
ホテルマンの幸せ
たくさんの再会…♪
おはようございます♪
ここ数日間でたくさんの再会がありました。
偶然の再会が重なったのです。
ホテルでアルバイトしてくれていたOB達との再会です。
先日開催した『We are the World鑑賞会』に参加してくれたメンバー達もOBの人達が数人おりました♪
偶然にも…
琴さん
あや音さん
知子さん
松尾彩香さん
葉っぱフミフミくん
玉谷sakiさん
捺央さん
綾子さん
ユッキーナさん
Yokoチルドレンさん
児玉香織さん
……まだいたような?
みんな再会のタイミングは色々でした♪
東京から帰ってきて会いに来てくれたYokoチルドレンさんや札幌から帰って来て会いに来てくれた知子さん♪
差し入れを持って来てくれたあや音さんやユッキーナちゃん♪
僕の提案に男気溢れる反応を示してくれた葉っぱフミフミくん…♪
色んな報告をしに来てくれた彩香さん♪
みんな色々な再会でした。
嬉しい報告も悲しい報告も色々です…。
本日も札幌から1人来てくれるそうです♪
この他にも那須にいる後輩や札幌にいるOB達からも連絡があったのです。
ここ数日間でこれだけのOBの仲間達との再会は何か意味があるのかも知れませんね…


これからの人生ではどんな出会いや別れが訪れるのでしょうかね…?
以前、井上さんというウインザーホテル洞爺時代の先輩にも大変お世話になっておりました。
そんな井上さんにいつもありがとうございます!!とお礼している時に『そう思ってくれるなら磯辺は自分より若い人に同じようにしてくれれば俺はそれでいい♪』と教えてくれました。
まさにその理論に納得です!
これからもその井上さんからの教えを実践出来る人間を目指してこれからの再会を楽しみにしていきたいと思います♪

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「地域の皆様の健康を食で守りたい!」 〜北海道伊達市食生活改善協議会会長 岡村香奈氏が目指すこと
胸元のブローチをご覧ください。 もしかしたら、岡村香奈会長という呼び名よりもilo(Beads Jewel)の香奈さんと表現する方が馴染みがあるかもしれません。 でも今回は、敢えて北海道伊達市食生活改善協議会の新会長としての岡村香奈さんにフォーカスをしました。 〜食育アドバイザーを目指したきっかけ〜 岡村さんが食育アドバイザー(一般財団法人 日本食生活協会)の資格を取得したのは、平成25年に「考える栄養教室」という講座受講によるものでした。その後は、平成26年4月より食生活改善推進員として在籍し現在に至りますので、かれこれ10年間活動を続けて来られたことになります。 食生活改善協議会という名前はあまり耳慣れないものですが、実は歴史は古く、元々は戦後の食糧難の時代、国民の健康をサポートするために立ち上がった協議会なのだそうです。 団体の活動としては、「市民の健康を食で守りたい」という想いで集まった人たちのボランティアです。 全盛期は100名をこえていたこともあった会員数も、2024年4月16日付で男女合わせて会員数27名と小さな所帯。 平均年齢は66.7歳、最年長は83歳、最年少は岡村会長で47歳。 この会もライフスタイルの変化、高齢化に伴い、年々会員が減っている状況だそうです。 「岡村さんが、食育アドバイザーを目指したきっかけを教えていただけますか?」 「中、高校生くらいからずっと婦人科系の異変を感じていたのですが、鎮痛剤などで凌ぐ期間を長く過ごしていました。社会人になっても、常に体調を気にしながら生活をしていたので、いつも不定愁訴がまとわりついているような状態でした。 運動が大好きなだったので、中学では運動部に所属していたのですが、体調がいつも思わしくないので、周りが楽しそうにスポーツをしたり、留学したり、旅行したりしているのを見聞きしても、“自分はいつ体調が悪くなるかわからない”という不安から、行動は常に消極的でした。大人になり、結婚を機に伊達に移住したのですが、伊達に来てすぐは、ペーパードライバーでしたのであまり出歩くこともせず、友達もおらず、夫への食事を作ることが楽しみという生活がしばらく続きました。外へ出て働くということにもなかなか踏み切れないまま、家で過ごす日々。そんなある日、道の駅に行くと、ピンクのエプロンを着用した母親くらいの年齢の方達がお料理のデモンストレーションをして試食を配っていました。テーマは水菜。振る舞われていたのは、水菜の蒸しパンとスムージーでした。それがとてもおいしかったのです!! 水菜がこんなお料理になるのだという感動。そして、そのデモンストレーションをされていた皆さんはとても輝いていました。“私もこの方達の中に入って、お料理を覚えたい!” と思ったのがきっかけでした」。 この時はまだ、「この方達の仲間になりたい!こんなお料理ができるようになりたい!」という、純粋に自分のためという入り口だった岡村さんでしたが、活動を続けるうち、徐々にそれだけではない大切なこと、新たな目的意識が芽生えていきます。 〜食育アドバイザーとしての役割とは〜 会員同士が健康であるために学ぶということが第一目的の会ではありますが、相互に学んだことを伊達市民の皆さまにも還元し、食を通した健康のお手伝いをすることを役割とされています。そしてそれらは全てボランティア活動として行なっていらっしゃるのです。 「ところで、会長の役割と会の具体的な活動内容を教えていただけますか?」 「会長は、会の統括役です。北海道食生活改善推進員協議会からの連絡を担ったり、時には外部との連絡役を担ったり、また伊達市健康づくり推進協議会の会議に参加などをしています。会の活動としては、『私たちの健康は私たちの手で』という日本全国の食改さんたちが同じスローガンを掲げて様々な活動をしています。伊達市では、保健センターを拠点に年5回の例会で、会員相互に考えたレシピで調理をしたり、テーマを決めて勉強会などもしています。また、市民参加の例会もあります。例えば、雪印メグミルクより講師をお招きして、チーズについて学んだこともありました。 それと何よりも、伊達は野菜が最高に美味しいので、会では伊達野菜を食べることを推奨しているため、圃場見学研修なども行いました。 そのほか、伊達市保健センター、食育センターなどを使用し、依頼があった団体の方たちと一緒に調理実習をしたり、「子育て支援センターえがお」・「伊達開来高校」の栄養学の授業に講師として伺ったり、子宮がん乳がん検診時にBMI測定や健康的な食事の提案、または野菜についての情報提供などもしています。 そうそう!コロナ禍で活動が制限されたことをきっかけに始めた『食改さんおすすめレシピ』という手軽なレシピも年5回発行しているのですが、現在20号まで発行されておりとても好評です。(R6年度は21号からスタートします」。 「なるほど…。活動は多岐に渡っていますね。とても重要な活動をされていらっしゃいますが、全てがボランティアなのですか・・・」。 「はい。戦後の創設当初からそうなのです」。 ここまで素晴らしい活動をされているお話を伺うと、もう本当に頭が下がるばかりです。 戦後80年も経っているのですし、完全ボランティアでなく、そろそろ方針を変えてもよいのではないかと思うのは間違っているのかな・・・? 会員さんの時間の無償提供に、国も地方自治体もいつまでも甘えていてよいのかな? そんな悶々とした疑問が湧いてきてしまった筆者です。 〜一番大変だと思うこと・やっていて良かったと思うこと〜 「私自身にとっては、何より、年齢問わずいろんな方と関わらせて頂いたことで、人とのコミュニケーションの大切さを改めて知ったことが大きな収穫でした。 それに、お料理をしたあと、「楽しかった!おいしかった!やってみるね!」など参加者から自然と出る言葉や姿を見ていると、とても幸せな気持ちになり、達成感に満ち溢れます」。 あ…こういうところですね。 きっと。 他人の喜びを自分の喜びに変換できるところが、岡村さんはじめ会員の皆様の素晴らしいところなのだと納得しました。 「大変だと思うことは、会員の皆様の自分自身の仕事とボランティアの配分です。会の団体名からよく間違われるのですが、私たちは伊達市の職員ではありません。完全な無償ボランティア団体なのでお給料もありません。 特に子育て世代は働いている方も多く、仕事を休んで活動するというのはなかなか難しいのが現状です。例えば栄養教室があるときは、レシピを考え、担当者を決め、打ち合わせをし、前日に買い物に行き、当日は参加者より早く行って下準備し、終わったあとは綺麗に片付けます。皆んなへとへとになります。高齢になればなるほどそれはより感じるはず。このように、忙しすぎる活動は実は会員が減る原因にもなっています。ですので、会の活動が持続可能であるために、私が会長になってからは、ボランティアの活動は月3回くらいまでと取り決めをしました」。 〜モチベーションの維持について〜 「やはり、皆様とても大変な想いをされながら活動をされていらっしゃるのですね。ボランティアと仕事の配分に悩む中、モチベーションの維持はどこにも求めていらっしゃるのでしょうか?」 「はい。会の仲間同士や参加者の皆様との異年齢との交流、またお友達でも家族でも職場の仲間でもない仲間との交流ができることはとてもとても貴重なことだと思っています。プラスして、家族や自分の健康の維持にも役立っていますし。例えば我が家の娘は「伊達野菜が美味しい!」というように素材の味がわかるようになってくれました。これはとても嬉しいことです。 ちなみに、娘の弁当は栄養バランスを考慮したおかずを詰め、16雑穀米、化学的ではないふりかけなどを入れています。そのお陰か常に快便で、思春期ですがニキビ・肌荒れとは無縁のようです。こういう効果は母親として大変嬉しいことですし、活動への意欲にも繋がります。活動を始めて以来、特に家族を見ていても、自分自身でも医食同源を実感しています。そして何よりも自分の活動を一番に理解してくれる人がそばにいるという安心感は、モチベーションの維持に繋がっています。それに私、今まで辞めたいと思ったことはないのです。食育講座に「来て良かった!」「こんな料理の仕方があるんだ!」というような感想を聞くことも大きな励みになっているのですよ」。 このようなお話を伺い、ご自分の立ち位置と、ワークライフシナジーを考えた岡村さんの姿勢に大いに納得した筆者でした。 〜10年活動してきて気づいた課題・活動を通して伝えたいこと〜 「食育アドバイザーとして10年の節目に会長になられたわけですが、活動の中で見えてきた課題はありますか?また、その課題の解決に向けて今後どんな取り組みを考えていらっしゃいますか?また、市民の皆様にはどんなことを伝えていきたいですか?」 「食事に気をつけている方はとことん突き詰めている方が多く、一方で全く気にしていない方も多いのが現状です。多くの方は、おそらくは健康診断に引っかかったり、何らかの身体への異常を感じたり、周りにそのような方がいない限り、おいしいもの、食べたいものを好きな時に好きなだけ食べるのが一般的かと思います。そんな中、私たちにできることは、“こういうこともありますよ〜”と、地区栄養教室や検診時サポート、学校などで種まきをしてくることなのではないかと思っています。もっとも、私だって、いつも健康的な食事をしている訳ではありません。とにかく美味しいものが好きですし、流行りものにもすぐ食いついてしまいます。夫に「癒し系じゃなくて、いやしい系だよね。」と昔言われてしまったほど笑。ですから、±0にするくらいの気持ちでやっています。なんて、会長が言ってしまったらダメなのかな・・・。でも、敷居を低くして、みんなで健康について考えるきっかけを作りたいと思っています。どのくらい芽が出るか、興味を持っていただけるかは分かりませんが、種を蒔かなければ何も始まらないので、地道かもしれませんが、微力ながら、活動をしていきたいと思っています。そして、その上で会員数を増やしたいと思っています。 広報でも案内されますが、「考える栄養教室」という2年に一回開かれている講座を一定時間受講し、食生活改善協議会にご入会いただき是非仲間になっていただきたいです。その講座が今年の秋に開催されます」。 「活動を通して伝えたいこととしては、せっかく素材が豊富なところに住んでいるのだから、産物を体に必要な十分な量を調理法を工夫して美味しく食べて欲しいと思っています。がんじがらめに“ねばならぬ”ではなく、ちょっとした心がけで健康に結びつくということを伝え続けたいです」。 〜今までの自分・今の自分・そしてこれからの自分〜 「今まで10年間の食育アドバイザーのボランティア活動を通して岡村香奈個人として得たこと、これからの自分に生かしていきたいことはありますか?」 「数えきれないくらいあります。まず、食改には娘が幼稚園のときに入りましたので、娘も食に対する意識が高くなり、ボランティア活動に対する興味も自然と身についていました。ある日、落ちていたビニール袋いっぱいにゴミを拾って帰ってきたことがあったのです。手袋もせずに落ちているものを触るということに正直不安もありましたが、食改に入っていてよかったなと思った瞬間でした。 それから婦人科疾患については手術をして根治したものの、年齢的にも気をつけなければいけない数値が色々ありますので、食事のコントロールで維持しています。食物系に対してこんなに興味が湧くとは思っていませんでしたが、体調不良や病気を経験し、きっとこうなるべく道だったのだと思っています」。 「これからのワークライフシナジーとしては、正直行き当たりばったり人間なので、目の前にあることをできる時に100%でやるって感じでこれからもやって行くのではないかと思っています。対価をいただく仕事としてのアクセサリーの制作は、制作意欲にもなりますし、食改においては、私が年間予定を決めるまでもなく、先に埋まってくるので、そこを調節する感じかな?そして、食改はあくまでもボランティア活動なので、あまり忙しくせず、どなたが入っても自分のペースで活動ができるということを、私自身が身をもって示していきたいと思っています。 仕事もボランティアも一人でできることではなくて、こうして好きなようにさせてくれている夫や娘を含み家族には、常に感謝の気持ちでいっぱいです」。 「では最後に改めて、会長としての抱負をお話しいただけますか?」 「とにかく、皆が仲良く楽しく活動できるように取り計らっていきたいです。会を通じて知り合うはずのない人と知り合える機会をいただきますので、多様な背景の人や、多様な年齢の人との交流を大切にしながら、食の大切さを共有し、会員全員が「やってて良かったね」と思えて、相互に学んだことを市民に還元できるような会にしていきたいと考えています。そして、もっと仲間を増やしていきたいです!」 決して気負うことなく、自然体で淡々と目の前の課題に取り組む姿はまさに会長の風格でした。 医食同源を身をもって伝えている会の活動に敬意を表すと同時に、岡村会長の想いが市民の皆様に届くことを願います。 北海道伊達市食生活改善協議会についての情報 連絡先 https://lollubas.dcpc.jp/post-558/ イベント情報 7/19伊達野菜についての講和 9/6メグミルクの方によるヨーグルトについての講和
Rietty
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ここでしか食べられない「ホタテの噴火焼き」?!活きの良いホタテの秘密 [すいしゃ / 豊浦]
釣って、焼いて、食べられる!新たな「すいしゃ」 <今シーズンの営業は終了しました> ~春・夏もイベント開催予定、続報を待ちましょう~ 2022年春に惜しまれながらも閉店した、豊浦町のカフェ兼地場産物販売加工施設「すいしゃ」が、この冬リニューアルオープン!ホタテの直売、さらにホタテ釣り体験やホタテの噴火焼きが楽しめるお店となり、話題を呼んでいます。 すいしゃ店長 ”のむちゃん” こと、噴火湾とようら観光協会の野村さんにお話を伺いました。 豊浦町で開催されている ”世界” 大会 店内に入ってみると、「♪ ホタテホタテホタテ~♪」頭から離れなくなるBGMが聞こえてきます。豊浦町民にはおなじみ、「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」テーマソングです。新すいしゃのメインコンテンツは、「ホタテの釣り堀」なんです。 「TOYOURA世界ホタテ釣り選手権大会」とは、毎年3月に開催されている豊浦町の一大イベント。豊浦町の基幹産業である水産業の中でも一番の水揚高を誇るのがホタテ。このホタテを活用し、公式ルールを設定して競技化、”世界”大会として開催しています。 ホタテ釣りのルールは簡単。水槽の中の口の開いたホタテに、釣り糸を垂らして専用仕掛けを入れ、口が閉じた瞬間に釣り上げます。1ラウンド3分間で、釣った枚数が多い方が勝利。 その人気は簡単には本選に出場できないほどで、まさに選手権大会!64名の本戦出場枠を目指して、全国各地から挑戦者が集まり、予選から白熱します。 すいしゃでは、このホタテ釣りを誰でも気軽に体験できるんです!「ホタテの釣り堀」は、なんと3分1,000円で釣り放題!さらに万が一釣れなくても”3枚保証”付きなので安心です。 取材に伺った日は、小学生やもっと小さい子もチャレンジしていました。大人もやり始めると段々熱が入り大盛り上がり。北海道を車で旅しているという長野県からのお客様もいらっしゃり、スタッフかのようにノリノリで撮影に応じてくださいました。ありがとうございました! ”活きが良いホタテ” の秘密 「実は、『ホタテ釣り』に使うホタテは、どのホタテでも良いわけではないんです」 「ホタテ釣り」は仕掛けに食いついてもらわなければ釣れないため、ホタテの”活きの良さ”が重要。なるべくホタテにストレス・ダメージを与えず、弱らせずに出荷することが求められます。そのため、付着物を手作業で落とし、さらに特別な機械で優しく汚れを落としているという、北海スキャロップさんのホタテのみ使用しているそうです。釣り堀の中には、海水を循環装置でろ過し酸素を送るポンプも設置され、ホタテの鮮度は抜群です。 ホタテの一番美味しい食べ方?!新名物「噴火焼き」 「『噴火焼き』は、伊達の石材屋さんで特注した 溶岩プレート を使っています!」 有珠山周辺で採掘した天然の溶岩で作られた石のプレートの上にホタテを並べ、金物のバケツ缶をかぶせてセット。数分すると、缶の上部から蒸気がもくもく!これが新名物「噴火焼き」です。「蒸気が出る穴は自分で開けていて、噴火っぽくなるように、穴の大きさ、個数、位置など何度も試しました」 点火してから約10分、店員さんが缶を開けに来てくれます。オープンの瞬間は蒸気がぶわ~っと。 生と焼きの間のようになる、ちょうど良い加減の蒸し焼き。溶岩プレートの遠赤外線効果でふっくらジューシーに仕上がります。あらゆるホタテを食べてきた地元民たちも唸る美味しさ。そのままでも十分濃厚な味わいですが、醤油やトッピング(別売)のバターもあり、その相性は言うまでもありません!現在すいしゃのメニューはこちらのホタテのみなのですが、とても大ぶりなので、ホタテだけでも満足度が高いと評判です。 もちろん、ホタテ釣りをせずに「ホタテを食べるだけ」や「ホタテを持ち帰り」も可能です。ホタテの発送も受け付けています。また、店内にはホタテの加工品がずらり。ちょっとしたギフトに良いですね。 3月いっぱいで「すいしゃ」は一度クローズとなりますが、豊浦町はホタテの次はいちごの季節。春・夏も「すいしゃ」でのイベントを企画中とのこと。続報を待ちましょう! まずは残り三日の営業日、ホタテを存分に味わいに、足を運んでみてくださいね。楽しい店長に会えますよ~! すいしゃ【期間限定オープン!】 ホタテ釣りを楽しんで新鮮なホタテをその場で焼いて食べよう! 【2025年残りの営業日】 ●3月22日(土) ●3月26日(水) ●3月29日(土) 11:00~15:00(ラストオーダー14:00) https://toyoura-feel.com/stay/suisya/ ちなみに…… 店内の白い壁は漆喰塗り、この漆喰は豊浦町の”ホタテ漆喰”なんです!ホタテの殻を再利用した漆喰は、調湿・空気清浄など様々な効果などがあると言われています。ご来店の際は美しい”壁”にもご注目ください!
misaki
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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