■三年物沢庵50本伝説
この時期、漬物好きの家庭では、大根・聖護院・赤カブ・白菜・飯寿司などの漬込みがすっかり終わり、後は美味しい食べ頃を待つばかりなのでしょうね。
実は、私も一度だけ沢庵を漬けたことがあります。
けれども本当は、封印しておきたい苦~い思い出なのです。
伊達に来た年の秋、あちこちの家でたくさんの大根を干しているのを発見。
あれは何?何にするの?切干だいこん?
以前住んでいた所では、見たことがない風景に出会い、私の心は躍りました。
でもその年は、生まれたばかりの子がいたので、想像するだけで止めていました。
そして翌年の秋、やっぱり気になり近所の方に尋ねたところ、「沢庵漬けや玄米漬け・南瓜漬け・粕漬けにするのさあ」とのお話し。
へ~!楽しそう♪
私も作りたーい!
というわけで、下の子を寝かしつけ上の子を負ぶって、早速自転車飛ばして材料を仕入れに行きました。
土付き大根50本に糠と塩とザラメ。
そう、確か何度か往復したはずです。
大樽と重石は、さすがに生協に届けてもらいました。
...うかれているこの段階では気付くはずがない...。
さあ!材料は揃ったわ♪と、今度は亀の子たわしで、ゴッシゴッシと大根を洗い始めました。
さすがに50本は、洗い応えがあります。
若さに任せ、素手でその作業をしていたので、手も千切れるほど冷たいし。
そしてようやく50本洗い終えると、手の痛さも忘れ、しばし充実感に浸っていました。
さて、次は干さないと!
私は、どこかの家がやっていたように、物干し竿にどんどん大根を引っ掛けていきました。
こちらに来て、まだ一年足らずなのに、なんだかすっかり道産子気分。
...この時にも、まだ気付いていない...。
サッカリンはもっての外だし、色粉なんかも絶対使わないもんね♪
と、大根を干している期間中は、せっせと林檎や柿を食べては皮を干し、安全で美味しい糠床の準備をしていました。
さて、いい具合に大根も干されて来たし、漬込み開始の時ね!
と、私はハナウタ交じりで、大根をどんどん漬込んでいきました。
最後の一本を樽に副わせて置き、重石を乗せて蓋をし、「やったー!終わった~!」と大満足♪
これで美味しい沢庵が食べられるわ~。
...まだ気付かない...。
そして、ついにその日がやってきました。
蓋を開け味見をしたら、もう大成功の出来だったのです。
変な薬の味はもちろんしない、自然な味で塩加減も丁度いい。
私って天才?って思ってしまうくらい、とっても美味しくできていました。
ニコニコぱくぱく食べていたのですが...
ガ~ン...気付いてしまいました。
家族は私以外全員、漬物が食べられないのでした。
...。
え~!!沢庵50本私一人で食べるの~!?
やっぱり、私は天才なんかじゃありませんでした。
がっくり...。
...どうしよう...。
いいわ!こうなったら微塵切りにして、毎食茶碗に盛って食べるわ!
でも...そんなことしたら病気になっちゃう。
まだ近所付き合いもしていなかった私は、そうだ!実家だ!と何本か送り、後は春までに少しずつ食べるしかないわねと、床下に入れておいたのです。
あぁ...これが事件の序章なのです。
さて、時は過ぎ、あれから三回目の春に、神奈川の両親が遊びに来ました。
すると、母が「洗面所が臭いね」と、入るたびに言うのです。
「あーそうなのよ。欠陥工事だったらしくて、下水の匂いが上がってくるのよね(これは本当)。」
と言うと、「そういう臭いじゃない。床の蓋の辺りが臭いよ。」と言うのです。
あぁ...すっかり忘れて気付いていない...。
「お母さん戌年だから、鼻が利きすぎるのよ。」
そう言った瞬間、思い出したくなかった事を思い出してしまいました。
「あっ...沢庵だ...」
そう、そこには三年も寝かされた、沢庵の樽が一つ置かれていました。
せっせせっせと頑張って、私一人で食べていたものの、さすがに飽きてくるし食べられるわけがないし、まだ春までは大丈夫♪と思っているうちに、すっかり忘れてしまっていたのです。
三年も眠らされていた沢庵さんは、当然全く別の物になっていて、結局処分せざるを得ませんでした。
なんてもったいない。バチアタリ。ごめんなさい。
それ以来毎年秋になると、干されている大根を見てはあの記憶が甦り、もう二度としませんから許してください...ダイコンさん...という気持ちになって、干し大根から目を背けてしまうのです。
これが「三年物沢庵50本伝説」、苦~い記憶のお話しでした。
でもね。
黄色く染まった買った沢庵は、ちゃっかり食べちゃっているんですけれどね♪