■みかんに感じるノスタルジア
今年も私の生まれ故郷、岡山県笠岡市北木島の知人から、みかんが一箱届きました。 これは、みかん農家の方が自宅用に作っているものです。
私は、瀬戸内海に浮かぶ北木島で生まれたのですが、2歳までしか居なかったため、島の記憶が全くありません。
生まれたところの思い出がないというのは、何かこう、根源を失ってしまったような寂しさがあります。
その昔両親が、知り合いも親戚も誰も居ない北木島へ、父の仕事の関係で引越しをしたとき、母のお腹には私がいる状態でした。
電気も水道もない社宅に住み、不安で一杯の中、このみかんを送ってくれた知人一家に、それはそれはお世話になったのだそうです。
今は亡きこの家のお母様は、母のお産の時に、ずっと側で手を握って励ましてくれたと聞いています。
この方の手の温かさを、私もへその緒を通じて感じていたのかもしれません。
お陰さまで、元気にこの世に出させていただきました。
こちらの御宅では、以前は石切をお仕事になさっていました。
かつて、北木島は石屋さんと除虫菊農家が多くありました。
除虫菊って分かりますか?
蚊取り線香の原材料です。
けれども、時代と共に蚊取り線香が余り売れなくなり、その生産者達は作物をミカンに切り替えていったのだそうです。
一方石のほうは、小さな小さな島に残る若者がおらず、跡継ぎがいないので、ほとんどの家がやめていき、今では島全体が老人ばかりの島になってしまったのだそうです。
先日の電話では、笠岡からしょっちゅう「救急船」が来るという話でした。
島には病院がないので、車ではなく船なのです。
「コトー先生」がいたらいいのに...。
このように、話だけは子供の頃からよく聞かされていたのですが、残念ながら実感として理解することができず、やはり常に寂しさを感じていました。
ところが、7年ほど前にこんなことがありました。
その時働いていた職場の仲間と、倉敷旅行へ行ったときのことです。
私達は、ボランティアガイドさんに連れられて、アイビー学館へ行きました。
庭園の説明を受けながら歩いていくと、石造りの五右衛門風呂がありました。
すると、ボランティアガイドの方が、「これは北木島の石で造られたものです。瀬戸内海に浮かぶ北木島は、かつては石切が盛んに行われていて...」
私は、あまりの唐突な出会いと説明に、涙が溢れて止まらなくなりました。
当然一緒に居た仲間達は、そんな私に驚きましたが、次から次から溢れ出す涙を、どうすることも出来なかったのです。
私は、その石がいとおしくていとおしくて、しばらく撫でていました。
それは、みかん以外に初めて出会った、未だ見ぬ故郷の温もりでした。
母が元気なうちに、いつかあの島へ行きたいと、絶対に行こうと思っているのですが、実現するのはいつになるやら...。
形の悪い、ノーワックスのみかんを頬張りながら、そんなことを思いました。
<付録写真>
~沖縄へ行った友達から、ドラゴンフルーツとシークワーサーをいただきました。
静物画のようでしょ。
初めて食べるドラゴンフルーツは、割るとギョッとするような赤紫色の実の中に、ブツブツと小さな黒い種がぎっしり入っていて、ちょっとビックリ。
でも、スプーンですくって口に運んだら、うす甘くて爽やかな南国の香りがしました。