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旅に出る代わりに、時々、エスニック料理が食べたくなる。
日本にはない、異国の香りが心を自由にしてくれる気がするから。
ニセコの道の駅で小さなスパイスの袋を見つけた。「ネパールチキンカレー」と書いてある。
素朴なパッケージと民芸調のイラストが、いかにも本場の感じだ…。
エスニックな香りを求め、お店を訪ねた。
青年海外協力隊OBが、現地で覚えたネパールの味
アンヌプリ国際スキー場の麓に、ペンション&レストラン ビスターレ・カナはある。
こんもりとした緑に覆わた、石貼りの壁が印象的な建物。
正面の不思議な文字に、目を奪われた。ネパール語で「ビスターレ・カナ」と書いてあるらしい。
「ビスターレ」は「のんびり」、「カナ」は「食事」という意味があるそうだ。
店内にはネパールの民芸品が飾られ、窓から濃い緑がのぞいていた。
時間がゆっくり流れているような、静かで落ち着いた空間。「ビスターレ」という言葉がぴったりくる。
オーナーの山野 美昭(やまの よしあき)さんは東京出身。青年海外協力隊としてネパールに赴任した経験を持ち、現地で覚えた味を、独自にアレンジして提供している。
ニセコ産野菜をふんだんに使った「ネパールカレーセット」はとてもカラフル!この日は13種もの野菜が使用されていた。
中に見慣れない野菜…と思ったら「摘果メロンです」と聞いてびっくり。カレーによく合うことにも驚いた。
インドカレーとも、スープカレーとも違う、独特のスパイスの香り。どこか懐かしいような…これがネパールの香りなのだろうか、想像がふくらむ。
山野さんとニセコの出会いは古い。
26歳でネパールに行くもっと前、10代の頃に遡る。
中学生の時に、おじさんに連れられ白馬八方尾根に行って以来、スキーが大好きになった。高校でますますのめり込み、「ただただスキーがしたい」と進路を北海道に決めた。酪農学園大学短期大学部に進学し、スキー部に所属してニセコによく通うようになった。
初めはスキー関係の接点しかなかったが、短大を修了し大学に編入する間の1年間、ニセコで酪農実習を行った。そこで農家に出入りするようになり、農業や酪農に携わるさまざまな人たちとのつながりができた。
この頃から、ニセコは山野さんにとって第二の故郷となった。
大学を卒業後、町内のペンションで乳肉製品の製造担当として働き始めた。仕事は楽しく、冬はスキー三昧。「好きなこと」に邁進する日々は充実していた。
ところがある日、常連のお客さんに言われた一言が、山野さんに転機をもたらした。
山野さん:
「あんた、いつまでぬるま湯に浸かってんのさ」みたいなことを言われて(笑)
お客さんて、本当によく見てますよね。
要するに「好きなこと」と言いながらも、社会的立場としてはアルバイトじゃないですか。いつまでこんなことやってんのさ、なんて言われちゃって。
それで、何かしなくちゃな、と考えたのが青年海外協力隊でした。
食に関わる仕事をする中で、「飽食の時代」に疑問を持つようになって。
業務上やむなくではありますが、まだ食べられるものでも捨てていくわけですよ。そういう現場を目の当たりにするうちに、「食えない国、貧しい国ではどういうふうな生活をしているんだろう」という興味がすごく湧いてきたんですよね。
貧しいっていうのはどういうことかを知りたかった。
26歳~29歳までの3年間、山野さんはネパールで野菜の普及活動に勤めた。
飼料作の経験はあったものの野菜は素人だったため、協力隊の試験前に八ヶ岳農業実践大学校で研究生として学んだ。
実際に赴任してみると、気候も栽培品種も日本とは大きく異なり、かなり苦労したそうだ。猛勉強しながら巡回指導や作付け計画など、さまざまな支援に取り組んだ。
現地の文化にも興味を持った山野さんは、村の子ども達に混じって祭りの踊りを習い、一晩中、村人達と踊り明かしたこともある。そのエピソードは今でも新しい協力隊に語り継がれているという。
山野さん:
最後にネパールを出る時、みんなが見送りに来てくれたんですよ。そうしたら、思いもよらなかったんですけど、涙が出てきて、止まらなくて…。
なんで泣きっぱなしなんだろう、周りに恥ずかしい…でも自分で止めることができないんです。
3年間で悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと。そういう喜怒哀楽や、いろんなものが、全部出ちゃったんだろうな、と思います。
協力隊は一人だったので、日本人の代表として恥ずかしくないように、日の丸を背負うような気持ちで取り組んでいました。とにかく一生懸命やって、日本人は勤勉だという姿を見せたかったんです。
すごい背伸びをしていた3年間でした。でもあれをしたから今がある。
涙は、バンコク空港に到着するまで流れ続けたそうだ。
帰国後、結婚した山野さんは、しばらく後に元の職場からオファーを受けた。妻のカナさんを連れニセコに戻り、3人のお子さんに恵まれた。
1995年にビスターレ・カナをオープンし、以来ペンションとレストランを営んでいる。
ネパールカレーの多くは、「唐辛子の辛さと塩っ辛いのが、どーーんと刺さってくるような味」で、日本人には食べづらい。日本でいう昔ながらの塩ジャケや漬物、味噌汁のような感じだそうだ。
そこで山野さんは、当時コックとして雇っていたネワール族の少年に、「こういう風に作って」と指示して毎日食べられるカレーを作ってもらっていた。ネワールは美味しいカレーを作る民族として知られている。
その味と、ネパールで友人の奥さんが作ってくれたカレーがベースになってビスターレ・カナのカレーが出来上がった。
電気もガスも水道もなく、朝日と共に起き、陽が沈んだら眠る。山野さんが体験したネパールのローカルな暮らし。そこから生まれたカレーなのだと思うと、一層味わい深い。
のどかな農村の風景が、ぼんやり見えてくるような、素朴さと優しさを感じた。
「ここのパウダーはすごい」外人さんが教えてくれた、ニセコの魅力。
ペンションが最も賑わうのはスキーシーズンの12月から3月。Booking.comへの登録を機に7年ほど前から海外宿泊客が年々増え、8割が外国人に。客層がガラリと変わった。
日本のスキー・スノボ人口が減少する中、海外からのお客様はとてもありがたかった。
しかしその分、コロナ禍による被害は甚大だった。「外人さんが来ないということはこういうことなのか」と思い知らされる日々。今も大きなダメージが続いているが、とにかくやれることをやっていこう、と夫婦で力を合わせ頑張っている。
ニセコの雪をよく知る山野さんだからこそ、海外のスキーヤーに伝えられることが沢山ある。
コロナ以前にはいいポイントを教えてあげたり、時に一緒に滑りに行ったりしてとても喜ばれたという。そうした交流がニセコの魅力を再発見することにつながった。
山野さん:
海外のお客様が来て、教えてもらったと思っています。ニセコの雪が、世界レベルなんだということを。
例えばカナダのバンフやウィスラーがベースだという人がここにくるわけですよ。
「なんで?」って聞いた時に「パウダーここ違うよ」という。
「ここのバックカントリーは、1週間いたら少なくとも2回は滑れる。世界有数のスキー場でも1か月滞在して1回あるかないかの素晴らしい雪質だ」と。
僕にとっては当たり前だったんですよ。ニセコのパウダースノーが大好きで、ずっと昔から滑っていましたから。
「アンヌプリはスキー場自体は小さいけれど、雪は最高だ」と聞いた時に、とても驚きました。
彼らを連れて一緒に滑った時の満足げな顔!それを見るのが僕はもう、最高ですね!
筆者は今年、初めてニセコの冬を体験する。昨冬、引っ越し準備に訪れた時には、どこもかしこも分厚い雪に覆われ、あまりの真っ白さに、おそろしいと思った。
しかし、厳しい冬ならではのパウダースノーであり、その雪をこよなく愛する山野さんの言葉に、なんだかとても勇気が湧いてきた。
ネパールカレーを味わいながら、「私も冬を、楽しむぞ!」と決意した。
世界中のスキーヤーでニセコが賑わう冬が早く戻るようにと祈るばかりだ。
ペンション&レストラン ビスターレ・カナ
詳細情報
- 住所: 北海道虻田郡ニセコ町ニセコ431-1
- 電話: 0136-58-3330
- ランチタイム: 11時30分~15時(ディナーは要予約)
- 不定休あり。事前に電話確認するのがおすすめです
- HP: https://sites.google.com/site/bistarekana/
- スパイスキットは道の駅ニセコビュープラザで購入できます
※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
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