■お狐様が取り持った縁
このお話しは、まだ「週いちプチブログ」を始める前、”今週のメニュー他掲載しました!"の中で、「このお話しはいつかまた...」と書いた、エピソードの続きです。
5月15日掲載の”今週のメニュー掲載しました!”には、このように書いてあります。
~4年前の秋、新宿のとある神社で、紫色の髪をしたおしゃれな76歳の女性に出会いました。
その時、場所が場所なだけに、なんとも狐につままれたような出来事があったのです...。
その話はいつかまた。
そして彼女は別れ際に、「必ずあなたの店に行くから!」と元気に私に言いました。
なんと彼女は約束どおり、この店まで会いに来てくれたのです。
とてもとても嬉しい再会でした。~
「れん」を始める前、食器探しであちこち歩き回っていた頃、新宿の花園神社の骨董市に行ったことがあります。
その日は、余り天気がよくなかったため、出店している店は少なく、普通なら密集して並んでいるはずの店が、点在しているといった感じでした。
私はいつものように、まずぐるーっと足早に全ての店の扱っている商品を確認し、その後、好みの食器がありそうな店へ急いで行き、1点ずつチェックをし始めました。
ここまでの段階を素早く行わないと、出会うタイミングが悪く、目の前で違う人の手へ渡ってしまうことがあるからです。
こうして、ある店の前にしゃがみこんで、並べられた食器をチェックしていると、後ろから肩をポンポンと叩く人がいました。
商品選びに集中していた私は、とてもびっくりして飛び上がって振り返ると、そこには年配のご婦人が立っていました。
そのご婦人は、なんと紫色の頭髪で着物を着、白くて長い前掛けをして、下駄を履いていました。
「はっ?...きつね!?...」
そのいでたちを見て更にびっくりしている私に、そのご婦人は言いました。
「あんた食器が欲しいのかい」
そういうなり、その店から引き離すように私の服を引っ張り、木陰の方へ連れて行きました。
「あんな食器、買うのやめなさい。家にあるから見においで」と、言うか言わないかの内に、彼女は着物に下駄とは思えない、「やっぱりきつね?...」と思うようなスピードで、すたすたと歩き出しました。
私はなんだか訳が分からないのに、ついつい彼女を追って、小走りについて行ってしまったのです。
彼女は歩きながら、家はすぐそこだということ、立ち退きにあい、近く中野へ引っ越すこと、子供たちに食器はみんな捨てろと言われたけれど、もったいなくて捨てられず、花園神社へは物探しではなく、食器をあげる人を探しに来ていたのだと言うことなどを話してくれ、私も北海道から来たこと、店を始める為に少しレトロな食器を探しに来ていた、と言うことなどを話しました。
ようやく事態が飲み込め、お互いの状況も理解し合えた頃、彼女の自宅に着きました。
その建物は、ずーっとこの場所に住んでいたことがすぐに分かり、今は亡きご主人が営んでいた看板屋を兼ねたご自宅は、「たけしくんハイ」を思わせるような佇まいでした。
早速彼女は、奥からどんどん未使用のセットものの食器を出してきてくれ、その量はダンボール3箱分にもなってしまいました。
そして今度は息子さんが、そのダンボールの発送の手続きをするために、自転車の荷台に載せて、近くのコンビにまで案内してくれたのです。
私は、思いがけずこのような親切を受けたことが本当に有難く、お二人に何度もお礼を言い、りんごとジャガイモを送る約束をして帰りました。
その後、年賀状のやり取りが3年続き、5月15日号のエピソードとなったのです。
そのときは、社交辞令だと思ったのに、言葉通りに伊達まで会いに来てくれた彼女は、もう80歳になっていました。
けれども、チャキチャキの江戸っ子といった感じの口調は変わらず、小気味いい語り口で爽やかに色々な話をしてくれました。
初めは「きつね?」などと、失礼なことを思ってしまったのですが、80歳になってもやっぱり紫色の髪をしていて、とてもチャーミングな女性に変わりはありませんでした。
「あたしなんか、年がら年中旅行して歩きたいのよ。年金暮らしだから、遊ぶお金の捻出は大変だけどね。」そう言って、彼女はいたずらっぽく笑いました。
だから、きっとまた会えるような気がします。
これが、花園神社のお狐様が取り持ってくれた、不思議なご縁のお話しでした。
終わり。