明るく元気な町づくり 洞爺湖町
火山マイスター合格!
洞爺湖有珠火山マイスター認定審査に合格!将来の有珠火山災害を軽減する知恵などに活かします。
こんばんは。しもみち英明です。
洞爺湖有珠火山マイスター認定審査に三年越しで合格。
火山マイスター講座の座学、フィールド学習など平成23年度から参加し、認定審査を受けました。
77年遺構公園
フィールド審査では、12地点からくじ引きで解説地点を選び審査を受けました。
9番目の番号を引き当て、昭和新山山麓の地点での解説。そう言えば、議会の議席番号も9番でした。
有珠山の主治医である岡田弘氏(北大名誉教授)、宇井忠英氏(北大名誉教授)、三松三朗氏(三松正夫記念館館長)、小川裕司氏(洞爺湖ガイドセンター代表)、星洋昭氏(有珠火山防災会議協議会事務局委員)が審査委員。
フィールド審査・面接審査は、緊張の連続でした。
認定審査には合格しました。しかし、これはスタートラインに立ったばかりです。
火山マイスターを目指した初心を忘れず、実践で火山と共生する大地と向き合います。
書類審査でレポート提出した文章の一部を掲載し、これからの自戒といたします。
「4年前、30年ぶりに故郷の洞爺湖に居を移し有珠山の立ち入り禁止区域に登山する機会を得ました。
有珠山山頂から望む温泉街はあまりにも近く驚きと同時に温泉街の住民と有珠山が共生している現状を再認識しました。
有珠山の活動は、観光、農業、漁業を基盤にするこの地域の人々の生業に多大な影響を与えます。
自然災害に対する「危機管理」と「リスク管理」の重要性を感じます。「危機管理」が生命、財産に関わる重大事故と捉えるならば、「リスク管理」は、ある程度予測可能な事象に対する備えだと考えます。
「リスク管理」が防災対策から減災対策としての意識変革が地域住民を守る道標だと思います。
「危機管理」、「リスク管理」において行政機関への過度な期待はできません。
行政機関は、さまざまな危機、リスクへの対応が求められていますが、基本的にはリスク管理に対して脆弱です。
なぜなら、行政の基本は、継続性、文書主義、先例重視、画一性や形式が優先します。災害が発生した際には、通常のルールを重んじ臨機応変な対応が難しい。危機管理は、行政職員には不慣れで困難な仕事になり得ます。
災害時においては、行政、地域住民、専門家が三位一体になり対応することがもっとも有効だと考えます。
地域住民が少しでも火山活動の知識を習得し、過去に起きた経験を後生に伝えることができる仕組み作りに着手しなければなりません。残念ながら地域の皆さんにはくるべき次の噴火に備える意識が薄いように感じます。
火山マイスターの知識、経験を活かしながら地域住民への減災対策の備えを喚起できる一人となりたいです。」
“ 天災は忘れた頃にやってくる ” 火山と共生する大地に住む一人として、リーダーの一人として頑張ります。
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
- ジャンル
- 政治・ビジネス
- アクセス総数
- 76,543回
ハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
06/29(木) TOYAKOマンガアニメフェスタ2023
-
11/04(土) 東京あぶた・とうや湖会
イベント
-
12/08(日) 09:40~17:00
「LAST HOPE」の映画
- 開催場所
-
室蘭市市民会館・だて歴史の杜カルチャーセンター
-
12/14(土) 20:00~23:55
年忘れディスコパーティー(PPSディスコパーティーVOL.3)
- 開催場所
-
室蘭市中島町5番街ビル2階(PPS)
「ブログ」カテゴリーのおすすめ記事
-
心の伊達市民 第一号
01 -
2024/08/28(水) 痛みからの解放とその後のガックシ
ホテルマンの幸せ
0 -
2024/08/17(土) 本日のメインは国産豚肩ロースのトンテキです!
観月旅館
0 -
2024/11/13(水) 親友と出雲大社と(1)
-
2024/07/03(水) えきねっと、とか・・
-
ホテルマンの幸せ
0
ブログに関する
特集記事
-
11/20(土) 「あなたのまま とっぽとっぽと歩きましょ」作品が語りかける『陶っ歩や』の世界。
伊達市稀府町で陶芸教室を営む『陶っ歩や』さんを訪ねました。 お話を伺ったのは、主宰の木村友子さんです。 大きな目で真っ直ぐに相手を見つめながら、優しく話される友子さんは旭川のご出身。 旦那様のお仕事の関係で転勤を何度か繰り返し、気に入った伊達に移住されました。 「今まで、ピンチや転機の時、いつも周りの方が助けてくださいました。」 そう話す友子さんは、いくつかのエピソードを話し始めました。 長和にある旦那様の会社の社宅に住んでいた時のこと。 厚真町に住んでいた時の陶芸との出会いのこと。 稀府に家を建てた時のこと。 窯が自宅にやってきた時のこと。 陶芸教室の第一歩。 陶芸教室の第二段階、そして今。 作品販売へのきっかけ。 などなど。 感心することに、それらのお話しに苦労話は一つもなく、ましてや自慢話もなく、何事にも心からの感謝を込めてお話をされる友子さんを見ていると、これらのエピソードは全て人徳によるものに違いないと感じるのでした。 出会った方をとても大切になさる友子さんだからこそ、きっと周りの方が放ってはおかないのでしょう。 2003年より始めた陶芸教室には、現在生徒さんが23名いらっしゃるそうです。 ちょうど取材にお伺いした時もお教室の日でした。 ↑玄関からお教室に続く可愛らしい足跡♡ 様々なところで友子さんの優しい配慮があります。 それぞれに思い思いの作品を作る生徒さんたち。 和気藹々と本当に楽しそう。 この日はいらっしゃいませんでしたが、男性の生徒さんもいらっしゃるそうです。 現在、ご自宅の陶芸教室以外にも市内の星の丘中学校で年に一度、また、長生大学、カルチャーセンタでの「大人の粘土遊び」などの出張教室を行っていらっしゃいます。 「陶芸は、まだ形のないところから土を捏ねると始まります。粘土遊びを通して " 作者みんなが主役で、失敗なんてなくて、何を作ってもよくて、みんなで一緒の時間を過ごせて良かった! " そんな想いを共有できたら嬉しいなと思っています。」 友子さんはそう話してくださいました。 そんな優しい空気感の中で出来上がった作品を手にした作者の達成感は、きっと自己肯定感に繋がっていくのだと思いますし、「ここに居て良かった。」という安心感に繋がっていくのだろうと、「陶っ歩や」さんの世界を想像します。 お教室の生徒さんたちの楽しそうだけれど無心な姿の中で色々なお話を伺っていると、じわじわと心が温かく解放されていく感覚を覚えました。 本当に素敵な空間。 『陶っ歩や』のお名前の由来も伺ってみました。 「陶という字は入れたかったのです。 それに間が抜けた感じにしたかった 笑 “ とっぽとっぽ “ とゆっくり歩いている感じがいいなあと思いました。」 なんだかもう、いかにも友子さんらしい♡ でももちろん、プロの陶芸家としてのキリッとしたお顔もお持ちでした。 「作家としては、見て楽しく、触って嬉しく、使ってほっとする物つくりを心がけています。また、教室の主宰者としては、できる限り生徒さんの作品に手を加えることはしないようにしているのです。なぜならば、あくまでも主役は作者ですから。もちろんサポート役としてご相談を受けたらいくつかの選択肢はご提示します。でもやはりそのチョイスは作者に預けたいと思っています。 生徒さんたちには私をどんどん踏み台にして欲しいですし、私もときには生徒さんの良いところを学ばせていただいたりもしています。 皆様と過ごす時間の中で、お互いに陶芸を通して何かを感じあって、日常生活から離れた自分に向き合う時間を共有しあって、みんなで大切にしあえたら幸せです。」 そんなお話をとても柔らかく静かにお話をしてくださいました。 コロナ前までは毎年、生徒さんたちの作品展をされていました。 再開できることを皆んなで楽しみにしているそうです。 友子さんの作品は、教室または北湯沢の「緑の風リゾート」様、あるいは洞爺湖の「ザレイクビューTOYA 乃の風リゾート」様で購入することができます。 作品は、見るほどに友子さんに似ていらして、素朴で飾らず優しいお茶目さんたちでした。 『陶っ歩や』さんの世界に浸り、幸せいっぱいになってお教室を後にしました。 陶芸教室に興味がある方は、是非お問い合わせくださいね。 優しい友子さんと、可愛い作品たちが皆様をお待ちしています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0 -
11/17(水) “悩める女性の力になりたい”「Thyme on greentea @ツケダ薬局本店」
ツケダ薬局さんと出会ったのはこの夏のことでした。 普段元気な筆者にはあまり縁のない「薬局」という場所でしたが、この時はまったく別の用事で訪れたのでした。 食品や化粧品・衛生用品・雑貨などが並ぶ大型のドラックストアとはまた違う雰囲気の薬局は、「病気を前提に少し緊張感を持って入るところ」。 そんなイメージを勝手に持っていました。 けれどもツケダ薬局さんは違いました。 入った瞬間になんとなく温かく優しい空気を感じました。 そして、気になった薬局店内にある「薬膳カフェ Thyme on greentea 」の看板。 いつか取材させていただきたい!と3ヶ月想いを溜めていたのでした。 今回、取材に応じてくださったのは「ツケダ薬局」取締役の附田 綾さんです。 綾さんは釧路のご出身で、長らく行政の保健師としての立場で健康相談・指導をされてきました。 ご結婚後、密かに温め構想を持っていらしたこと。 それは。 「もっと薬局の敷居を下げたい」 「気楽に立ち寄って、皆様に健康になってほしい」 「悩める女性の力になりたい」 ということでした。 そしてそれらを総合した『街の保健室計画』のもと、2019年9月にオープンされたのが「薬膳カフェ Thyme on greentea 」でした。 ↑明るく気取らない心地よい空間。 ↑可愛い椅子が並びます。 綾さんは保健師の資格の他に、国際中医専門員としての資格をお持ちです。 日本的に言えば漢方相談員。 皮膚の悩みと不妊の悩み・更年期などを中心に体のあらゆる悩みの相談に乗ってくださいます。 時には不登校の悩み相談も。 「相談」の場は、「薬膳カフェ Thyme on greentea」のスペース。 メニューには、いかにも体に良さそうなドリンクが並びます。 ↑筆者はクラフトコーラとグリーンサブレを注文。丁字の香りが心地よい刺激で私好み。青汁が混ぜ込んであるサブレはサックサクですごく美味しい♡ ↑奥の厨房で注文品を作る綾さんの姿はまるで調剤をしているように見えました ^^ 「人間の体は口に入れるものからできています。 一方で心の動きもありますね。体の不調はその方の「体質」によるものなのです。 けれども、心も体もスパっと割り切れないのが人間でもあります。 もし、相談にこられた方が占いで体調が良くなるのならそれがベストだと考えますし、マッサージでよくなるのならそれがベストなのだと考えます。 相談者の方に合う改善策が必ずあるのです。 ですので、私は中医専門員としてあるいは保健師として改善のお手伝いをさせていただきます。 こちらでは、中医学や分子栄養学などの理論からアプローチをして改善策をご提案しています。 ひとりでも多くの方に健康になっていただきたいと心から願っているのです。」 すこぶる納得。 そしてとても不思議な感覚でした。 取材で訪れているのに、何故か心が癒されていく。 それはきっと綾さんがもつエネルギーのなす技なのだと思いました。 夏に初めて訪れた時の「なんだか温かくて優しい空気」を発しているのは綾さんだったと気づきました。 ↑ご相談ご希望の際はご予約されることをお勧めします。 ツケダ薬局さんはレンタルルームとしても利用できます。 ↑月に2度 「お耳セラピー ソエルテ」さんの体験会が開催されたり。 ↑月に1度 「手作りコスメとアロマの フランジバニ」さんの体験会が開催されたりなどしていますし。 数店出店していただく健康になるためのイベントなども企画されたりしています。 それらも全て。 「薬局の敷居を下げて、気楽に立ち寄って皆様に健康になっていただきたい。そのお手伝いがしたい。」 そんな綾さんの強い想いからのものなのですね。 1時間ほどの取材ののちには、心も体もスッキリしていたことには驚きました。 心地よい薬局を見つけてしまいました。 ↓ツケダ薬局さん入り口。店舗裏に駐車場があります。 体の不調を感じている方。 ぜひ、ツケダ薬局さんの綾さんを訪ねてくださいね。 もちろん、お茶タイムだけでもOK ♡ 気軽に入れる薬局です ^^ 心が元気になりますよ♡
Rietty
0 -
11/22(月) 木地師+α な多才人「工房夕花野」主宰 “ 石垣 拓也 “という人間に出会った。
大滝 三階滝近く、前夜雪が降り気温2度の寒い日。 広い建物にはストーブもなく、ほぼ我慢比べ状態の中取材をさせていただきました ^^; しかも2時間半。 今までの最長時間でした。 なぜならば、今回お会いした石垣拓也さんのお話がめちゃくちゃ面白い! それはもちろんお笑い的とかではなく、共感できるワクワク話が多かったのです。 もう、何をしに行ったのか忘れそうになるほどでした。 それはつまりはこんなお話し〜〜。 石垣さんは、今年の8月に置戸町から伊達市大滝区へ移住して来られた地域おこし協力隊員さんです。 そして、実は木地師でもあります。 そう、何を隠そうあの40年ほどの歴史がある「オケクラフト」の元職人さんでした。 しかも奥様も(奥様のお話はまた日を改めて。一緒に書いてしまうのは勿体ない程貴重な方なので〜)。 ここで少し「オケクラフト」についてご説明しますね。 https://okecraft.or.jp/about/ より引用 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 『オケクラフトは、置戸町の「オケ」、昔から地域産業として生産されていた曲げ桶の「オケ」と、「クラフト」を合わせた地域クラフトブランドです。 1983年(昭和58年)に置戸町と著名な工業デザイナーであった秋岡芳夫さんとの出会いから始まりました。誕生以来、置戸町では町を挙げた活動として、作り手養成のための研修制度、オケクラフトの販売、作り手への材料提供などをおこない、オケクラフトの生産、普及に努めてきました。』 *〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜 地域を挙げてブランド作りに取り組み、成功した「オケクラフト」。 その影には元「Uni (鉛筆)」のデザイナーだった秋岡氏の存在がありました。 大量生産に疑問を持ち始めた秋岡氏が目指したのは、地域の木を使い、一つ一つ丁寧に作るクラフト職人を育てることでした。 その秋岡氏のマインドに共感し、師事されていたお一人が石垣さんだったのです。 でもちょっと疑問が…。 それは、何故、材料入手も販路も安定していた「オケクラフト」を卒業し大滝に来られたのか? 「たしかにオケクラフトを出るリスクはありました。オケクラフトにいれば販路は安定しています。 工芸家一本で食べていくのはとても難しいですから生活するには安心です。でも卒業しました。正直、職人として独立してもそれ一本では食べていけません。手作りなので数は作れませんから、収入は限られてくるのです。特にこの二年のコロナ禍では、それまで開催していた大手デパートでの展示会へもお客様が集まらなくなりましたし、中止になったものもありました。つまりコロナ禍での工芸品は、贅沢品で別に無くても困らない二の次の物になってしまったのです。」 ↑コロナ前までは札幌三越・さっぽろ東急百貨店などで展示販売をされていました。 このお話しは、観光に関わる仕事をしている筆者にも痛いほどに分かり共感しました。 でも、石垣さんは安定を捨てました。 「納品先(オケクラフトの場合は町)が安定しているということは、同じものを大量に作らなければいけなくなります。ここまで育てていただいたことにはとても感謝をしています。でも、もっとチャレンジがしたかった。たとえ時間が掛かったとしても、たとえ少ししか作れなかったとしても自由な発想で手間暇惜しまず物づくりがしたかった。大量生産から少量生産に切り替えたかった。つまり、作る量を半分に減らせば質は上がる!という結論を出したのです。でも、収入は確実に減る。…ということは、他に収入が無ければ食べていけません。」 なるほど。 とても納得します。 さらに石垣さんのお話しは続きました。 「他の収入を考えた時、広い工房を持って “ ワークショップ ” や ” 体験学習 ”を行って収入源にしようと考えました。対象は子供と親子。作品の材料となる木が生える森へ出かけていき、森、そして木に親しんでほしい。作品の背景となる木についても知ってほしかったので、近代化された都市部に行くつもりはありませんでした。自然豊富な環境に恵まれた地域で、そこに住む方たちと連携しながら、みんなで自分たちの住む地域を盛り上げていける所を探していて辿り着いたのが大滝でした。というか、ここしかない!と思いました。自然環境も人も建物環境も全て自分たちには最適な場所だったのです。 ここは本当にポテンシャルが高いです。札幌や千歳からのアクセスもとても良いですし。 あとは、どんなコンテンツを作ってどう発信していくか?だと思っています。もちろん資金確保の問題もありますが…。」 ↑材料はその木が育った森が分かるものを生木で購入します。材となり薬に浸かったものや外国産のものは使いません。あくまでも安心安全な北海道産のものに拘っています。 ↑皮を剥ぎ、用途に合わせて切り出していきます。 ここまで伺って、筆者はワクワクが加速していってしまいました。 なんて素敵な方が伊達市に来てくださったのだろう!! しかも石垣さん、オケクラフトメンバーになる前は店舗マネジメントのお仕事を8年ほど経験されておられ、その構想のお話しがただの夢物語ではなく、きちんとマーケティング理論に基づくものだということが分かりました。 なんとも頼もしい限りです。 掘れば掘るほど壮大な構想が出て来るご様子でしたが、今回はここまでの取材にとどめることにしました。 続きは素敵な奥様(曲師)の取材の時に伺いたいと思いますので乞うご期待! ↑奥様もオケクラフトご出身の曲げ職人さん。早く取材させていただきたい! 最後に、近々のご予定を伺いました。 「現在準備中の工房が年明けには整いそうです。 将来のワークショプのために、近々、木育マスターの資格も取得しようと考えています。そして来年9月には料理研究家の菅田奈海さんとのコラボで「食育と木育」のイベントを行います。対象は近隣の子供達と親子。伊達市内の会場を予定しています。」 話しは尽きなかったのですがここでタイムオーバー。 でも、筆者が石垣さんとお話ししていてはっきりと分かったことがありました。 それは子供たち、そして選んだ地域への愛でした。 日本の宝としての子供たちに、自分の仕事として何ができるか? 同時に、家族とともに協力しあいながら生活を支えるためにはここで何がしたいのか? 選んだ土地で、地域全体、そして自分が楽しく幸せに暮らせるために何をすべきか? すでにその答えは出ていました。 それらを考えた上での大滝移住でありビジョンなのでした。 地域おこし協力隊で 木地師+αの多才人 石垣拓也さんが起こす風。 風向きを見届けつつ応援したいと思います。 伊達市、ますます楽しくなりそうです。 ↓「夕花野」Instagram https://instagram.com/yuhanano_hokkaido ↓夕花野オンラインショップ https://yuhanano.handcrafted.jp/ 夕花野 主宰 石垣 拓也 E.mail : gakkey326@gmail.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
0 -
-
02/20(火) クールに攻める両立への道 〜味と時間で勝負!地域にファーストフード文化を育てたい!『GOTHAM DRIVE IN』オーナー成田大海氏の戦略とは〜
取材に伺ったのはグランドオープン1週間前でした。 かっこよくコーヒーを落としてくれたので、さっそく聞いてみました。 「珈琲はどこで修行されたのですか?」 「YouTube先生です。いまどき修行なんて流行りませんよ。」 「え……。」 こんな会話から始まった今回の主人公は成田大海(Hiromi)さん。 3シーズンは俱多楽湖で「Paddle Street Outdoor Service」として カヤック・カヌー・サップガイド事業をされています。 入店いきなりの会話で「意外と軽い人?」と思いきや、 実は真逆なタイプであることが段々と分かってきました。 バックボーン(学生時代)のこと 改めて、成田大海さんは苫小牧市ご出身の35歳。 小さい頃から大学までアイスホッケーに勤しんでいました。 御祖父様からお父様、大海さんまで三代続くアイスホッケー一家だったと言います。 「大学にはスポーツ推薦で入学しました。 16歳の時に日本代表にもなりました。 でも、それほどアイスホッケーが好きだったのか?と問われると実は微妙です。練習が終わるのはいつも夜中の2:00頃でした。 競技場があまりないので、小さい子どもから順番に予約を入れていくと、大学生は夜中の割り当てになるんです。 これは結構キツかった…。 それに、本当は美術部に入りたかったし・・・(笑)絵を描くのが好きでしたから」。 「美術部ですか?また随分かけ離れていますが…。 それにしても練習終了が夜中の2:00とは驚きです。寝る間もなければ、学校へも行けなくなりますよね」。 「そうですね。大学では法律を学んでいましたが、授業はほとんど出ていませんでした。だから結局、退学して働くことにしました」。 「辞めてしまわれたのですね。授業はほとんど出ていなかったとのことですが、アイスホッケーは続けていらしたのですよね? 続けてやっていたことで今に繋がっていること、やっていて良かったと思えることはありますか?」 「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 なるほど。 このことについては、また後ほど触れるとして〜。 バックボーン(料理)のこと 「大学を辞め、勤めはじめたのは西麻布のバーでした。 そこは六本木や恵比寿にも店を持っていたので、その3店舗を昼夜行き来して働き、飲食店の辛さや面白さを4年ほど学ばせていただきました」。 「ほ〜!GOTHAM DRIVE INのルーツはそこにあるわけですね! その時、今の大海さんのその後を決定づけた方はいましたか?」 「はい、いました。かなりぶっ飛んだ人でしたが、メキシコ料理がすごく上手で美味しくて、いっつもテキーラを飲んでいる恵比寿店の店長でした 笑 でも、この店長のおかげで本物上質なテキーラを知り、メキシコ料理を学ぶことができました」。 なるほど! 繋がりました! バックボーン(パドル アクティビティー)のこと 「ありがとうございます。料理の背景は分かりました。では、パドルアクティビティーの世界へのきっかけを教えていただけますか?」 「趣味は釣りなんですが、その延長線上にあったのがカヤックでした。 カヤックに乗って釣りをしたいなあ〜と。 僕、基本、人見知りなんです。釣りなら一人でできますし。 学生時代からアイスホッケーにも釣りに行かないときは引きこもって調べ物ばかりしていました。 で、カヤックを色々調べていたら、小樽の塩谷でガイドをしている『ブルーホリック』に行きつきました。そのときは、へ〜!こんな仕事があるんだ…。と思った程度でした」。 「なるほど。飲食店で働き出す前から興味はあったのですね」。 「はい。北海道に帰って仕事をしたいと考え始めたとき、ブルーホリックを思い出して履歴書を送りました。 そうしたら、わざわざ代表の嘉藤さんが上京して会いにきてくれました。 事実上の出張面接となったのです」。 面接をパスして25歳で帰京。 ブルーホリックで働くことになった大海さんは、カヤック修行への道に入りました。 入店時、「修行なんていまどき流行りませんよ」 と言っていた大海さんでしたが、アイスホッケーにしても、カヤックにしてもその道をきちんと歩いたからこその台詞だったというわけです。 「上下関係の厳しさが身についているというのは私生活にも役立っていると思っていますが、特に仕事には必要なことだと思っています。 例えばブルーホリックの嘉藤さんは仕事には物凄く厳しいんです。 一歩間違えば大変危険な環境の海で行うカヤックというアクティビティーですが、どんな時でも、お客様の命を絶対に守らないといけないわけです。 だからどうしても指導は厳しくなる。 当然だと思います。 でも、そのような嘉藤さんの姿勢をなかなか理解できない人もいる。 そう言う意味で、僕はアイスホッケーにしても料理にしても上下関係が厳しい世界にいたので、耐えられたしそういうものだと捉えることができました。打たれ強さも育っていたかもしれません」。 先ほど、「アイスホッケーをやっていたことが今に生きていることは? の質問に「上下関係の厳しさを知ったことでしょうか? ね?」 と答えてくれましたが、なるほど〜と思えたお話しでした。 大海さんはブルーホリックで2シーズンを修行した後、嘉藤さんの紹介を受け、沖縄座間味島でさらに2シーズン修行しました。 のちに独立を考えだした大海さんの背中を押してくれたのも嘉藤さんだったと言います。 「でも、強く押されたと言うよりも、『いいんじゃない?』と言った軽いかんじで・・・(笑) これ、嘉藤さんらしさです。 人の繋がりを大切にする本当に懐が広く深い方でとても尊敬しています。テキーラ好きな六本木の店長ともなんとなく似ているかも」。 二つの道を極めようとした背景には、二人の師匠がいらっしゃったわけですね。 それぞれのバックボーンを活かしたい! 独立を決めた時、飲食業とアウトドア業の両方をやりたい! と考えていた大海さんは、北海道に戻り活動フィールド探しを始めました。 2019年のことです。 本当は前職で貯めたお金で南米へ料理修行に行きたいと思っていたそうですが、それよりそのお金で早く事業を始めようと考え直し、南米行きを諦めたと言います。 支笏湖や洞爺湖も視野に入れつつフィールドを探し回り、倶多楽湖に出会った瞬間「ここだ!」と即決したそうです。 「俱多楽湖がなかったらここには来ませんでした。 とにかく水が綺麗で感動しました。 すぐに元々あった施設で当時休止中だったレイクリゾートのオーナーさんに交渉し、施設管理を条件に使わせていただけることになりました。 パドルアクティビティーの拠点は確保しましたが、飲食店の店舗探しには苦労しました。 予算の関係もあってなかなか決まらなかった。でも粘り強く探し、待ち、いまの場所を購入することができました」。 決断と行動の速さを感じるエピソードに、アイスホッケーでゴールキーパーを務めていた大海さんの判断の速さがリンクして聞こえた筆者です。 店舗は、以前『ケニア』というレストランだったところです。 登別駅から登別温泉方面に向かうメインストリートに位置するとても目立つ場所にあります。 ドア枠は大好きな緑に塗り変えました。 店内の内装は電気工事(資格も持っています)に至るまで、 ほとんど自分でリノベーションされています。 「ところで、GOTHAM DRIVE INという店名の由来を教えていただけますか?」 「映画のバットマンに出てくる地名です。 映画の中のGOTHAMはNEW YORKのことなのですが、劇中では薄暗いイメージに描かれています。 それが登別という晴天率の低い街と重なりました。 まあ、単純にバットマンが好きというのもあるんですけどね。 それと、うちは『CAFÉ』ではないんです。 あくまでも『DRIVE IN』として存在したいと考えています。つまりファーストフード店でありたい。 そういう意味で、クオリティーの高さと提供の早さを売りにしたい。 観光のお客様って結構時間に追われています。 レストランやカフェは14:00くらいで一旦閉めてしまうところが多いですよね? だから14:00を過ぎても開いていて、その時間に食べても夕食に影響が少なくて、車の中で片手でも食べられるものと考えたらこのようなメニュー構成になりました。 何より、大好きなメキシコ料理が提供できますし」。 「カルニタスの肉は牛肉と豚肉を別々に煮込み、合わせて作っています。 牛肉は肉の食感を残したいので歯応えを感じるように。 豚肉は柔らかく煮込んであります。 それと、メキシコ料理は辛いイメージがあると思いますが、お子様でも食べられるように、ベースの味付けには辛みスパイスは使用していません。辛いのが好きな方には別添えのスパイスで調整していただいています」。 味への拘りも相当なものでした。 時間を作っては、東京や大阪などの珈琲店や飲食店などを巡り、知識やアイディアの入手に努めているというお話しも伺いました。 日々の研究にも余念がありません。 「GOTHAM DRIVE INは、『おいしいね!』と言ってもらえるもの、手軽に直ぐに食べられるものを提供する親しみやすいファーストフード店を目指します」。 最後にそう語った大海さん。 日本マクドナルド創業者の藤田田さんを尊敬していると伺い、全てに合点がいった筆者です。 目指す師匠がもう一人いらっしゃいました。 もしかしたらいつの日か、西胆振にGOTHAM DRIVE INがチェーン店展開する日が来るかも? 大海さんがクールに目指すパドルアクティビティーとファーストフード店の両立。 心から応援したいと思いながらタコスを頬張りました。 次はナチョスをいただきます!! ―GOTHAM DRIVE IN 情報― https://www.instagram.com/gotham_drivein?igsh=MWx2eGk3dTI1bjJidg== 住所 〒059-0463 登別市中登別町174-9 電話 090-6937-7540 営業 10:00~18:00(水曜日11:00~22:00) 休み 木曜日 *2024.2月現在求人中 ―Paddle Street Outdoor Service情報― https://www.instagram.com/paddlestreet?igsh=enh5eGY3c3BuaDB1
Rietty
0 -
10/15(金) アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
0 -
07/08(土) ♡心と体で楽しむ健康なハーブを提供したい♡ 〜店舗リニューアルからの新たなチャレンジ 高橋敬子さんの想い
今回は洞爺湖町、洞爺湖へ向かう坂の途中にある香る丘「ハーバルランチ」代表の高橋敬子さんを訪ねました。 この敬子さんの笑顔と、この広げた腕が、まさに「ハーバルランチ」の温かさを象徴しているように感じます。 2000年噴火後の洞爺湖を盛り上げたい! ハーバルランチは2007年創業、毎年6月〜10月の営業です。 「小樽の春香から2002年に移住してきました。もともと春香でホースランチを営んでいた夫の手伝いをしていたんです。2000年に有珠山の噴火があり、テレビで復興に取り組む観光事業者さんたちの姿を見ました。噴火後2年経っても、観光客が2割しか戻ってきていないという現実を知った時、「私たちも復興に関わりたい!」「噴火後の洞爺湖を盛り上げたい!」と思いました。とくに、洞爺湖のこの素晴らしい景色の中で、自然を生かした遊び・体験の拠点を作りたいと考えました。」 けれども待っていた現実は厳しかったと言います。 当時は「体験」メニューの走り的存在でした。 まだまだハーブの認知度が低かったこと、当時の拠点がモンゴルのゲルだったこと、何よりも余所者だったこと、などからかなり怪しまれたそうです。 それこそ。 「あの変なテントみたいな家で一体何しているんだろう?」「ハーブって何?」「草でお金を取るの?」「蒸留って何?」 そんな悲しくなるような声がちらほらと聞こえても、なんとか地域に溶け込もうと頑張ってきたそう。 認知度が低いからこそ敷居は低くしたい。 そう考えていた敬子さん。 「難しく考えなくても良いように、とにかく間口を広くして気軽に直ぐに楽しめるコンテンツを作りました。」 敬子さんとハーブとの出会い ところで、少しお話を戻して〜。 敬子さんとハーブとの出会いのお話をさせてくださいね。 ・ 洞爺湖の景観にマッチすることは何か。 ・ 自然を生かしたプログラムは何か。 ・ お客様が楽しく癒されて健康に貢献できることは何か。 そんなことを考えていた時、たまたま近所の会社でアロマとばったり出会いました。 ピンと来た敬子さんは、ハーブ園を作ることを思い立ちました。 そして、直ぐにそこでハーブやアロマのことを学ぶことになり、ハーブコーディネーターやアロマテラピー検定1級の資格も取得されました。 この場所を選んだことも、もしかしたら洞爺湖が敬子さんを導いたのかもしれません。 「実は私、思いついたら行動までが早いんです笑 畑には、化学肥料や農薬は使わず、夫が経営するホースランチのお馬さんたちの堆肥を漉き込みました。この辺りは元々火山灰土壌なのですが、そこに質の良い馬堆肥を入れたことでハーブにはとても良い土になったようです。目指しているのは循環型の農です。ただちょっと困るのは、お馬さんの糞に残っていた牧草の種が発芽して生えてきてしまうことです。農薬を使っていないので、せっせと手で摘み取ります。 頑張ったご褒美で、ハーブ好きなお客様から『ここのハーブは味も香りも良いね!』とおっしゃっていただけるので嬉しくて。そうそう!そういえば!畑を作り始めたばかりの初期の頃、ようやく畑に苗を植えたところで、なんと修学旅行の予約が入ってしまったんです。『え!?どうしよう‥』と思ったのですが、『はい!』と受けてしまいました笑」 生育が間に合わないというのに受けてしまった敬子さん。 ここでも行動の早さというか、腹の括りの早さが見えます。 もちろん、ハーブをやりくりしながら見事やってのけました。 「その後だんだん道外での認知度が上がり、メディアへの露出も増えました。それでも地元の認知度は依然として低いまま。これではいけないと、地域のイベントにどんどん出展するようにしました。」 その努力の甲斐あってか、ようやく地元での市民権を得たハーバルランチでした。 今では道外・道内・地元からもリピーターさんが多くなったそう。 この日、実は取材と並行してヴィーガンのお菓子を習っていた敬子さん。 出張レッスンにいらしていた先生のもと、マフィン・スコーン・クッキーを試作中でした。 そして一緒にいただいたハーブティーは、題して「敬子ブレンド=リラックスブレンド」。 フレッシュなラベンダー+シソ+ペパーミントのお茶でした。 実はラベンダーの香りがする食べ物や飲み物は苦手な筆者ですが、こちらは衝撃的な香りと味でした! 嫌どころかお代わりしたいくらい美味しい!! 敬子さん、魔法かけた?? いえいえ。 やはり、良い土を作り、ハーブの特長と特徴を良くご存知だからこそのブレンドなのですね。 だって、どれをとっても癖のある強い香りのものばかりなのに、この素敵な味と香り! 「ハーブたちが良いお仕事をしてくれるんです。働き者のハーブがお客様に寄り添えるように、私はそのお手伝いをするだけです。」 ところで、マロウの後ろにある建物をご覧ください。 いつの間にかゲルからすり替わっていますね…。 拠点をゲルから手作り小屋へ 15年間苦楽をともにしたゲルでしたが、老朽化によりついにお別れをすることになりました。 「この形がもうなくなってしまう寂しさもありましたが、この形があったから、たくさんの人に喜んでもらえたと、ゲルには感謝の気持ちでいっぱいになりました。」 そこで今年の5月にリニューアルされた拠点がこちらの建物。 なんと旦那様の手作りです! 仲間の協力も得てついに完成しました☆ どうぞ画像をご覧ください〜。 南保子さんに、家庭でもできる簡単なハーブの使い方をお聞きしました。 「ミント・セージ・バジルなどはハンバーグや餃子に混ぜ込むと美味しいわよ♪増えすぎて困るアップルミントは出汁袋へ入れてお風呂へどうぞ〜♪」 なるほど! それなら筆者にもできる! アップルミントの侵略に困っていたんです ^^; 再び敬子さんにお尋ねしました。 「建物のリニューアルをされて、新しく加わったメニューを教えていただけますか?」 「ゲルからこの建物になったことで厨房も出来、長年の想い『食の提供』ができるようになりました。ハーブを心と体から楽しんでいただけるようになったのは大きなリニューアルです。ご提供するお料理やお菓子には、目の前の畑で元気に育ったハーブをふんだんに使っています。『ハーバルランチに行ったら元気になってリフレッシュできた!』そう思っていただけたら幸せです。」 まるで洞爺湖を独り占めしているかのようなこの景観だけでも贅沢な気分になるというのに、たくさんのハーブに囲まれて、おしゃれなランチやハーブティーをいただけたら、敬子さんの想いが伝わらないはずがありません。 はい! ここからはバトンを「LUX TOYA」に渡しましょうか☆ 今回は少し趣向を変えます。 「LUX TOYA」の謎は次回にします♪ どうぞお楽しみに〜!! 「私にとって、ラヴィンもハーブも大切な家族です。いつも側にいてくれてとても安心。いつでも寄り添ってくれる大切な大切な存在なんです。」 ―ハーバルランチと高橋敬子さん情報― ハーバルランチ http://www.jphorseriding.com/herbal/ ハーバルランチInstagram https://instagram.com/herbalranch?igshid=Y2IzZGU1MTFhOQ== 敬子さんFB https://www.facebook.com/keiko.takahashi.902
Rietty
0 -
-
10/23(月) “窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
0 -
11/22(金) 【あの人に会いに】二人三脚で支えていく [ 宇川 勝哉 さん / 豊浦 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい、地域を盛り上げる ”人” に フォーカスする企画、『あの人に会いに』。 今回は豊浦町で印刷業を営む、有限会社さんおん 専務の宇川 勝哉(うかわ まさや)さんです。 あの『海産総選挙』ポスターの作り手! 先日行われた衆議院選挙、その期間中に豊浦町で同時開催し注目を集めているのが、こちらの『”海産”総選挙』。噴火湾とようら観光協会が、衆議院の解散・総選挙にあわせて行っているもので、今年が3回目。恒例となり、衆議院の解散が決まると豊浦町はザワザワし始めます。 令和6年度、この海産総選挙のポスター類を全面制作した方こそ、今回ご紹介する宇川勝哉さんです。 「ポスターは(観光協会の担当者)岡本君が原案を持ってきて、二人で作っていく感じ。自分の作品というのはおこがましい……岡本君の作品だと思ってる」 同い年だという二人、夜な夜な案を出し合って作っているそうです。 ウニ「やめよう!”ちくちく”言葉。”トゲ”のない社会をめざして」 ボタンエビ「”かけ違い”のない世界へ。”エビ”デンスならあります。」 鮭「3年越しの想いを”ハラス”」…… 凝ったダジャレがこれでもかと盛り込まれた鮮魚公報。そのこだわりの多さは、読者が気付ききれないほどです。 「前回、令和3年度の時にツイッター(現X)でたまたまバズってくれて、ネットで盛り上がってくれたのが本当に嬉しかった。テレビでも取り上げてもらって『文章がセンスの塊』って言ってもらえたのは凄く嬉しかったね」 そんな喜びの反面、回を重ねるごとにハードルが上がっていき、ボツになっているネタも結構あるんだとか。 『海産総選挙』が話題になった理由のひとつは、パロディとしての忠実さではないでしょうか。実は、ポスターのみならず選挙に関するあらゆるコンテンツが存在しているんです。さきほどの『”鮮魚”公報』(『選挙公報』)の他にも、開票速報やニュース速報の画面、さらには開票後の新聞『”豊スポ”(豊浦スポーツ)』まで存在しています。 「前回(令和3年度)の時に、最後に開票結果の新聞も作ってほしいと言われて、開票日1日の納期だから最初は一度断ったんだけど……。でも、急な依頼にも応え、”タイ”(鯛)!!」 そうして無理をしながら誕生した『豊スポ』ですが、この本当にありそうな新聞が評判となり、今ではパロディ新聞の依頼が来るようになったそうです。用途は社内報や広告などで、内容も様々!”それっぽく”はあり、でも忠実に再現しすぎずちょっと崩す、この塩梅がこだわりとのこと。オリジナル新聞を作ってみたい方はぜひ『さんおん』へ。 このように今では主にデザインや印刷の仕事を担当されている勝哉さんですが、実は、はじめから家業を継いでいたわけではありませんでした。勝哉さんのストーリーをご紹介します。 プロレスラーになりたかった! 勝哉さんは 『さんおん』 の三男として誕生。長女、そして双子の兄がいる四人姉弟です。『さんおん』は勝哉さんの祖父から続いている印刷会社で、現在は企画・デザイン・映像制作・印刷を手がける総合印刷会社です。会社は豊浦町の山方面と呼ばれる大和地区にあり、元喫茶店の社内は現在も町の社交場として健在しています。 2歳年上の双子の兄たちと3つ子のように育ち、ジャッキーチェンの映画やプロレスを見るのが大好きでした。双子の兄が高校に進学し、そこで『格闘技同好会』(※ 顧問の先生の関係で名前は『少林寺拳法部』)を創設。勝哉さんも格闘技同好会に入りたいという一心で、同高校に進学、部長を務めました。 充実した高校生活を経て、卒業後は札幌の格闘技ジムに通うことを決意します。 「本当はずっとプロレスラーになりたかった。でも高校一年生のときにプロレスラーはスクワット1000回するって聞いて、やってみたら700回しかできなくて。プロレスラーにはなれないなって(笑)。 身長も足りないし……」入門テストが厳しいプロレスの世界。格闘家からプロレスラーに潜り込む道があることを知っていた勝哉さんは、まずは格闘家を目指すことに。 様々なバイトを経験しながらジム通いの生活を数年。バイトはゲーム制作会社、ヒーローショー、郵便局の配達……等々、幅広い業種を経験しました。しかし22歳の頃、急にバイトに受からなくなったことをきっかけに、実家に戻ることを決めます。 デザインを始めたきっかけは 『とわにー通信』 実家に戻り、家業を手伝うことにした勝哉さん。「当時はパソコンが出始めた頃。デザインも何もできなくて、本当にただのお手伝いだった」そんな生活を数年続けたのちの2006年、29歳の頃に転機が訪れます。 「とわにー(豊浦町の地域交流センター)の管理人をやらないかと声をかけてもらったんだよね。その時に、『”とわにー通信”を作ってほしい』と言われたのが全てのはじまり」 2ヶ月に一回、町の全戸に配布される広報と共に配られるおたよりを発行することになりました。「その時、全力でやって。そこで初めてイラレ(illustrator:グラフィックデザインソフト)を触って、段々使えるようになっていったんだよね。わからないことはお兄さんに聞いて教えてもらったりして」 『とわにー通信』をきっかけに、さんおんでも段々と印刷だけでなく、データを組んだりデザインしたりと幅を広げられるようになり、”お手伝い”から卒業。実働できるようになり、後に専務となりました。 『とわにー通信』は無くなってしまいましたが、勝哉さんは現在もとわにーの管理人を続けています。町の子ども達の多くは、勝哉さんのことを”とわにーのお兄さん”として知っているはず。「とわにーで毎日顔を合わせていた子どもたちが大人になって、また会いに来てくれたりするんだよね。それは嬉しいよね!!」 反面、最近子どもの利用が減り寂しいという話も。(『とわにー通信』が無くなったからなのでは?!)また、とわにーが子ども達で溢れ返る日が来てほしいですね。 「プロレスで人生を学ぶ!」 お話を伺っていると、どの相手に対しても謙虚にリスペクトを示すところが印象に残りました。 「自分以外、みんな、どんな人でも先生になり得るっていう教え*が少林人拳法にあって。相手は絶対に自分より優れているはずだと。腹が立っても、『それは俺にはできない、すげえな!』って言ってみると、まぎれるというか。いろんな問題を見ていても、お互いにリスペクトしていれば、こじれないのにな、と思うことが沢山ある」 *『我以外皆師』:自分以外、皆師である。相手から善悪どちらを受けても学べる人間になる。 このような学びは少林寺拳法から得たそうですが、「人生を学ぶのはプロレス!」だそうです。 『とわにー通信』を作っていた頃は「担当者が笑ってくれることが一番嬉しい」、『海産総選挙』では「まず岡本君を笑わせたいと思って作ってる」、そして、実兄とずっと一緒に働いているのにとても仲が良い。二人三脚で支える側として応えていく勝哉さん。格闘技でありながら、二人一組でつくるエンターテイメントともいえるプロレスと重なって見えました。 「プロレスで人生を学ぶ!」そんな話がしたいプロレスファンの方、ぜひ『あの人に会いに』行ってほしいと思います。真狩~豊浦町方面を行き来する際には、現存する古き良き町の社交場『さんおん』に寄ってみてくださいね。 __________________ 印刷も写真もドローン撮影も 地域をまるっとデザイン さんおんデザイン 〒049-5402 北海道虻田郡豊浦町字大和144-1 有限会社さんおん \オリジナル新聞などのご相談もぜひ/ TEL 0142-86-1234 FAX 0142-86-1218 __________________
misaki
0 -
06/01(水) 『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』 (有)藤鉄工 代表取締役 加藤耕平氏
「子どもの頃から親父に仕事を手伝わされていました。でも、この仕事が嫌だったので継ごうとは思っていませんでした。」 加藤耕平さん58歳。 来年で創業50年になる(有)藤鉄工の二代目 代表取締役です。 お父様から事業を引き継いだのは2005年のこと。 高校卒業後、専門学校の建築科に進学した耕平さんは、卒業後、某建築会社に就職をし、大工からの修行を始めました。 けれども1年で退社。 家業を継ぐ決心をして伊達に戻ってきました。 お父様との子弟関係の始まりです。 ↑作業場には、様々な形の鉄製品や工具が並びます お父様が事業を興したのが1973年。 そのお父様の下で働き、50年目を迎える佐藤さん。 この日も黙々と仕事をされていました。 ↑御歳70歳の佐藤さん。ちょうど溶接の仕事をされているところでした。 50年間同じ会社で勤め上げる姿に胸が熱くなります。 「創業当時は、バルコニー・煙突のエント梯子・住宅関連の仕事の受注が多かったです。けれども時代の流れでアルミやステンレスが主流となり、仕事の依頼に変化がありました。ちょうどその頃、伊達市内の拡幅工事が始まり、店舗などの重量鉄骨鋼造物の仕事が多くなったのです。ところがそれも終わった15〜20年前になると受注がめっきり少なくなりました。製缶といって、建物以外の工事の依頼が来るようになりました。例えば週末処理場の汚水菅や製鉄所の設備工事の仕事です。さらに大打撃だったのは、東日本大震災をきっかけに原子力発電所の仕事が無くなったことでした。」 どんどん減っていく仕事…。 2012年に大きな転機が訪れます。 その年の年末にお母様が亡くなり、その翌年から仕事もすっかり無くなってしまいました。 「この時、家族とも相談し、佐藤さんにも相談し、廃業をする決心をしました。」と耕平さん。 意を決し、信頼を寄せている会社様のところへ行き、「廃業をするので佐藤さんと自分を使ってください。と頭を下げに行きました。」 結果として、廃業は思い留まることになりますが、そこから厳しい修行が始まりました。 加藤さん48歳、佐藤さん60歳の時です。 「相談先の社長の提案で、私は、その会社様の仕事を受注するために2年間修行に通うことになりました。修行をさせていただきながら仕事も作っていただき、佐藤さんには弊社工場で作業をしていただいていました。お陰様で新たな技術を習得することが出来、それまで受注をしたことがなかった漁業機具や船の仕事を請け負うことができるようになったのです。」 新たな技術習得のためとは言え、力仕事をするための片道50km以上の毎日の通勤は、さぞかし体にも堪えたことと思います。 「修行はなかなか大変なものでした。それまでは常に水平と垂直を確実に測りながら行う仕事だったからです。ですから、湾曲が多い船の仕事はとても戸惑いました。また、「鉄」一筋で来たため、ステンレスでできた漁業機具を扱う仕事にも戸惑いました。何もかも初めてのことばかりの修行でしたが、あの時お世話になったお陰で今があるので本当に感謝しています。」 それでも、時代の流れは安定をさせてくれません。 再び、ここ2〜3年の厳しい状況を経て、いままた少し仕事が戻ってきたそうです。 浮き沈みの激しさの辛さについては、筆者とは業種は違いますがとても理解できます。 「ところで、社名の由来を教えてください。どうして「加藤鉄工」ではなく「藤鉄工」なのですか?」 ↑作業場の2Fは事務所です 「親父が付けた社名なのですが、“加藤”と“佐藤” の共通文字 “藤” を採ったのだそうです。」 なるほど! お父様が佐藤さんを大切に想っていらっしゃった気持ちがよく分かります。 その先代の想いも引き継いだ耕平さん。 だからこそ、佐藤さんは50年も勤めておられるのですね。 さて。 空前のキャンプブームの昨今ですが。 実は、耕平さんは40年来の筋金入りキャンプ好きです。 しかも長年のコールマン製品コレクターでもあります。 そんなバックボーンを持つ耕平さんが、今ライフワークにしていること。 それは『kokoperi iron』というアウトドアガレージブランドの運営です。 ↓ショップはこちら。 https://kokoiron.thebase.in/ こちらの焚き火台ほかの鉄製品は、全て耕平さんの作品です。 鉄を使い、一つ一つに時間をかけ、丁寧に叩いて叩いて作られた本物が並びます。 鋳造ではありません。 「鍛冶屋」の仕事です。 もう本当に素敵です。 もちろん、オール鉄なので重量感もあります。 「重いですが、自分が使いたいものを作りました。」 ↑ココペリとはこの笛のようなものを吹いている妖精のこと ↑焚き火台「青海波」を筆者も経験させていただきました。模様越しの火がとても美しい。 ↑2022年4月 キャンプの様子。本物の道具に囲まれた耕平さんはとってもカッコいいです♡ ↑こちらのアウトドアフェスにも出店参加されます 「ところで、何故、そこまで鉄にこだわるのですか? 大好きなコールマンも鉄ではないのに…。」 「焼き入れをする鍛冶屋への憧れです。これら商品は確かに叩いて作っています。でも、絶滅危惧種的に刃物などを作っている人もいらっしゃる中で 漢字の “鍛冶屋” は名乗れないです。だから僕の場合は、“鍛冶屋” に憧れる ”かじや” です。」 「なるほど…そういうことでしたか。でもそういう謙虚なところが耕平さんの魅力だと思います。」 「それでも憧れを追っています。漢字の “鍛冶屋” に少しでも近づきたくて。自分なりに価値感を見出しながら、必要とされる存在になりたいと思っています。」 ↑服などを掛けたらとっても素敵なシングルハンガーもあります。丸いのはガラスの浮き玉。 ↑火を灯したら素敵なランタンです ↑こちらは新製品。叩いて叩いて造られた厚さ4.5mmの鍛造プレートは、キャンプはもちろんIHにも対応しています。ステーキやハンバーグを焼いたら美味しそう!ハンドルも別売であります。 『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』。 どこまでも謙虚で熱い加藤耕平さん。 その仕事への想いと姿勢に心打たれた筆者です。 ー(有)藤鉄工 情報―http://www.date-f.net住 所 北海道伊達市舟岡町205-15電 話 0142-23-5769FAX 0142-23-6352E.mail fuji-i-w@cream.plala.or.jp↓Instagraminstagram.com/kokopelli_iron/?hl=ja
Rietty
0 -
10/13(金) きのこから森を観て、森から地球を観る 〜愛ある きのこアドバイザー 中嶋潔ワールドへようこそ!
きのこ観察会にて この日は、倶知安にある「GURUGULU」というオフグリットのゲストハウスで「きのこ観察会」が行われました。 参加者は小さなお子様から大人までの15~6人。 この日筆者は、「きのこ観察会」への参加と、今回の主人公 中嶋潔氏 の取材目的で出かけて行きました。 お天気最高の野外活動日和♪ 実は筆者、潔さんの観察会には“きのこ”以外でも参加しています。 今回で4回目。 中嶋潔ワールドは、毎回飽きることなく楽しい時間を過ごせます。 何故かって? それはきっと、森愛溢れる潔さんと森にいると、とても楽しくて、平和で、幸福感が何倍にもなるから。 森がいっぱいの日本に住んでいて良かった! 地球に生まれて良かった! そんな幸せの時間を与えてくれる人だからです。 子どもも大人も惹きつける潔さんの技はひとえにお人柄が成すものです。 子どもって、そういうところを察する力に長けていますので、すぐに人気者になってしまいます。 中には、きのこ博士くん候補生のように詳しい子もいました。 毎回観察会を楽しみにしているご家族もいらっしゃるようです。 そして観察会の締めは約11種類もの“きのこ”が入ったうどんを毎回振る舞ってくれます。 実は皆、これも大の楽しみ🎶 林床への興味 実は潔さんは、あの難関資格「森林インストラクター」でもあり、「きのこアドバイザー」でもある森の人。 2001年から6年間林業に携わり、現在はニセコのリゾート会社にお勤めです。 「北大のポプラ並木が倒れたり、支笏湖周辺の森の木が軒並みなぎ倒された大きな台風が来た2004年、悲しいことにリストラに遭ってしまいました。管理する木がほとんど倒れて無くなってしまったからです。でも林業の仕事が大好きだったのでその後は民間会社の林業部門で働きました。林業に携わっていた6年間で行っていたのは、育苗・植林・伐採・管理。おもにトドマツ・アカエゾマツ・カラマツ・ミズナラ・ケヤマハンノキなどを植えていました。働き始めた頃は何も知らなかった樹木の名前も、毎日触れて観察をしているうちに、2年で倶知安周辺の樹木は全て覚えてしまいました。この地域の樹木について、ある程度把握できてきた時に、次に興味が湧いたのが、いつも樹木のそばの地面にいる、きのこたちでした。」 「興味を持ち始めた頃から直ぐに“きのこ観察会”を催すようになりました。自分自身はまだまだよくわからなかったので、黙々と独学もしつつ、『誰か詳しい人!?』と呼びかけて興味がある人や詳しい人と一緒に観察をすることで少しずつ覚えていきました。最初の頃は図鑑を森に持って行き、調べながら歩いていました。でもそれをやるとなかなか進まず多くを観察できません。実は、“きのこ”ってまだ良く分かっていないことが多いです。日本には5千〜1万種類くらいはあると言われていますが、その内、名前が付いているのは2500種類くらいです。そしてそれらのうち、一般的な図鑑に掲載されているものが800種類ほどです。名前のない不明菌と呼ばれるものの方が非常に多いことになります。実際に森を歩いていてもわからないものがたくさんあるわけです。だから、図鑑を持ち歩くのはとても非効率になります。ある日、北海道大学名誉教授の五十嵐教授の観察会の仕方を見て衝撃を受けました。森の中では一切図鑑を開かなかったのです。だから、僕も現場で図鑑を開かずに、種を言い当てることができるようになる努力をしました。きのこ用のカメラを買い、色々な角度から写真に収めてあとで調べるという方法をとりました。10年くらい続けてやっと種の見分けに信憑性が出てきたかな〜。」 にわか仕込みで覚えようとしている筆者には耳が痛い話です^^; 「また、FaceBookでは『北海道のきのこ好き』というグループを作って、常に新鮮な情報交換をしています。オンライン上の趣味のグループって、とかくイザコザが起きやすいのですが、このグループは居心地の良いグループにしたかったので、しっかりルールを守り、ネット上のマナーをわかってくれる人のみを承認するようにしています。自分がなかなか見られない“きのこ”も皆さんがシェアしてくれるのでとても勉強になります。」 常に学ぶ姿勢を止めない潔さんです、 そしてじきに、潔さんに転機がやってきます。 「ニセコのある会社から、スキー場ゴンドラの夏季営業を始めるに際し、山頂で自然体験部門を立ち上げるのでその担当者にならないかという話しが舞い込みました。好きな分野でしたので直ぐにお引き受けし、2007年から2020年に廃止されるまで担当しました。コロナ禍がきっかけでその部門はなくなってしまい、今は別のセクションにいるのですがあれは楽しい仕事でした。」 今ももちろん“きのこ”への愛は変わらず持ち続け、観察会活動はライフワークとして続けているというわけです。 「ところで、“きのこ”は確かに可愛くて面白いですが、それほどまでにのめり込んだのは何故ですか?どこにそんな魅力を感じたのでしょうか?」 「石炭期を終わらせたのは“きのこ”だという話を知っていますか?」 「え? あ…はい。一応ネイチャーガイドの端くれですので…」 「“きのこ”への興味は食べられるor食べられないだけではありません。まず、一期一会で神出鬼没なところが面白いのです。“きのこ”への興味を覚えてから20年超えてもまだまだ情報は更新し続けています。実に奥が深い。地球上の“きのこ”の登場は、酸素と二酸化炭素濃度のバランスに関係しています。地球上にきのこが登場する前、植物たちは枯れても分解されることがないので、その遺骸は地面に溜まり続け、それが石炭となって地面の中に二酸化炭素の多くを封じ込めてしまいました。そのため地球の酸素濃度はどんどん上がり続けましたが、“きのこ”を含む菌類の登場により、死んだ樹木を菌類が分解するようになり、石炭はできなくなってしまいました。その後、大気は現状の酸素濃度で安定し、土壌も変化し生き物は進化し、現生の植物が誕生しました。“きのこ”の登場は、地球上の生物や植物にとってとても大きな出来事だったのです。“きのこ”をはじめとした菌類が地球上の生命活動の重要な鍵を握っているわけです。」 なるほど〜。 もうかなり前のめりな筆者。 目がキラキラしているのを自覚しました。 もっともっとその続きを聴きたい衝動を堪えて、取材モードに戻しました。 同時にここで、潔さんが一体どんな子ども時代、青年時代を過ごしたのかということに俄然興味が湧いてきました。 潔氏 小学生〜大学生の頃 「小学生の頃は物知り博士的キャラでした笑」 「それって今と変わらないですね笑」 「そうだね。たぶん僕は父親の影響をかなり受けていると思います。父は兵庫県赤穂市生まれで海育ちだったので、海が大好きな人でした。よく釣りやキャンプへ行ったなあ。今でいうグランピングのようなキャンプも体験させてくれました。父自作の2段ベッドがテントの中にあったんです。自然の中での過ごし方の基本を習ったのは父からでした。そして、ものすごい読書家で聡明でした。物事を科学的に考えることがとても好きな人で、それを試してみるのも好きでした。手先もとても器用だったので、周りが驚くようなものを色々作っていたなあ〜笑」 お父様のことを楽しそうに話す潔さん。 “ 困った人” “ 変な人 ” という言葉が何回も出てきましたが、その言葉の裏にある尊敬と愛が込められていることも筆者には伝わっていました。 「例えばね、自宅の一角にコンクリートの建物を作って、屋上に畑を作ったこともありました。ところが階段がない。梯子で上るわけです。そして父親だけはトイレを使わず糞尿を肥料として屋上の畑に撒くわけです。周りは住宅街。当然臭う。当時、父はEM菌関連の本を読み漁って研究をしました。決して環境問題に傾倒していたというわけではなく、素朴な感情で超循環の暮らしをしたいと考え、自給自足を目指していたのだと思います。大変だったのはお袋だろうなあ〜笑」 「あ。こんなこともありました。当時大阪府に住んでいたのですが、自宅の近くに天の川という名の川が流れていて、その河川付近に遊んでいる土地があると放っておけない。開墾しちゃうんですね。特に迷惑を被る人はいないとは思いますが、まあ、今なら問題になりそうですよね…^^; とにかく、学校では学べない自由な世界があることを父が教えてくれました。」 お父様のお話を伺っていたのですが、途中から潔さん自身のお話を聴いている錯覚を起こすほど、お父様の影響を強く受けていらっしゃるなあと感じて、心の中でクスッとしてしまいました。 「中学生の頃は自転車少年でした。自転車の旅が好きで、高校の卒業記念に友達と13泊14日四国の野営旅をしたこともありました。高校時代はワンゲル部・新聞部・クイズ同好会を掛け持ちしていました。自然の中にいることも、ものを読んだり書いたりすることも当時から好きでした。北海道新聞のコラムを12年間連載したこともあります。」 しまった…。 またやってしまった…。 最近どうもうっかりとモノを書く人を取材相手に選んでしまいます。 潔さんは常に笑いながら話してくれるのですが、緊張が走った瞬間でした ^^; 「大学時代はワンゲル部一筋でした。山は本当に好きで、仏教系の大学で哲学を学んでいたのですが、卒業後は北アルプスの山小屋で夏から秋まで五年間、小屋番をしていました。」 小学生から大学生時代のお話を聴き終わり、目の前にいる潔さんを作り上げてきた道筋が見えた気がしてものすごく腑に落ちました。 キノコから森を観つづけた潔さんが成し遂げたい想いとは 「最後に、成し遂げたい想いがあったら教えていただけますか?」 筆者が投げかけた質問に、それまで、ニコニコと顔いっぱいの笑顔で話していた潔さんの顔つきが急に変わりました。 「キノコは森を観る窓だと思っています。」 そう切り出した話の続きはこうでした。 「北海道の70%は森林と言われています。ずっと森を観てきた人間として、キノコを通して北海道だからこその森の守り方・育て方・稼ぎ方などを仕組み化していきたいと考えています。ご存じですか?北海道の人工林の約50%はトドマツ林です。 そしてなんと、トドマツ林にはおそらく世界で一番キノコの種類が多く生えているのです。 しかも、トドマツ林は保護林の中には存在しない。つまり、林床の利用は自由です。 北海道にしかできない「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたいと考えています。その資格制度を作ることで、北海道の人工林に最も多いトドマツ林に生えるキノコを熟知している人を増やせば、世界で最もキノコを理解している人を増やすことになります。キノコの理解者を増やすことで、森は森のまま木々を適正に管理して守り・育てることができます。木を切って売る林業ではなく、林床のキノコを売って稼ぐ林業を成り立たせる仕組み作りをしたい。トドマツの林床に生えるキノコの中には、マツタケよりも高値で取引されるものもあるんです。そして、その仕組みを推進する立場として『トドマツ林限定のきのこマイスター』が存在する。人工林ってね、人里に近いところにあるわけです。しかも人工林には必ず林道があるし、トドマツ林には笹がない。それらもその新しい仕組み作りにはメリットになります。つまり、人が入りやすくキノコが生えやすい環境である宝の森と言えるわけです。つまり、何をやりたいのかをもう一度と言うと、”森は森のまま維持する林業”の仕組み作りのために「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたい!と考えているんです。」 土の中や倒れた木の中で、人間の目には触れない世界の中に無数に張り巡らされている菌糸たちのネットワーク。 そして、空気中に飛び出した見えない胞子たち。 地表の循環の立て役者キノコたちを通して語る潔ワールドの森愛・地球愛・人間愛にすっかり魅了され、潔さんの成し遂げたい想いを応援したくなった筆者でした。 ―中嶋 潔氏 情報― FB : https://www.facebook.com/kiyoshi.nakashima.18 FB : 「北海道のきのこ好き」 ・倶知安「風土館」にて時々講演をしています。 ・「北海道のきのこ好き」に参加すると、各種ワークショップ情報を得られます。 10/29にも倶知安「GURUGURU」にてキノコ観察会があります。
Rietty
0 -
-
-
03/09(水) 自分に向き合い「茶〜しばく?」〜” チャシバクINN “ 的暮らし
オーナーの田中陽介さんは京都のご出身。 そして奥様の瑠奈さんは大阪のご出身。 お二人が2018年にオープンしたチャシバクINNは、客室4部屋のご自宅兼宿泊施設です。 只今、4月半ばの2022年度OPENに向けて準備中ですが、実はこの春、田中夫妻にとっての何度目かの大きな転機が訪れます。今回は、そんなチャシバクINNの秘話を陽介さんにお伺いしました。 ↑部屋からは洞爺湖が見えます。 学生時代の4年間、ニュージーランドで暮らした経験をお持ちの陽介さんは、2004年4月、加森観光 ルスツリゾートへの就職を決め、北海道留寿都村に移住して来られました。 ルスツリゾートでは、ベル・フロント・教育旅行営業・予約・レベニューなどのキャリアを積まれていたので、いわば宿泊業のプロフェッショナル。 INNを行うための土台が整っていたとも言えます。 けれども、後に脱サラをされた陽介さんの現在まで道のりは、チャシバクINNまっしぐら!ではありませんでした。 ルスツリゾート勤務時代、今の家に移り住む以前は社宅に暮らしていましたが、2012年より旧洞爺村あたりで家を探し始めました。 「洞爺湖畔には、留寿都に住んでいた頃によくキャンプをしに来ていました。通う毎にどんどん好きになり、湖畔に住みたいと思うようになりました。物件は、静かに湖を眺めるくらしができる洞爺湖北岸のエリアに魅力を感じていたので、このあたりで探していました。留寿都へ通勤するにも便利でしたし。」 そう。 つまり、初めからここで商売をしようと思っていたわけではなかったのです。 「偶然にも、毎日窓から洞爺湖を眺められる中古物件との出会いがあり、2013年10月に移り住みました。けれどもその頃は、インバウンドのお客さまがたくさん訪れていた頃でもありました。ですから、2歳になった息子の寝顔を見てから出勤し、帰宅してまた寝顔を見るという毎日が続いていました。そんな日々に疑問を持つようになっていったのです。」 息子さんが生まれた2011年、この年の3月に東日本大震災は起こりました。 親になった年にこの大震災を体験したことは、田中さんご夫妻の人生観に大きな影響を与えたことは容易に想像できます。 「いつ死ぬかわからない。 明日の命の補償なんてない。」 ということを誰もが痛烈に感じたことと思います。 とは言え。 たとえ考え方の変革は起きたとしても、ほとんどの人が日々の忙しさに埋もれてしまい、なかなか行動変革にまで及ばないことが多いのではないかと思います。 けれども。 田中さんご夫妻は行動を起こしました。 息子さんが4歳になり、幼稚園に上がった年。 2015年6月に、瑠奈さんがドーナツ屋を始めたのです。 材料にもこだわった " 豆乳焼きドーナツ " 『チャシバクドーナツ』の 誕生です。 決め手は瑠奈さんの一言でした。 「家の前にデッキを作ってくれたらドーナツとドリンクを出す店をやりたい。」 「大阪出身の妻は、帰省の際に奈良のお店で目にした光景が、" とてもいいなあ… " と思ったと話していました。そこには、おじいちゃん、おばあちゃん、小さい子どもまで美味しそうにドーナツを食べている姿があったそうです。チャシバクドーナツも、お客さまが湖畔散歩のついでにふらっと立ち寄ってくださったり、近所の子どもたちや親たちがおやつとして買いに来てくれる店にしたいと思ったそうです。」と、陽介さん。 ドーナツは。 ケーキのようにお洒落すぎず。 子どもから大人まで大好きで。 片手にドリンクを持ち、もう一方の手でドーナツを持ち、お散歩しながらでも気取りなく食べられる。 チャシバクドーナツは、原材料にもこだわって作られていますし、揚げてお砂糖をまぶしたものとは違うので、子どもでも、服も手も汚すことなく食べられるというのも良さだなあと、筆者自身が購入したチャシバクドーナツを運転しながら食べた時に感じました ^^; 母目線を感じます。 さて。 オンラインショップも開き、軌道に乗っていたのですが、再び転機が訪れました。 洞爺湖畔に購入した店舗兼自宅(店舗部分は陽介さんによるリノベーション)は、実は元民宿の二階建てでした。 そして、その後のオーナーが改築してアパート経営をしていた際に、2階の4部屋それぞれに風呂場とトイレを設置していました。 そのことは田中夫妻にとっての購入の決め手ではなかったのですが、陽介さんはこの家で宿経営をすることを思い付きました。 「この地域には温泉街と違い宿が少ないです。ですから、ここに宿を作るのは自分の役割かもしれないとも思いました。まさに運命のようなものも感じました。」 悩んだのはその宿のスタイル。 ここに陽介さんのこれまでの生き方が表れてきます。 ・13年間、リゾートホテルの社員としてホテル業の経験を積んだ。 ・ニュージーランドでは、学生的な貧乏旅でバックパッカーズ(日本でいうホステルやゲストハウス)を泊まり歩いた。 「学生時代とサラリーマン時代に様々なタイプの宿を経験したことが原体験となって、自分が好きな旅のスタイルにマッチしたものを作りたいと思いました。」 今のスタイルに行き着いた経緯や想いについては、陽介さんのnote https://note.com/chashibaku_inn/n/ne55019de8408 に詳しく書かれていますので、陽介さんの言葉でご覧くださいね。 陽介さんのお話しを伺っていると、今の暮らし方はなるべくしてなった、導かれてなった、そんな気がしてなりません。 ↑ツインルームです。とても清潔感があります。 さて、ここでもう一度チャシバクドーナツに話を戻します。 2004年に北海道移住。 2009年に結婚し2011年に子どもが生まれる。 2013年洞爺湖畔で中古物件を購入し転居。 2015年チャシバクドーナツを開業。 2017年35歳で会社を退職。そして1年かけてINNスペースをセルフリノベーション。 2018年チャシバクINNをオープン。 と、このように何度も転機を迎えた田中一家でしたが、実は2022年3月末までの営業でチャシバクドーナツが無期限休業となります。 「息子を屋久島の山海留学へと送り出すことにしたからです。それに関連して妻は2拠点生活になりますので、ドーナツ屋を続けることは不可能になりました。もともと、息子が高学年になったら多様な文化や自然、人に触れてほしいという願いから外国へ連れて行きたいと思っていました。ところがこのコロナ禍でそれが叶わぬ夢となってしまいました。もちろん、コロナ禍が落ち着けばいつかはできるかもしれない。でも、出来るだけ子どものうちに体験させてあげたかったのです。ですから気候も含め環境が北海道とは全く異なる屋久島を選びました。」 ↑夏の洞爺湖 チャシバクドーナツのファンはとても多いので、きっと残念に思う方も多いかと想像します。 でも、ファンの方々ならきっと、田中一家の暮らし方や生き方に共感する方が多いと思います。 今後のチャシバクを応援して行きたいですね。 さてさて。 ところで皆様。 「チャシバク」の語源をご存知でしたか? それは〜。 「茶〜しばく?」=お茶しない? なのだそうです。 これって実はコテコテの関西弁。 関西ご出身の田中ご夫妻ならではの発想です。 「ゆっくりお茶でも飲んで休んでいって」 そんな気持ちを込めて「チャシバク」としたのだそうです。 そしてこのロゴマーク。 旅するバクの絵がなんともユニーク。 こうして、様々な経緯で、旅する人々を迎えるチャシバクINNは4月15日(金)に再オープン(現在は休館中)します。 最後にチャシバクINNのコンセプトを伺ってみました。 『洞爺湖畔のいつもの空気をあじわえる、地元の暮らしに近い宿』 「旅には旅人それぞれのいろんな目的があります。旅人がここに泊まる時、ここを住まいとする僕らと同居するかたちとなります。旅人にはチャシバクINNの暮らしの形を体験することで、” あ〜こんな暮らし方もあるんだ “ とか “ こんな働き方があるんだ “ などの気づきを通して、” 自分の暮らしを見つめる “ “ 自分と向き合う “ そんな時間を提供できたらいいなあなんて思っています。 一言で言えば『暮らしのおすそわけ』かな。」 いつまででも眺めていられる美しい洞爺湖。 静かな街。 押し付けがましさを微塵もかんじさせない、優しく人懐こい陽介さんの笑顔。 そして心地よい部屋。 ↑シングルルームです。カバーやシーツなどはリネンを使用しています。壁の色が素敵。 チャシバクINNで過ごす時間は、間違いなく豊かであることを確信した筆者です。 チャシバクINN オーナー 田中陽介 住 所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町109-1 電話 0142-82-3257 Web site. http://www.chashibaku.com/inn/i/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
0 -
01/15(土) 横乗りLOVEたちに寄り添う本物の専門店 “ ローズミスト “
今回は、地域と横乗りをこよなく愛し、花を愛する” ローズミスト “ のご紹介です。 え? 花も? と思われた方。 実は” ローズミスト “の母体は ” (有)フラワーショップえいわえん “ です。 50年前、花屋さんからスタートした双子の日栄兄弟の趣味が高じ、31年前に作ったスポーツ部門が ” ローズミスト “ でした。 いまでは息子さんたちも、インストラクター仲間もいるので “ Team ローズミスト “ とも言えます。 ↑販売からインストラクター、そしてwebも担当されている息子さんとツーショット。 ところで、「横乗り」とは横を向いて乗るボードのことです。 スノーボード、サーフボード、スケートボードなどがそれにあたります。 ↑冬でもサーフボードがあります。 日栄兄弟が最初に始めたのはサーフィンでした。 当時は全国的なサーフィンブーム。 本場、神奈川県の湘南海岸から遅れること5年、イタンキビーチにもその流行がやってきました。 ↑イタンキビーチ すでに始めていた友達の影響もあり、日栄兄弟はサーフィンブームに乗りました。 その後、ゴミで汚れていたビーチをきれいに保つためと、海で遊ぶための安全対策とマナーを利用者に理解・協力してもらうために “ イタンキサーフィンクラブ “ を設立し、ローカルルールを作りました。 現在は会員の高齢化などもあり活動はほとんど休止しているそうですが、当時はサーフィン大会なども催すなどして地域を盛り上げていたそうです。 さて。 そんなTeamローズミストが今一番力を入れているのは、横乗りスポーツの安全な楽しみ方と上達への普及活動です。 そう、遊びではなくスポーツとしての普及。 ↑カラフルで高品質のウェアが揃います。 ↑小物も色々 ですから、仕入れから販売そして販売後のケアー(メンテナンスと育成)まで、一貫して責任を持って取り組んでいらっしゃいます。 特に道具への拘り具合は半端なく徹底しています。 ほとんど全ての商品を試乗し、「これは確かだ!」と納得したもののみ仕入れます。 少しでも納得できないところとは一切取引をしません。 なので、自ずと量産品からは遠のくことになります。 メーカーとも問屋とも、もちろんお客様とも信頼関係を大切にされているからこその企業姿勢です。 例えばスノーボード。 オガサカなどの国内ブランドを中心に、海外はヨーロッパの商品を扱っています。 スノースポーツをされる方ならご存知かと思いますが、オガサカの板はスノーボードもスキーも量販店では取り扱えません。 つまり、ローズミストはメーカーに選ばれた存在なのです。 今、盛んにSDGsが叫ばれていますね。 その17のゴールのうちの12「つくる責任つかう責任」にまさに当てはまる、双方の行動だと思います。 プラスして、売る立場の責任をローズミストは果たしています。 商品のラインナップは、どの横乗りマテリアルもビギナーからエキスパートまで、また乗りたい場所によってお客さまに寄り添い的確なアドバイスをしてくださいます。 それに特筆したいのは、今大人気のブランド「コルア(ポーランド製)」を全道一揃えていること。 性能抜群で、ゲレンデでもパウダーでもOKのスノーボードなのに、お手頃価格ということもあり、なかなか手に入らず、探している人も多い商品なのです。 それを知っているファンは、全道から集まって来ると言います。 ファンならば絶対に店頭にチェックしに行くべき! ↑今、物凄い人気のスノーボード「コルア」の板 そして! サーフボードについては、ローズミストでお買い上げの方には「サーフィン無料レッスン」の嬉しい特典付きです。 実は筆者も利用させていただいております。 ↑波の読み方、選び方のレクチャー さらに! スノーボードをお買い上げの方には、「お買い上げ時無料ワックスサービス」もあります。 ↑ワックスの品揃えも豊富 しかも! ローズミストはJSBA公認のスノーボードスクールでもありますので、確かな技を持つ、プロのインストラクターのレッスンを受講できます。 確かな道具選びから、安全に横乗りを楽しむレッスンまで。 海や雪山利用のマナーも含めて指導をしてくださいます。 一貫した責任を持って、お客さまに寄り添う頼りになる兄貴たちなのです。 ↑右が社長の日栄 毅さん。左は店長の均さん。 そうそう! スケートボードのことも忘れてはいけない! ↑スケートボード。このほかにも色々あります。 元々、スノーボードの夏トレのために導入したスケートボードでしたが、ここ20年くらい若い世代を中心にスケボー熱が高まっていました。 ただ、どうしても「やんちゃな遊び」のイメージを超えていない。 それを危惧したTeamローズミストは、「やんちゃな遊び」から「マナーを守るスポーツ」への昇格を期待して、スケートボードパークの造成に向けて奔走しました。 そして出来たのが室蘭中央町にある「レインボーパーク」。 2021年の東京オリンピックでの選手の活躍により、さらにスケボー熱が高まった昨今の課題を伺ってみました。 「もっと広い場所で、あらゆる志向の競技者が練習できる施設を造れないかと室蘭市にも働きかける準備をしています。最大のオリンピック効果は親の理解と協力が発生したことです。 今後は、プロの指導者も必要ですよね。」 施設のお話は、さらに室蘭だんパラスキー場へも繋がっていきました。 http://www.muroran-resort.sakura.ne.jp/mysite1/index.html 皆様もご存知かと思いますが、ここのところ何年も室蘭だんパラスキー場の存続の危機が叫ばれています。 それに真っ向から立ち向かい、存続のための運動を始めたのもTeamローズミストでした。 何を隠そう、北海道ではまだ何人もスノーボードをする人がいなかった時代から、Team ローズミストはこの室蘭だんパラスキー場を拠点に、スノーボードの安全な普及に取り組み、近隣のローカルスキー場の発展に寄与してきたのです。 「室蘭の中心部から車で10分のアクセスでスキー場を利用できるというのは、とても素晴らしいことだということを広く近隣の皆様に知っていただきたいと思っています。 北海道から他所の都府県へ出て行くと、『北海道の人はスノースポーツが何でもできるんでしょ。』と言われることが多いです。 ところが、意外とそうではなかったりします。 雪が魅力の北の地に生まれた者としてスノースポーツを何も体験せずに巣立っていくのはとても残念なことです。 だから、スノーボードスクールを経営しているという立場だけでなく、広く地域の子供たちが利用できる『教育施設』としての位置づけで僕らは捉えて守ろうとしています。それに、「だんパラスキー場」には近郊にはないナイター設備もあり、夜22:00まで営業をしているのですよ! 仕事や学校の後でも気軽に行ける距離です。 もちろんルスツリゾートやニセコリゾートもありますが、夜に車を走らせて行くのはなかなか辛い。でも町から10分で着くのですから安心して楽しめる本当に貴重なスキー場なのです。 無くしてしまってはダメなんです! 存続を願って、3万人以上の署名も集めました。 室蘭だんパラスキー場は、地域の財産であり室蘭の大きな魅力でもあります。 一度潰してしまったスキー場は、2度と復活できません。 莫大な費用がかかるからです でも今なら工夫をすれば維持できます。 このスキー場が気に入って移住して来る人もいるのですから。絶対に残さないと!!」 このお話には激しく共感します。 実は筆者も室蘭だんパラスキー場の大ファンです♡ 親の立場から言えば、下から全てが見渡せるので安心して子供だけで滑らせられます。 我が子もここからスタートしました。 スキー指導者の立場から言えば、初めてのスキーの方には最適な斜面ですし、基礎練習にも最適です。 また、駐車場からすぐのところにリフト乗り場があるのも嬉しいですし、夜景や海が見えるロケーションも最高です。 こんな素敵なスキー場を無くすなんて考えられないことです。 純粋な地域愛溢れる日栄兄弟を中心としたTeamローズミストの皆様の想いが、どうか「いらない!」と言っている皆様に届きます様に…。 さて。 最後に今後のイベントスケジュールについて伺いました。 *2月13日(日) 13:00~15:00 室蘭だんパラスキー場にてJSBAスノーボードの無料レッスンがあります。 詳しくは、室蘭市広報をご覧ください。 ↑前回の無料講習会の様子。 *今年の夏にローズミストビーチクリーン作戦を予定しています。 *そして、Uターンで室蘭に戻って来られる息子さんがパーソナルトレーナーとして起業予定でもあります。 道内屈指の横乗り専門店「ローズミスト」。 『室蘭だんパラスキー場』存続も含め、本物のShop・本物のスクール・本物の地域愛に惚れた一人として、筆者自身も引き続き応援したいと思います。 皆様も是非お店を覗いてみてくださいね。 そして、冬&夏の横乗りにチャレンジしてください。 Teamローズミストは、親切丁寧フレンドリーな接客で、皆様をお迎えしてくださるはずです。 ―Rose mist(ローズミスト)情報― 北海道室蘭市東町2丁目6−6 Tel/Fax 0143-84-1991 代表取締役 日栄 毅 店長 日栄 均 HP https://rosemist1991.wix.com/snow-surf-skate FB https://www.facebook.com/rosemist1991 Instagram Rosemist_snow.surf.skate.shop Twitter @Rosemist_Shop オンラインストア https://rosemist.storeinfo.jp/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
0 -
02/12(土) 『役』を捨て自分自身に戻る時間 “hinna produced by Toya Pirka Shop” で癒される時
今回はToya Pirka Shopのオーナーで基礎化粧品“ hinna ”の開発者 加藤亜貴絵さんにお話を伺いました。 待ち合わせ場所に現れた亜貴絵さんは、スラリと背が高く素肌の美しい方でした。 石狩市ご出身で、短大では経済学を学び、長らく銀行員をされていたそうです。そして、6年前に洞爺湖町に移住されてからも同じ銀行の支店で働いていらっしゃいました。 ↑湖畔で遊ぶ亜貴絵さんの愛息子様 「地元に密着した洞爺湖町の支店では店内のチームワークも素晴らしく、営業の立場から地元の皆様とお話をさせていただく機会も多くあり、どんどん洞爺湖町の魅力に惹かれていきました。気づいたら洞爺湖町の大ファンになっていて、洞爺湖町の良さを町外はもとより町内の皆様にもっと知ってほしい!と思うようになっていました。」 そしてこんなお話も。 「自分自身、洞爺湖町に移り住んでから性格が変わったと感じています。それまでは常に何かに追われるようにキリキリとした生活でした。でも、洞爺湖町に移り住み、美しい自然や温かい人々に囲まれているうちに、周りの自然や人に心から感謝するようになりました。そして、“ 肩肘張らなくてもよい。自分の精一杯を生きればよい。”と、思うようになったのです。」 なるほど…。 “ hinna “のお名前の由来がわかりました。 hinnaとはアイヌ語で感謝を表すことばです。 「全てのものに感謝して生きていきたい」そんな亜貴絵さんの気持ちを表していたのですね。 さて、今回の主役 “ hinna “のことについて 「でも何故、その想いが化粧品に結びついていったのでしょう?」 そんな筆者の問いに、亜貴絵さんはこう答えてくださいました。 「私は元々アレルギー体質でもあり、ものすごい乾燥肌なのです。ですから、ありとあらゆる化粧品を試しました。その中で、これはいいかも!と思う基礎化粧品に出会ったとしても、何かしらの矛盾や難しさを感じて持続できない。加えて自分をすり減らす都会の生活にも疲れた頃に洞爺湖町に転勤して……。 そして先ほどの話に繋がっていきます。 ある日、ある農家の方に教えていただいた洞爺湖町名産の財田米と赤シソを知ったことは、私の中でとてもとても大きな出来事でした。洞爺湖町産の赤シソは、農家さんが毎年タネを採り、それを毎年撒き、手作業で何十年も繰り返し育てられているのです。命と産物を繋ぐ作業を全て手作業で行っていることに感動を覚えました。それに、抗アレルギー作用がある赤シソは、アトピー体質の私にはジャストフィットでした。この本当に素晴らしい洞爺湖町の産物をなんとか多くの人に知ってほしい! しかも私らしい方法で! そんな想いが化粧品とリンクしていったのです。」 一念発起した亜貴絵さんは、会社を辞め、わずか半年で『日本化粧品検定1級』を取得しました。 さらにお話しは化粧品成分に及び、語りは熱く繰り広げられました。 「まず、財田米はとにかく食べて美味しい! 実は私の父は石狩の米農家で育ちました。ですので、いつも美味しいお米をいただいていて、『うちのお米が一番美味しい!』と思っていたのです。ところが、財田米を食べたらそれが覆されました。初めて味わったお米での敗北感でした 笑。 心から美味しいと感じるものは肌にも良いと思っています。 お米には保湿や血行を促進する成分があると言われています。 そして赤シソ。赤シソには殊の他強い思い入れがあります。実は洞爺湖町は北海道で1.2を争う赤シソの産地なのです。それは残念ながらあまり知られていない事実です。こんなに良いものなのに何故!?と叫びたいくらい。赤シソには抗アレルギー・抗酸化作用があると言われる他、美白や保湿の効果もあると言われています。 この2大主役に加え、北海道産のサラブレッド由来のプラセンタも配合しています。こちらには優れたペプチドやアミノ酸が含まれているのです。 それと、hinnaは着色料や合成香料を使っていませんが、化学成分は含まれています。自然由来にこだわりすぎず、『人間が長年研究をし続けてきたお肌にとって必要な成分=化学の力』とのハイブリッドで作っているのです。 」 ↑手のひらサイズより大きな葉の赤シソ畑 ↑黄金色に稔った財田米 北海道産のサラブレッドにこだわった理由は、「餌の面でも衛生的にも丁寧に管理されていることと、北海道の原材料を使いたかったということです。」とのこと。 亜貴絵さんとお話ししていると、全てのことに裏付けがあり、きちんと分析されての言動だということが分かります。 ご自分のお仕事に対して『腹を括っている』という潔さが伝わり、ものすごく説得力がある。 本当にスカッと気持ちが良い方です。 ↑パンフレットデザインもパッケージデザインも全てご自分で行なっていらっしゃいます。 本当にバイタリティー溢れる方です。 ↑この優しい紫色は、お米の研ぎ汁の白と赤シソの紫を足した色だそうです。 「ところで、作っているのは亜貴絵さんご自身ではありませんよね? どのように開発レシピ通りに化粧品を作ってくれる製造会社を見つけたのですか?」 すると、その行動力に感動するお答えが返ってきました。 「あちこち電話を掛けまくって、直接営業をしにいきました! ですが、個人の話を聞いてくださるところはなかなか見つかりませんでした。変なオバさん扱い。ですが、実はこのコロナ禍はチャンスでもありました。化粧品業界もテレワークなどが多くなり、化粧をする人が減り、取引先自体が増えないという悩みを抱えていたのです。ですので、個人の話でも前向きに聞いてくださる会社様も現れました。それが現在、製造をお願いしております(株)粧薬研究所様です。こちらでは、私の話を本当に良く聴いてくださり、OEMに快く応じてくださいました。」 きっと、数字でものを説明できるという前職でのご経験も強みになっているのでしょう。 コロナ禍は、亜貴絵さん自身にも会社員であることのメリットとデメリットを深く考えさせてくれたと話してくださいました。 “ ピンチをチャンスに! コロナ禍をチャンスに!” 多くの人がそう口にしますが、誰にでも簡単にできることではありません。 でも亜貴絵さんは、コロナ禍をチャンスと捉えました。 止まりたくない。 前進あるのみ。 たとえ失敗したとしてもこうと決めたら突き進みたい! そんな亜貴絵さんの強い想いにより、準備期間に多くの苦悩を抱えて過ごしながらも、構想から1年半というハイスピードで ” Toya Pirka Shop ” を立ち上げることができました。 立ち上げ前には80人のモニターの方に使っていただきました。 いただいた感想から成分配合の手直しを繰り返し、ついに2021年12月に” hinna “が世に送り出されました。 最後にこう話してくださいました。 「しばらくは『変なオバさん』扱いでしたが、最近メディアで取り上げていただけるようになり、活動を知っていただけるようになったのはとても嬉しく有り難いことです。 ” Toya Pirka Shop “のコンセプトは10年後、20年後も使い続けたい持続的なものであることです。持続的であるためには価格はとても重要です。ですから、” Toya Pirka Shop ”の製品は価格設定が先です。 製造以外、今は一人で回しているので、製品コストは最低限に抑えることが可能です。 hinnaは1本3300円ですが、150ml入っていますので、だいたい2ヶ月半はお使いいただけます。内容成分的には絶対の自信を持っています。 女性にはたくさんの役割がありますが、1日の内のせめて数分だけでも自分自身に戻ってほしい、自分に優しくしてあげてほしい、そう願っています。スキンケアは自分自身の手で労わることができる作業です。自分で自分を癒すために毎日お使いいただけたら幸せです。 」 お話をいただく間、何度も周りの方への感謝の気持ちや、自然への感謝の気持ちを口にされた亜貴絵さん。 お話を伺い、この商品には” hinna “ 以外の名前は見当たらない。 そう思った筆者です。 ↑洞爺湖町 230号線沿いにある「きつつきカナディアンクラブ」さん敷地内にある「森と休日」さんで委託販売中です。 ↑こちらは洞爺湖温泉街の「越後屋」さんで委託販売中です。 「そうべつ道の駅 サムズ」さんでも2/11より委託販売が開始されました。 ※記事の内容は取材時の情報にもと基づいています(取材2022年)
Rietty
0 -
04/24(水) 【あの人に会いに】行動あるのみ! [ 星明子さん / 豊浦 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 一度は会いに行ってみてほしい、 地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画をスタートします! 【あの人に会いに】vol.1 初回は [ 豊浦町 ] から ”星の実ファーム” の 星明子さん です。 まずはじめに、明子さんを知るための3つの質問! 明子さんは、豊浦町礼文華にて ”星の実ファーム” を夫婦で営んでおり、主にイチゴとブロッコリーを生産しています。 2021年に新規就農、農業に奔走する傍ら、イベント等ではサンキャッチャー作りや糸掛け曼荼羅のワークショップを出店する一面も。過去にイベントを主催していた経験もあり、話し合いの場ではいつもアイデアマン!マルチに活躍されている明子さんの人生ストーリーを伺います。 北海道へUターン、子育てママたちとイベントを開催 明子さんは北海道池田町の出身。岩手県の高校、東京の専門学校と道外に進学。高校時代のボランティア活動がきっかけとなり、特別養護老人ホームで介護の仕事に就きました。 東京で就職し10年以上都会で暮らしましたが、北海道への想いは変わらずにありました。「帰省するときに飛行機の窓から見える十勝の景色、パッチワークのような広大な畑と、日高山脈に毎回感動していて……」30歳のとき、北海道へ戻ることを決意します。 北海道らしい仕事がしたい!と、酪農や畑作を経験したり、接客業に惹かれて飲食店で働いたり……。 そんな中、夫の雄介さんと出会い、結婚。転勤で移った浦河町が、明子さんにとってターニングポイントとなりました。 「女の子を出産して育てるうちに、なかなか好みのヘアアクセサリーが見つからず、自分で作るようになって。そうするとハンドメイド好きのお母さん方と繋がっていって、そんなママたちとイベントを開催したの」 会場にはなんと駅を利用し、イベントは大盛況!回を重ねるにつれてどんどん大きくなり、人気イベントとなりました。 「移住者で、地域のしがらみも何も知らないからこそ、無鉄砲に始められたんだと思う」 明子さんはそう言いますが、何も知らない移住先でイベントをゼロから作るなんて、誰にでもできることではありません。 「今すごく波に乗ってる!今ならいける!っていうとき、あるよね。”楽しそう”という気持ちだけで、自分の直感を信じて突き進んでた」 明子さん自身、なんと生後一か月の長男を抱えていたというので驚きです。 ”良いタイミング” だけでなく、そんな明子さんのエネルギッシュな姿が人々を惹きつけたのでしょう、周りのママたちを巻き込んでいきました。 「仲間と一緒に、それぞれが得意なことを発揮して作っていく、ということに喜びを感じてた!」 この経験から、自分の不得意なことは人に任せられるように。仲間と一緒だと大きな物も作り上げられる、大切な成功体験となりました。 『行動あるのみ!』 まずはやってみる そうして様々な経験を重ねた浦河町も転勤で離れることとなり、岩見沢市、札幌市へと移ります。そして2018年、夫の雄介さんが退職して農家になることを決心し、豊浦町に移住します。 「農業研修生の時に農業関係の人からよく言われていたのは、旦那さんが農家になりたいっていうのを、よくOKしたよねって。世の中で農業やりたいって思っている男の人は沢山いるけど、大抵は家族の了承が得られなくて諦める人が多いんだよと。」 安定した仕事を捨ててまで農家になるということ、そしてそれ以上に、大変だとわかっている農家という仕事に奥さんも一緒に就くということ。 「自然豊かなところで暮らしたいと思っていたし、畑仕事は嫌いじゃないし、やってみよう!くらいな感じで……今思えばだいぶ楽観的だったんだよね」 明子さんのモットーは、『行動あるのみ!』 行動することで、良いことも悪いことも沢山経験できる。諦めずにやりきることが成功に繋がる。浦河町での経験が、現在に活きています。 「とりあえずやってみよう!って。行動しなかったら何も見えてこない。”行動して飛び込んでいく” っていうのが、好きなんだよね」。 そう朗らかに笑う明子さんに、こちらまでエネルギーを貰います。 ”やり遂げた後の景色” を見てみたい —好きなことが沢山あると、どれも中途半端になってしまう……。 好奇心旺盛な人なら誰しも一度は通るジレンマではないでしょうか。明子さんも、サンキャッチャーづくりや糸掛け曼荼羅をはじめ、好きなことは沢山ありました。かといって、”これ一本で生きていく!” と言えるまでの思い入れはない……。 「一生かけてやる、という覚悟を持てるものが今までなかったんだけど、今は ”農業をひとつやり遂げる" そこで見えてくる景色を見てみたい、というのがあって」 しかし、大変なことや乗り越えなければならないことは山ほどあります。新規就農の大変さ、農業と生活との両立、夫婦で一緒に働くこと……苦しくなったり逃げたくなったりすることも多々。 「でも、自分で決めたことだから逃げたくない、自分に負けたくない」 自称負けず嫌いの明子さん、まだ見ぬ景色を見る日まで走り続けます。 美味しさで選んでもらえる農家に 豊浦ではまさに今、いちごのシーズンが始まりました! 星の実ファームのいちごは化学肥料・化学農薬不使用、健康的な土づくりを心がけています。そこには、子ども達に食物アレルギーがあったことで沢山悩んできたという背景がありました。食についてとことん学び、多くを知った明子さん。 「まず安心・安全、その上で、『美味しさで選んでもらえる農家』になりたい。美味しいって喜んでくれるお客さんの笑顔、今はとにかくそのために頑張ってる」 直売所は既にオープンしており、例年6月いっぱいまで。豊浦町は札幌ー函館の中間地点、キャンプ場もありますよ。ぜひ、元気ハツラツ、素敵な笑顔の明子さんに会いに行ってみてくださいね! 【 星の実ファーム 】 ~いちごをお求めの方は~ \明子さんに会える/ ▶ 直売がオススメ! 北海道虻田郡豊浦町礼文華403-4 インスタグラム{明子さん発信! DMで取り置きできます。 ▶ オンラインショップBASE ▶ 各ふるさと納税からもお求めいただけます。 国道37号線からは、真っ赤な看板が目印です!
misaki
0 -
05/11(水) 故郷への恩返しがしたい! 田村真梨絵さんの郷土愛が生む地域コミュニティー “ たむら食堂 “
この度の記事を書かせていただくにあたり、「人にとっての故郷とは?」 そんなことを改めて掘り下げてみたくなった取材となりました。 今回は、生まれ故郷の室蘭へUターンされた田村真梨絵さんのストーリーです。 周りを一瞬で明るくする真梨絵さんの笑顔♡ 東京での暮らし 真梨絵さんは室蘭市白鳥台で生まれ、18歳までを地元で過ごしました。 その後、途中イギリスでの留学を経験されながら18年間を東京で過ごしました。 東京では主にケータリングやフードコーディネーター兼カフェの店長としてご活躍されていました。 独立されてからも順調に進んでいたお仕事でしたが、徐々に体も心もハードワークに耐えられなくなっていったそうです。 ↑白鳥台のショッピングセンター 「ハック」に出店されている 「ハイミートたなか」の肉を使った生姜焼き そんな真梨絵さんにとって、故郷室蘭は、いつも温かく迎えてくれる癒しの場でした。 時々、ご実家のある白鳥台へ帰郷し、お母様の手料理を食べ、室蘭の自然に触れ、地域の人々に触れ、元気を取り戻してまた東京で頑張る。 そのようなサイクルを作ることで心身の健康を保ち、東京での仕事に力を注いでいた頃、この度のコロナ禍がやってきました。 ↑室蘭の自然 美しい海岸線 ↑卵焼き器ではなくフライパンで焼いた 出汁巻き卵は、家庭の味 ちょうどその頃、東京駒沢で、室蘭名物のウズラをメインにしたカフェの立ち上げと店長を任されることになったのです。 その名も『うずらカフェ』。 まさにコロナ禍のオープン。 お客さまの多くは東京に住む室蘭ご出身の方々でした。 「帰省もままならない皆様が、心の拠り所として『うずらカフェ』に訪れてくださったのです。コロナ禍で不安な日々を過ごされていた皆様には、カフェの存在をとても喜んでいただけました。そしていつの間に『東京室蘭会』なるものもできていました。『うずらカフェ』がコミュニティを生んだことはとても嬉しかったです。」 なるほど…。 でも、筆者は気づきました。 集まった皆様はきっと、『うずら』をきっかけに真梨絵さんのお人柄に惹かれて集まったのだということを。 お話中、まっすぐに相手を見つめ、常ににこやかで優しい真梨絵さんを拝見していて、そう確信しました。 ↑「うずらカフェ」時代の真梨絵さん 強くなる故郷への想い さて、このように東京と室蘭を行き来しながらも、やりがいのあるお仕事をされていた真梨絵さんを故郷に引き戻した想いとは、一体何だったのでしょうか? 「私自身、母親が作ってくれる食事と地元の皆様の温かさに触れて安心し癒されました。 今度は、東京での暮らしに疲れていた私を支えてくれた地元に恩返しがしたい。私の専門の『食』で地元の皆様の心身の健康を支えて差し上げたい。そう強く思うようになっていきました。室蘭市白鳥台は、実はニュータウンでは全国一高齢者が多い地域なのです。」 地元に帰るとホッとして癒される。 そこまでは多くの人が感じることです。 けれども真梨絵さんは、そこで終わりませんでした。 「いつか恩返しができるといいな」ではなく、「帰郷して恩返しをしよう!」とUターンしてしまったのですから、真梨絵さんの強さと優しさに感動を覚えます。 2021年12月末、起業をするためにUターンされてからの真梨絵さんの動きは実にスピーディーでした。 ↑店舗のリノベーションに集まってくれた仲間たち ↑作業の合間のランチ風景 『たむら食堂』を立ち上げる! [決心] 「超高齢地域の白鳥台には定食屋がない。地元密着型の大衆食堂を私が作って地元に恩返しをする!」 東京に住んでいた頃、何店舗かのカフェの立ち上げに関わっていたので、そのノウハウは熟知していた真梨絵さん。 場所の選定も、ポリシーもコンセプトもビジョンも明確にされていました。 [場所] 白鳥台唯一のショッピングセンター「ハック」の中と決めていました。 理由は、自分はもちろん白鳥台の住民みんなが大好きだから。 ハックは、今では珍しい対面形式の店が入っているところ。 いわゆる「魚屋さん」「お肉屋さん」「八百屋さん」「お花屋さん」などが並び、白鳥台住民にとってはなくてはならないショッピングセンターなのです。 もちろん、真梨絵さんも子供の頃からこのショッピングセンターにお世話になりながら育ちました。 だからこそ、空き店舗が増えてしまったこのハックにも恩返しがしたかったのでしょう。 [ポリシー] 「孤独な人を作らない」 「誰もが気軽に入れる店にする」 「白鳥台の方達の食卓になる」 だそうです。 温かい真梨絵さんの口から出てくる言葉には心からの本気が感じられました。 [コンセプト] 「『おかえり』 と 『ただいま』 が言える場所」 「おじいちゃん、おばあちゃん、家族連れが気軽に入れる大衆食堂」 笑顔あふれる温かい食堂の情景が浮かぶようです。 安心しながらご飯をいただけそう。 [強い想い] 「人と人との交流が生まれる食堂にしたい!」 「大好きなハックの食材を使いたい!」 「食堂を通して室蘭を知ってほしい!」 筆者のこれらの質問にすぐに答えが返ってくる真梨絵さんの歯切れの良さは、生半可な気持ちで取り組んでいるのではない本気と覚悟を感じました。 そんな真梨絵さんの周りには、いつも仲間がいっぱいです。 店内のリノベーションも手伝ってくれています。 冒頭のイラストも、DIYの仲間が描いてくださったそうです。 クラウドファウンディング(CF)での開業資金集めも順調に貯まりました。 CFに応援し協力する人々は、” たむら食堂 “ の事業計画や想いなどを丁寧に語る真梨絵さんの人となりに惹かれた人たちなのだと思います。 かく云う筆者もその一人です。 「ところで、とてもお忙しそうですが、お料理は真梨絵さん自らが作られるのですか?」 と気になる質問をさせていただきました。 すると。 「料理番は、老舗の和食の店を30年経営していた親戚の叔父とフードコーディネーターの私が共同で作ります。」との答えが返ってきました。 フードコーディネーターの真梨絵さんと、生粋の和食職人のコラボ! なんて魅力的なコンビネーションなのでしょう! これはもう期待増です。 郷土愛が繋ぐ人と人との心の交流。 真梨絵さんは、“ たむら食堂 “を拠点にした地域朝活イベントの構想もお持ちです。 例えば、『朝ご飯の無料提供+体操』とか。 美味しい朝ごはんを食べて、体を動かして、皆様の健康のお手伝いがしたいとの想いからの企画だそうです。 ここまでお話しを伺い、真梨絵さんがいる白鳥台が羨ましくもなってきた筆者でした。 “ たむら食堂 “にある真梨絵さんの優しい笑顔と美味しい定食は、「お互い様」と「お陰様」が生きる、安心と癒しの場になるに間違いありません。 OPENしたらすぐに行かなくちゃ! OPEN予定日はInstagramをチェック! ↓↓↓↓↓↓↓↓ オーナーのInstagram https://www.instagram.com/marieee108/?igshid=YmMyMTA2M2Y= たむら食堂のInstagram https://instagram.com/tamurashokudo?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
0 -
06/28(金) 【あの人に会いに】納得いくまで突き進む [あいなさん / 壮瞥]
『臥薪嘗胆』 ―目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。 「曲がったことが嫌い。 筋を通して生きるって言う事と、 根拠のない自信はどこかにある ってスタイルで生きてきたかも」 【あの人に会いに】vol.4 今回は、『美容室AINA.』こと あいなさんにフィーチャーします。 美容師で、東京のど真ん中へ あいなさんは壮瞥町出身。中学生の頃には既に美容師になることを決めていました。「子どもの頃から髪をアレンジするのが好きでした。美容師になるなら東京!と、もう東京しか見えていなかった」 高校卒業後、東京の美容専門学校に進学。卒業後に短期間メイクの学校に通った後、銀座の美容室に就職します。場所柄、メインとなる業務は夜職のママたちのヘアセット。しかし、あいなさんには目指していたところが別にありました。 「憧れていた有名な美容室が、原宿にありまして……」 何事も中途半端が嫌いで、せっかくやるなら一番いいところまで行きたい、という気持ちが強いあいなさん。東京まで出てきたなら、美容師になったなら、”ここまで行きたい” そう思うところがありました。 「その頃の流行がビビットカラー。髪の毛しましまにしたりとか、オレンジ・金・緑って3~4色いれたり、刈り上げたりとか。そんなデザインが好きだったし、その人たちと働きたいなって」 憧れていたものの、ほとんどが新卒採用のみの業界。しかしある時、その憧れの美容室で中途採用枠が出たのです。 「働いていた銀座のお店の先輩が、『あんたなら受かると思うよ』って背中を押してくれたの」 先輩の一言が支えとなり、採用試験を受けることを決意。面接のたびに毎回ヘアスタイルを変えるなど、努力とアピールを惜しみませんでした。 その結果、たった2名の枠で採用!めでたし……かと思いきや、”中途半端が嫌い”なあいなさん、この狭き門の合格を勝ち取ってもなお上を見ていました。配属が決まった店舗では納得できず、一番の有名店である原宿店で働きたい!と入社直後から直談判します。 「今思えば本当にただ生意気……普通はあり得ない、ダメなんですよ、そんなの。でも、ど~しても、ここでは気が済まない!と猛アピールして。憧れのスタイリストが在籍する原宿店に行きたい!と」 その熱意が伝わり、なんと入社後たった3ヶ月で原宿店へ異動が叶います。一流スタイリストはもちろん、アシスタントですらファッション誌に載る人が沢山いるようなお店です。 「下積みですね、がむしゃらに練習してた。仕事終わってから練習して、練習後にモデルハントして(街中で自分のスタイリング練習のためのモデルを探す)、レッスンノート書いて、デッサンして、って寝る暇なく」 結果として、アシスタントの中でも一握りの人しか就くことができない、トップスタイリストのアシスタントにまで辿り着きます。 「おかげさまで、全部見させてもらいました。ファッション誌の撮影現場とか、早朝から撮影の下準備させてもらったり……」 業界の第一線でアシスタントとしての全てを経験することができました。その後ジュニアスタイリストになり、このまま順調に美容師の道を進むかと思いますが……ここで驚きの方向転換に至ります。 諦めきれず、歌の舞台へ 「歌も諦められなくて」 実は、子どもの頃から歌が大好きだったあいなさん。歌の道を進む事を決意します。 「みんなと歌いに行くと楽しくて、やっぱり歌でステージに立ちたいなって」 ここでも、やるならいいところまで行きたい。歌をやると決めたなら、芸能事務所に入るところを目指します。 とはいえ東京で音楽をやっていたわけではなく、ゼロからのスタートでした。 「はじめは仲間探しから。音楽スタジオに行って掲示板のビラを見て……スマホも無い時代だから!!男性ボーカル希望って書いてあるバンドにまで電話して、まず一回練習入らせてくださいって。そうしたら女性だけど気に入ってくれたんだよね」 音楽の好みや雰囲気が合っていたロックバンドに加入し、そこで長く歌っていくこととなります。 お昼は美容師、夜は夜職の方々のヘアメイクに戻り、そして時折ライブハウスでライブをする生活を送りました。活動を続けるうちに事務所からオーディションの話も来ましたが、バンドに愛着があったあいなさんは、ボーカルのみのオーディションを受けられなかったと言います。「このバンドで音楽をやっていたい」と、活動を続けました。 地元・壮瞥で繋ぐ、ご縁の美容室 精力的に音楽活動を続けていきましたが、ハードな生活に不摂生。とうとう身体を壊してしまい、音楽の道は夢半ばで終わりを迎えます。 療養のため一度北海道に帰るも、再び東京に戻ったあいなさん。そしてご縁があり、30歳のときに出産。転機は子どもが2歳になるとき。シングルマザーとなり、壮瞥町に戻ることを決めました。 「東京に居たいと思っていたけど、ひとりで育てるには厳しくて……選択肢が無かった」 あいなさんのご実家は壮瞥町。祖父の代から商店を営んでいました。もちろん、町での知名度はバッチリです。 「育った環境上知っている人も多いから、肩身狭く感じていたというか……。周りの目があるから、娘としてもママとしても、ちゃんとしなきゃ、みたいな。自由にいられないなと」 窮屈さを感じていたあいなさんが、壮瞥町をまた好きになっていけたのは、人との出会いが大きかったと言います。 「本当に、ママ友と、この美容室のゆみさんとの出逢いだね。この方達がいなければ、壮瞥ではやっていけなかった」 美容室AINAとしてオープンした今の美容室は、元はゆみさんという別の美容師さんが営んでいたお店でした。あいなさんは壮瞥に帰って来てから、ゆみさんの美容室に通っていたそうです。 「ゆみさんは、子ども共々お世話になった人」 大切な人からのバトンを繋ぎ、生まれ故郷の壮瞥町でお店を開くこととなりました。 「洞爺湖が好きで、温泉街でお店を開きたいと思っていて……まさか壮瞥でお店をやるとは思ってもみなかった。でも、ゆみさんへの想いとご縁でここで始めて、本当にたくさんの人からずっと応援してもらっているなって」 お店のオープン時には沢山のお花が届き、多くの人に支えられていることを実感したそうです。お店のインスタグラムには感謝の言葉がずらりと綴られています。 これからは”健康” のことを伝えていきたい 2024年3月に無事にお店をオープンしたばかりですが、今後はどんな展望があるのでしょうか。 「自分自身、身体を壊したことから健康オタクで。東京の時だけでなく、北海道に帰って来てからも身体に出て。骨盤が痛くて眠れなかったりとか。自分の身体の不調は、息子にも悪影響。本当にボロボロで……40歳まで生きられないかも、そしたら息子はどうしようとか、ずっと不安に思っていた」 今のエネルギッシュなあいなさんからはとても想像ができませんが、疲れが取れない、アレルギー、痛みからの不眠、等々……様々な身体の問題に悩んできたそうです。ヨガ、体操、骨盤矯正、とにかく端から端まで色々なものを試し、最終的に辿り着いたのは『栄養学』。独学で勉強、更にオンラインで先生と学んでいるそう。今後はしんどそうな悩める女性を助けていきたいと考えているそうです。 「中途半端が嫌いと言いつつ、方向転換してきているから中途半端になっていたと思うこともあるし……自分に自信が持てなかったときもある。けど、その時その時でがむしゃらにやってきたから、全て無駄にはならずに今に繋がっていると思う」 美容師も、歌の道も、本気で全力で突き進んだからこそ辿り着いた”今”のあいなさん。 悩める女性の皆さんは特に、パワフルなあいなさんにぜひ一度会いに行ってみてください! 美容室は壮瞥町役場 山美湖 の目の前というわかりやすい立地!美容室のご予約は電話とインスタグラムのDMで受け付けています。 美容室AINA 営業時間:月~金 8:30~18:00 / 土 8:30~17:00 定休 :日曜日&第1・3月曜日 電話 :0142-66-2527 場所 :壮瞥町滝之町284 (壮瞥町役場 山美湖の前)
misaki
0 -
08/01(月) パウダースノーをこよなく愛する店主の、素朴でやさしいネパールの味。ビスターレ・カナ【ニセコ】
旅に出る代わりに、時々、エスニック料理が食べたくなる。 日本にはない、異国の香りが心を自由にしてくれる気がするから。 ニセコの道の駅で小さなスパイスの袋を見つけた。「ネパールチキンカレー」と書いてある。 素朴なパッケージと民芸調のイラストが、いかにも本場の感じだ…。 エスニックな香りを求め、お店を訪ねた。 青年海外協力隊OBが、現地で覚えたネパールの味 アンヌプリ国際スキー場の麓に、ペンション&レストラン ビスターレ・カナはある。 こんもりとした緑に覆わた、石貼りの壁が印象的な建物。 正面の不思議な文字に、目を奪われた。ネパール語で「ビスターレ・カナ」と書いてあるらしい。 「ビスターレ」は「のんびり」、「カナ」は「食事」という意味があるそうだ。 店内にはネパールの民芸品が飾られ、窓から濃い緑がのぞいていた。 時間がゆっくり流れているような、静かで落ち着いた空間。「ビスターレ」という言葉がぴったりくる。 オーナーの山野 美昭(やまの よしあき)さんは東京出身。青年海外協力隊としてネパールに赴任した経験を持ち、現地で覚えた味を、独自にアレンジして提供している。 ニセコ産野菜をふんだんに使った「ネパールカレーセット」はとてもカラフル!この日は13種もの野菜が使用されていた。 中に見慣れない野菜…と思ったら「摘果メロンです」と聞いてびっくり。カレーによく合うことにも驚いた。 インドカレーとも、スープカレーとも違う、独特のスパイスの香り。どこか懐かしいような…これがネパールの香りなのだろうか、想像がふくらむ。 山野さんとニセコの出会いは古い。 26歳でネパールに行くもっと前、10代の頃に遡る。 中学生の時に、おじさんに連れられ白馬八方尾根に行って以来、スキーが大好きになった。高校でますますのめり込み、「ただただスキーがしたい」と進路を北海道に決めた。酪農学園大学短期大学部に進学し、スキー部に所属してニセコによく通うようになった。 初めはスキー関係の接点しかなかったが、短大を修了し大学に編入する間の1年間、ニセコで酪農実習を行った。そこで農家に出入りするようになり、農業や酪農に携わるさまざまな人たちとのつながりができた。 この頃から、ニセコは山野さんにとって第二の故郷となった。 大学を卒業後、町内のペンションで乳肉製品の製造担当として働き始めた。仕事は楽しく、冬はスキー三昧。「好きなこと」に邁進する日々は充実していた。 ところがある日、常連のお客さんに言われた一言が、山野さんに転機をもたらした。 山野さん: 「あんた、いつまでぬるま湯に浸かってんのさ」みたいなことを言われて(笑) お客さんて、本当によく見てますよね。 要するに「好きなこと」と言いながらも、社会的立場としてはアルバイトじゃないですか。いつまでこんなことやってんのさ、なんて言われちゃって。 それで、何かしなくちゃな、と考えたのが青年海外協力隊でした。 食に関わる仕事をする中で、「飽食の時代」に疑問を持つようになって。 業務上やむなくではありますが、まだ食べられるものでも捨てていくわけですよ。そういう現場を目の当たりにするうちに、「食えない国、貧しい国ではどういうふうな生活をしているんだろう」という興味がすごく湧いてきたんですよね。 貧しいっていうのはどういうことかを知りたかった。 26歳~29歳までの3年間、山野さんはネパールで野菜の普及活動に勤めた。 飼料作の経験はあったものの野菜は素人だったため、協力隊の試験前に八ヶ岳農業実践大学校で研究生として学んだ。 実際に赴任してみると、気候も栽培品種も日本とは大きく異なり、かなり苦労したそうだ。猛勉強しながら巡回指導や作付け計画など、さまざまな支援に取り組んだ。 現地の文化にも興味を持った山野さんは、村の子ども達に混じって祭りの踊りを習い、一晩中、村人達と踊り明かしたこともある。そのエピソードは今でも新しい協力隊に語り継がれているという。 山野さん: 最後にネパールを出る時、みんなが見送りに来てくれたんですよ。そうしたら、思いもよらなかったんですけど、涙が出てきて、止まらなくて…。 なんで泣きっぱなしなんだろう、周りに恥ずかしい…でも自分で止めることができないんです。 3年間で悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと。そういう喜怒哀楽や、いろんなものが、全部出ちゃったんだろうな、と思います。 協力隊は一人だったので、日本人の代表として恥ずかしくないように、日の丸を背負うような気持ちで取り組んでいました。とにかく一生懸命やって、日本人は勤勉だという姿を見せたかったんです。 すごい背伸びをしていた3年間でした。でもあれをしたから今がある。 涙は、バンコク空港に到着するまで流れ続けたそうだ。 帰国後、結婚した山野さんは、しばらく後に元の職場からオファーを受けた。妻のカナさんを連れニセコに戻り、3人のお子さんに恵まれた。 1995年にビスターレ・カナをオープンし、以来ペンションとレストランを営んでいる。 ネパールカレーの多くは、「唐辛子の辛さと塩っ辛いのが、どーーんと刺さってくるような味」で、日本人には食べづらい。日本でいう昔ながらの塩ジャケや漬物、味噌汁のような感じだそうだ。 そこで山野さんは、当時コックとして雇っていたネワール族の少年に、「こういう風に作って」と指示して毎日食べられるカレーを作ってもらっていた。ネワールは美味しいカレーを作る民族として知られている。 その味と、ネパールで友人の奥さんが作ってくれたカレーがベースになってビスターレ・カナのカレーが出来上がった。 電気もガスも水道もなく、朝日と共に起き、陽が沈んだら眠る。山野さんが体験したネパールのローカルな暮らし。そこから生まれたカレーなのだと思うと、一層味わい深い。 のどかな農村の風景が、ぼんやり見えてくるような、素朴さと優しさを感じた。 「ここのパウダーはすごい」外人さんが教えてくれた、ニセコの魅力。 ペンションが最も賑わうのはスキーシーズンの12月から3月。Booking.comへの登録を機に7年ほど前から海外宿泊客が年々増え、8割が外国人に。客層がガラリと変わった。 日本のスキー・スノボ人口が減少する中、海外からのお客様はとてもありがたかった。 しかしその分、コロナ禍による被害は甚大だった。「外人さんが来ないということはこういうことなのか」と思い知らされる日々。今も大きなダメージが続いているが、とにかくやれることをやっていこう、と夫婦で力を合わせ頑張っている。 ニセコの雪をよく知る山野さんだからこそ、海外のスキーヤーに伝えられることが沢山ある。 コロナ以前にはいいポイントを教えてあげたり、時に一緒に滑りに行ったりしてとても喜ばれたという。そうした交流がニセコの魅力を再発見することにつながった。 山野さん: 海外のお客様が来て、教えてもらったと思っています。ニセコの雪が、世界レベルなんだということを。 例えばカナダのバンフやウィスラーがベースだという人がここにくるわけですよ。 「なんで?」って聞いた時に「パウダーここ違うよ」という。 「ここのバックカントリーは、1週間いたら少なくとも2回は滑れる。世界有数のスキー場でも1か月滞在して1回あるかないかの素晴らしい雪質だ」と。 僕にとっては当たり前だったんですよ。ニセコのパウダースノーが大好きで、ずっと昔から滑っていましたから。 「アンヌプリはスキー場自体は小さいけれど、雪は最高だ」と聞いた時に、とても驚きました。 彼らを連れて一緒に滑った時の満足げな顔!それを見るのが僕はもう、最高ですね! 筆者は今年、初めてニセコの冬を体験する。昨冬、引っ越し準備に訪れた時には、どこもかしこも分厚い雪に覆われ、あまりの真っ白さに、おそろしいと思った。 しかし、厳しい冬ならではのパウダースノーであり、その雪をこよなく愛する山野さんの言葉に、なんだかとても勇気が湧いてきた。 ネパールカレーを味わいながら、「私も冬を、楽しむぞ!」と決意した。 世界中のスキーヤーでニセコが賑わう冬が早く戻るようにと祈るばかりだ。 ペンション&レストラン ビスターレ・カナ 詳細情報 住所: 北海道虻田郡ニセコ町ニセコ431-1 電話: 0136-58-3330 ランチタイム: 11時30分~15時(ディナーは要予約) 不定休あり。事前に電話確認するのがおすすめです HP: https://sites.google.com/site/bistarekana/ スパイスキットは道の駅ニセコビュープラザで購入できます ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
ch
0 -
06/08(土) 『Cafe Pito』&『Pitoゼミ』 〜満たされる場であるために カフェと塾=食と教育 その融合を目指す檜山夫妻の実践とは
以前から気になりながらも、なかなか訪れることができなかった『Pito』さんのドアを開けたのは早春の頃でした。 看板料理、スープをひとくち口に運んだ時、「おいしい…」。と心が言いました。 なんと表現をしたら良いのか? 有名シェフの高級料理を口にした時の「美味しい〜!!」というのではなくて。 おふくろの味に安心する「うん、うまい」。というのでもない。 ほっと心が落ち着いて、しみじみとその美味しさと、作り手の優しさがじわじわと伝わってくる味と言ったら良いのかな…。 ということで、その「おいしい…」スープをいただいた瞬間、是非、こちらを取材させていただきたい!となったのでした。 室蘭出身の檜山祥太さん35歳は、大学院卒業後、新規オープンの塾に携わるなどして塾講師をされていました。 福島県出身の檜山翠さん33歳は、大学卒業後企業の管理栄養士として働いていました。 そんな時にやってきたあのコロナ禍。 「ずっと機械的に同じことを繰り返す毎日に疑問を感じるようになりました。働き方やライフスタイルを変えたいと思ったのです。この先は、自分たちでなければできないことをしていきたいと考えました」。 そう語る檜山夫妻。 取材を通し、同じようにコロナ禍をきっかけにライフスタイルを変えた方々に出会ってきましたが、その多くが何故か同じくらいの年齢の方々でした。 心機一転、当時住んでいた岡山県から祥太さんの生まれ故郷室蘭にUターンされましたが、選んだのは実は翠さんなのだと言います。 「空き家利用助成金制度が有り難かったのもありますが、なんというか、室蘭の奥ゆかしさというか、さびれ加減の良さというか、昔ながらというか、静かな感じがよかったんです」。 と、翠さんは、スープをいただいた時に感じたお人柄そのままに、丁寧に言葉を選びながら 優しく話してくれました。 そうそう! こちらも! こちらは取材の日にいただきました。 世界のスープDayと称して、月替わりで世界各国のスープを提供しています。 この月の「ウクライナのスープ」は、本当に具沢山でからだ喜ぶ味。 そして、ユニークだったのがシシャモの天ぷら! 煮豚も柔らかくて「おいしい…」。 シシャモの天ぷらは、福島では当たり前に食卓に上るのだそう。 こちらはウクライナではなく、翠さんの故郷の味でした。 「ところで、メニューへのこだわりを教えていただけますか?」 「管理栄養士でもあるので、なにより栄養を一番に考えています。Pito Cafeはスープがメインの店なので、できればスープで栄養も完結させたいと考えています。できるだけ調味料を使わず、素材そのものの味を活かすように工夫して調理をしています。お握りにしているのは、ちいさなお子様からお年寄りまで食べやすいから。ご希望によっては、グルテンフリー・ハラル・ベジタリアン・ヴィーガン対応もします」。 「それと、世界のスープは、スープをきっかけに室蘭以外の世界の歴史にも目を向けて欲しいと願う夫の提案です」。 まさに、教育と食の融合スープなのですね。 しかも、各種嗜好や宗教にも対応されるとは、世界のスープに着眼されるだけのことはあります。 そうそう! この日は「ドッグカフェの日」でした。 年一回開催されるお隣の「犬の洋服屋さん」のイベントに合わせ、ワンちゃん用のお食事とデザートを用意して開放されています。 また、このイベントの日ではなくても、ワンちゃん用のスープ・バースデーケーキ・お菓子などの注文も受け付けているそうです。 大の犬好きな翠さん。 筆者が飼っていた犬が亡くなった時の話をすると、目を腫らして泣いてくれました。 本当に優しいお人柄。 「この町で、Cafeをやっていて良かったと思う時はどんなときですか?そして、これから先、どんな存在でありたいと思いますか?」 カフェの取材の最後に聞いてみました。 「好きなことができて、好きな町でできて、本当に良かったなあと道を歩いていて思うんです。だから、Pitoもいつもそこにあって、ふらっと寄れる場所でありたいと思います」。 ここまで気負わない自然体の翠さんと、もっと一緒にお話をしたいと思った筆者でした。 さてそして、Pitoゼミの祥太さんにもお話を伺いました。 「妻はこの町を選びましたが、実は、室蘭出身の僕は帰って来たくなかったんです」。 いきなりそんな話から始まり、少々焦る筆者…。 「Pitoゼミは、もしかしたら世間の流行とは逆行しているかもしれません。僕のスタイルは褒めて伸ばすのではなく、やる気の見えない生徒は徹底的に怒るスタイル。だから、入塾前の保護者を交えた説明会でもそのことをしっかりと伝えます。すると、何人かは入りません。それと、親の説得を受けて嫌々入った子は途中離脱する子もいます」。 またもや過激な発言…。 そして、「僕の喋ることは半分も書けないかもしれませんよ」。と… なんだかドキドキしてきた筆者。 カフェの取材だけでやめておけば良かったかも…と後悔半分…。 でも、実は祥太さんにはその台詞を言うだけの強い信念と覚悟がありました。 「今の室蘭の子どもたちって、たとえば、勉強をダラダラとしていたとしても、学校でも家でもあまり怒られていない。だから僕は、敢えて怒るべき時はきちんと怒りたい。それが何故かというと、たとえ地方で乗り切れたとしても、そんなんじゃ全国へ行ったら戦えないんです。僕は一人でも戦える人間を育てたい。受験は人生を賭けた戦いです。Pitoゼミとしては、受験対策を通して「学ぶ」ということを学ぶ。「自立」ということを学ぶ。それを伝えていきたいと考えています。例えば、文献の調べ方・データの取り方などを知らなければ、今盛んに叫ばれている真の「探究学習」などできません。洞察力を高めたり、自分を認識できるようになるなど、本来「探究学習」はとても大切なんです。でも、僕から見たら、どうしても表面的なところで満足しているように見えてしまう。だから、本物を伝えたいと考えています」。 生ぬるい優しさを捨て、自ら嫌われ役を買って出てでも子どもたちの将来を真剣に思う。 強烈な愛の表現です。 「カフェだけの取材だけでやめておけば・・・」と一瞬でも思った自分を恥じました。 「ですから、入塾前の保護者説明会では、子どもがどれだけ真剣に「学ぶ」に向き合っているかを見ています。そこで、僕の方針をきちんと親御さんと共有しなければいけませんから」。 確かに。 共通認識のもとに始めなければトラブルの元になりかねませんね。 それにしても営業的にはどうなのかと、余計なお世話が働く筆者・・・。 ところでPitoゼミは大人対象にも塾を開催しています。 たとえば ・論理的思考を高めたい ・学びなおしたい ・公務員試験対策をしてほしい ・英検やTOEIC対策をしてほしい ・講演会の講師をしてほしい などなど、様々なご要望にお応えされているそう。 最後に 「Pitoゼミの未来も根幹を変えるつもりはありません」。 そうきっぱりと話してくれた祥太さん。 長いものに巻かれない確固たる信念に、清々しさを感じた筆者です。 Pito Cafe と Pitoゼミ=食と教育の融合 室蘭で、唯一無二の存在として、これからも発展していく予感がしました。 早くまたスープをいただきたい! ―Pito Cafe & Pitoゼミ情報― 室蘭市中央町2丁目7−10 P : 大町商店街お客様用駐車場利用のこと 電話:080-3233-6454 Pito Cafe https://www.instagram.com/cafe_pito?igsh=MWVnN3VyMGxmaTA5dQ== 定休日:日曜日 Pito ゼミ https://www.instagram.com/pito_semi.study?igsh=aDdlcm54ZHRkeDVu
Rietty
0 -
07/08(月) 「地域の皆様の健康を食で守りたい!」 〜北海道伊達市食生活改善協議会会長 岡村香奈氏が目指すこと
胸元のブローチをご覧ください。 もしかしたら、岡村香奈会長という呼び名よりもilo(Beads Jewel)の香奈さんと表現する方が馴染みがあるかもしれません。 でも今回は、敢えて北海道伊達市食生活改善協議会の新会長としての岡村香奈さんにフォーカスをしました。 〜食育アドバイザーを目指したきっかけ〜 岡村さんが食育アドバイザー(一般財団法人 日本食生活協会)の資格を取得したのは、平成25年に「考える栄養教室」という講座受講によるものでした。その後は、平成26年4月より食生活改善推進員として在籍し現在に至りますので、かれこれ10年間活動を続けて来られたことになります。 食生活改善協議会という名前はあまり耳慣れないものですが、実は歴史は古く、元々は戦後の食糧難の時代、国民の健康をサポートするために立ち上がった協議会なのだそうです。 団体の活動としては、「市民の健康を食で守りたい」という想いで集まった人たちのボランティアです。 全盛期は100名をこえていたこともあった会員数も、2024年4月16日付で男女合わせて会員数27名と小さな所帯。 平均年齢は66.7歳、最年長は83歳、最年少は岡村会長で47歳。 この会もライフスタイルの変化、高齢化に伴い、年々会員が減っている状況だそうです。 「岡村さんが、食育アドバイザーを目指したきっかけを教えていただけますか?」 「中、高校生くらいからずっと婦人科系の異変を感じていたのですが、鎮痛剤などで凌ぐ期間を長く過ごしていました。社会人になっても、常に体調を気にしながら生活をしていたので、いつも不定愁訴がまとわりついているような状態でした。 運動が大好きなだったので、中学では運動部に所属していたのですが、体調がいつも思わしくないので、周りが楽しそうにスポーツをしたり、留学したり、旅行したりしているのを見聞きしても、“自分はいつ体調が悪くなるかわからない”という不安から、行動は常に消極的でした。大人になり、結婚を機に伊達に移住したのですが、伊達に来てすぐは、ペーパードライバーでしたのであまり出歩くこともせず、友達もおらず、夫への食事を作ることが楽しみという生活がしばらく続きました。外へ出て働くということにもなかなか踏み切れないまま、家で過ごす日々。そんなある日、道の駅に行くと、ピンクのエプロンを着用した母親くらいの年齢の方達がお料理のデモンストレーションをして試食を配っていました。テーマは水菜。振る舞われていたのは、水菜の蒸しパンとスムージーでした。それがとてもおいしかったのです!! 水菜がこんなお料理になるのだという感動。そして、そのデモンストレーションをされていた皆さんはとても輝いていました。“私もこの方達の中に入って、お料理を覚えたい!” と思ったのがきっかけでした」。 この時はまだ、「この方達の仲間になりたい!こんなお料理ができるようになりたい!」という、純粋に自分のためという入り口だった岡村さんでしたが、活動を続けるうち、徐々にそれだけではない大切なこと、新たな目的意識が芽生えていきます。 〜食育アドバイザーとしての役割とは〜 会員同士が健康であるために学ぶということが第一目的の会ではありますが、相互に学んだことを伊達市民の皆さまにも還元し、食を通した健康のお手伝いをすることを役割とされています。そしてそれらは全てボランティア活動として行なっていらっしゃるのです。 「ところで、会長の役割と会の具体的な活動内容を教えていただけますか?」 「会長は、会の統括役です。北海道食生活改善推進員協議会からの連絡を担ったり、時には外部との連絡役を担ったり、また伊達市健康づくり推進協議会の会議に参加などをしています。会の活動としては、『私たちの健康は私たちの手で』という日本全国の食改さんたちが同じスローガンを掲げて様々な活動をしています。伊達市では、保健センターを拠点に年5回の例会で、会員相互に考えたレシピで調理をしたり、テーマを決めて勉強会などもしています。また、市民参加の例会もあります。例えば、雪印メグミルクより講師をお招きして、チーズについて学んだこともありました。 それと何よりも、伊達は野菜が最高に美味しいので、会では伊達野菜を食べることを推奨しているため、圃場見学研修なども行いました。 そのほか、伊達市保健センター、食育センターなどを使用し、依頼があった団体の方たちと一緒に調理実習をしたり、「子育て支援センターえがお」・「伊達開来高校」の栄養学の授業に講師として伺ったり、子宮がん乳がん検診時にBMI測定や健康的な食事の提案、または野菜についての情報提供などもしています。 そうそう!コロナ禍で活動が制限されたことをきっかけに始めた『食改さんおすすめレシピ』という手軽なレシピも年5回発行しているのですが、現在20号まで発行されておりとても好評です。(R6年度は21号からスタートします」。 「なるほど…。活動は多岐に渡っていますね。とても重要な活動をされていらっしゃいますが、全てがボランティアなのですか・・・」。 「はい。戦後の創設当初からそうなのです」。 ここまで素晴らしい活動をされているお話を伺うと、もう本当に頭が下がるばかりです。 戦後80年も経っているのですし、完全ボランティアでなく、そろそろ方針を変えてもよいのではないかと思うのは間違っているのかな・・・? 会員さんの時間の無償提供に、国も地方自治体もいつまでも甘えていてよいのかな? そんな悶々とした疑問が湧いてきてしまった筆者です。 〜一番大変だと思うこと・やっていて良かったと思うこと〜 「私自身にとっては、何より、年齢問わずいろんな方と関わらせて頂いたことで、人とのコミュニケーションの大切さを改めて知ったことが大きな収穫でした。 それに、お料理をしたあと、「楽しかった!おいしかった!やってみるね!」など参加者から自然と出る言葉や姿を見ていると、とても幸せな気持ちになり、達成感に満ち溢れます」。 あ…こういうところですね。 きっと。 他人の喜びを自分の喜びに変換できるところが、岡村さんはじめ会員の皆様の素晴らしいところなのだと納得しました。 「大変だと思うことは、会員の皆様の自分自身の仕事とボランティアの配分です。会の団体名からよく間違われるのですが、私たちは伊達市の職員ではありません。完全な無償ボランティア団体なのでお給料もありません。 特に子育て世代は働いている方も多く、仕事を休んで活動するというのはなかなか難しいのが現状です。例えば栄養教室があるときは、レシピを考え、担当者を決め、打ち合わせをし、前日に買い物に行き、当日は参加者より早く行って下準備し、終わったあとは綺麗に片付けます。皆んなへとへとになります。高齢になればなるほどそれはより感じるはず。このように、忙しすぎる活動は実は会員が減る原因にもなっています。ですので、会の活動が持続可能であるために、私が会長になってからは、ボランティアの活動は月3回くらいまでと取り決めをしました」。 〜モチベーションの維持について〜 「やはり、皆様とても大変な想いをされながら活動をされていらっしゃるのですね。ボランティアと仕事の配分に悩む中、モチベーションの維持はどこにも求めていらっしゃるのでしょうか?」 「はい。会の仲間同士や参加者の皆様との異年齢との交流、またお友達でも家族でも職場の仲間でもない仲間との交流ができることはとてもとても貴重なことだと思っています。プラスして、家族や自分の健康の維持にも役立っていますし。例えば我が家の娘は「伊達野菜が美味しい!」というように素材の味がわかるようになってくれました。これはとても嬉しいことです。 ちなみに、娘の弁当は栄養バランスを考慮したおかずを詰め、16雑穀米、化学的ではないふりかけなどを入れています。そのお陰か常に快便で、思春期ですがニキビ・肌荒れとは無縁のようです。こういう効果は母親として大変嬉しいことですし、活動への意欲にも繋がります。活動を始めて以来、特に家族を見ていても、自分自身でも医食同源を実感しています。そして何よりも自分の活動を一番に理解してくれる人がそばにいるという安心感は、モチベーションの維持に繋がっています。それに私、今まで辞めたいと思ったことはないのです。食育講座に「来て良かった!」「こんな料理の仕方があるんだ!」というような感想を聞くことも大きな励みになっているのですよ」。 このようなお話を伺い、ご自分の立ち位置と、ワークライフシナジーを考えた岡村さんの姿勢に大いに納得した筆者でした。 〜10年活動してきて気づいた課題・活動を通して伝えたいこと〜 「食育アドバイザーとして10年の節目に会長になられたわけですが、活動の中で見えてきた課題はありますか?また、その課題の解決に向けて今後どんな取り組みを考えていらっしゃいますか?また、市民の皆様にはどんなことを伝えていきたいですか?」 「食事に気をつけている方はとことん突き詰めている方が多く、一方で全く気にしていない方も多いのが現状です。多くの方は、おそらくは健康診断に引っかかったり、何らかの身体への異常を感じたり、周りにそのような方がいない限り、おいしいもの、食べたいものを好きな時に好きなだけ食べるのが一般的かと思います。そんな中、私たちにできることは、“こういうこともありますよ〜”と、地区栄養教室や検診時サポート、学校などで種まきをしてくることなのではないかと思っています。もっとも、私だって、いつも健康的な食事をしている訳ではありません。とにかく美味しいものが好きですし、流行りものにもすぐ食いついてしまいます。夫に「癒し系じゃなくて、いやしい系だよね。」と昔言われてしまったほど笑。ですから、±0にするくらいの気持ちでやっています。なんて、会長が言ってしまったらダメなのかな・・・。でも、敷居を低くして、みんなで健康について考えるきっかけを作りたいと思っています。どのくらい芽が出るか、興味を持っていただけるかは分かりませんが、種を蒔かなければ何も始まらないので、地道かもしれませんが、微力ながら、活動をしていきたいと思っています。そして、その上で会員数を増やしたいと思っています。 広報でも案内されますが、「考える栄養教室」という2年に一回開かれている講座を一定時間受講し、食生活改善協議会にご入会いただき是非仲間になっていただきたいです。その講座が今年の秋に開催されます」。 「活動を通して伝えたいこととしては、せっかく素材が豊富なところに住んでいるのだから、産物を体に必要な十分な量を調理法を工夫して美味しく食べて欲しいと思っています。がんじがらめに“ねばならぬ”ではなく、ちょっとした心がけで健康に結びつくということを伝え続けたいです」。 〜今までの自分・今の自分・そしてこれからの自分〜 「今まで10年間の食育アドバイザーのボランティア活動を通して岡村香奈個人として得たこと、これからの自分に生かしていきたいことはありますか?」 「数えきれないくらいあります。まず、食改には娘が幼稚園のときに入りましたので、娘も食に対する意識が高くなり、ボランティア活動に対する興味も自然と身についていました。ある日、落ちていたビニール袋いっぱいにゴミを拾って帰ってきたことがあったのです。手袋もせずに落ちているものを触るということに正直不安もありましたが、食改に入っていてよかったなと思った瞬間でした。 それから婦人科疾患については手術をして根治したものの、年齢的にも気をつけなければいけない数値が色々ありますので、食事のコントロールで維持しています。食物系に対してこんなに興味が湧くとは思っていませんでしたが、体調不良や病気を経験し、きっとこうなるべく道だったのだと思っています」。 「これからのワークライフシナジーとしては、正直行き当たりばったり人間なので、目の前にあることをできる時に100%でやるって感じでこれからもやって行くのではないかと思っています。対価をいただく仕事としてのアクセサリーの制作は、制作意欲にもなりますし、食改においては、私が年間予定を決めるまでもなく、先に埋まってくるので、そこを調節する感じかな?そして、食改はあくまでもボランティア活動なので、あまり忙しくせず、どなたが入っても自分のペースで活動ができるということを、私自身が身をもって示していきたいと思っています。 仕事もボランティアも一人でできることではなくて、こうして好きなようにさせてくれている夫や娘を含み家族には、常に感謝の気持ちでいっぱいです」。 「では最後に改めて、会長としての抱負をお話しいただけますか?」 「とにかく、皆が仲良く楽しく活動できるように取り計らっていきたいです。会を通じて知り合うはずのない人と知り合える機会をいただきますので、多様な背景の人や、多様な年齢の人との交流を大切にしながら、食の大切さを共有し、会員全員が「やってて良かったね」と思えて、相互に学んだことを市民に還元できるような会にしていきたいと考えています。そして、もっと仲間を増やしていきたいです!」 決して気負うことなく、自然体で淡々と目の前の課題に取り組む姿はまさに会長の風格でした。 医食同源を身をもって伝えている会の活動に敬意を表すと同時に、岡村会長の想いが市民の皆様に届くことを願います。 北海道伊達市食生活改善協議会についての情報 連絡先 https://lollubas.dcpc.jp/post-558/ イベント情報 7/19伊達野菜についての講和 9/6メグミルクの方によるヨーグルトについての講和
Rietty
0 -
10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0 -
01/18(火) ブレない自然体な人 “ 須藤建設 株式会社/ SUDOホーム“ 4代目代表取締役社長 須藤正之氏に出会った
冒頭からなんですが…。 筆者、須藤正之氏に惚れました。 正之氏の未来への愛溢れる想いに触れ、とても清々しく温かい気持ちにさせていただいた取材でした。 正之さんの生い立ち 正之さんは1973年 北海道豊浦町で生まれました。 豊浦町は、須藤建設(株)の創業者 須藤幸次郎氏が1918年に会社を興したところです。 ↑宮大工だった幸次郎氏、豊浦神社の建築がきっかけで、山形県から豊浦町(当時は豊浦村)に移り住みました。当時は家具も手がけていたそうです。 生まれた家は、会社の資材センターの敷地内にありました。 「子供の頃の自分にとっては、“ そこにある “ 木端や釘などが格好の遊び道具でした。 友達や兄弟(弟二人)たちと秘密基地を作ってよく遊んだものです。今思えばかなり危険な場所だったのですが、資材センターという子供にとっては危険地帯で遊ぶことで、加減を知り、安全を学んだのだと思います。同時に、「そこにあるもので工夫して遊ぶ」ということを学びました。」 正之さんにとって、器としての家への想いとは? 「昔の家なのでとにかく寒かったです。 中学までは生まれた家で過ごし、高校からは札幌の寮に入りました。大学は東京へ。そして大学卒業後、札幌で勤めた時にアパートに住みました。この時、建材アレルギーで大変辛い思いをしました。 色々な土地の色々な家に住む中で、家は環境や気候や何より住む人に合ったものであるべきだと思うようになりました。 家に住むということを日々当たり前に暮らしていますが、引っ越しを繰り返す中で「住」の大切さを肌で感じるようになりました。 」 生まれた時の住環境に始まり、周りの大人たちの仕事ぶりを見ていたこと、色々な家に住んだこと、そんな経験から「住」に関わる仕事への擦り込みがされていったと思うとも話してくださいました。 須藤建設株式会社の住宅部門SUDOホームの企業コンセプト「土地が家を決め、人でいえが決まる。」 正之さんの経験談から発する「住」への想いは、まさに企業コンセプトにリンクするお話でした。 「北海道の地を見つめ、ここで暮らす人々を見つめて、この風土にふさわしい住まいを追求する」 この信念は、外観へのこだわりにも繋がります。 「家はそこにずっとありつづけるものです。 ですから、自然も含めた周辺環境に溶け込み、トータルで存在するものでなければならないと思っています。」 実は筆者の家の近くにもSUDOホーム作の家があります。 やはり、周りに馴染みながらもとても存在感があり、外観的にも素敵で住みたくなる佇まいです。 本当にお話の通り♡ 正之さんにとって自然とは? 「自然も含めた周辺環境」のお話が出たところで、こんな質問をさせていただきました。 「私は豊浦に生まれたわけですが、あそこは海があり川があり山がある自然豊かなところです。 札幌や東京にも住みましたが、自分の中では住むのも仕事も自然豊かな北海道だと思っていました。 アトピー体質ということもあり、自然に囲まれているとストレスがないですし、人間らしくいられます。 自然の中で遊ぶ経験が少ないと、人間力が退化してしまうのではないかという危惧を持っています。 そういう意味では今の子供たちが心配です。 人間にとってどんなに知識や技術が発達しても自然には勝てません。 産業革命以降、人間は自然を犠牲にして生きてきました。 もしかしたらすでに手遅れかもしれませんが、それを食い止めるために何かしないと心配で子どもも作れません。 環境を未来へバトンタッチするためにも、できることを何かしないと。地球を大切にしないと…。」 ご自分を “ 話し下手 “とおっしゃる正之さんは、丁寧に言葉を選びながら、自分に言い聞かせるように、そして心でお話しされているのが分かる語り口調でお話ししてくださいました。 筆者は、ここまでのところで文章には表現はしませんでしたが、何度も子どもたちへの想いを語る正之さん。 本当に未来の子どもたちのことが心配で仕方がないご様子でした。 須藤建設株式会社の住宅部門SUDOホームの取り組み〜子どもたちと自然に向けて 実は、初めて須藤社長にお会いしたのは、3年前のことでした。 「植樹会に集まったお子様向けに何か自然体験プログラムを行なってほしい」というご依頼をいただき実施した時のことです。 ↑2019年10月の植樹会・昼食のあとの自然体験プログラム風景 このようなスタイルで植樹会を行うようになったのは、「使わせていただいた分だけ、木を植えて地球に返していきたい。 子どもたちにこの森で自然に触れ合う時間を作りたい。」という正之さんの想いからでした。 「もちろん、木が大きくなるのには時間もかかります。 すぐに元に戻るわけではありません。 でもECOへの取り組みは ” 1人の100歩より、100人の1歩 “ を座右の銘に、取り組みたいと思っています。」 植える樹種も様々です。 トドマツ・アカエゾマツ・イタヤカエデ・ヤチダモ・エゾヤマザクラ・シラカバetc.という風に北海道に馴染んだものを専門家のアドバイスを受けて選んでいます。 これらをオーナーの皆様に植えていただき、ジンギスカンを囲んでいただき、自然体験をしていただくという内容です。 ここでの体験が、子どもたちに擦り込まれて自然に親しみを持ち、木に親しみを持ち、木で作られたものへの愛着、家への愛着が湧くようになるのだと思います。 さらに今後に向けてこんな構想もあるそうです。 「今後、少子化と人口減少は止まることなく続き、DXは進化していきます。でも、子どもたちにはAIにはできない” 物づくりの楽しさ “ を知ってほしいと思っています。 ですので、家づくりの技術を知る子ども向け体験会の実施計画を持っています。 そして将来、職業の選択肢に建築業を入れてほしいとも考えています。 話で聞いたり本で読むよりも、体験に勝るものはないです。 」 お話を伺いながら、正之さんの幼少期のエピソードを思い出していました。 この構想のベースはきっと、資材センターでの秘密基地つくりなのでしょう。 ↑「彩り豊かな風」とは子どもたちのことだそうです。 ↑須藤正之氏が青年会議所の理事長だった頃に書いたものです。 2012年ですから、まだSDGsが叫ばれる前ですね。 ところでご趣味はなんですか? ↑お気に入りのロードバイク 「三つあります。 一つ目はお気に入りのロードバイクで走ることです。5年くらい前に始め、コロナ禍では3つの密を気にする必要がないため洞爺湖一周などして走っています。自然の中、心地よい運動にもなっています。二つ目は3~4年前に始めた硬式テニスです。 伊達テニス協会主催の初心者教室から始めて続けています。 三つ目はバイオリン(あまりできてないから恥ずかしいのでフォントを小さくとのご要望で… ^^;)です。」 ↑洞爺湖一周の時の一コマ。 どれも友達から誘われたのがきっかけだそうです。 「どんなことでも取り敢えずやってみる!というのがモットーです。 それは全てのことにおいてそうです。 固定概念に囚われて、食わず嫌いをすると世界を狭めてしまいもったいないと思っています。 どんなことでも楽しめてどんなことでも無駄はないと思えるのは自分の良いところかもしれません。 それに何より人の輪が広がるのが嬉しく楽しいです。 」 ところが、一方でこんな風にご自分を評価されていました。 「もしかしたら自分がないのかもしれません。 自分が話すより聞く方が好きですし。 人と交わることで常に変化している自分を感じたりもします。 いわば細胞分裂を繰り返すアメーバみたいなものです。 それと、” 苦労は買ってでもしろ “という言葉がありますよね。 いつも自己変革を起こしていたいのだと思います。 でも同時に、人から頼られる存在でありたい、人の助けになりたいという欲求もあります。 」 こんなにも偉ぶらず、苦労話を一切せず、飾らず、自然体でご自身を語られる企業トップの方って、ほとんど出会ったことがない気がします。 すっかりファンになってしまった筆者です。 とことん謙虚でニュートラルな方です。 最後に、読者の方に向けて何か伝えたいことはありますか? 「困った時こそ手と手を取り合い力を出し合っていきたいですが、今は手と手を取り合えない状況ですね。でも、こんな時こそ人への思いやりを忘れずにいたいと思います。 一人一人が、人と人との関わりを大切にすれば、温かい世の中になると思っています。 他者を大切に思う心を忘れずにいようと思っています。 会社のことについては、山形から移住した初代から始まり100年以上存在してこられたのは、たくさんのお客様に受け入れていただいたお陰です。 この先も皆様に必要とされる会社であり続けるよう努力したいと思います。 」 北の地を愛し。 そこに暮らす人を愛し。 未来の子どもたちを愛し。 家つくりを愛する。 須藤建設株式会社/SUDOホーム 代表取締役社長 須藤正之氏は、ニュートラルだけれどブレのない、愛溢れる人でした。 今回の取材は須藤建設株式会社/SUDOホーム 代表取締役社長、そして個人としての須藤正之氏をクローズアップしました。 会社の詳しい情報はこちらを是非ご覧ください。 https://sudo-group.com 各種取り組みや、家作りへのこだわりなどが分かりやすく詳しく掲載されています。 ホームページをご覧になれば、皆様もきっと、家を建てたくなると思います。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
0 -
-
03/15(火) 嘘のない循環を生み出す〜『天花地星』オーナー木村洋子という人
「え! 私の写真撮るの!? ちょっと待ってて!すぐ着替えて来るから!」 そして、ほんの1分くらいで笑顔で戻ってきた洋子さん。 「じゃん! 店のTシャツ着てきた!」「どこで撮る?」とキョロキョロしながらおっしゃる。 せっかくなので、店の原点だという子どものおもちゃの前に立っていただきました。 とにかく相手を飽きさせない。 少しも飾り気なく、元気で可愛いノリ。 筆者、すっかり洋子ワールドに引き込まれてしまいました。 では改めて〜。 函館ご出身の木村洋子さんは、2011年に今の『天花地星』をOPENさせたオーナーさんです。 今回は、一瞬で人を惹きつける不思議な魅力を持つ洋子さんの人物像に迫ってみました。 店名『天花地星』の由来 「雪は天に咲く花。 北海道ではその雪が結晶となって星のように降って来る。 地に降りた星のような雪は、地上の花への恵みの水となる。 そして再び空気となった水は天へ戻り、雪は天に咲く花となる。」 なるほど…。 ずっと知りたかった店名の由来がストンと腑に落ちました。 大好きな北海道の雪をベースに、自然の循環を店名に込めていたのですね。 「自然豊かなところで暮らしたい。」 洋子さんのご両親が青森に住んでいたこともあり、20年以上前、洋子さんご夫婦は青森の山奥に住んでいました。 ところが直ぐに想いと環境のギャップに悩まされる事件が起きました。 実は、住んでいたその地の近くには産業廃棄物処理場があり、ダイオキシン混じりの黒い煙が辺り一帯に漂うところだったのです。 洋子さんは、自分達のためにも周辺住民のためにも必要だと感じて反対運動を起こしました。ですが、仲間を得られず同意も得られず、いきなり厚い壁に打ち当たってしまいます。 「反対運動なんかしてもらったら農産物が売れなくなるから困る! 止めてくれ!」 それは洋子さんたちにとって、我が耳を疑う衝撃的な出来事でした。 「みんな、この状態を黙って受け入れるのか? 何故!?」 愕然とした想いに陥りながらも、その後洋子さん夫婦は環境問題に取り組むようになりました。 そして、それは自分達の生き方を見つめ直すきっかけにもなりました。 ↑さまざまなカゴが並びます。天花地星の人気商品です。 ↑アフリカ製品 「買い物をすればゴミは増えます。自分達もゴミを増やすことに加担している。でも生きるためには買い物は必要…。 買う者・使う者としての責任も考えるようになりました。 行動をしながらも悶々とした日々の中で、シュタイナー教育と出会い伊達に移住して来ました。」 さて。 3人の子どもを授かりましたが、ほどなくして洋子さんはシングルマザーとなりました。 30代の頃です。 ↑こちらはとても履き心地が良く丈夫なヘンプの靴下。 「子どもの学費を捻出するため、仕事をいくつも掛け持ちしながら必死で働きました。当時の写真を見ると、今の方が若々しいと子どもたちに言われます。」 そんな洋子さんが18歳から続けていたのはエアロビクスでした。 他にもリズム体操なども教えていらっしゃいます。 まさに芸は身を助けました。 それと同時に、地道に続けて来た環境問題への取り組みの延長線上に、『天花地星』の前身である通販サイトも2004年より立ち上げました。 本当にバイタリティー溢れる方♡ 当時扱っていたのは「子どもが安心して遊べる玩具」でした。 主に木製のドイツ製品だそうです。 洋子さんの店のコンセプトは、今も昔も” 心と体に優しいこと “ “ 最終的に地球に還るものであること“ ですから、塗料は極力ケミカルを排除しました。 クレヨンは小さなお子様が口に入れても安全な材料で作られているものを選びました。 その後、2011年に今の場所とご縁があり実店舗を作りました。 実店舗ができた当初は玩具だけの取り扱いでしたが、今は一般食品から雑貨、服飾雑貨、フルーツまで多種多様な物を扱っていらっしゃいます。 ↑とても思い入れが強いフェルトシューズ。何年も探していたそうです。丈夫で長持ち、ものすごく暖かい。 ↑風呂敷のような布バッグ。色や柄のバリエーションも豊富です。 その取り扱い商品が広がっていった理由が、いかにも洋子さんらしくて面白い。 「なんだか気がついたらこうなっちゃっていたの! 生徒さんたちやインストラクター仲間との繋がりの中で、どんどん商品の種類が増えっちゃって。繋がりって面白いよね〜。でもね、これ絶対いい!って自信があるものしか仕入れない。食品はできるだけ無添加のもの・オーガニックのもの・アレルギーに配慮されたもの・フェアトレードのものに拘っているし。だから胸を張って勧められる。絶対損はさせない!って言えるの。」 ↑身体にとって良くないものが含まれるものは扱いません。 強い拘りを持ち吟味されて選ばれたものは、似たようなものを値段だけで比較すれば「高い」と思われます。 けれどもモノやコトの価値を値段で測らない『天花地星』のラインナップは、自分にとって本当に必要なものを、その商品の背景も含めて判断してほしいという願いを洋子さんは持っています。 「類は友を呼ぶ」 とはよく言ったものです。 いまや『天花地星』は、洋子さんの理念を理解して足を運ぶ人、口コミで買い物に来る”食べ物ジプシー(様々な事情で特定のものしか口に入れられない人)” にとっての大切な存在になっています。 「うちの店ね、胆振管内一入りにくい店って言われてるの!笑 ぱっと見 普通の家だしね。 でも大丈夫だから!笑 どんどん入って来ちゃって大丈夫って書いておいて!笑」 1時間ほど話していて、「この人は本当に開けっぴろげで嘘をつかない人だなあ…」ということを感じました。 常に直球勝負で潔い。 自分の言動にはきちんと責任を持つ。 自分の中に矛盾があるのは許せない。 だからあらゆることに辻褄が合うように努力する。 かくいう筆者にも似たところがあるので、これら一つ一つのお話に大きく頷いてしまいました。 ↑全国各地に仲間がいる洋子さんは大のフルーツ好き。天花地星の玄関には、一年中全国の果物が並びます。 ところで洋子さんは2010年からヨガインストラクターをされています。 ↑インドにて〜。 ヨガのポーズにはそれぞれ意味があるそうですが、生徒さん一人一人に目指してほしいゴールがあるそうです。 目指してほしいのは、一人一人が心も身体も健康になるためのゴールとその道筋。 ↑右側の男性がインド人の洋子さんの師匠です。この先生に師事できること自体がすごいこと。 「自分も含めて、何故それをするのか?何のためにやっているのか分からないと心身ともに納得して取り組めない。ヨガにはね、人は生きている間に7回生まれ変わるという思想があるの。そして最後は泡になる。ヨガはきれいな泡になるための修行。 私はまだまだきれいな泡にはなれてないけどね。」 正直、体験していない筆者にはよく理解ができない表現でしたが、身体には「理想的な動かし方」つまり「理にかなった動かし方」がきっとあり、それが健康に結びついていくということなのでしょう。 「7回生まれ変わる」「きれいな泡になる」については、次回詳しく教えていただこうと思います。 ↑インドでの修行の途中にて〜。 洋子さんは最後にこんなお話をしてくださいました。 「商品は国内だけのものではなくて海外のものも多くある。海外旅行が好きだから、以前は現地に買付にも行っていたの。でも今は仕入れ方を変えた。だって、買付に行ったら国内でお金が回らないでしょ? だから国内の輸入事業者から仕入れるようにした。もうね、自分のところだけ儲かればいいって時代じゃないよ。いろんな国のいろんな人とも関わって、いろんな人たちが幸せになった方がいいもの。」 このお話は、洋子さんの生きる姿勢を端的に表す言葉だなあと感じました。 人の繋がりを何よりも大切にして、関わる人を心から大切にする。 その結果、嘘のない好循環が生まれていく。 架け橋としても。 実践者としても。 洋子さんが繋ぐ人々の活動が正当に評価され、みんなが幸せになる。 本当に素敵です。 小さな体でなんという大きなパワーを持つ人なんだろう!と、終始屈託ない笑顔の洋子さんに圧倒された時間でした。 さて、その洋子さん。 実はさらなる夢の実現に向けて大きく動いています。 なんと、5月〜6月を目標に「こども食堂」を展開されるそうです! そちらについてはいずれまた〜。 『天花地星』情報 *むしゃなびページhttps://mushanavi.com/author/tenk/ *ヨガサークル サントーシャ https://mushanavi.com/author/mutenka2/ ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
0 -
10/19(水) 危ない木、切ります! “ キコリワークス ” の着地点とは?
お二人は7~8年前、なんと洋上で出会いました。 そのとき、岡山さんはピースボートのスタッフ。 水鳥さんはお客様でした。 ひょんな事から意気投合したことが、その後、壮瞥への移住に繋がっていくなんて、当のご本人たちが、夢にも思わなかったことと思います。 タイミングの不思議を感じてしまいます。 「彼とはたくさん語り合いました。そう…、戦友のような関係かな?でも、ビジネスだったらフラットな関係で、お互いに苦手部分を気負わずに補い合えると感じました。」 出会いから数年、特殊伐採 “ キコリワークス ” を立ち上げたのは2022年4月のことでした。 さて、水鳥さんと出会ったあと、岡山さんはピースボートの仕事を辞めました。 その後は、紆余曲折があったといいます。 時には北アルプスの「涸沢小屋」で1シーズン働くなどして暮らし、北海道への移住前は千葉県の山で林業の仕事を5~6年経験しました。 「その時、経済優先のオーバーワークが原因で大怪我をしたのです。」 怪我について、岡山さんは多くを語りませんでしたが、おそらくは、働き方・生き方を考え直すきっかけになったエピソードなのではないかと察しました。 そして、この林業経験が、岡山さんと水鳥さんの移住への道を決意させるものとなるのでした。 一方、水鳥さん。 水鳥さんは、3年間浅草で人力車を曳いていました。 実は筆者も2度、浅草で人力車に乗ったことがありますが、曳き手1対お客様1or2の関係。 前を向いて車を曳きながら、お客様とのコミュニケーションを上手に図り、街を楽しく案内してくれます。 ガイド(筆者は実はガイドでもあります)の立場から見ると、お客様と目を合わさずに楽しませることができるコミュニケーション能力は、とても感心するものがありました。 人力車の仕事で培った柔軟性が、岡山さんとの仕事をし易くしているのかもしれません。 「それにしても・・・。人力車からキコリへというのは、かなりの方向転換だと思うのですがどういう想いだったのでしょうか?」 「特にやりたいこともなかったですし、強い想いで『キコリをやろう!』と考えていたわけでもありませんでした。」 少々拍子抜けするような答えが返ってきたのですが、代表の岡山さんにとっては「そこがいい!」のだそうです。 だからこそ、フラットな関係でいられると。 なるほど…。 お互いがお互いを邪魔に感じない関係作りはビジネスパートナーに限らず大切ですね。 この人と仕事を一緒にしよう!と思わせる人には、そうそう出会えるものではないと思います。 けれども、出身地も違うお二人が共通項もない土地に移住し、一緒に事業を起こすという決意が、側で考えるほど重いものではなかったということなのか?と不思議に感じてしまうお話しでした。 何故ならば、今まで取材させていただいた方々は、皆様熱い想いを持って移住やお仕事に向かっていらっしゃったからです。 ですから、お二人のように“自然な流れに乗る“というスタンスが、「これもありなのかな」と思わせられ、妙に新鮮に映りました。 ところで、” キコリワークス “ はもう一つの肩書きを持っています。 …というよりも、3年後を目指して考えていることがあります。 それは、「山Labo」としての自伐型林業です。 「キコリワークスが特殊伐採を主な仕事にしているのに対して、こちらの事業は正に自伐型林業です。諸事情で管理が出来なくなった山をお預かりして整備し、地域の方・子ども達も利用できる山に育てたい…と考えています。つまり、山に関わる人を増やすことが目的です。」 「現在は、人口減少・少子高齢化によって放置されたままの山が多いです。皆伐をせず、山にとっても人にとっても無理なく優しい地域にしていきたい。その山を育てながら利用することで、自然環境教育にも活かして行きたいと考えています。」 なるほど。そこがお二人の着地点ということなのですね。 なんだかワクワクします。 「ここでPRです!山Laboの事業に取り掛かるまで、ここ3年くらいで土台作りをしていきたいと考えています。西いぶり+札幌+後志地域はお見積り無料で伺います。これからの季節、雪で倒れそうな木を切ってほしいなど、危ない木の伐採のご相談を受け付けております。どうぞお気軽にお問合せください。」 「最後に。壮瞥に移住して良かったと思いますか?」 「はい。大正解です!!移住してからずっと、地域の皆様に色々助けていただいて本当に感謝しています。ほどほどに何もなく、自然は豊か。望んでいた暮らしができています。壮瞥に移住して良かった!と心から思っています。」 切り倒された大木の前に立つ子は、岡山さんのお子様です。 水鳥さんももうすぐパパになります。 決意したお二人の目に映る未来は、大切な家族もいるからこその確信に満ちたものでした。 ―特殊伐採・危険木撤去のキコリワークス情報―
Rietty
0 -
-
06/21(金) 【あの人に会いに】表現を愉しむ [ 村井裕介さん / 洞爺 ]
Love & Peace な好青年。 自然にありのままに、穏やかに。 けれど、どこか静かに自分を内観してる。 陰と陽、内に秘めた熱さ。 【あの人に会いに】vol.3 3人目の今回は、 ROUGH LAUGH Coffee の 村井 裕介 さんです。 一歩ずれていたら、全く違った道を 全く別人のように歩いていたかもしれない、 そんなストーリーを伺いました。 『人生このまま終わるのか?』 裕介さんは登別市出身。高校卒業後は美容師を目指して専門学校に進みます。しかし、なんと1週間で辞めてしまいます。始まりからパンチの効いたストーリーです。 「辞めた理由を色んな人に聞かれるんですけど、わからなくて。まあ明らかに無理だなって。でも1週間なんで、ハサミも持ってないんですけどね !!」 札幌に引っ越して家具も一式揃えたのに、引き返すという思い切りの良さ。 「自分に嘘がつけないっていうのは子供の頃からありました」 専門学校を辞めたあとは登別の実家に戻り、工場で働き始めます。 「働いて、結婚して、車買ってマイホーム建てて……っていうのが”普通”の環境で」 日々淡々と、真面目に働きました。しかし1~2年ほど経った頃、『人生このまま終わるのか?』とふと思うようになります。 「働いていて『これじゃない感』というか……」 転職や、やりたいことを考え始め、ハローワークに通いましたが、そこに興味のある求人はありませんでした。 「仕事も辛くて、行きたくなくなって、鬱みたいな。今みたいに外に出ることも少なくて、ずっとスマホ見て、求人見たりSNS見たり、夜更かしして。テラスハウス(当時大人気だったテレビ番組。夢を追う若者たちのシェアハウス生活を映し出していた。)見て、『俺もやりたいことが見つかれば……』とか思ったり」 夜更かしにスマホで質の悪い睡眠、抜け出せない負のループ。そんな生活を続けていると、身体に不調が現れ始めます。 「めまいが半年くらい続いちゃって。脳外科も行ったけど、何も悪くなかった」 看護師である彼女に、自律神経では?と言われ、心の不調に気付きます。 「その時は”自律神経”という言葉すら知らない。『自律神経 直す』とかググって……夜更かししながら (笑) 」 夜中にスマホが教えてくれた答えは、皮肉にも ”朝日を浴びる”。 「めまいが辛いから、もうやるしかなかった」 『早起き』から流れが変わった 早起きして、朝日を浴びて、深呼吸。 そして朝読書。 朝に心が整う気持ち良さ。 自分を悦ばせられることを体感し、朝型のライフスタイルにシフトしていきました。 「自然のリズムで暮らしたら、普通に自然になるじゃないですか。そしたら働きながらでも良くしていけるなって。早起きして本読んでから仕事に行けば、良い感じなんじゃないって。土日は休みなんだから、お出かけして、楽しく過ごせばいいんじゃんって。本当に普通の、当たり前のことなんですけどね」 転機が訪れたのは23歳のとき。 急遽、沖縄へ移り住むことを決めます。 「彼女から『沖縄に住みたい』と結構本気で伝えられたのがきっかけで。最初はビックリ。でも次の日には、良いかもな……と思うようになって。それで3日後にはもう、会社辞めます、って。沖縄が好きだったし、旅や移住に興味はあったので……」 興味があったとは言っても、北から南への大移動、更に長い間辞められなかった会社の辞職、とても大きな決断です。そうと決めたら早い!専門学校を1週間で辞めたという冒頭の話が思い出されます。 いざ沖縄へという時も、思い切りの良いエピソードが。「飛行機高くない?お金そんなに変わらないなら、車で行っちゃおう!って。日本縦断しました」 今だから見える 地元・西胆振 のポテンシャル 2人は沖縄で1年ほど暮らしたのち、”なんとなく自然と” 北海道に戻って来ました。 裕介さんの現在の主軸は、農業・スノーボード・珈琲の3本。 夏はひたむきに農業に打ち込み、 冬は目一杯スノーボードを愉しみます。 スローライフ、自給自足、自然の近くで暮らすライフスタイルに惹かれていた裕介さん。自然な流れで農に携わるようになりました。 巡り巡って地元に戻って来た裕介さん。今、この地域に可能性を感じていると言います。 「西胆振で生まれ育って、沖縄に住んだり、日本縦断の旅で色々見てきたけど、結局ここに帰って来てる。これはひとつ強みだなと思ってます」 田舎出身者の良くある話、裕介さんも例に漏れず、地元は ”何も無いところ” だと思っていました。しかし一度外に出て戻ってくると、西胆振のポテンシャルが見えるようになりました。 「海も山も、湖も、活火山もあって。ちょっと車を走らせれば世界的なパウダースノーがある。これって凄いこと」 今まで当たり前すぎて気付かなかった豊かさ。大人になり珈琲や農の世界にも出て、新しい繋がりもどんどん広がっていきます。Uターン勢の今後が楽しみです。 珈琲は表現のひとつ 「早起きを始めてからは、全部 ”きっかけ” とか ”理由” とかがなくて、自然な流れでそうなってきた」と語る裕介さんにとって、珈琲も自然と極めていったものの一つ。農に携わる傍ら、イベント等で珈琲を淹れたり、地域のお店に自家焙煎の珈琲豆を卸したりするようになりました。 「珈琲もスノーボードも、”表現”。音楽と同じような感じ。楽しくて歌っちゃうのと同じ」 『ROUGH LAUGH Coffee』は店舗は持たず、不定期でイベントに出店しています。アーティスティックであり、職人気質でもある裕介さんの、”表現”としての一杯を味わいに、ぜひ立ち寄ってみてください。珈琲片手にゆるりと語り合えるような心地の良いイベントが多いので、肩の力を抜いて楽しめるはず。 イベント出店情報は、『ROUGH LAUGH Coffee』インスタグラムをチェック! ______________________ \直近イベント情報/ ●6月21日(金) 「夏至のたそがれ」麻麦カフェ(ルスツ) ● 7月6日(土) ニセコでイベント出店予定 ● 7月12日(金) 麻麦カフェ営業日(ルスツ) [ 月1程度で出店中!] ※ 詳細はインスタグラムにて @roughlaugh_coffee.creation
misaki
0 -
09/10(金) パンの店コスモス「えったまパンフェア」農福連携&フードロス削減に取組み
伊達市松ヶ枝町の「パンの店コスモス」で開催中の「えったまパンフェア」に行ってきました。 以前、特集で取り上げた伊達のブランド玉ねぎ「えったま333」を使用したオリジナルパンを販売する企画で9月30日まで開催予定です。 焼き上がり時間に合わせて伺うと、パンのいい匂いがお店いっぱいに広がっていました! 真ん中のテーブルには「えったまパン」がずらり。 形も味も様々な6種類が並んでいます。 社会福祉法人コスモス21ふみだすが運営する「パンの店コスモス」では、季節ごとに様々なパンフェアを開催していますが、今回の企画は「農福連携」の取組みの一環として初の企画となりました。 もちもち!えったま食パン。トーストしてもおいしい 一番人気のカマンベールオニオン 伊達の温暖な気候を利用して、越冬栽培で生産される「えったま333」は、ビタミンCや抗酸化力が高く、糖度も高いおいしい玉ねぎです。6月〜8月に収穫期を迎えます。 今回着目したのが、その「規格外品」。 農家さんが大切に育てた玉ねぎのうち、生産量の10%〜20%は規格外として堆肥になってしまうそうです。規格外といっても、形は不揃いですが味に変わりはありません。 そこで規格外品を仕入れて活用することで、「地産地消」に加え「フードロス削減」にも貢献できるという観点から、西関内の矢野農園、上長和の恵まれファームとの連携が実現しました。 ふみだす作業所での皮むきの様子 実を傷つけないよう、慎重にむきます 7月下旬から「ふみだす」で皮むき加工の作業が始まりました。納品先は洞爺湖温泉のホテルです。ホテルから農家へむき玉ねぎの注文が入り、それを受けてふみだすに玉ねぎが届けられ、皮むき加工をして業者がホテルに収める、という「循環の輪」が出来上がり、スムーズな連携が行われているそうです。そして8月下旬から「パンの店コスモス」でのパンフェアがスタートしました。 左:パイ生地とえったまが相性抜群!ソテードオニオンパイ。右:春のパンで好評なカマンベールチーズのえったまバージョン 所長の廣澤さんに伺ったところ、 「私たちの理念のひとつに『利用者さんの社会参加』があります。 皮むき加工とパンづくりによって、玉ねぎを介した地域の人たちとのつながりができ、スタートできてよかったなと感じています。 利用者さんもやりがいを持って取り組んでいるようでとても嬉しいです」 と話していました。 玉ねぎ型がかわいい、えったまちゃん えったまパンはパン工房の職人さんがレシピを考案。玉ねぎは茶系なので、特に苦労したのは「見栄え」だったそうです。 試作を繰り返し、美味しくて見た目にも個性的なえったまパンが誕生しました。 今月30日まで開催中です。ぜひ味わってみてください! パンの店コスモス 社会福祉法人伊達コスモス21ふみだす内 北海道伊達市松ヶ枝町59-4 営業時間 10時15分〜17時 定休日 木曜・日曜・祭日 電話 0142-25-0022 https://mushanavi.com/specials/7710/
むしゃなび編集部
0 -
05/29(日) 在留外国人に寄り添う国際交流のプラットホーム “ ぱれっと “ by留学生フレンドシップ
立ち上がった留学生フレンドシップ さて、冒頭から失礼します。 皆様ご存じでしょうか? 現在、西胆振には1000人を超える在留外国人の方が住んでいると言われています。 そしてその方々は、日本の労働力となっていただいているにも関わらず、実はとても暮らしにくい状況下にいます。 例えば、受け入れ先が少なく働き先がなかなか見つけられない。 故郷に帰りたくても帰れない。 仕送りも出来ない。 でも、支援の手がなかなか差し伸べられないetc. そんな境遇にいます。 このような現状を知り、「支援したい!」と2015年4月に立ち上がった団体が『留学生フレンドシップ』でした。 『留学生フレンドシップは、室蘭工業大学留学生を中心とした各国留学生、在留外国人と市民との交流をはかり、親睦を通してお互いの文化・習慣を確認し合うことにより相互理解を増進して、彼らの知識と力を地域社会に還元し、かつ各国留学生、在留外国人と市民との間に発生するトラブルを可能な限り回避しながら各国留学生、在留外国人の生活支援、活動支援をすることを目指します。』留学生フレンドシップHPの「活動目的」から抜粋 この団体は、異国に訪れ、様々な不安を抱える方たちの「少しでも力になりたい」という想いを共有する仲間で成り立っています。 代表は日栄 均さん。 「できることは何でもしたい!」と熱く語ってくださいました。 ぱれっと とは? さて今回は、その『留学生フレンドシップ』が母体となって運営をしている “ ぱれっと “を取材させていただきました。 ↑2022年5月1日オープン! 経営者は三津谷達子さん。 留学生フレンドシップの事務局長で “ ぱれっと “ の経営者でもあります。 ぱれっと経営者の三津谷さん在留外国人のことで常に頭がいっぱい。何やら考え中のご様子の三津谷さん… 以前、タピオカ専門店だったところを事業継承された三津谷さん。 “ ぱれっと “を国際交流のプラットホームにしたいと考えていらっしゃいます。 「留学生はもちろん、在留外国人の置かれている状況はとても厳しいです。西胆振だけを見てもこんなにもたくさんの外国人の方が暮らしているにも関わらず、法的な整備は追いついていません。日本人ならば難なくできることも、言葉の壁もあり支援が必要であったりしますが、そのサポート団体も少ないです。技能実習のために日本に訪れ、労働力として貢献していても不安なく過ごせるような環境はまだまだ整っていません。また家族で日本に住んでいても、特にコロナ禍の逆風もある中では仕事が見つからず、苦労をされている方も多いです。このように、困った時に気軽に相談をしに来られる場として、同朋が集まれる心の拠り所として、“ ぱれっと “は存在しています。」 例えば自分が外国に留学した時のことを想像してみます。 生活習慣も言語も、もちろん法律もなにもかも違う環境の中で、困った時や不安になった時、いつでも迎え入れてくれるところがあったならどんなに心強く有難いことか…。 “ ぱれっと “ は、外国人のよろず相談所の拠点的機能も兼ね備えているので、スタッフは常に胆振管内を飛び回り、各種サポートをしたり、在留外国人の雇用に前向きな企業を探して歩いています。 そして留学生フレンドシップは、近々北海道国際交流協力総合センター(ハイアック)の協力団体となり、秋には団体名も新たに登録されるそうです。 伴って、“ ぱれっと “のプラットホームとしての機能も増してフル回転になっていきます。 ↑ハイアックの事業活動の詳細はこちらをクリック 「もうほとんど親のような気持ちです。せっかく来てくれた日本で安心して楽しく暮らしてほしいですからね。物好きでおせっかい好きなジジババの集まりなんです。」 ご本人はそうおっしゃいますが、在留外国人にとってはジジババどころか天使のような存在だと思います。 それに、側から見ても「してやってる」意識がまるでない。 外国人との交流を心から楽しんでいることがわかります。 だからこそ長く続くし皆様に頼られるのでしょうね。 他にも主な活動内容としては〜 帰国申請の手続きのサポート在留資格延長相談生活福祉資金(帰国前提の場合は受給資格なし)を受けるための日本国内の預金通帳発行手続きサポート就職やアルバイト相談、斡旋(外国人の人材派遣業登録済み)留学生が札幌などで試験を受けるための移動相談医薬部外品などの説明書きの翻訳サポート などなど、数えあげればきりがなく様々な相談が持ち込まれます。 どんな相談でも、我が子のことのように親身になって応じてくれる場があることが、どれだけ在留外国人の皆様の心の支えになっていることか。 まさに駆け込み寺です。 ↑優しい店長の渋田みどりさん そこで尋ねてみました。 「そのモチベーションの原動力は何ですか?」 すると単純明快な答えが返ってきました。 「笑顔で喜んでもらえることです。」 つくづく、この方たちだからこそのお答えだと思います。 実は筆者、随分以前からまったく別のことでお付き合いをさせていただいていたのですが、実に「らしいなあ」と感じます。 損得勘定がまるでない。 心で動いている。 それは、どんな場面でもそうでした。 ですから、「手伝いたい!」と集まるメンバーも類が友を呼んでいるようです。 けれども、決してその好意に甘えているわけではないところに感心してしまいます。 ↑スターマリンさんのご協力でクルーズも体験していただきました 「大切にしているのは、長く無理なく楽しくできることです。きっと、仲間たちのモチベーションはそれぞれ違うと思います。例えば手伝うことで国際交流ができることに楽しみを見出す者。手伝うことで語学学習ができることに価値観を見出す者。動機は様々でも、結果winwinの関係を築ければ誰もがハッピーになれますよね。」 気負いや正義感をむき出しにした活動でなく、自然体な活動が、在留外国人たちにも安心感を与えているのだということがよくわかりました。 日本語教室のこと そしてもう一つ。 在留外国人の言語の問題が少しでも解消できるようにと、日本語教室も開催しています。 先立って、この教室を留学生フレンドシップで行うために、コロナ禍でも対面式で開講できるようにと環境を整え、北海道国際交流・協力総合センター主催『日本語学習支援者養成講座』をスタッフ5名が受講、その資格も取得しました。 「みんなと仲良くなれるように、自分の名前や住所、好きな食べ物などが言えるように、まずは自己紹介とあいさつを言えるようにしましょうと呼びかけました。現在、毎週土曜日の午後15:00~16:00に無料で開催しています。途中ティータイムなども挟みながら、和気あいあいと行っています。」 と、三津谷さん。 しっかりと温かく外国人たちに寄り添うことで、どんなサポートが必要なのかを見極めて実践されていることに感動を覚えました。 雇用の場としての”ぱれっと” ところで、在留外国人が働く場としての“ ぱれっと “。 こちらでは、留学生・ボランティアなども含め5人が働いています。 ↑恥ずかしそうに笑うコートジボワールご出身のアシイ セレンさん ↑ベトナム料理のバインミーは水曜日・金曜日・土曜日のみのご提供 こちらは以前、タピオカのみのお取り扱いでしたが、最近「バインミー」というベトナム料理を曜日限定で始めました。 ベトナム人留学生のレシピですので本場の味。 パンもバインミー専用のものが使用されています。 ↑カップも可愛い♡ たっぷり入っていますので小腹が満足します。 ↑タピオカメニューはこんなに豊富。ユニークな組み合わせもあります。在留証明証、学生証で割引も! 在留外国人を総合的にサポートをする留学生フレンドシップが運営する“ ぱれっと “。 現在はタピオカとバインミーのみのご提供ですが、6月からはソフトクリームやベトナムコーヒーなどのメニューも登場します。そして将来的には、外国お土産なども揃えながら、食文化の発信の場としても展開をしていきたいと考えています。 今後は活動エリアを今までよりも広げつつ、西胆振に住む外国人の親代わりとなって、地域と在留外国人の交流の場として、今後ますます多方面に機能し、国際交流のプラットホームになっていくことと思います。 ―ぱれっと情報― 住 所 室蘭市中島町3丁目29-1 電 話 なし 営業日 火曜日〜日曜日 10:30~18:30 定休日 月曜日
Rietty
0 -
11/17(水) 引き継ぎ手募集!アイスプラント栽培、大滝の白戸さん
大滝区で「アイスプラント」という珍しい野菜を栽培する白戸和夫さんが引き継ぎ手を探しています。 南アフリカ原産のアイスプラントは多肉植物の一種で、サクッとした歯応えとプチプチした食感、塩気のある味が特徴のオシャレな野菜。中性脂肪の抑制や血糖値を下げる効果のある成分が含まれており、近年注目を集めています。 白戸さんがアイスプラント栽培を始めたのは13年前。当時は市場でも希少で、栽培方法も確立されていなかったそう。たくさんの研究と試行錯誤を重ね、独自のノウハウを開発しながら育ててきたのだとか。現在およそ3千株のアイスプラントが元気いっぱい育っています。出荷先は札幌方面のスーパーでサラダなど生食用として好評だということです。 詳しくは特集記事をご覧ください! https://mushanavi.com/specials/4448/ 育苗ハウスの中。なんだかかわいい! アイスプラントの苗。種から栽培しています。 ビニールトンネルが並ぶ白戸さんのアイスプラント畑 アイスプラントの収穫時期は6月〜11月。ポットで育てるため耕作機など、大型の農機具は不要。ハウスがあれば栽培でき比較的手軽に始めることができます。 栽培のポイントは土!貝殻や海砂などを混ぜ込んだ白戸さんオリジナルの用土がなんといってもよく育つ秘訣だそうです。農薬は使いませんが、独特の塩味を出すために夏と秋に数回、塩水を撒きます。 今シーズンもそろそろ終わりという時期ですが、ビニールシートの中では、はちきれんばかりに元気なアイスプラントがたくさん茂っていました。 うまく育つようになるまでに、多くの失敗と苦労があったそうです。このみずみずしさは長年の研究の賜物!葉を少しちぎって食べてみると、シャキシャキした歯応えとまろやかな塩味がとってもおいしかったです。 研究熱心でお元気な白戸さんですが、年々、体力的に大変になってきたため、苗や用土を譲り受けて代わりに育ててくれる方を探しています。伊達周辺の若手農家の方でアイスプラント栽培に興味のある方、白戸さんにご連絡ください(ハウスを一棟以上持っている方が望ましいそうです)。 匠の大地 白戸和夫 北海道伊達市大滝区優徳町 電話0142-68-6747 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年11月)
むしゃなび編集部
0 -
07/02(土) 子どもの頃の夢をお米のお菓子で叶えた無店舗販売 “ ももと木 “ の桃子さん
蘭越町湯里にあるベアーズというペンション&パン屋さんの工房をお借りしてお菓子を作っている “ ももと木 “ のオーナー木村桃子さんは、東京都青梅市出身34歳。 わたし、おかしやさんになりたい! 4年前、当時勤務していた世界のお茶専門店「ルピシア」のヴィラルピシア・ニセコの店長として赴任して来られたのが北海道移住の始まりでした。 とっても元気&しっかり者、感性豊かで笑顔がチャーミングな女性ですので、一大リゾート地の店舗「ニセコ店」リニューアルオープンの店長として抜擢された理由がわかるような気がします。 バリバリと働いていた桃子さんでしたが、「いつかはおかしやさんになりたい!」という夢は捨ててはいませんでした。 「小学校低学年からお菓子作りが好きでした。最初はクッキー作りでしたが、姉がとても褒めてくれたので、友達によくプレゼントしていました。そうすると友達も褒めてくれるのです。それが嬉しくて、もう本当にしょっちゅう作っていました。」 そして、ももと木の誕生 「事情があり仕事を辞めた翌年の2020年1月、とあるカフェでブラウニーを焼くチャンスを得ました。そのカフェは、実はお世話になっているベアーズの娘さんのカフェでした。その後、お菓子の製造許可を取り、引き続きベアーズの工房をお借りして、その年の11月から自己ブランドでお菓子の製造販売を開始することができたのです。」 ご縁とか、星回りというのは不思議なものです。 強く思うと願いが叶うとおっしゃる方もおられますが、「本当にそうなのかも…」と思ってしまいます。 そして、2020年11月1日 晴れて“ ももと木 “のラベルを付けたお菓子が店頭に並びました。 ブランドを立ち上げてからもベアーズの工房を使わせていただき、委託販売の1st.ステージは蘭越町の「街の茶屋」となりました。 今では委託販売先が近隣3店舗になり、東京にも1店舗増え、オンライン販売も開始されています。 さて皆様。 前回の「Café creperiz」の記事を覚えていらっしゃいますか? https://mushanavi.com/specials/59670/ 実はこちらも委託先4店舗のうちの一つです。 ↑人気のクッキーは直ぐに売れてしまいます。 その記事の中で。 “政義さんの影になり日向になり、そっと寄り添いながら支えている大きな力がありました。” というくだりがありました。 そう、実は桃子さんは政義さんとご夫婦なのでした。 「ももと木」は2020年11月1日立ち上げ。 「Café creperiz」は2021年3月21日立ち上げ。 政義さんには米農家としてのバックボーンがあるものの、お二人で同時期に起業するのは勇気が要ることです。 絶対に成功させる!という強い意志と、地道な努力と、周りの人を大切にするお人柄が、道を開かせているのだと感じました。 米農家の妻としてのプライドと強い想い 「ところで、お菓子の材料へのこだわりを教えていただけますか?」 「お菓子はすべて小麦粉ではなく米粉を使っています。夫の実家が米農家ですから、義父が作ってくれた ” ゆめぴりか “を札幌で挽いてもらい利用しています。砂糖はきびさとうや黒糖。抹茶やココアはオーガニックのもの、イチゴや蜂蜜は蘭越産です。レモンは瀬戸内産の無農薬のものです。また、クッキーは卵不使用になっています。 できるだけ国産のもの、できるだけ北海道産のものを使用するように心がけています。」 なるほど~! 旦那様のご実家のお米を使っているなんて最強の地消地産です。 「以前は、米は主食のイメージしかありませんでした。でも、木村の米に出会ってその美味しさに惚れました。惚れ込んだお米をお菓子の材料として使いたい!と思いました。」 あれれ? もしかして、旦那様よりも先に木村農園の米に惚れっちゃったのかしら?? 焼き菓子を中心にラインナップはこんな感じ~。 例えばカヌレ・レモンケーキorバナナケーキ(季節限定)・クッキー5種類・クッキー缶(イベント用)などなど。 なかでも密かに話題になっているのは “みそ&チーズクッキー“ ! なんとその味噌は、木村のおじいちゃま製なのだそうです。 ↑こちらはプレーン。こちらのカヌレは旦那様のお店「Café creperiz」でしか買えません。 もう見るからに美味しそう~♡ そこで筆者、米粉のカヌレを初めていただいてみました。 ↑仕込みに丸一日かかるというカヌレは絶品! ↑ビターな抹茶味もあります。大人の味! 一口噛むと、中はしっとり。 外側カリッととても味わい深くて美味しい~~! 小麦粉製のものとはまた少し違う食感と味。 まったく違和感なく美味しい!と感じるのは、桃子さんの研究の成果と、 ”日本人に馴染んだ食材だから” ということもあるのかもしれません。 「自分が過去に出会った米粉のお菓子は、どうしても納得できないものが多かったのです。だからこそ、義父が丹精込めて作ったお米を挽いた米粉で美味しいお菓子を作りたい!という気持ちが強くありました。小麦アレルギーの方にも安心して食べられる、日本人の体に優しいお米を、形を変えて多くの人に食べてほしいと考えています。」 主たる原料に絶対的に自信があるからこその言葉だと感じます。 だからこその次の言葉なのでしょう。 ↑田植えを終えた木村農園の様子 「薄利多売は考えていません。原材料には納得したものだけをお金をかけて仕入れていますから。夫婦間であってもお互いにビジネスですので、米粉も木村農園から買っていますし、夫の店に置いてもらっているので販売手数料も払っています。」 ↑米粉のお菓子てっぺん目指します! あれ?お腹 ^^; かっこいいな。 桃子さんのお話を伺いそう思いました。 夫婦であってももたれ合わず。 けれども仕組みとして支え合う。 素晴らしいです。 「夫がよく口にする話があります。それは、" 米農家として、米を主食としてだけ販売するのは正直先行き不安だから、米の多様な食べ方を提案して消費拡大に繋げるぞ! " ということです。私もその想いに強く共感しているので、共に頑張りたいと思っています。私の強みは東京出身の余所者だということです。だからその視点を忘れずに、米の消費拡大に向けて工夫をし続けたいと考えています。」 「ところで、 “ ももと木 “ の名前の由来をお聞きしてもよろしいですか?」 「実はよく “ももの木“ って言われます 笑 発音しやすさから言っても “と” じゃなくて “の” ですよね? でも敢えて“と” にしたのは “の=in “ではなく “ ~と共に=with“ にしたかったからです。私は桃子です。 “ 桃子は木村農園と共に “ という想いです。そして、木村桃子は木へんが三つもある。だから、“ももと木“ にしました。」 なんということでしょう! 政義さんのご家族がどれほど喜んだことか容易に想像できます。 主原材料=米への愛。 政義さんのご家族への愛。 だからこそこんなに美味しいお菓子ができるのだと思いました。 「東京からの移住でしたが、ゆったりのんびりした蘭越暮らしは自然も含めてとても気に入っています。子どもの頃からの夢 “おかしやさんになりたい!” という夢が、代々続く木村農園のもと叶ったのですから、ここ蘭越でお菓子作りを一生続けていきたいと思っています。」 最後にきっぱりと桃子さんの決意をお聞きしたところで取材を終えました。 ↑近々イベントにも出店されます。 ―ももと木情報― Instagram https://instagram.com/momotoki.123 メルカリ ももと木 https://jp.mercari.com/user/profile/453063195 ラクマ ももと木 https://fril.jp/shop/MOMOtoKI 委託先情報 蘭越 街の茶屋 https://rankoshi-tourism.com/spot/spot05-07/ かふぇ&小さな宿 のどか https://instagram.com/niseko_nodokaハコノカフェ https://instagram.com/haconocafe ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。取材2022年
Rietty
0 -
06/14(火) 愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
0 -
-
10/18(金) 【あの人に会いに】『認知症カフェ』の認知を上げたい! [ 猪股 薫 さん / 伊達 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい、地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】 今回は10月から『認知症カフェ』をスタートさせる 猪股 薫(いのまた かおる)さんです。 「末っ子の自分、両親に何ができるだろう」 薫さんは伊達市のご出身。保育や福祉のお仕事をされてきました。 「元々は人のお世話をするような人ではなく、末っ子で、全部”やってもらう側”で。両親が高齢になったときに、何にもできない自分って良くないなと思って……たまたまヘルパーの通信講座を受けたんです」 資格を取り働き始めると、次々と介護福祉士やケアマネージャーの資格もとることに。「ケアマネージャーの仕事を始めたら、認知症に悩む人が沢山いて。それで認知症について勉強し始めたら、ハマっちゃったんですね。色々な教授の講演を聞きに行ったりして勉強しました」 介護の知識・経験を身に着けていく中で、お母さまが入院された時、ご自身のスキルを活かしてサポートできたそうです。「それで、末っ子の自分が取れたような。自分にも親に何かできると思わせてもらえました」 『認知症カフェ』は、地域に開かれた交流の場 そんなやさしさに溢れた薫さんがこれから始めようとしているのが、『認知症カフェ』というものです。「認知症カフェなのに認知度が低くて」と笑う薫さん。きっと知らない方がほとんどだと思うので簡単にご紹介。 『認知症カフェ』とは、認知症の人、家族・介護者や友人、地域住民など、誰もが気軽に集える交流の場を開く活動で、世界中で行われている取り組みです。認知症に関する悩みを相談したり、お喋りすることで繋がりが生まれ、孤立防止にもなります。また、専門家から認知症に関する情報を得ることもできます。 『認知症カフェとは』 厚生労働省 伊達市には”チームオレンジ”という認知症サポーターの集いがあり、ケアマネージャーとして認知症について学び続けていた薫さんもそのメンバー。その活動の中では、病院や介護老人保健施設で認知症カフェを開催していました。 「これを、病院や施設ではなくて、民間でできないだろうか……と思い始めて」 認知症は、中途の段階が大変だと言います。「ちょっと物忘れが出てくる時、まだらボケ”とも言われるのだけど、その頃が一番苦しいし、周りの家族も苦しい。物忘れが出てきて「あれあれ、それそれ」と思い出せなくなる。人の名前を忘れちゃう。そんな自分をさらけだしたくなくて、だんだん外に出なくなっちゃう……」簡単なことができなくなる、物忘れしてしまう自分を恥ずかしく思い、段々と引きこもってしまうことも多いのだそうです。 「今までは簡単に喫茶店に入れたり、ラーメン屋さんにも行けたのに、行けなくなっちゃう。寂しいじゃないですか。気楽にお茶ができる場所をつくることができないかなと。老後楽しく豊かに暮らしたいと思うじゃない?軽度の人たちが頑張る気持ちになれると良いなと」 道がわからなくなっちゃっても、聞けばいいじゃない。人の名前を忘れてしまっても、また忘れちゃってって聞いても大丈夫。何も恥ずかしいことじゃなくて、みんな同じようなことで悩んでるから心配しなくて良いよ。認知症カフェは、そんな風に辛いこともまるっと含めて肯定してもらえる、誰もが安心できる場です。 「かっこつけたい時もあると思うけどね、何も気にせずに本来の自分の姿で……オープンマインドでいられる、気兼ねなく来られてリラックスできる場所にできたらなと」 認知症には珈琲が良いらしい?? コーヒーを飲む習慣は、認知症の発症リスクの減少と関連しているという研究が発表されており、コーヒーを1日に2~3杯飲んでいる人は、アルツハイマー病の発症リスクが21%低いことがわかっています。コーヒーなどに含まれるカフェインが、軽度認知障害や認知症に対して予防的に働いているそうです。 そんなこともあり、こちらの認知症カフェ『くるみ茶屋』では、会場であるカフェ道楽さんの美味しい珈琲や、茶道の師範である薫さんの御抹茶をいただけるとのこと。ちなみに、抹茶も珈琲と同等のカフェインを含んでいるんですよ。珈琲や薄茶をいただける認知症カフェ、とても贅沢ですね! 会場となる『カフェ道楽』。野鳥が飛んでくる素敵なお庭を眺め、癒されるお店です。過去にむしゃなびでもご紹介しています。(↑画像をタップ)ぜひご覧ください。 誰もがオープンマインドでいられる場所を 最後に、薫さんご自身の介護のお話を少しだけしてくださいました。 「父は100才まで生きてくれたんです。母が亡くなった後は一人でご飯を食べるのは可哀そうだから、ご飯はいつも一緒に食べるということだけは、やめなくてね。父はお蕎麦が大好きで。美味しいなって言ってお蕎麦をすする姿、珈琲を旨いな~と言って飲んでいる姿、そういうのがずーっと残ってるものでね」 「もしイライラしたときは、そういうところに立ち返ったりして。みんなが優しいところを持っていると思うんです。まずは相手のお話を聞くことが大切、傾聴ですね。あなたの意見はあなたの意見で、尊重はしているよ、と話し合っていくと真実みたいなものが見えてくるというか。理解し合える道を考えていく、ということかな」 もし今、介護のことで悩んでいる方がここを読んでいらしたら。そのもっと手前の、ちょっとした物忘れが気になっている方、またはそのご家族やご友人が読んでいらしたら。ぜひお気軽に、認知症カフェ『くるみ茶屋』、カフェ道楽へ足を運んでみてください。猪股さんとお喋りするだけで、不思議と気持ちが軽くなります。 暖かい気持ちを持つ有志の方々で立ち上げられた、”オープンマインドでいられる場所”。認知症に関わらず、全ての人にとって居心地の良い場所になることでしょう。月に一度の息抜きの場として、ぜひご活用ください。 認知症カフェ『くるみ茶屋』 日時 :毎月 第4月曜日 13:30~15:30 会場 :カフェ道楽(南黄金町163-10) 参加費:100円(飲み物・おやつ付き) ※ 申し込み不要、時間内出入り自由
misaki
0 -
-
12/12(日) これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0 -
01/16(月) 自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
Rietty
0 -
08/13(火) 【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
0 -
06/19(月) チャンスは逃さない! 進化しつづける人 〜『グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 ま〜の』代表 沖本洋子さん
今回はもしかしたら知らない方はいないくらいの有名人。 『ま〜の』代表 沖本洋子さんにお話を伺いました。 まずは『ま〜の』の歴史から …とその前に、『ま〜の』の由来から〜 ま〜の はイタリア語・スペイン語で「指」という意味。 そこから解釈して、「指先からひろがる世界のイメージ」で名付けました。 なんと、弟さんが洋子さんへのプレゼントとして、プロの方にお願いして誕生したお名前でした。 〜2009年12月創業時 “いつきても誰がきても楽しめる街の小さな雑貨屋“『ま〜の』〜 2009年12月創業時は雑貨屋さんでした。 雑貨は今も少し取り扱いされていますが、当時は受託販売も行っていました。 ですので、今よりずっと商品が多い店を切り盛りされていたのです。 とっても賑やかな店内。 多くの作家さんの作品を受託販売されていました。 店内をキラキラに飾るサンキャッチャーは洋子さんご自身の作品です。 こちらのサンキャッチャーのほか、ご自身も各種アクセサリーなどを制作する作家『ゆりりん』として活動され、近隣の各種イベントなどにも出没するタフぶりを発揮されていました。 『ゆりりん』作品の制作時間も確保しながら店舗の切り盛り。 そして二人の子育て。 その忙しさといったら、側で見ていても目を見張るほどでした。 常にアンテナがフル受信状態の『ゆりりん』さんは、誰よりも早くスイーツデコに取り組んでいました。 筆者が出会ったのはちょうどその頃のこと。 この人、夜も寝ていないのではないだろうか?と良く心配をしていました。 洋子さんの、あのパワフルさの原動力の全ては、どうやらお子様たちにあったようです。 どんなに忙しくても、親ってそういう姿を我が子に見せたいのですよね。 わかる。 わかる…。 筆者も遠い目…。 そして洋子さんには「必ず到達する!」と、確信に満ちた将来への展望がありました。 それは。 最も得意分野の『食』をテーマにした店にしたい! ということ。 どれだけ得意種目があるのだろう!!?と驚きますが、実はママになる前は調理師として活躍されていたのでした。 「本当は初めから『食』に取り組みたいという気持ちがありました。でも子育ても手を抜かずにしたかったので、スタート時はこのスタイルを選んだのです。」 そう話す洋子さんでしたが、スタート時のスタイルでも十分大変だったことは容易に想像できます。 「私、とことんやりたがり屋なんです 笑」 はい。 確かにそのとおりです!! 「とにかくなんでも手づくりは大好きです。子どもの頃からビーズやフェルト手芸は良くしていました。大人になって調理師として働いていた店で今のベースとなるような勉強をさせていただきました。そこは無添加の食材を使い、全て手作りで提供するレストランでした。また一方で、拘った本物の食材を使ったお菓子作りを8年間習っていました。また、室蘭の雑貨屋で5年間働いていました。思えば、子どもの頃からの『手づくり好き』がどんどん形を変えていき、今の形へのベースを作っているように感じます。」 〜2018年4月 “グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 『ま〜の』”〜 店舗のスタイルを一新しました。 それが今の形態、グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨の店へのリニューアルです。 そしてここにも物語が隠れていました。 「2016年、突如、いままで見たことないような水泡状の湿疹が腕に現れました。皮膚科に通い、薬を処方されましたが原因も分からず…。子育ても続いていたので、自分でなんとか治さないと!と、ファスティングも試してみました。同時に原因を突き止めようと、めちゃくちゃ調べました。『とことんやる』はこんな時も発揮しますから笑 その途中で、これだ!と行き着いたのがグルテンアレルギーという症状でした。さっそく小麦を抜く生活を始めてみました。すると、みるみる効果が現れ始めたんです。あんなに悩まされた症状がなんと3週間で治ってしまいました。 思えば当時、趣味でパン作りブームが起きていた頃でした。だから小麦断ちにはとても苦労しました。小麦が入っているものは調味料から全て台所から排除しました。でも当時この辺りにはそういう食品は売っていませんでしたので探すのにも時間がかかりました。」 原因を自分で突き止め、その原因を排除することで体内環境を変え、体質改善してしまう。 ここには短大の時に取得した栄養士としての化学的知見が生きていたのでしょう。 こうしてグルテンアレルギーを克服した洋子さん。 「きっと同じ症状で苦しんでいる人は多いはず。グルテンアレルギーのお客様が安心して楽しめる。アレルギーではないけれど、ここのお菓子は安心て食べられるし美味しい。そんなふうに思ってもらえるような店を作りたいと思いましたし、いよいよ『食をテーマにした店』にリニューアルする時だ!と思いました。」 そう思った時がチャンス。 チャンスは逃さない洋子さんです。 ちょうどお子様たちも手を離れ。 自分の体でもすでに治験済み ^^; 雑貨も思い切り減らし、受託販売もやめました。 「コンタミネーションで、材料にも拘りました。製品はもちろん小麦粉を使わず、全て米粉を使っています。また、砂糖はきび糖、乳・卵・ナッツ不使用製品もあります。ありがたいことに、今では道内各地、遠方からも買いに来てくださる方もいらっしゃいます。『自分の子どもに食べさせたいもの』、でも『あれだめこれだめ』と言ったり、極端に偏ったりすると長続きしないことも、グルテンアレルギーを持つ栄養士・調理師の立場からも提案したいです。近隣の方から遠方の方まで、訪れてくださるお客様のおかげで求められている実感を得て、今年秋頃を目標にネット販売も始めることにしました。」 品数も多いです。 やはり常に前進! 実体験がものがたり、専門家としてのスキルもあるので説得力あります。 さすが、とことんやる派☆ こうして『ま〜の』さんは創業14年目にして “グルテンフリー米粉のお菓子と雑貨のお店 『ま〜の』” としてリニューアルされました。 さて、これで満足しないのが洋子さん。 「実はね、これもやろうと思うんです^^」 嬉しそうに見せてくれたそれは、いかにも洋子さんらしいものでした。 「でもね。これはまだ書かないでね。」 どうやらしばらくは趣味として大事に育てたい様です。 ずっと走り続けてきた洋子さん。 子育ても一段落し、ようやくご自分の時間が持てるようになったということでしょうか。 とことんやりたがり屋の洋子さんが、その趣味をどこまで持っていくのか、こっそり注目したいと思います。 ―ま〜の情報― 室蘭市中島町 電話:0143-50-6433 Instagram
Rietty
0 -
07/14(金) ☆洞爺湖からの極上ラグジュアリーを届けたい 〜LUX Hokkaido Advisor代表 佐藤 徹氏の人生第二ステージ物語
佐藤 徹氏は、40年以上のキャリアを重ねたラグジュアリーホテルでのお仕事をこの春辞され、「LUX Hokkaido Advisor」の起業という形で人生の第二ステージを歩み始めました。 まずは「LUX TOYA」のおはなし 皆様、前回の「ハーバルランチ」の記事の最後を覚えていらっしゃいますか? このようなテーブルセッティングが現れ。 「ウグイスデリ」のシェフが現れ。 「LUX TOYA」のワードが登場しました。 実は、ここ「ハーバルランチ」をメイン会場に「LUX TOYA」ブランドでケータリングを仕掛けた方こそが、「LUX Hokkaido Advisor」代表 佐藤 徹氏でした。 そして、RanchでLunchの仕掛け人も☆ では今回の主役 佐藤 徹氏の略歴を 「サラリーマンの時よりも楽しいですよ!」と話す佐藤氏は群馬県高崎市のご出身です。 「大学生時代からパーティーなどのイベント企画をするのが大好きで、企画してはチケット販売なども行い、いわゆる学生ベンチャー企業のハシリのようなことをしていました。バックギャモン大会なども行ったことがあります。私自身も強かったので、唯一東大生にも勝てる技でした笑」 あるバックギャモン大会に参加した際、なんと日本4位になったそう。 そして、この出来事が佐藤氏の人生を決定づけることになりました。 「この時、賞品として、東京ヒルトンホテルメインダイニングでのペアのお食事券が当たったのです。生まれて初めてホテルのメインダイニングでの食事を経験し、学生でもリラックスさせ楽しませてくれた一流ホテルのサービスと素晴らしさに、強い感動と衝撃を受けました。その瞬間、ホテルの営業職に就きたい!!と心が決まりました。」 就職活動の時期になり、超有名ホテルの試験を受けました。 「結果、帝国ホテルもホテルオークラも落ち、東京ヒルトンホテルに無事合格しました。 そして採用内定後にお誘いをいただき、在学中からインターンシップで通うことになりました。」 さて、憧れていたホテルの仕事でしたが、インターンシップで配属されたのは「宴会ハウス」と呼ばれる料飲部の裏方作業でした。 宴会場のテーブルをセッティングし、片付けるサービスには携わらないとても地味な仕事です。 「41年間ホテルの仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかったのですが、この時だけは最初の3日目で『もういやだ‥。』と先輩に弱音を吐きました。思い描いていた華やかさは微塵も無かった。今思えばつくづく未熟だったな…と思いますが、その時、先輩に諭されたことで『まずは3ヶ月頑張ろう!』と思いとどまり、その後は無我夢中で働きました。そして、自分から『レストランのサービスをやりたい!』と申し出て配置転換をしてもらいました。外資系のホテルは自分から願い出ないとセクションはずっとそのまま変わらないのです。結局サービスの仕事は3年、その後26歳の時、念願の営業職に異動することができました。最年少採用でした。」 冒頭の画像でもご紹介した通り、佐藤氏はトライアスロンレース愛好歴30年の方。 あの過酷さに耐えられるのですから、並大抵な精神力ではありません。 人並み外れた努力家であり、ど根性の持ち主ですので多くの業績をあげた事と想像します。 実は、現在も開催されている洞爺湖を舞台にしたトライアスロン大会を最初に誘致した立役者も佐藤氏でした。 「営業職でしたが、正直、喋るのはあまり得意ではありません。ただ、アイディアは誰よりも豊富に持っていると自負していましたし、『やるからにはトップセールスマンになりたい!』という想いだけは人一倍強かったので、営業成績はいつもトップでした。要は負けず嫌いなんですよね。」 ヒルトンホテルで15年間勤めた後は、常にヘッドハンティングを受けながら、パークハイアット東京やウィンザーホテルなどのラグジュアリーホテルで経験と実績を積み上げてきました。 「順風満帆にお見受けしますが、失敗談の一つ二つはありますか?」 「あります!あります!本が書けるくらいありますよ〜!笑」 「え!? ^^; では、本一冊分はお聴きできないので一つか二つお願いします笑」 「一番忘れられないのは、というか、お客様に物凄く怒られたことがあるんですが…。某有名企業の社長が亡くなったという情報を得た時、すぐに次期社長の就任パーティーの企画書を作り、お葬式の日にプレゼンしに行ったんです。他所に取られたくないから一刻も早くと思って。もちろん物凄く怒られました。今思えば当然なんですが笑 その時はもう夢中でした。でも、なぜか私の上司は怒りませんでした。 それから…、もう時効だからいいかな…。東京都庁で当時の知事主催で『都民栄誉賞』の式典があったときのことです。20,000円20人分の弁当のご注文をいただいたのですが、スロープで台車を使って運ぶ際に全部落としてしまったんです(部下)。昼食の時刻も迫っている。料理長は当然カンカンに怒る。でもなんとかしなければいけない。有名デパートにも頼みましたが、20,000円の弁当を今直ぐ作ることはできないと断られる。もう一度料理長に頭を下げて頼みに行きました。当然材料が少なかったので、10,000円の弁当をなんとか作ってもらって急場を凌ぎました。お客様には行程を入れ替えるなどしていただき、自分は場を繋ぐためにひたすらお飲み物をお注ぎしていました。冷や汗エピソードです。」 「それはどちらを伺っても顔が青くなるエピソードですね…。」 「私が営業の仕事をする中でポリシーにしていることがあります。それは決して諂わないこと。絶対に満足していただける仕事をすることで、お客様とは対等でありたいと思っています。ホテルの仕事をしていると、本当に数え切れないほどのクレームを受けます。時には理不尽とも思える件も。ですが、どんな揉め事でも全て穏便に治めてきました。もちろん胃が痛くなることもありましたが、クレーム対応は得意なんです。毅然として諂わず、誠意を持って傾聴するように心がけていました。」 佐藤氏のお話を伺っていると、「Win-Win」というワードがよく出てきます。 プロのサービスとその対価に自信があるからこその言葉です。 今までの経歴からの気づき 「40年以上ホテルのお仕事に携わっていらして、気づき学ばれたことは何でしょうか?」 「現在の活動に大きく関わっていると思う気づきは、『地元事業者との連携の大切さ』です。これはハイアットリージェンシー京都にいた頃の経験に基づくものです。京都では、寺社仏閣との連携で仕事をさせていただくことが多かったのですが、少子化の影響で修学旅行が減り、拝観者が減り、檀家さんも減り…。ですので、京都の神社や寺の経営は楽ではないのです。そこで、夜を貸切にしていただき特別な体験メニューを企画しました。参加してくださるのはほぼ外国人でした。お寺や神社はもちろんのこと、お客様にも喜んでいただけたのでとても嬉しかったです。パークハイアット東京にいた頃は、食とアートを繋げた企画として、美術館と連携をしてラグジュアリーブランドのケータリングを行っていました。ホテル滞在のお客様に向けて高付加価値なラグジュアリー商品の開発や、MICEのローヤルコーディネートも行いました。」 素晴らしすぎる! お話を伺う筆者の目がキラキラハートになっていたのは言うまでもありません。 「ウィンザーホテルの東京本社から洞爺の現地に赴任した際、ウィンザーホテルは地元との連携があまり出来ていませんでした。ですので、私は洞爺湖温泉に家を借りて住み、洞爺湖周辺の全てのお店に通い、顔を知っていただく努力をしました。おかげで、様々な企画をご一緒いただくことができました。その頃からの人の繋がりと経験は全て財産です。」 この気づきと実践こそが、佐藤氏が話す「Win-Win」の考え方に沿う企画を生み、今に繋がりました。 さて、再びハーバルランチ会場へ〜 佐藤氏も大工仕事を手伝った外のデッキは屋根付き&シート付きなので雨の日もOKです。 自然に囲まれた贅沢空間でのBBQケータリングメニューは24名様まで可能だそうです。 しかも、1日に昼夜一組限定なので、時間を気にせずにゆっくりとお食事を楽しめます。 これらの画像に写るシェフ達は、有名高級ホテルで腕を振るった方ばかり。 この凄腕達による最高級のフレンチスタイルBBQをケータリングサービスする部門が「LUX TOYA」であり、そのメイン会場が「ハーバルランチ」というわけです。 つまり、ハーバルランチや各事業所のシェフの皆様と連携をされているということになります。 ここでも地元の事業者との「Win-Win」の考え方が生きています。 「LUX Hokkaido Advisor」ケータリング以外の事業のおはなし さて、なんと佐藤氏ご自身も得意分野のサイクリングでガイドも始めることになりました! 「洞爺湖町の、特に元洞爺村周辺の、調和がとれた自然と文化の素晴らしさを自らお伝えしたくなりました。」 湖畔の彫刻を愛でたり、洞爺湖芸術館を観覧したり、ハーバルランチでハーブティーを楽しんだりできて、ガンガン漕ぐ行程ではなく、のんびり走るのがとても魅力的です☆ また、自らのガイドだけではなく、地元のガイド事業者との連携もしっかりと考えていらっしゃいました。 ホーストレッキング・カヌー・ネイチャートレッキングなど、今後の展開が楽しみです。 そしてもう一つ。 佐藤氏のこれまでの職歴の集大成とも言える事業はホテルのコンサルティングです。 「『営業・マーケティング・サービスのプロフェッショナルとして是非うちのホテルへ!』と、あるホテルの総支配人としてのお誘いもいただき、とても有り難かったのですが、丁重にお断りさせていただきました。どうしても『自営でやりたい!』という想いが強くなっていたからです。実はこれら全ての構想は2年前から大事に育てて温めてきたものでした。」 現在、あるホテルとゲストハウスのコンサルティングも既に始めていらっしゃいます。 なんと心強いコンサルタントなのでしょう!! 最後に「LUX Hokkaido Advisor」のポリシーとビジョンを語っていただきました。 「何よりも地元の事業主さんの役に立つことを第一に考えるということをポリシーにしています。将来は洞爺にラグジュアリーマーケットを増やしていきたいです。目指すは北海道のラグジュアリーアドバイザーです!!」 観光業界のアイアンマン佐藤氏。 人生の第二ステージを既に全速力で走り出しています。 ―LUX Hokkaido Advisor・佐藤 徹氏 情報― 代表 佐藤 徹 住所 北海道伊達市末永町175-32-102 電話 080-3725-0262 Email :tsato@lux-hokkaido.com ・ LUX TOYAのメニュー(今後も進化する気配☆) https://lux-hokkaido.com ・ サイクリングガイド(今後もアクティビティーメニューが増えそう☆) https://toyako.biz/cycling/
Rietty
0 -
01/29(日) 旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
左側は代表の木村香葉子さん。 伊達市ご出身。 東日本フェリーの船内で6~7年勤めたのち、派遣バイトを始め各地を転々としていました。 ある時はキロロで、またある時は礼文島で、そんな時、所属していた派遣会社を通して右側の利光優子さんと知り合いました。 そして真狩の佐伯農園さんで働いたことが、その後の二人を決定づけることになりました。 優子さんは愛知県のご出身。 29歳でホテル調理の仕事を始め、イタリアンやフレンチの修行を積みました。 育った場所も経歴も違う二人。 この二人を今に繋げたのは、佐伯農園さんが経営する『Pomme ポム』というファームレストランでした。 シェフを探していた佐伯さんに優子さんを紹介したのが香葉子さんだったのです。 そして優子さんは即断して北海道にやってきました。 裏の思いとして、あるメリットを感じたからでした ということで。 今回は洞爺湖温泉に2021年6月 カジュアルなイタリアンレストラン『Lagorto』をOPENされた香葉子さんと優子さんを尋ねました。 仕込み時間という短い時間をいただいた取材だったため、実は事前にお二人の人となりがなんとなく分かる写真のご提供をお願いしていました。 すると届いた写真がこちら〜。 むむむ〜! なんてファンキーな!! 今となってはどの人がお二人なのか分かりませんが、このイカした面々のうちのお二人がのちのLagortoコンビなのでした。 なるほど〜! これが裏のメリットか〜!! 筆者はライター・ガイドの他にもスキーインストラクターをしているのでイメージできるのですが、ちょうど彼女たちの世代の方々は、いわゆるリゾートバイトなどをしながら冬山に籠り、リフト券貸与の恩恵を受けながら、スキーやスノーボードをしまくる!という生活をする方が当時は多かったのです。 現在若い世代の方にはあまり見かけないワーク&ライフスタイルです。 これまで様々なジャンルの方を取材させていただきましたが、実はコロナ禍に新たな道を開拓された方が多いです。 そして成功されている。 それは決して火事場の馬鹿力ではなく、自分の生き方をしっかりと見つめ直し、コロナ禍をチャンスと見ることができた方々でした。 何を食べても美味しいとすぐに話題となった『Lagorot』では、顧客の7割が地元の方だそうです。 わずか2年余りで地域に根付くのは素晴らしいことです。 きっとそれだけ、おふたりの店への想いが強いということなのでしょうね。 ところで、店名『Lagorto』の意味を訊ねました。 なるほど、『洞爺湖を望む坂の途中にある菜園のようなレストラン』ということですね。 こちらはメニューのごく一部です。 Lagortoさんのメニューラインナップは、基本、お酒のつまみにもなるものが多いです。 それなのに、実は違いの分かるお子様にも人気なのだとか? パスタの具にご注目。 真狩佐伯農園さんとのつながりがあるからこその、ふんだんに使われた百合根! これ、都会で食べたらとんでもないお値段になります^^; なるほど。 『旅するイタリアン』というわけですね〜。 旅先では楽しく遊んだり、飲み歩いたりもしつつ、料理はガチで本物を提供する。 やっぱりファンキー! カッコいい!と思います。 めっちゃ喧嘩をするとは言いながらも、「二人でやりたいです!」とキッパリと話してくれました。 洞爺湖の『Lagorto』で食べるイタリアンはもちろん美味しいけれど、ふらりと出かけた旅先で、お二人に会えたら嬉しいなあ〜と思った筆者でした。 ―Lagorto情報― ・代表 木村香葉子 ・シェフ 利光優子 ・北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉54秋田ビル1F ・詳細はFBまたはInstagramよりご覧ください
Rietty
0 -
-
09/13(火) 終わりなき研究をしつづけるために〜谷藤貴昭さんの『チョコレート研究室』
店を継ぐ決意とチョコレート ごはん処「たにふじ」は室蘭の有名な老舗です。 主力商材は仕出し弁当。 もちろん、店内でお食事をすることも出来ます。 さて、北見のパティスリーで8年間パティシエとして活躍をされていた谷藤貴昭さんは、2021年9月にお父様が営む「たにふじ」を継ぐ決意をして帰郷されました。 今回は、ごはん処「たにふじ」の三代目 谷藤貴昭さんを取材させていただきました。 ただし、お話を伺ったのは和食の料理人としてではなく、bean to barを手掛けるパティシエとしてでした。 そう、貴昭さんは「たにふじ」を継ぐ決心だけではなく、チョコレート研究室を室蘭に立ち上げるために帰郷したのでした。 挑戦したかったチョコレートは、カカオ豆からチョコレートまでを一貫して手掛ける製法のbean to barチョコレート。 様々な産地から原料を仕入れ、カカオ豆という原点からオリジナルのチョコレートを製造されています。 オリジナルチョコレートとの出会い 高校卒業後調理師専門学校に進学した貴昭さんは、在学二年間のうち一年間は調理の勉強を、一年間は製菓の勉強をしました。 そして、卒業後は北見のパティスリーに就職、持ち前のコツコツ気質が徐々に頭角を現わし、1年に1度開催される国内最大規模の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」では、銅賞の受賞するほどにパティシエとしての腕をあげていきました。 ところが、順調にスキルを磨いていた頃、コロナが蔓延し始めました。 「今年もコンテストで頑張ろう!と思っていた矢先のことでした。全精力を注ぎたいと考えていたのですがエントリーは叶いませんでした…。でもその時、そのエネルギーをお菓子に関わる何か未知のことに向けたい!!と、気持ちを切り替えることにしました。それがチョコレートでした。」 コロナだからと凹まず、エネルギー転換をする。 全てのことにおいて、その転換が出来た人が成功を手にしているような気がしています。 「当時お世話になっていたパティスリーのオーナーシェフが、フランスのチョコレートメーカー『カカオバリー』が行なっていた、オリジナルチョコレートを作れるサービスシステム(オ・ル・ノワール)の提供を受けていらっしゃいました。そして、店独自のチョコレートを作っておられたことに強く影響を受け、チョコレートに大きな興味を持つようになりました。」 それは、パティシエとして扱う素材の一つ、チョコレートが特別なものに見えた瞬間でした。 けれども貴昭さんは、オーナーの真似に止まりませんでした。 自分のオリジナルチョコレートを作りたい! 「カカオ豆からチョコレートを作るbean to barに挑戦しよう!」 そう考えた貴昭さんは、” 将来は親の店を継ぎたいこと “ “ どうしてもbean to barに挑戦したいこと “ をオーナーシェフに相談をしました。 すると、理解をしてくれたオーナーシェフは、店の厨房を貸してくれ、同時経営をしていたカフェの一角で販売することを認めてくれました。 こうして夢への第一歩を歩き出した貴昭さんは、オリジナルチョコレートのブランド名を「チョコレート研究室」としました。 「ところで、なぜ、『研究室』と名付けたのですか?」 「カカオ豆からチョコレートへと加工する『bean to bar チョコレート』に挑戦したいと思ったものの、当時はそのやり方を全く知りませんでした。そこで『bean to bar チョコレート』の数少ない実践者(全国でも少ない)に教えていただいたり、独学をするなどして工程を習得していきました。同時に『チョコレート検定』にもチャレンジをしてカカオ豆の知識はもちろん、チョコレートの歴史なども学びました。カカオ豆の香りや味わいは、産地によって全く違います。それが、焙煎具合や洗練時間、副材料によって複雑に混ざり合った結果、芳醇な香りを作り出すことができます。学んでも学んでも、本当に奥が深い世界で、日々研究をし続けなければなりません。だから研究室にしました。」 なるほど…。 地道な努力を続けようとする、貴昭さんの決意の現れなのですね。 「たにふじ」に工場を作る! さて、帰郷した貴昭さんでしたが、「たにふじ」には製菓スペースがありませんでした。 保健所の許可を得るためには、料理をする厨房とは別に工場を作らなければなりません。 そこで、ご両親の許可を得て、亡くなった御祖父様の寝室を工場にさせてもらうことにした昭貴さんは、2022年4月、クラウドファンディングで資金を集めることにしました。 そして見事に資金集めに成功。 元寝室が、念願の工場に生まれ変わりました。 「室蘭にオープンされて5ヶ月ですね。チョコレート研究室を通して皆様に伝えたいことがあれば聞かせていただけますか?」 「実は、現在日本に入ってきているカカオ豆の産地はそのほとんどがガーナ産なのですが、カカオ豆は産地によって香りやテクスチャーが全く異なるのです。その違いを含めてチョコレートや産地に興味を持っていただけたら嬉しいです。それと、カカオ豆農場で働く人々の労働環境などを考えて、可能な限り正当な取引をしようとすると実はとても高価であることに気づきます。そういうことも含めて、チョコレートについての認識を新たにしていただき、チョコレート研究室を通してチョコレートの価値を上げていきたいと考えています。」 取材させていただき、チョコレートの社会問題をも含めたその深い歴史と、魔力とも言える魅力に満ちたbean to barに惹き込まれました。 そして、bean to barに取り憑かれた貴昭さんが、コツコツとひたむきにチョコレートと向き合う姿に、原点を知る人の真の魂を見た気がしました。 本物との出会いに感謝しながら、ショコラとコーヒーのジュレを堪能させていただきました。 ―チョコレート研究室情報― ※ 公開初日に「貴昭さん」のお名前を間違えて公開してしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
Rietty
0 -
01/28(日) マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
Rietty
0 -
11/18(木) 雑貨屋intime time的生き方「そこに “大好き!” はあるかい?」
伊達市周辺ではきっと知らない方はいない位の有名雑貨店ですが、あえて取材に訪れました。 人口34000人程度の小さな町で、これだけの規模で、この量の商品を扱い、16年間続けてこられる秘密を知りたい。 そんな想いから訪ねたのでした。 ↑玄関扉の前には可愛いビー玉が埋め込まれています。 お話を伺ったのは、紋別市ご出身でオーナーの鹿野内浩子さん。 実は浩子さんとは今はなきオホーツクサイクリングを通じた、20年以上前からの知り合いでした。 その時の浩子さんは沿道での応援担当。 休憩地点に先回りしては仲間をサポートしてくださっていました。 そして、サイクリングで214kmを走っていたのは旦那様と当時小学生だった息子さんでした。 一家揃って頑張り屋さんの温かいご家族だった印象があります。 当時、ユニクロ室蘭店で補正担当スタッフだった浩子さんが一念発起し、16年前に始めたのが「intime time アンティムティム」でした。 ↑細かいところまで行き届いています。灯りの色も優しい。 浩子さんは竹を割った様な性格の方。 真っ直ぐ。 正直。 その代名詞の様な方です。 そして。 「究極な我儘」だとご本人は高らかに笑います。 嫌なものは嫌。 好きなものは好き。 中途半端は大嫌い。 やると決めたら徹底的にやる!! 絶対に力は抜かない!! 好きなことへの情熱なら誰にも負ける気がしない!! どちらかというと筆者もそのタイプですが、ここまでの気迫はなく… ^^; もう素敵すぎて本当に脱帽でした。 ↑残り少ないですが、クリスマスカラーの用品も☆ プレゼント好適品もたくさん揃います。 でもだからこそずっと人気店でいられる。 16年間その座を守ってこられた秘密は、浩子さんの底抜けの明るさと、開けっぴろげさと、負けるもんか!な ”ど根性” と、絶対的なプロ意識なのだとわかりました。 そしてもう一つわかったこと。 ご家族の協力でした。 一緒にサイクリングで走っていた頃から、旦那様がとても優しい理解のある方だとは気づいていましたが、常に浩子さんの背中を押し、支えていてくれたからこそというお話も伺いました。 本当に素敵なご家族。 きっとそんなご家族との関係があったからこそ、お店にいらしたお客様を大きく優しく楽しく包み込む空間にしているのでしょうね。 お店の商品選びについてお尋ねしました。 「商品は全てカタログで選びます。でも写真と簡単な説明しか書かれていません。それだけの情報で私が “ これ大好き!! “と思ったものだけを仕入れますが、入荷したら必ず全て使ったり試食したりします。そこでイメージと違ったものは絶対に店には置きません。お客様にご質問をいただいたらきちんとお答えできる自信があるものだけを陳列します。時折、営業の方に売れ筋や流行り物を勧められますが、私、それには乗らないタチなんです(笑)」 ここでも、浩子さんのハッキリとした性格が現れました。 何事も「それが大好きかどうか?」が浩子さんのベースになっているのです。 だから、お話をしていて本当に気持ちが良い☆ 次に「intime time アンティムティム」のお名前の由来を伺ってみました。 「同じ言葉を繰り返す名前にしたかったのです。 また、intime(アンティム) とはフランス語で “ 親しむ ”という意味です。そこでtimeをもう一つつけてアンティムティムとしました。この名前には、ここで雑貨を親しむ時間(time)を持っていただきたい♡ という想いが込められています。」 なるほど〜! とっても素敵な由来があったのですね。 ↑これ、筆者的にツボでした♡ そして次にコンセプトをお尋ねすると〜。 「ワクワク気分が盛り上がる雑貨店」です! 即答でした。 納得〜! まさに浩子さん込みのintime timeそのものです♡ とってもカラフルな店内なのに煩さを微塵も感じさせない。 浩子さんのセンスの良さに、本当にワクワクが止まらなくなります。 伊達市竹原町にある雑貨店 intime timeさん。 キッパリと書きます。 最大の魅力はまちがいなくオーナー鹿野内浩子さんです☆ まずは雑貨を。 そして浩子さんとの会話を楽しみにぜひ訪れてくださいね。 ―intime time(アンティムティム)情報― 〒052-0011 北海道伊達市竹原町77-35 電話 080-5595-2828 Open 水曜日〜日曜日 10:00~19:00 Close 月曜日・火曜日 Blog http://blog.livedoor.jp/intime_time/ (商品情報満載) ※記事の情報は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0 -
10/21(木) 人生の道を楽しむ。マイワールド全開な癒しカフェ!道楽
南黄金に昨年2020年オープンしたカフェをご紹介します。 国道から山側入り、気仙川の橋を渡って少し進むと、「道楽」と壁に描かれた楽しげなペイントが見えてきます。 こちらがカフェ道楽。 自然に囲まれて佇んでいます。 海も川も山も近くにある国道沿いのエリア。伊達にこういう場所があったのか…と思わせるような、独特の隠れ家的雰囲気があります。 古い住宅をほとんどDIYで改装したという店内は、なんとも独創的! 手作りの温もりと遊び心にあふれるギャラリー風の空間です。 陶芸や手芸など、素朴な風合いのいろいろな作品が飾られていました。店主の鎌田さんと教室仲間の皆さんの作品だそうです。 個性的な陶芸作品の数々。 実物大ワンちゃん。なんと愛らしい! 店主の作業場。 窓の外には庭が広がっています。野鳥がたくさん訪れるそうで、運がよければ窓際の席からバードウォッチングが楽しめます。 夏真っ盛りの緑の庭。秋には紅葉、冬は雪景色と、四季折々の自然が見られます。程よく手の入ったナチュラルな雰囲気がステキ。いました!さっそく野鳥発見。 庭のあちらこちらに、野鳥のためにさりげなく置かれた種。なるべく人工的でなく自然に溶け込むよう工夫して置いているのだそうです。 倒木を利用したナチュラルな餌台。 食事はポークカレーとナポリタンの2品。手作りにこだわって提供しています。有機栽培コーヒーや、日替わりの焼き菓子も人気です。本を読んだり、おしゃべりをしながらのんびりランチやティータイムを楽しんでいく方が多いそうです。 ナポリタンの食欲をそそる香り! お米もこだわり!自家製ポークカレー この日の焼き菓子はガトーショコラ。畑でとれたブラックベリーとミントを添えて! 「人生の道を楽しんで」との願いを込めて「道楽」。 「お客さまに楽しい時間を過ごしていただき、自分も一緒に楽しめたら」と話す鎌田さん夫妻のセンスとアイデアが随所に光っていました。 まさに「マイワールド」全開! かつ、ゆったり過ごせる居心地の良さも大きな魅力です。 自分の手で、オリジナルなものを作ることの素晴らしさ、豊かさを教えていただいた気がしました。私も何か作ってみたい!創作意欲が湧いてきました。 窓辺の特等席で野鳥を眺めながらの一杯。コーヒーのおいしさが染み渡ります。 なんと庭から出てきたという縄文式土器!北黄金貝塚が近いですが関連があるのでしょうか・・・ カフェ道楽 住所 伊達市南黄金町163-10 営業時間 木・金・土10:00~17:00/日曜10:00~16:00 定休日 月曜・火曜・水曜 TEL 080-1879-2009 https://date-insyokuten.jp/archives/1017 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューなどは変わることがあります(取材2021年)
むしゃなび編集部
0 -
08/02(火) 今と未来への想いを商品に架ける
ファッションと自然素材の店『eco moko.u』(エコ・モコ・ユー)が目指すもの 2022年7月1日にグランドオープン! 今回は、6月1日よりプレオープン、7月1日よりグランドオープンをされた『eco moko.u』を訪ねました。 オーナーは西條恵子さんです。 「ビオプラス西條デザイン 伊達支店」の事務所内に開店されました。 もう25年も前から「素敵な店舗だなあ〜」と思っていた筆者でしたが、ようやくその中に入ることができた日となりました ^^ 恵子さんは静岡県沼津市のご出身。 三人のお子様を持つお母様でもあります。 子育てをするうちに、だんだん健康や環境への興味が増していくのを感じていたと言います。 年間約15億着もの衣類が廃棄!? 「一番下の子が小学校に上がった7年前までずっと専業主婦でした。アパレル関係の仕事を始めた頃からエシカルへの興味が膨らんできました。日本では1年間で約29億着の衣類が供給され、半分以上の15億着が廃棄されているとも言われています。その現実を知り、私なりにそれを生かす術はないものかと考える様になりました。」 なんという数字でしょう!! しかも先進国の中でも多い廃棄量らしいです…。 廃棄された衣料品の行方は ウエス、半毛綿(フェルト、綿)などの 原料になる 中古衣料品としてリユースされる 焼却・埋め立て処分される ですが、実はリサイクルやリユースされるのは全体の34%で、残りの多くは焼却や埋め立て処分されているのだそうです。 このことは世界的な問題になっており、国によっては衣料品の廃棄処分を禁止している国もあります。 またリユースについても、衣料廃棄物の海外輸出が、環境汚染や自国の衣料品メーカーへの影響など、新たな問題を引き起こす原因となっているとも言われています。 これらのことはなんとなく知ってはいたものの、この驚愕的な数字を見ると、消費者としてこのままにしてはいけないという気持ちになります。 少なからずも、自分もその原因を作っていた一人ならば、何か行動を起こさなくては!と恵子さんのように考えてしまいます。 商品選びの4本の柱 大量廃棄を防ぎ、おしゃれを楽しむセレクトショップ オーガニックやコットンなどのできるだけ肌にやさしく環境に配慮された衣類やアイテム 日常の暮らしの中に取り入れやすい身近な自然素材の日用品や雑貨 できるだけ無添加や化学調味料等を使用していない身体にやさしい食品 「子どもたちがこれから暮らしていく未来や社会が健やかであるようにとの願いがこもっています。大切な家族や大切にしているものを守りたいという気持ちは誰にでもあるものだと思っています。理想の姿をイメージできても、なかなか行動には移せないものですよね。 でも何かしなければ!という想いを持っている方はたくさんいらっしゃると思うのです。 『eco moko.u』との出会いが、その想いへの第一歩になれたらいいな…きっかけになれたらいいな…。そんな風に思っています。」 ただ一つ、筆者には気になることが…。 「エシカルを意識して暮らすこと、購買をすることが、環境にとっても生産国の労働対価の側面でも大切なことは理解していますが、値段を見ると続ける自信がなく躊躇してしまう…というのが課題のような気がしています。意識だけでなく行動をどう変化させていくか?その点はどのように考えていらっしゃいますか?」 「それはすごく良くわかります。私も専業主婦でしたし、子どもが3人おりますし。ですので、商品選びには先ほどの4本の柱はブラさず、主婦目線も忘れずに、自分で使ってみて良い!と思うもの、お値段も手頃なものを選ぶようにしています。そうすることで、無理なく毎日の生活の中に取り入れていただけるのではないかと思っています。」 家族の健康を守りたい!と強く思い、家計を守らなければ!と強く思う主婦目線で選ばれているということはとても安心します。 いえ。 誤解があるといけません。 主夫だって同じですね。 あ。 なにを隠そう、筆者の家庭の場合がそうです ^^; 「健康」と「家計」を守る主婦目線で選んだ商品たち さて。 “ 百聞は一見にしかず ”ということで、商品を拝見させていただきました。 フェアトレード商品に敏感なファンを多く持つ「People Tree」の商品の一部です(左下の2点)。 フェアトレード商品は、作り手の方にとって適正価格で取引がされています。 スタイリッシュで色も綺麗な大人気商品。目指せ脱ペットボトルの魔法瓶です。 すでに何度も仕入れをされているそう。 今や入手困難のバンブーファイバーで作られたカップ。色がとても美しくお洒落です。 アップルレザーなるものが存在することを恥ずかしながら知りませんでした。 林檎に留まらず、色々な果物の搾りかすや皮などの繊維を加工した合皮素材で作られています。とても軽くて柔らかく、触り心地もまるで皮革製品の様。 『eco moko.u』には、動物の皮革製品はありません。 シューズやサンダルも同様に皮革製品ではありません。 とても履き心地が良く、筆者は右側の白いサンダルを購入しました♪♪ こちらのサンダルと迷いました ^^; 甲高だん広な足にもとても楽でした。 こちらのシューズは一部再生ペットボトル繊維からできています。軽い! 布バッグの持ち手などに使われる手芸用リボンテープは、半端に残ったものなど(時には一巻ごと)捨てられているのだそうです。それを使ってバッグが作られています。 燃えている時の煙が健康を害さない材料で作られています。あえて香りの無いタイプ。 まだまだ沢山ありますが、それこそ ” 百聞は一見にしかず “で実物を店舗でご覧くださいね。 あ。 そうそう!最後に! 食品もあるのです。 あとは、店頭で〜。 「ところで、店名の由来を教えていただけますか?」 「こどもたちの名前なんです。 momoko、koudai、yudaiということで『eco moko.u』です ^^」 なるほど。 環境問題に興味を持たれたのがお母さんになられてからというお話しに繋がりますね。 「さて、まだオープンされたばかりですが、今後の展開のご予定について何かありましたら教えていただけますか?」 「衣類に関してはメンズ商品も増やし、環境負荷の少ない洗剤・シャンプー・リンスなども取り扱いたいと思っています。また、今後注目されるであろうヴィーガンレザーなどの商品ももっと仕入れていきたいと考えています。」 今でもお手頃価格で魅力的なラインナップですが、今後はさらに豊富な品揃えになるようで楽しみです。 「私自身学びながらの毎日ですが、購入した人も作った人も販売した人も、誰もが納得して幸せになれる社会になることを心から願っています。これからも等身大の自分で、エシカルな商品を揃えて発信していきたいと思っています。」 柔らかい雰囲気の恵子さんが、キリッと、キッパリと話してくださったお話が心に響きました。 eco moku.u 情報 住所 伊達市舟岡町50-28 電話 0142-22-0624 OPEN 11:00~18:00 定休日 日・月・木・最終土曜日・祝祭日 Instagram https://instagram.com/eco_moko.u?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
0 -
01/01(土) 「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0 -
01/03(火) 森を観て世界の『美』を伝えたい! 〜『観森』代表 宇宙人 野田和規の探究
「今回は記事にするのは難しいだろうな…。」 という一抹の不安。 予想は見事的中した。 なにしろ、「観森」代表の野田和規氏はつかみどころが無さすぎる。 あまりにも捕まえられられなくて、もしかしたら実体もないのではないかとすら思ってしまう。 まあそれは言い過ぎにしても、言いかえるとすると宇宙人なのだ。 かといって、ミステリアスという表現は当たらない。 基本明るいし、表面的には軽く見える。 これも言い過ぎか? いやだって、「Riettyさんを必ず甲子園に連れていきますから!」などと、訳の分からないことを突如言い出したりするのだ。 初めて出会った2年半前。蝶ネクタイで現れた彼は、人懐こい笑顔でずっと目をキラキラさせていた。 なんてチャーミングな23歳男子なんだ!と、この時思った。 う〜む。 この笑顔に惑わされるのだ…。 困った…と頭を抱えたくなるが、取材したからには記事にしなければいけない。 だから書こうと思う。 ということで、筆者を大いに困惑させている今回の主人公は『観森』代表の野田和規氏である。 昨年12月に『Expedition 地球のエッセンシャルワーカーズ』全100PあまりのVolume 00を「観森」のフリーペーパーとして世に出した。 企画・撮影 野田和規(ノダカズキ) 企画・編集・撮影 安田祐太郎(Andy) デザイン イガラシモエ 素人だというふたりの写真は、観る者を強く惹きつける。 Instagramに投稿される写真もそうだ。 被写体はいつも神秘性を滲ませている。 けれども何かを狙っているようには思えない。 モノや事象の表と裏、そのモノ単独だけではない美しい関係性を表現しようとしている。 そして野田氏は飄々と面白く言う。 「僕、しゃべり担当ですから。」 たしかによく語る人だ。 大学生時代、ラジオパーソナリティーをしたり、芸人を目指したりしたこともあるらしく、人に刺さる言葉選びが上手な人だ。 しかも魅力的な文章も書く。 そんな野田氏のシャッターを押す手は、被写体にも語らせてしまうのだろう。 必然的に彼のファンは多くなる。 Instagramのフォロワーさんも多くいる。 でも気をつけよう。 それに感心しすぎて油断してしまってはいけない。 野田氏は軽く楽しい口調で話しながらも、ふいを突くように真理を語りだしたりする人だからだ。 ここで野田和規氏の基本情報を〜 ・ 佐賀県出身の25歳。 ・ 愛媛大学農学部入学、「水」の研究を志すも1年足らずで中退。 ・ その後、土・気象・海など、自然全体・地球への果てしない興味を持つようになる。 ・ のちに『観森』のビジネスパートナーとなる安田祐太郎氏(Andy)と出会う。それぞれに役割分担がある。野田氏は向いていることしかしない。「探究・発信・人と会うこと」担当。Andy氏はウェブと野田氏のやらないこと全てを担当。野田氏はAndy氏をベストパートナーだと言う。 ・ 2020年に白老町へ移住、地域おこし協力隊の森林ガイド枠で起用される。 ・ 2022年は、野田氏&安田氏の強みを発揮する大きな飛躍の年となった。それが『観森』である。 思えば、筆者が野田氏と出会ったのは、2020年の5月だった。 共通の友人と有珠のツアーに参加してくれた(筆者はガイドもしている)。 フィールドでの彼は、常に素敵な発見をするためにワクワクしながら歩いている。 いつかのInstagramで書いていた文章が印象的だった。 「『今日も世界は美しかった』と言える1日を過ごす繰り返しのみが人生の豊かさを作っていく。」 そう、野田氏の素敵な発見とは、モノを通して見る世界の美しさなのだ。 観るもの、手にするもの一つ一つに目を輝かせ、心から喜んでいる姿に惹きつけられた。 一瞬で人を惹きつける野田氏を、共通の友人は「人たらし」と呼んでいた。 まさに言い当てた表現だと思う。 そもそも『観森』とは何か? 読んで字の如く森を観る行為なのだけれども、彼らの観ているものはあくまでも『美』。 世界の『美』である。 それは時に色彩美であり、時に造形美でもある。 では『美』とは何か? 野田氏の言葉を借りれば『洗練されていること』。 では『洗練されていること』とはどういうことか? それは『原理原則に基づく法則性があり、秩序が存在し神秘性があること。』だと野田氏は言う。 そして、それは自然であるか人工であるかは問わないと言う。 そう言われて思い当たることが多々あった。 筆者は野田氏と何度かフィールドワークをしたことがあるのだが、モノの観方が非常に独特だ。 まさに色彩と造形に囚われる。 そしてその時の目はうっとりとして、明らかに興奮状態になる。 ところがだ。 なぜか執着しない。 瞬間で絶頂に達し、すぐに興味は他へ移る。 単に飽きっぽい? いや違う…。 いっときは興奮を与えてくれた個体に集中するが、それだけに心はとどまらない。 その個体を通して環境全体を観て知ろうとしている。 どのように洗練されていったかを知ろうとする。 みえない部分に興味がシフトしてしまうのだ。 故に目の前の個体には執着しない。 ほらね。 こんな風に、ふいに真理を突いてくる。 つまりは、自然界はもちろんモノごと全てにその存在の理由があるということだ。 だから野田氏は原理原則にこだわる。 神秘性に魅了される。 そしてこんなことも言った。 ほらまた。 でも、たしかに! さて、話を戻さないと。 今回の取材は筆者自身のコントロールが難しい…。 『観森』で何をしようとしているのか? 植物から観ようとするのは何故か? なるほど。 至極納得。 そして同意。 では具体的にどんな活動を行なっているのか?あるいは目指しているのか? 1. メディア事業 ポットキャスト:現在週2で配信。観森に一番合っていると思っていると自己分析している。 2. 出版 Vol.1を出版する。クラウドファウンディングで資金を集める予定。 3. 展示 京都芸術大学にて3回/年 4. 物販 笹のバスソルトなど 5. 地球の美、神秘・原理原則を伝える ガイド1~2本/月・ワークショップ1回/月 なるほど。 野田氏の取り留めのない話を聞いている時、いつもなにやら核心をはぐらかされているように感じていたが、こうして言語化することで『観森』の世界観をだいぶ理解できてきた気がする。 それは、実は筆者自身が「観森」ファンでもあるから喜ばしいことでもある。 最後に〜 野田氏の口から何度も出た言葉『美しさ』『原理原則』。 それは、回数を数えればよかった!と思うほどだった。 彼は森だけではなく町にいてもきっとそれを追求して歩き、徹底的に観てそのバックボーンを知ろうとするのだろう。 そのための好奇心はとどまることなく、その瞬間感じた好奇心に素直に反応し探究をし始める。 今日もきっと野田氏はどこかで何かを発見し、感動し、探究して『美』の蓄積をしているのだろう。 Andyとノダカズキが営む『観森』の今後のアウトプットに乞うご期待! ―観森 情報― Mimori 観森 ポッドキャスト 野田和規Instagram 安田祐太郎(Andy)Instagram mimori Instagram
Rietty
0