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[2011.01.24]
引っ越しの話である。 
私の最初の引っ越しは大田区雪谷から小金井町であった。 
その時の私はまだ幼稚園に入る前だったので、記憶にない。 
 
2回目は同じ小金井の中での引っ越しである。 
オヤジが工場を経営していたので、そこから少し奥に行った広い場所に移った。 
私は小学3年生だったので、学区外だが元の小学校に通っていた。 
 
私の書斎兼寝室 (7.5畳) 
[2011.01.21]
テレビのニュースを見ていたら、『若者の専売特許と思っていたゲームセンターに、最近はシニアのお客が増えている』と放送していた。 
そして、ゲーム機メーカーの人が、『これからはシニア層が重要なお客さんとなる』と言っていた。 
 
『本当かな?、あんなに騒音がうるさい場所に年寄りが行くかなー?』というのが、私がすぐに思ったことだった。 
そのニュースを見ていた女房が、『私も行ってみたい』と言ったので驚いた。 
 
ショッピング・モール 
[2011.01.20]
現役の時は、『早く仕事を辞めたいなー』と思っていた。 
会社はあまり儲からず、取引先からは言われ放題だし、バブルの時も金融とか不動産とは関係無かったので、恩恵は無かった。 
 
それなのに、バブル崩壊の影響だけは受けてしまうという間の悪さで、ホトホト嫌になり、私は早く引退したいと思っていたのである。 
そしてようやく引退出来て、今年で8年目となった。 
 
午後5時の新宿ビジネス街 
[2011.01.19]
遂にJR中央線の全駅を徒歩で征服した。 
東京駅から高尾駅まではJRの線路の長さで54キロである。駅の数は29駅で、所要時間は特別快速に乗れば62分で着く。 
 
この企画は私にとっては最高に良かった。 
お金はかからないが、時間がかかる。 
これが引退オヤジには最高の企画なのである。 
 
高尾山のシンボル カラス天狗 
[2011.01.18]
消防の出初式を見たのはいつのことだったろうか? 
子供の頃に見て以来、出初式には全く興味が無かった。 
その大きな理由は、「真冬の酷寒の中で水を撒く」という行事は、いかにも寒そうだからだ。 
 
それが突然、見に行こうという気になったのは、伊達市と大いに関係がある。 
 
くす玉が割れて式典が始まる 
[2011.01.17]
昔の日本には「老いては子に従え」という諺があった。 
年をとり、体力、気力、知力ともに衰えて来た時には、子供の言うことに従った方が良いという意味だと思う。 
 
これは日本人の寿命が短い時代の諺で、今は違う。・・・と思う。 
 
今の時代は核家族化して子供と一緒に住む人も少なくなってしまったし、一緒に住んでいる場合でも定職が無かったりフリーターであったり、場合によると引き籠っている。 
 
羅漢は見ないふり 
[2011.01.14]
1月6日のお昼ご飯を食べていたら、携帯電話が鳴った。 
画面を見ると、伊達市の長老のKさんからだった。 
多分、年始の挨拶だろうと思ったら、『いまテレビで小金井が出ていますよ』と、ビックリするようなことを言う。 
 
小金井がテレビに出るのは、中央線の高架工事による「開かずの踏切」くらいのものだ。 
その工事も完了し、電車が高架を走るようになって、もう小金井は世間の感心事から去ったと思っていた。 
 
小金井公園入口 
[2011.01.13]
伊達市の農家のオヤジの菅原さんからメールが来た。 
昨年も販売をした「お伊っ達パック」の2011年版が出来たという連絡である。 
 
なにしろ農作物の生産以外はやったことのない農家のオヤジとオカミサンが商売をしようというのだから、大変な挑戦であった。 
 
私も昨年は友人達への販売で協力したが、不慣れな農家のせいで随分と大変な思いをしたものである。 
 
2011年版 お伊っ達パック 
[2011.01.12]
西八王子駅から、また甲州街道に出る。 
この辺りは銀杏並木で有名である。 
数キロに及ぶ銀杏並木は、紅葉した時は見ものである。 
 
まだ紅葉には少し早かったが(10月18日)、銀杏の実がなっている。風が吹くと、銀杏の実が空から降って来る。 
それをオバサンが拾っている。 
 
甲州街道の銀杏並木 
[2011.01.11]
昨年の12月に元バスボーイの忘年会を開いたことは、以前に「昼間から忘年会」というタイトルで書いたことがある。 
 
その時にAさんから、『ベトナムで仕事を考えているので、橋本が特別顧問をしている会社を紹介して欲しい』という話があった。 
そこである日の午前中に、ベトナム人社長のSさんと待ち合わせてAさんの会社を訪ねた。 
 
新宿三井ビル(ロビーから外を見る) 
プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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