■思い出の中のシンボルツリー。
本州の桜情報が伝えられ、桜前線は確実に北上しているようですね。 でも、北海道が満開の頃を迎えるには、あと一ヶ月もあります。
ちょっと変わった子供だったかもしれないちびっこRiettyは、咲いている桜を見上げるよりも、はらはらと散る花びらを追いかけて空中キャッチをしたり、落ちている花びらを拾って遊ぶ方が好きでした。
拾った花びらは、糸を通して首飾りにします。
出来立てはとっても可愛いピンクなのに、一日で色が変わってしまうのが、残念でなりませんでした。
ちびっこRiettyにとっての桜は、鑑賞するものではなくて遊びの材料でした。
けれども、あの桃の花は違いました。
あの空き地にあったあの桃の木だけは、なんでも遊び道具にしてしまうちびっこRiettyにとっても、ものすごく神聖なものに映っていたのです。
今思い出すその木肌から想像するに、樹齢100年位は経っていたのではないかと思います。
何故その桃の木が神聖なものに見えたかというと、幼稚園児が背伸びをしたくらいの高さの辺りで太い幹を分けているその木は、片方に白い花、もう片方には濃いピンクの花を付け、それぞれのところどころに、白地にピンク、ピンク地に白といった具合のミックスの花も咲かせる不思議な木だったからでした。
その上、八重咲きなのでそれはそれは見事だったのです。
そして期待通りに、毎年必ず同じように見事な花を咲かせてくれました。
ところが、ただの一度も桃の実は成りませんでした。
たぶん老木のその桃は、咲くことに全精力を使い果たしてしまい、結実のための余力を残していなかったのだろうと思います。
一本の木に、四色もの桃の花を咲かせるという特別な能力を持った老木に与えられた指命は、もう子孫の繁栄ではなく、ここに集まる子供達に「老いても、最期まで指命を全うするということの大切さ」を教えてくれていたのかもしません。
この空き地は、元々大きな銭湯があったらしく、ちびっこRiettyは、いろいろな色や形をした小さなタイル拾いをして遊んだり、桃の木の根元の瓦礫の下から出て来るピカピカ光るトカゲを追いかけたり、基地作りをしたり、缶けりをしたり、かくれんぼをしたりして、夕飯まで目一杯遊んでいました。
そこの空き地にある、ありとあらゆる物を遊び道具にして、自由に遊んでいたのです。
けれども、ただの一度もあの桃の花は遊び道具にはなりませんでした。
桜はもちろん大好きです。
けれども、桜の花を見る度に私はあの桃の花を思い出してしまいます。
桜の花には申し訳ないのですが、桜を見ながら桃を見ています。
あの空き地に立っていたあの桃の花こそが、私の思い出のシンボルツリーなのです。
でも、今年は桜を見たいと思います。
なんだかそんな気分です。
さて余談です。
富良野のシンボルフラワーはラベンダーですが、ラベンダーが日本で最初に栽培されたのは、実は札幌だということをつい最近知りました。
今読んでいる岩中祥史著「札幌学」にあった読みかじりです。
そしてその時の名残の大きなラベンダー畑が、札幌にはあるということも知りました。
これは穴場かも。
渋滞に巻き込まれながら富良野まで行かなくても、札幌で見られるならラッキーです☆
その季節になったら、リハビリのついでに立ち寄ってみようかな♪
<付録写真> 健気な花、クロッカスです♪
昨日、Haruさんから写メが届きました。
彼女の家に春を告げに、土の中から出てきたようです。
まだ硬いであろう土を押し上げて咲くクロッカス。
この可憐な花のどこにそんな力強さを秘めているのか…?
私も毎年この花で、住宅街の春を感じさせていただいています。
でも残念ながら家にはないので、他所のお宅のお庭でね☆
Haruさん、元気が出る写メをありがとうございました☆