
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
洞爺夏まつり・太鼓台(ちょうさ)
洞爺夏まつりの太鼓台(ちょうさ)を持ち上げてきました{%うっとり(ぽわん)webry%}{%うっとり(ぽわん)webry%}
「ちょうさ」とは、大阪では布団太鼓、徳島では「よいしゃ」などいろいろな呼び方があり、讃岐では「ちょうさ」と呼びます。お宮のお祭りに厄病や悪魔払いなどの意味から威勢良く太鼓を打ち鳴らし、町内をねり歩きます。姉妹市町香川県三豊市(旧財田町)から寄贈されたちょうさです。
ねり歩きながら「お花代」を頂いたら、その場で御礼のかけ声とちょうさを動かし感謝を表します。
洞爺地区中心地「水の駅」の周囲を回りました。
トラクターで山車を引っ張ります。おしゃれでした。最近、農業に憧れ、本州地域から若い移住者が増えているとのこと。前回視察した「せたな町」では、Uターンや町内で起業する人たちに定住対策の一環として補助金を出しているとのこと。今後、農業・漁業問わずに洞爺湖町の財政状況が好転してくれば「生き金」を若い世代に投資することも大事だと思います。
どんどん山車が登場します。
温泉地区の重鎮・節子ママです(洞爺湖温泉飲食店組合長)も激励に来てくれました{%うれしいwebry%}
きれいな山車でした。洞爺湖町は、農業中心の洞爺地区、漁業・水産加工の本町地区、観光業中心の温泉地区の3つがあります。温泉地区の夏祭り、本町地区の虻田神社まつり、などとコラボレーションすれば楽しいのに、、。お祭りの相互参加を通して地区の人々の融和が進めばいいなーとふと思いました。来年は、「ちょうさ」の出来る過程から参加する予定です。
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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05/31(月) 川のほとりの癒しのお花屋さん “青葉“
こちらは気門別川のほとりにあるお花屋さん「青葉」さんです。 20年前から変わらぬ可愛らしい笑顔で店主の知子さんが迎えてくださいました。 今の場所に引っ越されて8年目。 2001年にオープンされた時は山下町にお店を構えていらっしゃいました。 その時はまだお勤めをされていたので、そのお休みを利用し、土日のみの営業だったと言います。 素敵なランプは、おそらく洞爺湖のglaglaさんの作品。 「若かったからできました。」と、当時を振り返る知子さん。 でも、それだけではない起業への強い想いを感じました。 同時に、ものすごい努力だったのだろうと想像します。 壁をさり気なく飾りたい方に~ 人気の多肉植物や、可愛らしい花瓶も並びます。 「お花屋さんというお仕事は、実は子供の頃からの夢ではなかった。」というお話しには驚きました。 一旦は札幌で就職をなさった知子さんは、一念発起してお花を学ぶ学校へ通い始めました。 「その時もなんとなく花かな~という程度だった。」と。 学校卒業後は、お花屋さんに就職。 3年間の実践的な修行が始まりました。 初めはそれほど強い思いでお花の道に入られたのではない知子さんが、とても厳しいお花の仕事を経験されてからどんどんのめり込んでいったというストーリーが、私にはとても興味深く聞こえました。 「今日はお花が少なくて…。」 とおっしゃった知子さん。 お互いを引き立て合う様なラインナップで素敵です! きっと、3年間は自分自身の本気を試す期間だったのだと思います。 もちろん、知子さんは本気でした。 というより、どんどん本気度が増していきました。 だからこそ、お勤めがあるにもかかわらず、お休みの日にお花屋さんになるという大胆行動を起こされたのだと思います。 窓の向こうには川が流れています。 右端が空いているのは筆者が連れて帰ったからです ^^ ハンショウヅルという植物を購入しました。 「川が好きだからこの場所を選んだ。」とおっしゃる知子さん。 “青葉”の店名の由来も尋ねてみました。 「洞爺湖畔の仲洞爺あたりの道が大好きなのです。 木のトンネルが続いていて、そこからの木漏れ日を感じたり木々の隙間から見える洞爺湖の水に癒されたり。 だから、緑にまつわる名前にしたかったのです。」 なるほど~! あの道をイメージしてのお名前だったのですね! とっても納得してしまいました。 そんな理由もあって、“青葉”さんでは、お花はもちろんですが枝物やグリーン系のラインナップに力を入れていらっしゃるのだそうです。 確かに、店内はカラフルというよりも緑色が多いです。 いかにも、緑のトンネルがお好きな知子さんらしい♡ 緑好きなお客様にもとても喜ばれているそうです。 これは、“青葉“さんならではの大きな特色ですね。 面白い植物も並びます。 育て方も相談に乗ってくれます。 シダ類! 涼しげです。 そして。 「“コロナ禍なので、おうち時間を明るく過ごしたい“ とお花を買いに来てくださる方が実は増えているのです。 そのお気持ちが本当に嬉しいです♡」 という素敵なお話も飛び出しました。 「ゆくゆくは、アンティーク雑貨と植物を組み合わせた商品も作っていきたい。」 と、今後への想いも語ってくださいました。 アンティーク好きとしては本当に楽しみです。 最後にこのお店を通して、皆様にお伝えしたいメッセージはありますか? とお尋ねしました。 「こんな時だからこそ、植物の癒しの力を感じていただきたくて、気軽に入れる雰囲気作りを心がけています。 雑貨も置いていますので、お気軽にご入店いただけたら嬉しいです。 そして販売するだけでなく、アフターケアのことなどお花の相談所的な感じでいろいろご相談いただけたら嬉しいです。」 取材時もちょうど、お花の寄せ植え相談に訪れたお客様がいらっしゃっていました。 大滝の方の手作り葉書です。 ハンドメイド作家さんの作品も並びます。 どの花よりも輝いていた知子さんの笑顔でしたが、とっても恥ずかしがり屋さんなので写真はパスでした ^^ 実は、筆者が最後に気づいたことがありました。 それは、”青葉”さんの心地良さは、自然の中にいる状態に近い雰囲気だからだということ。 きっと、自然好きなオーナーの知子さん・植物たち・店舗・雑貨全てが作る空気感なのでしょうね。 川のほとりの “青葉“さんは、全てが癒しの空間でした。 青葉 住所 伊達市錦町15-2 電話/Fax 0142-21-1112 Open. 10:00~18:00 Close. 月曜日 http://aoba-flower.exblog.jp ※配達で不在の場合もあります。お出かけ前にはお電話でお確かめください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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01/27(木) スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい! 〜スポーツたきぐち “ Ski & Board Tuning Service Center “ @倶知安町
北海道の冬と言えばパウダースノー! そしてスノースポーツですよね。 そこで、「世界一のパウダースノー」として有名になったニセコエリアのダウンタウン 倶知安町において、長年、地元に根付いた経営をされている ” スポーツたきぐち “ を訪ねました。 ↑お話をしてくださったのは、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏です。 滝口専務は小さい頃からアルペンスキー競技をされていました。 赤と青のポールを立てて、その間を回転し潜りぬけながら滑るスピード競技です。 ですので、スキーヤーの気持ち、道具の取り扱い方、その土地の気候を含めた雪のコンディション、斜面状況、その他スキー(スノーボードも)に関するあらゆることに精通されています。 “ スポーツたきぐち “ は、スポーツ用品全般を取り扱っていますが、今回は店舗の方ではなく、スノースポーツマテリアルのメンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の方でお話を伺いました。 「メンテナンス部門 “ Ski & Board Tuning Service Center “ ができた経緯とその想いを教えていただけますか?」 筆者特有のいきなり直球&核心的質問を投げかけました。 そんな唐突な問いに対して、とても詳しく丁寧に応えてくださった滝口専務です。 ↑年間1000台以上の板をチューンナップされています。 アルペンスキー・テレマークスキー・スノーボード・クロスカントリーなど、スノースポーツのあらゆる板をメンテナンスされています。ビンディング・ブーツの不具合などもご相談ください。 「Ski & Board Tuning Service Center(以下 Service Center)が出来たのは2019年5月です。” スポーツたきぐち “ は1964年創業、地元密着型のスポーツ店として今日まであり続けてきました。レンタル部門は以前からありましたが、商品については『売るだけではダメ』だ、何か付加価値を付けるサービス体制を作らなければ!と常々考えていたことを実行に移したのがService Center でした。」 ↑用途に合わせて様々な器具・機械が並びます。 おそらく、” スポーツたきぐち “ 創業当初は全国にもたくさんあったであろう地方のスポーツ店も、量販店の出現により徐々に減り、人口減少と少子化により廃業を余儀なくされた店が多いと思います。 そんな中において、今もしっかりと地元に根付いて存在しているということ自体が偉大なことです。 「10年くらい前からお客様のニーズに変化が現れました。 その主な理由は外国人観光客(スキーヤーやスノーボーダー)の急増です。 以前はスポーツ店とチューンナップ店は別々に存在するか、ホテルのレンタルコーナーでチューンナップを行うことが多かったのです。 ところが、『明日使いたい』とか『この後すぐ使いたい』という要望が徐々に増えました。 けれどもそのニーズに応えられる所はありませんでした。 外国人に限らず観光客は短い滞在期間でスノースポーツをしたい!という思いで訪れています。 それなのに、道具に不具合があって滑ることができないのはお気の毒です。そんな様子を見聞きするうち、顧客の細かいニーズに応えて差しあげたい! なんとかストレスなく滑れるようにして差しあげたい!と強く思うようになりました。」 滝口専務とお話しをしていると、「〜して差しあげたい」という表現がしばしば出てきます。とてもサービス精神旺盛な優しい方なのです。 筆者もスキーヤーですので分かりますが、チューナップ店に持ち込み「この後使いたいから直ぐに仕上げて!」と言って対応してくれるところは他に耳にしたことがありません。 こんな風に考えて取り組まれていらっしゃることは有り難いことです。 ↑エッジを研ぐ機械です。これがあるところは日本で何軒もないそうです。 この他の機械は全て、スキーだけでなくスノーボードも扱える構造になっています。 ↑中央のドームの中では板が通過しながらエッジが研がれていきます。 ↑サンディングマシンです。滑走面をフラットにする機械です。 ビンディングを付けた状態でも通すことができます。 ↑サンディングマシンにかけた後、水平を測ります。 「従来、チューンナップ店はスキーメーカーとのタイアップのもと、競技スキーヤーのためのストラクチャー(滑走面に付ける溝のこと。滑走面に小さな溝を削ることで滑走性を妨げる水分(摩擦熱で溶けた雪)を効率よくコントロールできる)を入れるための店が多かったのです。けれども道具が多様になり、パウダー用の板やカービングタイプの板などの出現で、スキーヤーの志向にも変化が現れました。 スノーボードもしかりです。 また一方で、ホテルでのチューンナップは機械の音が煩いとお客様からのクレームが絶えなかったそうです。 結果、ホテル内で整備を行うことはなくなりました。 このように、ニセコエリアでもニーズが変化し多様化する中で、メーカーとタイアップしてチューンナップを行なっていた店は、それに応えるためには機械を入れ替えなければいけないという問題(板が太いと既存の機械は使えない)が生じました。 けれども機械の入れ替えには莫大なコストが掛かります。 結局、諦めて廃業せざるを得ない店が出てきました。 そして追い討ちをかけたのが今もなお続くCOVIT19でした。」 ↑ストラクチャーを入れる機械です。ダイヤモンドの砥石が入っています。 こちらももちろんスノーボードの板も扱えます。 これらのことは、地域の課題であったと同時に、顧客ニーズになんとか寄り添えないだろうか…という滝口専務の想いを具現化するチャンスでもあったのでしょう。 販売からレンタル・メンテナンスまで一貫して顧客に寄り添う体制を作ることで、レギュラーチェーンとの差別化を図ろう!と ” スポーツたきぐち “ は高額投資を決意しました。 高価な最新の機械を何台も導入し、店舗とは別棟にしてメンテナンス専門の場所として作ったのです。 “ Ski & Board Tuning Service Center “ の誕生です。 「実はもう一つ、Service Center を作った理由がありました。 スキーもスノーボードも道具が高価ですよね? ブーツと板を揃えたら10万円は下りません。 せっかく買っていただいても、滑った後に手入れをしなければ直ぐに傷んでしまいます。 傷んだ道具は滑り辛く上手くならない、上手くならなければ楽しくない。 それで結局買い換えるか止めてしまう。 その負の循環を断ち切って差しあげたい! 楽しくスノースポーツを続けられるようお手伝いがしたい! 道具が長く使えるようにお手伝いをしたい! そんな想いがありました。」 今、どこの企業もSDGsへの取り組みが盛んです。 “ スポーツたきぐち “ としても、企業としてどんな社会貢献ができるか?と滝口専務は常時考えていらっしゃるそうです。 それが一つに「物を大切にするお手伝い」なのでしょう。 物を売る者としての責任を、販売部門・メンテナンス部門・レンタル部門を通して一貫して顧客に寄り添うスタイルで果たす。 その上で、持続可能なスノースポーツ業界を目指しているのです。 これは、スノースポーツに精通し、世界のニセコを有する倶知安に根ざした “ スポーツたきぐち “ だからこそできることなのかもしれません。 ↑このような制度もあります。試乗会だけでなく、もっと乗ってみなければわからない。 乗ってみたらとても良かったから手に入れたい。そんな方にはRent&Buyがおすすめ。 ↑ワックスもチューンナップ道具も揃えたけれど、使い方や整備の仕方が分からないという方向けにこのような企画もあります。 「さらに、SDGsの観点から言えばワックスにも注目しています。現在販売に力を入れているのはヴァウチというフィンランドのブランドです。 こちらは環境に配慮されたフッ素不使用品です。 フッ素不使用はFIS(国際スキー連盟)の規格にも合致しています。特長としては寒い地域に適していて、ノルディック競技はもとよりアルペン競技にも『滑るワックス』として定評があります。 また、ウェアなどもリサイクルの生地や糸などを使用した物も仕入れるようにしています。 実際に10年ほど前から欧米からのお客様はそういう環境に配慮されたものを求められる傾向にあります。」 ↑上の写真が世界的にオフィシャルをとったヴァウチのワックス。 日本国内の販売シェア80%をスポーツたきぐちが占めます。 ↑滑走面のケバを取り、ワックスをかける機械です。丁寧な作業をされる滝口専務。 ↑上の機械でワックスをかけた後、この機械の赤外線で浸み込ませます。 ↑Service Centerのスタッフは3人。 左から、スポーツたきぐち 専務取締役 企画販売部長 滝口 和久 氏。 右はアドバイザリースタッフ 江川 信以 氏。ニセコパウダープロスキースクール&ニセコテレマークスキースクール現校長。 中央はカスタマーサービススタッフ 竹花 健汰 氏。元スキージャンプ選手。 全員、スノースポーツに精通しているスペシャリストたちです。 このように、全力でスノースポーツをサポートする会社 スポーツたきぐち。 そして “ Ski & Board Tuning Service Center “ 。 「もっともっと、スノースポーツをストレスなく楽しんでいただきたい!」 という想いのもと、スポーツたきぐちは、日本だけでなく、あらゆる国のウィンタースポーツ愛好者たち一人一人に寄り添いつつ、トータルサービスを目指している会社です。 北海道の地元密着企業。 存在し続けてくださることが嬉しく心強いです。 スポーツたきぐち https://www.spotaki.co.jp スポーツたきぐちサイバーショップ https://shop.spotaki.co.jp ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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01/23(木) 伊達に「藍染めワンダーランド」を創る![ aizome-「I」/ 伊達 ]
伊達市で藍染めの魅力を伝えている”aizome-「I」"さん。むしゃなびでは一昨年に特集していました。 2023年6月の記事はこちら▼ 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』 ご縁があり「ここだ!」という場所を見つけ工房とし、その場所でのイベントも始めていた頃でした。そこからストーリーは進み、今年、熱い想いでクラウドファウンディングをスタートさせました。 クラファンページはこちら!3/31まで!▼ 『藍染め工房と宿泊施設で地元と人々が繋がる「藍染めワンダーランド」を創ります!』 『 藍染め 』という伝統文化を次世代に繋ぐ、更には地域の活性化、人と人が結びつく新たな場の創出を目指す、aizome-「I」の金子夫妻。地元のみんなで応援してみませんか? 藍染工房の立ち上げ、さらに宿泊施設をプラスし『藍染めワンダーランド』を創りたいとの想いで挑戦。リターン品には藍染体験(オススメ!)や藍染めで仕上げたアクセサリーやTシャツ、ストール、靴下やストラップなども。ふたりの想いが伝わってくるクラファンページをぜひ一度ご覧ください。 伊達で生まれ育ったふたりの、ふるさとへの想い 「地元の人たちと繋がりを深められる場所にしたい」 「伊達市の特産品である藍を広め、観光客やインバウンドの人たちに『目的地』として訪れてもらうことで、伊達全体の活性化にも繋げたい」 お二人の言葉の節々に伊達市への愛を感じます。お二人は伊達市で生まれ育ち、今その地元で子育てをしています。地元を愛し、盛り上げたいという気持ちは既に周囲にもしっかりと伝わっていて、イベント時には多くの地元の人々が運営に携わっています。 「イベントなどを通じて人と人がつながり、交わることで、ここが藍染めの液のようにいい形で発酵し、美しい「華」を咲かせられたらとも願っています」 奥が深い”藍染め”という技術 ・そもそも、なぜ藍染め? ・藍が伊達市の特産品なのは知っているけど、 藍染めのことはよく知らない……。 ・草木染めのことでしょ? と思われる方も多いと思います。ここで藍染めについて少しだけご紹介します。 まずご紹介したいのは、藍の国内生産量について。第1位は徳島県、第2位が北海道です。そしてなんとその藍は全て伊達産!そして伊達では一件の農家のみが藍を栽培しています。つまり伊達市の農家・篠原一寿さんが、全国2位の生産量を栽培しているのです。 次に”藍”という植物について。藍は大昔から様々な用途に使われてきました。生葉を絞ったものはやけどや口内炎などに効果があり、葉を煎じたものは解熱や解毒に効果があると言われています。高い抗酸化作用や抗菌作用があることも分かっています。藍染めで染めた布は防臭効果、防虫効果、UVカット、保温保湿、燃えにくい(難燃性)といった特徴があり、昔から山や畑仕事の作業着に重宝されていたそうです。 特に奥が深いと感じさせるのは、染め方です。藍は水溶性では無いため、他の草木染めとは全く異なる染め方を要します。まず、藍の原料を作るためには藍の葉を摘み取り、乾燥させ、1週間に一度水打ちと切り返しを行います。これを100日間ほどかけると、藍の葉は発酵し、藍の原料「すくも」が出来上がります。 このすくもは水には溶けないので(不溶性)、広葉樹(カシ、ナラ等)の木を燃やし、灰にします。その灰を熱湯に入れ良く攪拌し、一晩寝かせて出来た灰汁に入れる事で、すくもにふくまれた有機物や微生物が徐々に溶け出し、発酵して液が出来上がります。染め液にするまでには、およそ1週間から2週間ほどかかります。 さらに染め液はとても繊細で、そのときの温度や環境、そこにいる人のエネルギーによっても染まり方が変わると言います。 「だからこそ奥が深く、おもしろいと思います。また、藍染めは、綿やシルク、麻などの天然素材との相性がいいのも特徴です」 クラファンには藍染め体験のリターンもあります。ぜひご自身の手で染めて、藍を体感してみては。日本の伝統工芸でもある藍染めを、自身で体験できるところは全国でも限られています。多くの体験者が、藍染めの奥深さと色の美しさに魅了されています。 藍染め液の中のような『温かい場所』を目指して 総面積が2500坪もある工房敷地。前の持ち主の方が手入れしていた庭が1200坪。景色を遮る高い建物が周りになく、空が広くて近くて、緑と季節の花に囲まれていて、気持ちがリフレッシュするような場所です。 「この場所を生かしてマルシェや子どもまつり、音楽フェスなどを開催。藍染めに興味がない人、藍染めを知らない人にも、イベントに参加してもらうことで藍染めについて知ってもらえたらと思って開催してきました」 今まで開催されてきたイベントには多くの人が訪れ、この場所の素晴らしさを知り、そして人と人が出会い・繋がっていきました。このクラファンを通してより多くの人々の想いが加わることで、さらに”温かい場所”となるでしょう。伊達市を盛り上げるスポットになること間違いなし。応援したい!と思われた方は、こちらから▼3/31まで!▼ 『藍染め工房と宿泊施設で地元と人々が繋がる「藍染めワンダーランド」を創ります!』 とにかく明るく、前向きでエネルギッシュで、藍と愛に溢れる金子夫妻。二人を応援したらご利益がありそうな雰囲気です。正式にオープンしたら、二人(+いっつもニコニコ愛娘みねちゃんの三人)に会いに、ぜひ工房を訪れてみてくださいね。 ※こちらの記事は一部クラファンページより引用・参照して作成しています。 (クラファンページ ライター:徳積ナマコ 様 / 一部写真借用) ____________________________________________________________ aizome-「I」 北海道伊達市で夫婦で活動する藍染め作家 地元で育つ天然藍で染めています。 1/15よりクラウドファンディングに挑戦。
misaki
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06/23(金) 「B5(シ)の声を絶対に出すんだ!!」 カッコつけないカッコ良さ 声楽家 加藤亮子の諦めない生き方
今回の主人公は加藤亮子さん。 声楽家としての軌跡を追いました。 お話を伺ったのはグランドピアノが置かれたご自宅でした。 窓辺にはウルトラマンがいました。 棚には亀さんたち。 大きな窓からは空と海と夕陽が見えました。 「ウルトラマンは子供の時から好きで、特にウルトラセブンが好きです。お話が今見ても深いんですよ。怪獣とかも何故地球を攻撃するのか?とか。人間同士の信頼を無くせば勝手に滅んでいく…とかね。」 ふむふむ…。 なるほど…。 「亀は何かゆっくり可愛い。水の中を気持ちよさそうに泳ぐ様子、卵を産むときの様子、陸亀の孤高感、なんとも言えないのですが好きなんです。」 物語のプロローグは音大受験失敗から 小さい頃から音楽好きだった亮子さんが大好きなテレビ番組は、『ミッチと歌おう』(放送1963~1965年)でした。 これは、アメリカNBCの人気ミュージカル・バラエティー番組をNHKで放送したものです。 指揮者のミッチ・ミラー率いる26名の男性コーラスグループで、「クワイ河マーチ」や映画「史上最大の作戦」のテーマソングは日本でも大ヒットをしたので、筆者も覚えています。 そしてもう一つの番組は、『アンディウィリアムスショー NHK』。 便利な時代です。 オンデマンドで視聴することができました。 今観ると、とってもオシャレで温かくて面白くてカッコいい。 https://www.youtube.com/watch?v=mFPID7igH1c なるほど〜。 ストンと来ました。 なんとなくオシャレでカッコいい亮子さんのルーツがわかった気がしました。 さて、小学生だった亮子さんの元にある日ピアノがやってきました。 なんと、酔った勢いでお父様がピアノを買ってきたと言うのですから驚きます。 そしてお母様の勧めでピアノを習い出したのでした。 音楽家への道の第一歩でした。 ピアノ科を目指していた頃 「ピアノは高校三年生まで習っていました。音大を目指していたのですが残念ながら落ちてしまいました。ピアノは決して嫌いではなかったのですが、人前で弾くのは本当に苦手でした。本番になるとアガってしまうんです。」 通っていたピアノの先生は、受験に失敗した亮子さんに遠藤道子先生を紹介しました。 「当時、遠藤先生は札幌ショパン協会会長をなさっていて、ピアノの先生としては3本の指に入る怖い方と有名でした。だから、受験のためとは言えもう怖くて怖くて…正直嫌々でした。」 通い出してみれば案の定怒られてばかり。 「私からしたら『あの人上手いな〜』と思う人でさえ、ものすごく怒られているのですから、本当に怖い…。」 そしてとうとう。 「あなたみたいな生徒は初めてです!!!」 と、言われてしまいます。 今までの生徒さんは、直線的にどんどん上手になっていくというのに、亮子さんの場合は波がありすぎる曲線だったらしく、とうとう先生は呆れてしまったのでした。 ところがその怖い先生は、何故かとても亮子さんを可愛がってくれました。 しかも亮子さん本人にはまったく自覚がない可愛がり方。 それというのも、他の生徒さんには見せないプライベートな一面を亮子さんには見せていたのだそうです。 それは、他の仲間が「信じられない!」と驚愕するエピソードでした。 きっと、怖い先生に対してもガードや壁を作らない、お茶目で素直でカッコつけない亮子さんが愉快で面白かったのだろうと、筆者は勝手に想像しています。 「けれどもレッスンはとにかく容赦無くて…。初めから『あなたはピアノが下手!基礎からやり直し!!』と言われ、ソルフェーズの指の基礎練習の猛特訓を受けていました。ところがある日、その勉強中にピアノではなく声を褒められたのです。なんと、『あなた、声は出るわね!声楽科に転科しなさい!』と勧められてしまったのです。」 ついに、亮子さんにとっての転機がやってきました。 声楽家としての門を叩くことになったのです。 声楽科への転向 短大ではカナダ人の先生に声楽を学び卒業をした亮子さん。 なぜか小学校教員の道を選びます。 「10年間、教員として勤めました。子どもたちから『先生っていつも歌ってるね♪』と言われていました。自覚はなかったんですけどね。そんなこんなで、あんなに頑張って学んだ声楽から20年くらいブランクがあり、気づいたら40歳を過ぎていました。」 声楽から遠ざかっていた亮子さんに再びスイッチを入れたのは、娘さんのピアノの先生でした。 それはちょっぴりお調子者(失礼…)の素質が見えるエピソードでして…。 ピアノではあんなに人前でアガってしまうのに、なぜが歌ではアガらないとい亮子さん。 「ちょっと歌ってみたら?」 とさり気なく誘われてイタリア歌曲をいきなり歌ってしまいました。 「超楽しい! まだイケるかも♪」 スイッチオン! そしてこんなことも。 誘われて、小さな教会でTUBEの曲をノリノリで歌いました。 「めっちゃ楽しい!!」 そう。 久しぶりに人前で歌ったことが着火剤となってしまったのです。 これらがきっかけで声楽家としての火が再燃。 やっぱり人の前で歌うことが本当に好きなのだと実感した瞬間でした。 そうこうするうちに自宅で歌を教える様になりました。 「声楽を学んだとは言え、20年以上もブランクがある中で、ただ歌うのが好きというだけで人様に教えるのは正直不安でいっぱいでした。自分はまだまだ下手だと思っていましたし指導法にも自信がありませんでした。もう一度学び直したい!と、教室を探したのですがなかなか見つからず…。諦めかけたころ、ようやく東園己先生と出会いました。55歳になっていました。」 歌は筋肉です!! ようやく素晴らしい先生と出会い、レッスンをしていただけることになり、いよいよ初レッスンという日、なんと亮子さんは雪まだ残る早春の道で事故を起こしました。 「中山峠へ向かう途中、車がドリフトして路外に飛び出してしまったんです。ところが、なんと細い木2本に支えられ、体は無傷でした。そして偶然通りかかった方にドアを開けていただき助かったのです。木に支えられたこと、偶然通りかかった方が助けてくれたこと、体も無傷だったことなど、運の良さを感じました。」 ハプニングからスタートしたレッスンでしたが、東先生との出会いも運が良かったとしか言えないエピソードがありました。 「最初のレッスンで言われたんです。『あなたは癖で歌っている』と。おまけに『その癖を直すには2〜3年は掛かる』とも言われました。そして、歌いやすくなるための “体の使い方” も徹底的に直されました。先生のレッスンはとてもわかりやすく、学生時代には理解できなかったことが30年経ってストンと腑に落ちました。もう必死で学びました。するとその効果あってか、直すのに2〜3年はかかると言われた歌い方の癖が1年で『直った』と言われました。嬉しかったです。」 体の使い方?とキョトンと驚く筆者に。 「歌は筋肉よ!!」と答えた亮子さんは、おもむろに筋トレ式発声法の仕方の一つを教えてくれました。 今年でレッスンに通い始めて14年になりますが、自分の発声に少しずつ自信が持てる様になった10年目の頃、亮子さんはある目標設定をしました。 それは〜。 「トスカの『歌に生き恋に生き』を歌いたい!!」 でした。 それにはB5(シ)の音が出せる様にならなければいけませんでした。 そしてそれは無謀とも言える挑戦でした。 ところが奇跡は起きました。 65歳になった亮子さんに奇跡の日がやってきました。 B5(シ)の音が出たのです。 それまで何度も口にしていた「私って怠け者だから。お尻に火がつかないとやらないの」という台詞の意味がわかりました。 亀さんのようにのんびりと構えながら。 本当の本気が出るまで力をためるタイプ。 まるでウルトラセブンがジュワッと変身する様に。 力むことなく。 カッコよく。 おしゃれ。 だから女性から見てもちろん、男性から見てもカッコよく映るのだと思います。 最後に次の目標を伺ってみました。 「二つあります。一つは死ぬまでにオペラのアリアをできるだけたくさん歌いたいということです。もう一つは完璧だとは思わないで常に高みを目指すということ。どちらも絶対に諦めたくないです。こんなもんだと思ったらだめだと思っているんです。」 いざという時にウルトラセブンになれるように。 亀の様に辛抱強く。 梅番茶で喉ケアをしながら。 今日も亮子さんは歌っています。 「声をかけていただければ、たとえ、たった一人のためでも、どこにでも行きますよ〜!」 声楽家 加藤亮子 情報 洞爺湖芸術館FB https://www.facebook.com/toyakomuseumofart 加藤亮子 FB https://www.facebook.com/ryoko.kato.9699 Instagram
Rietty
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07/15(月) 【あの人に会いに】"今” やってみる [田中イェイツ養子さん/豊浦]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.5 今回は、豊浦町の 『パン・菓子工房mem』 田中イェイツ養子(やすこ)さんです。 シュタイナー教育に惹かれ、豊浦町へ 養子さんは伊達市大滝のご出身で、ご実家は有機栽培の『アンパン&やんま農場』。大滝の大自然の中で育ち、高校はシュタイナー教育*を実践する『いずみの学校』へ進学しました。(当時はNPO法人、現在は高等専修学校。) 卒業後は国内外様々な場所で暮らしたのち、オーストラリア人の旦那様とご結婚され、出産。長女の成長を見守るうち、シュタイナー教育* が合うかもしれないと感じたことがきっかけとなり、豊浦町に移りました。 ご自身も通ったうえでお子さんの進学先にも選ばれたことは、母校への信頼を感じますが、当時はどのように体感されていたのでしょうか。 「一番記憶に残っているのは、先生方のこと。先生って子ども達のことをこんなに想ってくれているんだ!と。反抗期でトゲトゲしていた中学時代を経たというのもあると思うけど、”先生方って良い人なんだ”って気付けたというか……」 ちなみに、当時の先生方の多くが、今もいずみの学校にいらっしゃるそうです。 「授業もおもしろかった。覚えているのは、いろんな職業の人が来て、話を聞く授業。牧師さんとか、議員さんとか」。養子さんはいずみの学校の”第1期生”! 当時は高等部の保護者が毎春、校舎を作りに行っていたとか。さすがは『親と先生でつくる学校』ですね。 *シュタイナー教育とは……哲学者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した、個性の尊重を重視した教育法。子どもの心身の発達を7年間のまとまりとして捉え、それぞれの年齢に応じた環境を準備し、ふさわしい働きかけをする。芸術作業を取り入れていることや、15年の一貫教育や8年間同一担任などが特徴的で、子ども自身の中にある学ぼうとする意欲を引き出しながら、人間の『意志、感情、思考』をバランスよく育んでいく。ドイツを中心にヨーロッパやアメリカなど世界60カ国、1000校以上が実践し、約100年もの歴史がある。 子育て真っ最中の姉妹がつくる、パンとお菓子 工房にあるお庭からは、いつも子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきます。 『パン・菓子工房mem』は 養子(やすこ)さんとお姉さんの文(あや)さん、 子育て真っ最中の姉妹で営まれています。 養子さんは3歳~8歳の3児の母、 文さんは11歳~21歳の4児の母です。 養子さんが豊浦に移って来たタイミングで、先に豊浦に住んでいたお姉さんと一緒に何かしようか、と始まりました。元々趣味でパンを焼いては友人知人にふるまっていたところ評判が良く、「売れるよ!」と声をかけてもらっていたことも後押しとなりました。 起業という選択、全てが自分次第に パン・菓子工房を始める際に、夫婦で会社を立ち上げることを決意。2022年、34歳の頃でした。国内外を大移動され、様々な経験をされてきている養子さんですが、直近のターニングポイントはこの『起業』だそうです。 「それまでは雇われてきたけど、自営になると全部自分の責任になるから。誰にも何もなすりつけられないし……やるもやらないも自分次第」 当時はまだ赤ちゃんを抱えながらの起業でした。「思いたったら即行動してるかな、後回しにしたら後悔するから」。起業の準備期間が子ども達の入園・入学と重なってしまったそうですが、それでも「子どもを言い訳にしない、絶対やればできると思っていて」と言う養子さんは乗り切りました。 「はじめた頃は(パンをつくるのも)子どもが寝たタイミングで!みたいな感じだった」。現在も、3歳の末っ子がいつも一緒です。 天然酵母でつくるパン memさんのパンは自家製の天然酵母でつくられています。イーストではなく、植物や果物からおこした酵母がパンを膨らませてくれます。 「カフェで働いていたときはイーストで作っていたけど、酵母がおもしろくて。その辺に生えているもの、庭のミントやオレガノなどから酵母がおこせるのが面白い!」 酵母の起こし方は、密閉容器に水と果物や植物を入れ、温度管理をして見守るだけ、といたってシンプル。ですが、酵母は生きていて、奥が深いのです。 「面倒を見れば見るほど元気になったり、でもいじりすぎてもダメだったり……。常に気にかける」。家を空ける時は一緒に連れて行ったりもするそうです! memさんのパンを手にとられた際には、ぜひ手塩にかけられた酵母たちにも想いを馳せてみてください。 今後の展望をお聞きすると、「工房での対面販売をオープンしたい!」とのこと。 現在の対面販売は、事前予約制の定期販売のみ。曜日が決まっているので、気になる方はお電話にてお問い合わせください。 【パン・菓子工房 mem】 北海道虻田郡豊浦町船見町127-13 お問い合わせはお電話にて:0142-82-7739 <<委託販売先>> ・天然豊浦温泉しおさい(豊浦町浜町109) :金曜日PM ・天花地星(伊達市末永町58−1) :火曜日PM ※ 日時は変更することがあります。 <<週末イベントに出店することも!>> インスタグラムで都度お知らせしていますので、 ぜひフォローしてチェックしてください。 ↓ ↓
misaki
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