■人生の学び舎。
昨年も感じたことですが、入院をしていると実に様々な人生勉強が出来ます。 師となるのは患者さんであったり、病院側であったり。
自分もそうでありたいと思ったり、こうはなりたくないと思ったり。
いろいろ・・・ですね。
昨年入院した時の病室はとてもユニークな方が揃っていました。(自分も含む。)
何も無しでは歩けないからと昼間は歩行器を使っているのに、消灯時間が過ぎると何も無くても徘徊出来る人。
夜眠れないと不眠症を訴えているのだけれど、自覚なく昼寝をする人。
入院する前は毎日欠かさずパークゴルフをしていたのに、今の自分が情けないと毎日沈み込みながらも、テレビを観てると飛び上るほど大きな声で笑う人。
平均年齢確か78歳。
夜中も様々なドラマが繰り広げられ、「私もいつかは辿る道なのかしら・・・?」と、他人ごとではない様子を悲しい気持ちで見ていました。
年齢が進むと、そうとは知らずに毎日…いえ、日に何度も同じ話をしてしまう。
でも、三人ともそれに気付かず同じ会話を繰り返す。
たまにはそんな会話に加わることもありましたが、私は、それとなく聴こえてくる話を聴いていることの方が多かったのです。
けれども、時には感心したり感動したりする話もありました。
樺太から乳飲み子を抱えて引き揚げてきた話。
結婚して2年で夫が戦死した話。
戦時中、釧路で管制官のような仕事をしていたから、手旗もモールス信号も出来るという話。
そしてこの病室でも。
やはり、同じ話が繰り返されます。
平均年齢76歳。
「こちらが優しい気持ちで接すれば、お嫁さんやお婿さんも優しくしてくれるんだわ。」
「そりゃ辛いことがなかったって言えば嘘だわね。でも、いつまでもクヨクヨしてられないもね。」
「帰ったら、嫁さんや孫に迷惑かけないように頑張ってリハビリしないと。」
自分に言い聞かせるように、自分を励ますように、お互いを励ますように話は続いていきます。
お見舞いにみえる御家族との会話を聞けば(皆さん耳が遠いので声が大きいのです)、なんとなくほんわか温かい家族像が想像できます。
それは、繰り返されていた会話を、きちんと実践して暮らしていることの証明をしているようでした。
誰にも必ず訪れる老いの日。
その日のための事前学習をさせていただいています。
さて、こちらも誰もが経験してきた赤ちゃん時代。
Iファミリーが3カ月の赤ちゃんを見せにきてくれました。
みちよくんです。
抱かせてもらいました。
ジッと見つめられ、可愛いことこの上ない!
20数年前の6kgの重さを思い出していました。
みちよくんは、これから先の何十年をどんな風に生きて行くのかしら?
ふとそんなことを思いました。