・。
あの日の朝は、私の椿好きのルーツが分かり一人感動の散歩道でした。
そして、ついでに一つ告白。
最初の結婚にピリオドを打ちに東京へ行った時も、道の両脇の民家の生垣には、終わりを告げるために今にも花を落とそうとする椿の花で一杯でした。
別れのシーンには相応しい、文字通りの花道でした。
実は椿は、子供たちに悲しい思いをさせた日の思い出の花でもありました。
だからこそなおさら、私にとっては大切な大切な花なのです。
ところで途中、朽ちる寸前の「迫子浅間山登山口」の看板を発見しました。
登山道が、あたかも民家の石垣と繋がっているかのようにして建てられていた看板。
ここを行ったり来たりして様子を窺がうよそ者の私は、かなりの不審者だったに違いありません。
「こんな山あったんだ・・・。」
いつも海や川での水遊びばかりをしていたので、この山の存在には気付いていませんでした。
「これは登ってみなくちゃ。」
でも、あまりにも怪しい看板に少々不安になり、一旦帰って叔父に道を確認しました。
「あっこに理恵ちゃん一人で行くんか!?階段ばかりできっついよー!わしなんか、よう行かん。」
ふーん・・・。
階段ばかりということは、それなりに整備されているのね。
「時間はどの位かかりますか?」
「そやなあ・・・?往復2時間はかからんじゃろうなあ!」
ふーん・・・。
それなら一時間くらいかな?
私は根拠のない計算で、そんな風に思いました。
「じゃあ行ってこようかな♪」
「ほんまに行くんか?まーまーまー気ーつけんしゃいよ!」
「はーい!」
聞くと、母も小学校の遠足で登ったことがあるというのです。
叔母は、青年団で初日の出を見に行ったこともあるらしい。
私は、三人の半ば呆れた顔にクルッと背を向け、「じゃー行ってきまーす!」と首にタオルを巻きペットボトルのお茶を持って出かけて行きました。
登山口までの道すがら、出会ったのはおばちゃん一人でした。
私が怪しいその看板から「さあ!登ろう!」とした時に、そのおばちゃんに呼び止められたのです。
彼女は、看板よりも怪しい私に向かってこう言いました。
「あんた、山に登るんかい?」
「この看板はもう外してもらわんといかんのじゃ。登山口はこの道を真っすぐ行って突き当りを右に曲がって・・・・」
「え!?この看板違うんですか?」
「これは、むかーしの道の案内で、今は道が途中でなくなるんよ。」
「え~~!」
あの三人は、道があった頃のむかーしむかしの話をしていたのです。
せっかくその気になって歩いていた私は、そのおばちゃんの説明してくれた方へ歩いて行きました。
すると10分ほどで、新しい登山口の看板を発見しました。
登山ポストもなければ最近人が入った様子もなかったのですが、階段ばかりというのは本当でした。
その数636段。
階段はあまり好きではないけれど、スキーシーズン前のトレーニングのつもりで駆け足で上がって行きました。
暗い森の中からパッと尾根に出た時に階段も一旦途切れ、美しい山並みが見えました。
「やっぱり来て良かった♪」
さらに進むと再び階段が現れ、ピークへの最後の登りらしき道になりました。
暖かい地域でも、ここまで登ると冷たい空気が肌を刺しました。
頂上到着。
眼前に飛び込んで来たのは、リアス式の海岸線が美しい英虞湾の景色でした。
子どもの頃には、真珠養殖の筏がたくさん浮かんでいました。
今では、真珠養殖に携わる人はほとんどいないそうです。
この風景。
どこかと似てる・・・。
有珠湾でした。
有珠自然公園から見下ろす海が、この風景に少し似ているのです。
今ではすっかりお気に入りの故郷伊達ですが、伊達に来たばかりの23年前、北の暮らしになかなか慣れることができず落ち込んだ時、有珠の海を見るとホッとしたのはこういうことだったのです。
子供の頃の体験というのは、大人になっても拠り所となるのですね。
不思議な感覚を覚えながら、ほぼ予定通りの一時間ちょっとで帰ってきました。
歩くのが早いのではなくで、帰りも階段を駆け降りて帰ってきましたから。
三重県志摩市迫子。
母は、愛知県津島市生まれですので、戦時中に父親を亡くしてから疎開して移り住んだところです。
母の生まれたところへも行ってみたいなあ。
あ・・・。
その前に自分の生まれた岡山県の北木島へも。
さてさて、近々、私の故郷となりそうなところが増える予定です。
色々あっても大好きな、椿の花の燃えるような赤を手繰って行ったら、ようやくそこに辿り着きました。
ふふっ。
ちょっと意味深・・・?
種明かしはまた今度ね。