
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
中南米・洞爺湖有珠山地域交流フォーラム
中南米・洞爺湖有珠山地域交流フォーラムに参加しました{%笑いwebry%}平成22年度JICA「中南米地域火山防災研修」の一環で、会場は洞爺観光ホテルでした。
平成22年度JICA「中南米地域火山防災研修」として有珠山噴火10周年・明治噴火100周年記念イベントでした。JICAとは独立行政法人国際協力機構です。理事長は、あの有名な緒方貞子さんです。
昨日のプログラムは、講演1)三松三朗氏(三松正夫記念館館長) 講演2)コロンビア共和国JICA研修員Mr.Jorg Armando BUELVAS FARFAN さん 講演3)エクアドル共和国JICA研修員Mr.Jose Marcelo ZARATE ENCALADAさん 講演4)大島弘光氏(北海道大学大学院理学研究員 准教授)でした。
コロンビア共和国、エクアドル共和国の研修員の講演は、スペイン語でした。通訳さん頑張ってました。三松氏、大島准教授のご講話は、勉強になりました。NPO法人環境防災総合政策研究機構のバックアップでのフォーラムでしたが、自然災害と共に生きるコロンビア共和国、エクアドル共和国の防災の取り組みは大変勇気づけられました。リードタイム(発生から災害に至までの時間)を意識し、避難等の防災行動を迅速かつ的確にとることが必要不可欠であるとのことでした。
また、大島准教授の言葉で印象的だったのは、「砂防ダムに囲まれた洞爺湖温泉街は、どんどん登別温泉と格差がひろがっている。将来的な防災として月浦方面に温泉街を移動させていくことも大事だ。」との言葉が印象的でした。また、旧虻田町(洞爺湖町)の町史にも触れ、「月浦地区に第二の洞爺温泉街をという構想も古くからあり、かっては西丸山に集中した温泉街が、今は温泉町一帯から、壮瞥温泉に版図を広げているが観光地としての洞爺は今後益々外延に向かって伸びていく必要があり、月浦だけでなく、むしろ洞爺湖全円を包含する大観光地とする位の構想があっていい。」という記述がすでにあり、参考にすべきだとのご指摘は考えさせられました。
旧虻田町の町史第5巻を斜め読みしていますが、当時の虻田町町長岡村正吉氏の「マチづくりと観光」の一文を記します。「われわれはふるさとの後世へ、何を最大の遺産として残すべきであるかを、つねづね考えておかなければならい。役場や、公民館の建物などは、高々30年50年程度の消耗品にすぎない。目下のところ、町政の執行や町民の集会や研修などに不都合がなければいいのである。最大の遺産は、永遠なるもの、自然環境と人間の内なるもの、精神連帯とマチづくりの歴史そのものではないだろうか。中略、、観光とは何か、何か良い観光方策はないかということであるが、観光とは、つまりは、自分のマチのありのままの姿、素顔を、この町の住民以外の人々に見てもらうということなのであろう。より多くの人々に、このマチに来てもらう、またこのマチに愛着を持ち、宿泊、逗留してもらう即効薬などは、ありはしないだろう。マチづくりは心づくりであるように、そのようなことも来訪者の心の問題、人間的な感動の問題だからである。中略、、、真に感動を呼ぶものは、ここに住む人々の、取り繕ったよそゆきの顔ではなく、そこに日々真剣に生きている本当の人間の生活そのものではあるまいか。われわれは普段着のままの姿にふれてもらえればいいのである。中略、、、まじめにマチづくりに努力すること、そして旅行者、来訪者になるべくお金をかけさせないようにつとめ、真心を持って送迎するようなマチづくり、そしてそれに感動してまず純心な若者たちがあふれるような観光地づくりに、われわれは、まず努力すべきではなかろうか。真の意味のマチづくり、それは、長い長い地道な努力のつみかさねによってのみ、はじめて出来上がってゆくものと思われてならないのである。」昭和57年9月北海道開発問題研究調査会発行「21世紀の街づくり」の引用でした。
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
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06/14(火) 愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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