■飛んだ”ちびチャリ”珍道中レポート~Part2 目指せ浅草橋!
羽田~穴守稲荷~大森海岸(旧東海道開始)~鈴が森刑場~品川区民公園~立会川~青物横丁~北品川(旧東海道終わり)~品川~浜松町~東京タワー~人形町~日本橋~宝町~浅草橋。 初日の大まかなチャリルートです。
羽田で散々やらかしたのに、そこからの道中もイロイロありましたよ・・・。
羽田・大鳥居を後に、まず目指したのは穴守稲荷神社です。
私は二度目でした。
以前訪れたのは、10年ほど前です。
実は亡父は幼少の頃、羽田にもほど近い大森海岸に住んでいました。
ですから羽田の前浜も穴守稲荷神社も、少年時代の父の遊び場でした。
父はここで関東大震災を経験しましたが、東京大空襲で家を焼かれた時には戦地にいました。
80歳で幕を閉じた父の人生は、ここ羽田界隈から始まっていたのです。
ふと、父に手を引かれて蒲田の夜店巡りをしたことを思い出しました。
いつも”あんず飴”を買ってもらっていました。
ほんとは金魚すくいをしたかったけれど、もし捕れて持ち帰っても、すぐに死んでしまうことを知っていたので我慢しました。
ほんとはヒヨコも欲しかったし・・・。
さて初日のメインイベントは、”ちびチャリ 旧東海道ツーリング”でした。
始点は大森町です。
この企画は、影むしゃが2年間温めてきたものでした。
念願叶ってスタートです。
道は商店街になっているので、両側の店をちびチャリから眺めながら、いつもよりゆっくりと走りました。
けれども、日曜日定休のお店ばかり。
残念でした(←れんもそうでした・・・)。
大田区を抜けて品川区に入ると、”鈴が森刑場”が現れました。
江戸時代には、小塚原刑場・大和田刑場とともに江戸3大刑場といわれたそうです。
隣接する大経寺の境内となっている刑場跡には、火炙用の鉄柱や磔(はりつけ)用の木柱を立てた礎石などが残されています。
背筋が寒くなる思いで、さすがに写真は撮れませんでした。
あの”八百屋お七”もここで処刑されたのだそうです。
この後、『しながわ水族館』が建っている品川区民公園の自転車道を走りました。
緑も豊富なこの場所は、区民と言わず都民の憩いの場のようです。
「緑」と言えば、今回改めて東京は緑が豊富だということに気付きました。
言いかえれば、とても緑を大切にしています。
「当り前にあるものではない」ということを知っているから大切にするのでしょうね。
北海道に住んでいると、その存在があまりにも当たり前すぎて、感性が少し鈍くなっているような気がします。
ところで、この品川区民公園でちょっとしたハプニングです。
この公園のすぐ隣には平和島の競艇場があるのですが、これが見えそうで見えない。
ボートの爆音だけが聞こえてきます。
なんとか見える場所はないかと、”広い広い”公園内をキョロキョロしながら走っていると、「あっ!!またやっちゃった~(-_-;)」と影むしゃの声。
”広い広い”と思って走っていたら、いつのまにか出口を通り越して一周していたのです。
これじゃ、道路を逸れて公園を走った意味ないじゃん・・・。(←こういうロスタイムが多い訳です(^^ゞ )
立会川・青物横丁には、多くの寺社や坂本竜馬ゆかりの旧跡があります。
もう少しゆっくりと見学したかったのですが、そろそろ疲れも出てきました。
八百屋さんで1袋298円の蜜柑を買い、店先でクエン酸を補給し、”ちびチャリ 旧東海道ツアー”の最終目的地、北品川に到着しました。
品川で待ち合わせるはずだった支部長M氏とは、途中で行き違いになってしまい、浜松町でようやく会うことができました。(←理由は支部長ブログで「東京吟味覚書」)
遠目に増上寺を見学し、とりあえずここで記念写真。
ホントは支部長M氏とツーショットで撮ってもらったのですが、ファッショナブルな支部長M氏と変な合羽姿の私はあまりにも不釣り合いなので、人物なしの写真を載せました。
新東京タワーが建設中らしいけれど、私はやっぱりこれが好きだなあ☆
この後は3人で人形町の中華料理をいただき、私達は浅草橋の宿を目指しました。
羽田空港出発11:30。
ホテル到着22:00。
休憩&食事時間&見学時間を差し引いても、約8時間は”ちびチャリ”を漕いでいた計算です。
それなのに走行距離はわずか24~5km足らずです。
ほら、何しろ迷って走っていたりもしたものだから、こんなに時間が掛かってしまったわけです。
しかもちびチャリだから、タイヤがちっちゃくてあんまり進まないのですね(^^ゞ
あのアップダウン攻めの礼文島もこれで6時間爆走したのだから、東京なんてオチャノコサイサイさ♪
そう思っていたけれど、さすがに8時間走行はコタエマシタ。
ふう~。
長い長い一日が終わりました。
つづく。