■ある朝の線香騒動の巻
「今朝は、お経を読むお線香を点けてみたよ」 「は~っ!?」
私は耳を澄ましてみましたが、聴こえてくるのはいつものお経代わりのJAZZの音楽だけ。
一体、また八重ちゃんは何を言い出したんだろうと、仏壇のある母の部屋へ行きました。
やっぱりJAZZしか聴こえないじゃない...と、煙を立てているお線香を覗くと...あらびっくり!
燃えた後のお線香の灰に、「南無阿弥陀仏」と書いてあるのです。
「へ~すごいね、これ!こんなのあるんだねー」
「...でもさあ、お父さんのお葬式の時に、南無阿弥陀仏ってお経読んでた?」
私はふと疑問に思って、母に尋ねました。
すると八重ちゃんも、「そういえば、南無妙法蓮華経って言ってたかも...」と言い出したのです。
信心深いというか、普通の常識的な家族からすれば、考えられないような会話が、この朝の私たちにはなされていました。
お寺の和尚さんに知られたら、思い切り「渇」を入れられそうです。
でもこれには、少し事情がありました。
すでに亡くなった父方の兄弟・親戚は、私の知る限り、ごく普通の通夜・葬儀をした人がいないのです。
つまり昔から、今流行の地味葬で、どなたの葬儀も一風変わっていました。
どちらの遺族も、故人の個性を最期まで大切にしたいとの思いがとても強く、あまり宗教観に捉われない形の葬儀が多かったのです。
父の通夜では、お坊さんは呼ばず、お経代わりのJAZZを一晩中、家族で入れ替えながらずっと流していましたし、火葬場でも同じように流していました。
また、葬儀も家族と近しい親戚のみの形にして、葬儀委員長さんはたてず、私と弟が準備して執り行いました。
ただ、お墓はお寺にあるので、この時だけはお経をあげてもらいましたが...。
...と、これはお経を覚えていない言い訳です。
はい。
さあ、どうしましょう...このお線香...。
まさか、お寺に電話をかけて「お宅のお経は、南無阿弥陀仏って言いましたっけ?」と聞くなんて、そんなことができるわけがありません。
しばしこんな風に、二人でお線香とにらめっこをしているうちに、はたと気がつきました。
父が入っているお墓は、浄土真宗大谷派のお寺にあります。
そうよ!こんな時こそネットで調べればいいんじゃない!
そして、ようやく解決。
やっぱり「南無阿弥陀仏」でした。
なんて、おまぬけな親子。
いやはやなんともバチアタリ。
きっと父は、草葉の陰で嘆いていることでしょう。
「まったく...。八重ちゃんは相変わらずだなあ...。理恵もしっかりしてくれよ...。」と。
これは、こともあろうに月命日の朝に起こった出来事でした。
ごめんなさい、お父さんとご先祖様。
な~む~...。