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[2008.07.23]
昔の記憶は割と当てにならない。 
Hさんは役場の仕事でこの場所に何回も来ていたのに、建物が撤去されて、その場所が自然に還ると全く分からなくなっている。 
この工場には多くの労働者が働いていて、最盛期には2500人もいて、映画館や小学校、中学校、病院もあった工場城下町だったそうだ。 
今はそれ等は全く面影も無く、自然の森に還っている。 
Kさんも子どもの頃に住んでいたのに分からない。 
 

[2008.07.22]
この町に来て、時々話に出るのが『オーケー』という言葉である。 
私は当初はこれはローマ字のOKだと思っていた。 
ところがこの字は『黄渓』と書くことが分かった。 
伊達市に住むK社長は子供の頃、この黄渓で育ったという話を私は何回も聞かされた。聞くも涙の物語である。 
[2008.07.17]
このところ毎年のようにイコロ農園にレンガを使った建造物を作っている。最初は五右衛門風呂で、次がピザ窯で、その次が飯炊き窯であった。 
今年は陶芸の登り窯を作ろうと大それた考えが浮かんだ。 
 
窯の視察と親睦を兼ねて小旅行に行こうということになり、我々夫婦とイコロ農園のTさん、窯製作の専門家のKさんの4人で出掛けた。 
どうせ窯を見に行くなら、その前にニセコでゴルフをしようということになり、視察より親睦が先になってしまうといういい加減な4人である。 
[2008.07.16]
壮瞥町の農家のIさんは今年の春先の霜で商売のネタであるサクランボが全滅した。 
霜の為に花は咲いたが実が付かなかったのである。 
それでもIさんは、『自然が相手だから、そういうこともあるさ』と達観している。 
 
でも、私が想像するに、今年はかなりの赤字経営になるのではないかと心配している。 
Iさんの笑顔の裏に隠された切実な悲しみを私は知っている。 
[2008.07.10]
洞爺湖サミット2日目の朝に女房が用事で東京に戻った。 
そこで私は気兼ねなく洞爺湖周辺の警備状況を確認に出掛けた。 
 
昭和新山から洞爺湖に出ると、途端に警察官の姿が増える。警察の大型バスが何台も駐車していて、横で大勢が朝礼をしている。 
突き当りのT字路を左に曲がり、洞爺湖の南側の道路を走る。非番の警察官や外国人も走っている。 
[2008.07.07]
東京にいる時は暇人なのでブログに登場させるネタを探すのも大して苦にならない。それに都会だけあって話題も山ほどあり、場合によっては処理できないほどの量となっている。 
 
ところが夏になり伊達に来ると状況が変わる。 
先ず第一に暇人ではなくなる。イコロ農園理事長として農作業をしなければならない。町の友達との交流に忙しくなる。頻繁にゴルフをしなければならなくなる。頼まれ事がある。 
[2008.06.27]
イコロ農園で農作業をしていたらK社長から電話があった。 
『いまどこですかー?』と聞く。 
私は『イコロ農園です』と答えると、K社長は『今からウィンザー・ホテルに行って、サミットの警備状況を見て来ませんか?』と言う。 
 
願ってもないことである。いつもながら親切なK社長である。イコロ農園のTさんも誘ったが、彼は農作業が忙しいから行かないと言うので、私の女房と3人でK社長の車で洞爺湖方面に向かう。 
[2008.06.23]
伊達信金のRさんがコテージに来た。 
コーヒーを飲みながらの話の中で、北の湖記念館で銅像の除幕式があると知った。 
そうと知れば行かねばならないという気になる。 
元横綱で、今の相撲協会の理事長である北の湖は伊達市の隣町の壮瞥町の出身である。彼は『おらが町さの英雄』である。 
[2008.04.09]
以前のブログに『食べ続けた壮瞥町の天然蜂蜜』という話を書いた。その中で、『半年以上も食べ続けた蜂蜜も食べ終ってしまった』と書いた。 
 
そして、それ以来、私はスーパーで買った蜂蜜を食べている。表示には天然と書いてあるが、それが本当に純粋天然かどうかは判らない。 
最近は産地偽装が随所で起こっているので、知っている人から買うか、もらうかしないと信用できない世の中になってしまった。 
[2008.04.02]
中学生の頃からの友人に大高明君というプロのカメラマンがいる。彼は我々のデジカメクラブの顧問でもある。 
だから私の写真の腕が上がったという理由もそこにあると思う。 
 
彼の本職は大型建造物の写真撮影だが、その他にアメリカの大地に魅せられて、長いことアメリカを題材に写真を撮り続けている。 
 
彼とは3年前にアメリカ・ニューメキシコ州のアルバカーキという町に世界バルーン大会の写真撮影に行ったこともある。この時は私はまだ高級一眼レフカメラを持っていなかったので、大した写真は撮れなかった。 
 

プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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