
スーパーステーショナリー WAKA
2022年ダイアリー・カレンダー入荷!
2022年カレンダー・ダイアリーが徐々に入荷してきております!
ダイアリーは1階、カレンダーは2階にあります。
みなさまのご来店を、心よりお待ちしております💁🏻♀️
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☆洞爺湖からの極上ラグジュアリーを届けたい 〜LUX Hokkaido Advisor代表 佐藤 徹氏の人生第二ステージ物語
佐藤 徹氏は、40年以上のキャリアを重ねたラグジュアリーホテルでのお仕事をこの春辞され、「LUX Hokkaido Advisor」の起業という形で人生の第二ステージを歩み始めました。 まずは「LUX TOYA」のおはなし 皆様、前回の「ハーバルランチ」の記事の最後を覚えていらっしゃいますか? このようなテーブルセッティングが現れ。 「ウグイスデリ」のシェフが現れ。 「LUX TOYA」のワードが登場しました。 実は、ここ「ハーバルランチ」をメイン会場に「LUX TOYA」ブランドでケータリングを仕掛けた方こそが、「LUX Hokkaido Advisor」代表 佐藤 徹氏でした。 そして、RanchでLunchの仕掛け人も☆ では今回の主役 佐藤 徹氏の略歴を 「サラリーマンの時よりも楽しいですよ!」と話す佐藤氏は群馬県高崎市のご出身です。 「大学生時代からパーティーなどのイベント企画をするのが大好きで、企画してはチケット販売なども行い、いわゆる学生ベンチャー企業のハシリのようなことをしていました。バックギャモン大会なども行ったことがあります。私自身も強かったので、唯一東大生にも勝てる技でした笑」 あるバックギャモン大会に参加した際、なんと日本4位になったそう。 そして、この出来事が佐藤氏の人生を決定づけることになりました。 「この時、賞品として、東京ヒルトンホテルメインダイニングでのペアのお食事券が当たったのです。生まれて初めてホテルのメインダイニングでの食事を経験し、学生でもリラックスさせ楽しませてくれた一流ホテルのサービスと素晴らしさに、強い感動と衝撃を受けました。その瞬間、ホテルの営業職に就きたい!!と心が決まりました。」 就職活動の時期になり、超有名ホテルの試験を受けました。 「結果、帝国ホテルもホテルオークラも落ち、東京ヒルトンホテルに無事合格しました。 そして採用内定後にお誘いをいただき、在学中からインターンシップで通うことになりました。」 さて、憧れていたホテルの仕事でしたが、インターンシップで配属されたのは「宴会ハウス」と呼ばれる料飲部の裏方作業でした。 宴会場のテーブルをセッティングし、片付けるサービスには携わらないとても地味な仕事です。 「41年間ホテルの仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかったのですが、この時だけは最初の3日目で『もういやだ‥。』と先輩に弱音を吐きました。思い描いていた華やかさは微塵も無かった。今思えばつくづく未熟だったな…と思いますが、その時、先輩に諭されたことで『まずは3ヶ月頑張ろう!』と思いとどまり、その後は無我夢中で働きました。そして、自分から『レストランのサービスをやりたい!』と申し出て配置転換をしてもらいました。外資系のホテルは自分から願い出ないとセクションはずっとそのまま変わらないのです。結局サービスの仕事は3年、その後26歳の時、念願の営業職に異動することができました。最年少採用でした。」 冒頭の画像でもご紹介した通り、佐藤氏はトライアスロンレース愛好歴30年の方。 あの過酷さに耐えられるのですから、並大抵な精神力ではありません。 人並み外れた努力家であり、ど根性の持ち主ですので多くの業績をあげた事と想像します。 実は、現在も開催されている洞爺湖を舞台にしたトライアスロン大会を最初に誘致した立役者も佐藤氏でした。 「営業職でしたが、正直、喋るのはあまり得意ではありません。ただ、アイディアは誰よりも豊富に持っていると自負していましたし、『やるからにはトップセールスマンになりたい!』という想いだけは人一倍強かったので、営業成績はいつもトップでした。要は負けず嫌いなんですよね。」 ヒルトンホテルで15年間勤めた後は、常にヘッドハンティングを受けながら、パークハイアット東京やウィンザーホテルなどのラグジュアリーホテルで経験と実績を積み上げてきました。 「順風満帆にお見受けしますが、失敗談の一つ二つはありますか?」 「あります!あります!本が書けるくらいありますよ〜!笑」 「え!? ^^; では、本一冊分はお聴きできないので一つか二つお願いします笑」 「一番忘れられないのは、というか、お客様に物凄く怒られたことがあるんですが…。某有名企業の社長が亡くなったという情報を得た時、すぐに次期社長の就任パーティーの企画書を作り、お葬式の日にプレゼンしに行ったんです。他所に取られたくないから一刻も早くと思って。もちろん物凄く怒られました。今思えば当然なんですが笑 その時はもう夢中でした。でも、なぜか私の上司は怒りませんでした。 それから…、もう時効だからいいかな…。東京都庁で当時の知事主催で『都民栄誉賞』の式典があったときのことです。20,000円20人分の弁当のご注文をいただいたのですが、スロープで台車を使って運ぶ際に全部落としてしまったんです(部下)。昼食の時刻も迫っている。料理長は当然カンカンに怒る。でもなんとかしなければいけない。有名デパートにも頼みましたが、20,000円の弁当を今直ぐ作ることはできないと断られる。もう一度料理長に頭を下げて頼みに行きました。当然材料が少なかったので、10,000円の弁当をなんとか作ってもらって急場を凌ぎました。お客様には行程を入れ替えるなどしていただき、自分は場を繋ぐためにひたすらお飲み物をお注ぎしていました。冷や汗エピソードです。」 「それはどちらを伺っても顔が青くなるエピソードですね…。」 「私が営業の仕事をする中でポリシーにしていることがあります。それは決して諂わないこと。絶対に満足していただける仕事をすることで、お客様とは対等でありたいと思っています。ホテルの仕事をしていると、本当に数え切れないほどのクレームを受けます。時には理不尽とも思える件も。ですが、どんな揉め事でも全て穏便に治めてきました。もちろん胃が痛くなることもありましたが、クレーム対応は得意なんです。毅然として諂わず、誠意を持って傾聴するように心がけていました。」 佐藤氏のお話を伺っていると、「Win-Win」というワードがよく出てきます。 プロのサービスとその対価に自信があるからこその言葉です。 今までの経歴からの気づき 「40年以上ホテルのお仕事に携わっていらして、気づき学ばれたことは何でしょうか?」 「現在の活動に大きく関わっていると思う気づきは、『地元事業者との連携の大切さ』です。これはハイアットリージェンシー京都にいた頃の経験に基づくものです。京都では、寺社仏閣との連携で仕事をさせていただくことが多かったのですが、少子化の影響で修学旅行が減り、拝観者が減り、檀家さんも減り…。ですので、京都の神社や寺の経営は楽ではないのです。そこで、夜を貸切にしていただき特別な体験メニューを企画しました。参加してくださるのはほぼ外国人でした。お寺や神社はもちろんのこと、お客様にも喜んでいただけたのでとても嬉しかったです。パークハイアット東京にいた頃は、食とアートを繋げた企画として、美術館と連携をしてラグジュアリーブランドのケータリングを行っていました。ホテル滞在のお客様に向けて高付加価値なラグジュアリー商品の開発や、MICEのローヤルコーディネートも行いました。」 素晴らしすぎる! お話を伺う筆者の目がキラキラハートになっていたのは言うまでもありません。 「ウィンザーホテルの東京本社から洞爺の現地に赴任した際、ウィンザーホテルは地元との連携があまり出来ていませんでした。ですので、私は洞爺湖温泉に家を借りて住み、洞爺湖周辺の全てのお店に通い、顔を知っていただく努力をしました。おかげで、様々な企画をご一緒いただくことができました。その頃からの人の繋がりと経験は全て財産です。」 この気づきと実践こそが、佐藤氏が話す「Win-Win」の考え方に沿う企画を生み、今に繋がりました。 さて、再びハーバルランチ会場へ〜 佐藤氏も大工仕事を手伝った外のデッキは屋根付き&シート付きなので雨の日もOKです。 自然に囲まれた贅沢空間でのBBQケータリングメニューは24名様まで可能だそうです。 しかも、1日に昼夜一組限定なので、時間を気にせずにゆっくりとお食事を楽しめます。 これらの画像に写るシェフ達は、有名高級ホテルで腕を振るった方ばかり。 この凄腕達による最高級のフレンチスタイルBBQをケータリングサービスする部門が「LUX TOYA」であり、そのメイン会場が「ハーバルランチ」というわけです。 つまり、ハーバルランチや各事業所のシェフの皆様と連携をされているということになります。 ここでも地元の事業者との「Win-Win」の考え方が生きています。 「LUX Hokkaido Advisor」ケータリング以外の事業のおはなし さて、なんと佐藤氏ご自身も得意分野のサイクリングでガイドも始めることになりました! 「洞爺湖町の、特に元洞爺村周辺の、調和がとれた自然と文化の素晴らしさを自らお伝えしたくなりました。」 湖畔の彫刻を愛でたり、洞爺湖芸術館を観覧したり、ハーバルランチでハーブティーを楽しんだりできて、ガンガン漕ぐ行程ではなく、のんびり走るのがとても魅力的です☆ また、自らのガイドだけではなく、地元のガイド事業者との連携もしっかりと考えていらっしゃいました。 ホーストレッキング・カヌー・ネイチャートレッキングなど、今後の展開が楽しみです。 そしてもう一つ。 佐藤氏のこれまでの職歴の集大成とも言える事業はホテルのコンサルティングです。 「『営業・マーケティング・サービスのプロフェッショナルとして是非うちのホテルへ!』と、あるホテルの総支配人としてのお誘いもいただき、とても有り難かったのですが、丁重にお断りさせていただきました。どうしても『自営でやりたい!』という想いが強くなっていたからです。実はこれら全ての構想は2年前から大事に育てて温めてきたものでした。」 現在、あるホテルとゲストハウスのコンサルティングも既に始めていらっしゃいます。 なんと心強いコンサルタントなのでしょう!! 最後に「LUX Hokkaido Advisor」のポリシーとビジョンを語っていただきました。 「何よりも地元の事業主さんの役に立つことを第一に考えるということをポリシーにしています。将来は洞爺にラグジュアリーマーケットを増やしていきたいです。目指すは北海道のラグジュアリーアドバイザーです!!」 観光業界のアイアンマン佐藤氏。 人生の第二ステージを既に全速力で走り出しています。 ―LUX Hokkaido Advisor・佐藤 徹氏 情報― 代表 佐藤 徹 住所 北海道伊達市末永町175-32-102 電話 080-3725-0262 Email :tsato@lux-hokkaido.com ・ LUX TOYAのメニュー(今後も進化する気配☆) https://lux-hokkaido.com ・ サイクリングガイド(今後もアクティビティーメニューが増えそう☆) https://toyako.biz/cycling/
Rietty
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「手を動かす人たち」へのリスペクト。お酒と木と本の店 BACKWOOD【洞爺湖町】
8月下旬、洞爺湖町入江にお酒と本と木工作品を扱うお店がオープンしました。 「へき地、辺境、奥地」といった意味を持つ「BACKWOOD(バックウッド)」という名前のお店です。 その名の通り、入江地区の奥深く、人家もまばらな場所にひっそりと佇んでいます。 移住者の店主が、古い納屋をリフォームしてつくりあげた、素敵な空間をご紹介します! アパレル業界から田舎暮らしをもとめ洞爺湖町へ 国道から有珠山側に車を走らせること数分。 看板を頼りに細い路地を入っていくと、深い緑の中に三角屋根のお店が現れました。 有珠山の麓のすぐ近く、自然豊かでとても静かなエリアです。 黒いトタンの壁と看板の木材の色あいが緑に溶け込むようにやさしく目に映りました。 中を覗くと個性的な木のクラフトが並んでいます。 壁には本がいっぱい。 大きな冷蔵庫ではカラフルなラベルのビールがずらりと冷えていました。 元の家主が廃材を使い建てた築20年の納屋を改装したという店内。剥き出しの梁や壁はほとんど当時のままだそう。 レトロな雰囲気を残しつつ、今風でもあり。素朴で洒落ていて、どこかホッとするような温もりのある空間です。 店主の菅松 剛士さんは2021年2月に一家で東京から洞爺湖町に移住しました。 「会社勤めは向いていないと思いながらも、楽しく働いていた」という菅松さん。もとはバリバリのビジネスパーソンで、競争の激しいアパレル小売業界にて、ブランドの立ち上げ等に長く携わってこられたそうです。 お子さんの就学を機に、長年思い続けてきた「いつか田舎で暮らしたい」という夢を実現し洞爺湖町へ。 当初はもう少し中心街寄りの場所に住んでいたそうですが、ランニング中に偶然この土地を見つけて購入を決め、昨年末に移り住みました。 この古い納屋を見たときに「ここでお店を始めよう」と閃いたそうです。 菅松さん: もともと「いつか田舎に」というのはずっとあったんです。 20代の頃は沖縄と思っていましたが、年を重ねるにつれて住みたい場所がどんどん変わってきました。 妻の両親の実家が北海道なので、子供が産まれて連れてきた際に、日高のあたりを海沿いにドライブしていたんです。 その時に「うわあ、北海道に住みたい」と思ったのが、移住先に北海道を選ぶきっかけとなりました。 廃材を組み合わせたオーダーメイドの入り口ドア。今では貴重な磨りガラスや「総合案内」の文字が渋い味わいを醸し出しています。 北海道の人は「手を動かす人」 BACKWOODでは「北海道を軸に、クリエイターや素材にこだわったいいもの」をテーマに商品を取り揃えています。 「お店を始めるならまずは酒屋を」と以前から思っていたそうで、ワイン、日本酒など様々な北海道産の酒類の中から、専門店の少ないクラフトビールとスピリッツを扱っています。 クラフトビールは現在、4社をセレクト。おいしいクラフトビールが道内各地にある中で、厳選に厳選を重ねたこだわりのラインナップです。 左から 美深白樺ブルワリー: 日本最北のクラフトビール工場。希少な白樺樹液を副原料として使用。 忽布古丹(ホップコタン): 上富良野の地場産ホップで醸したクラフトビール。 NORTH ISLAND BEER(札幌): 「BEER IS ART」をコンセプトにカナダで修行したブルーマスターが醸造。 41 BEER CRAFT WORKS: 2021年にスタートした余市の醸造所。積丹岳の雪解け水(伏流水)を使用。 地場産ボタニカルの芳醇な味わいが広がる積丹ジン「火の帆(HONOHO)」。東京に住んでいた頃から愛飲していたという店主イチオシの一品です。 菅松さん: コロナの影響で、家の中で過ごす時間が増えましたが、それが意外といいな、ということを再認識した方が多いのではないかと思います。 僕もその一人で、大勢で飲んだり、みんなでわいわい過ごすのも楽しいですけど、一人で静かに過ごしたり、家族でのんびりしたり、気の合う友達と少人数で飲んだり喋ったりするのも、結構素敵な時間じゃないですか。 そういう時間をさらに盛り上げるものとして品揃えの軸を決めています。 例えばクラフトビールは、それほどたくさん飲まなくても、一人でゆっくり味わえば満足しますし、本も一人で楽しめますよね。 そしてそういう部屋に、木の道具や作品があったらさらに楽しい。 お酒と本と木の3つをもって、豊かな時間を過ごすお手伝いができればいいな、というのが発想のもとです。 木工は北海道在住のクリエイターの作品とBACKWOODのオリジナル商品を販売しています。 ARAMAKI(恵庭) 新巻鮭の木箱をリサイクルし制作を行うクリエイターチーム。独特の赤や黒の文字がインパクト大かつ手に取ると軽く、機能性も抜群です。代表の作家さんは優れた技術を持つ宮大工であり、設計が素晴らしいと菅松さん。 https://aramaki.world/ BACKWOODオリジナル商品 オリジナルデザインをプロの職人が制作。ただそこにあるだけで、空間がちょっと素敵になるような存在感ある品々。上画像は「自在STOOL」。椅子にしたり小物を置いたり、単独でもで重ねても使える5枚1組のスツール。 こちらは「FLAT PLATE」。縁なしで真っ平の珍しいデザインです。食材をのせるとすごく映えるそう。 鹿乃舎木工(伊達) まるで生き物のような、有機的で不思議な形のイス。有珠に工房を構え、古木や北海道産の木材を使用して制作するクリエイターの作品です。 https://shikanoya.theshop.jp/ このほか、豊浦の Horsemade Landscape の器類も取り扱っています。山から木を切り出して、馬に引かせて運び出す「馬搬」という昔ながらの技法に取り組み、素材の調達からこだわって制作されています。 https://horsemadelandscape.com/ 菅松さん: 北海道っていいものがたくさんあるし、作っている方もすごい方ばかり。 職業として作る人はもちろん、「こんなの自分で作るの」と思うようなものを暮らしの中で個人レベルで作っている人が沢山いますよね。 そういう方々に出会って、北海道の人は「手を動かす人たち」だなあ、と思います。 例えば近所のおじいちゃんを見ていても、なんでも自分でやるじゃないですか。 それに対して、都会の人ってなんでもやってもらう側で。 北海道には手を動かしている人が大勢いて、素材も食材も、素晴らしいものが豊富にあって、いいものがいっぱい生み出されている。 それを都会をはじめ、全国の方に向けて発信していければいいな、と思っています。 古本は、「飲む」、「食べる」、「自然」などお酒や木工と親和性の高いジャンルの本がカテゴリー別に並んでいます。開店してみたら予想以上に本が好評で「手元に置いておきたい本からなくなっていく」のだとか。 本の交換コーナーもあり。来店した方が持参したいろいろな本が置かれていました。地域の人の本が集まる楽しいコーナーです。 さて、お店の外に出ると、裏にはこんもりと緑が生い茂る庭が広がっていました。 りんごやなしなどさまざまな果樹が生えているそう。元の家主さんが植えたものだそうで、取材時には丸々とキウイが実っていました。 家や納屋を自分で建て、庭や畑も作っていた元家主さんは、まさに菅松さんが移住して出会った「手を動かす人」のおひとりでした。 その方の手から菅松さんの手へと受け継がれて、古い納屋がお店へと生まれ変わりました。 そうして誕生したBACKWOODの店内にいると、 「暮らしの中で手を動かして、生活に必要なものを作ってきた北海道の人々へのリスペクト」 というような、あたたかく真摯な心意気を感じました。 つくることの素晴らしさと、いいものが放つ輝きに満ちた小さなお店。 北海道の良い品を探しに出掛けてみませんか。 商品はWebサイトでも購入できます。 また、ビールは「角打ち(立ち飲み)」OK。お庭を眺めながら飲んだら、おいしいビールが何倍も味わい深く感じられそうですね。 BACKWOOD 店舗情報 住所 北海道虻田郡洞爺湖町入江265-55 営業時間 木曜〜土曜:13時〜18時、日曜:13時〜17時 HP・ショップ https://backwood.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。取扱商品、メニュー等は変更になることがあります。取材2022年
ch
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人生は後半戦が面白い。楽輝己書道場・兼子孝子さん
大町ミニギャラリー(伊達市大町3番地7)で11月26日まで楽輝己書(ラッキーおのれしょ)道場の作品展が開催されています。 独特の丸いフォルムが特徴の己書。筆ペンを使って誰でも手軽にできて、「描いて楽しい、見て楽しい、もらって嬉しい」のが魅力です。 会場には笑顔を誘う優しくておおらかで、ユーモラスな作品たちが賑やかに並んでいました。 兼子さんと生徒及び推薦した師範の皆さんの作品 楽輝己書道場の代表・兼子孝子さんは登別在住。「人生は後半戦が面白い。楽しんで輝いて生きましょう!」をモットーに登別、室蘭、伊達、白老、苫小牧、と西胆振中心に、札幌、旭川他、道外でも教室を主催しています。 都道府県ご当地地蔵シリーズ 5年前、知人のFacebookに投稿された己書を見て衝撃的な出会いをしたという兼子さん。それまでは一人で飛行機に乗れなかったそうですが、一念発起して本州に通い師範、さらに上席師範の資格を取得。北海道で己書を広めるため道場を開き、現在は指導者の育成にも力を注いでいます。 今年の作品展は室蘭市民活動センター、旧室蘭駅舎、カフェアンジュリエ登別、のぼりんと続いて大町ギャラリーで年内最後となります。 一番の見どころは壁一面に広がるカラフルな小型のパネル!ひとつひとつに素敵な文字が書かれています。通称「なっとう額」、なんと納豆のフタに土佐和紙を貼った手作りの額縁です。その数なんと544枚! ギャラリーの壁を一眼見てひらめき、お弟子さんたちと力を合わせて展示したそうです。 ほかにも個性的な作品がたくさん! だるまと招き猫シリーズ。かわいい! 「己書は己の書だから他人と比べなくていいんです」と兼子さん。 筆ペンなので二度書き、三度書きOK。筆圧がなくてもかけるので、年齢問わず体が不自由な方や病気の方にも喜ばれるそう。 私も体験させてもらったのですが、一文字一文字、ゆっくり書いていると心が安らぎ、まるでセラピーのような癒しの時間だな、と思いました。 兼子さん「自分の時間が形になって楽しめること。みんなに喜んでもらえることが一番の魅力だと思います。己書に出会ってからご縁がどんどん繋がって活動が広がり今があります。涙が出るほど嬉しいです!」 コロナ禍で生徒さんが教室に来られない状況が続く中、オンラインレッスンを活用して活動の幅を広げ、さらに今年は自宅で己書を楽しんでもらおうと仲間とアマゾンから電子書籍(無料)を出版しました↓↓ 筆ペンで描いた 淳ちゃんとカネちゃんから贈りもの 一期一会を大切に、面白がって新しいことにチャレンジし続ける兼子さん。おおらかな笑顔が己書のお地蔵さんの表情と重なりました。 作品展は2021年11月17日〜26日まで(最終日の展示は13時まで)。 各教室のほか、年賀状講座も募集中です。 手書きでちょっとしたものをサラッとかけるようになり、実用性もかなり高い己書。あなたもはじめてみませんか。 兼子孝子さん 日本己書道場公認 上席師範 楽輝己書道場 代表 090-1388-4716 オンライン幸座も受付中!! Facebook Instagram むしゃなび掲載ページはこちら ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
むしゃなび編集部
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【あの人に会いに】無理せずに巡っていく恩返し [ 岡本 里佳さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.6 今回は、洞爺地区で『TOYA親子塾』を主宰されている 岡本 里佳 さんです。 洞爺地区でどのようにして親子塾が生まれたのか、 そして10年も続いているという、その秘訣をお聞きしました。 巡っていく恩返し 里佳さんの原点となるエピソードがあります。 それは、静岡に住んでいた頃のお話。 車無しで、子どもを3人連れての病院帰りでした。 4歳の手を引き、2歳を乗せたベビーカーを押し、 更には赤ちゃんをおんぶして、 歩道もなく歩きにくい狭い道を なんとか歩いていました。 遠い道のりを頑張って歩いていたその時、 急に雨が降ってきてしまいました。 傘を持っておらず、そのまま歩き続けていると…… 横にスッと車が止まり、 中の方がビニール傘を差しだしてくれました。 「お礼がしたいと連絡先を聞こうとしたら、 『お礼は良いから、次はあなたがその傘を誰かに渡して』と」 「人にあげるものって、 ちゃんとしたものじゃないと!って思っていたけど、 高価なものじゃなくても良いんだって気付けて。 この時のことがすごく残っていて、 できる限りのことをしようって」 ちょっとしたことが物凄くありがたい、 無理をせずできる範囲でも恩を送ることができる。 この出来事は里佳さんの原点となりました。 塾がない、なら作っちゃおう 九州から洞爺地区に移住してきた岡本家、なんとお子さんが6人の大家族!「でも、この地域に来たときは周りに大家族が多くて、6人兄弟だって他に2家族もあったの!」と里佳さんは笑います。 親子塾は、お母さん方の会話から生まれました。 「近所のお母さんから、子どもたちが家ではなかなか勉強できない、というお悩みを聞いていて」 他の友人から『塾というより塾の”自習室”が良いらしい!』と耳にしたところで、ここには塾も無い。塾を作ろうにも、この町には大学生もいない。 「でも、自習室で良いなら、場所だけ提供すれば良いんじゃない?親子塾をやってみよう!ってなったの。役場にこんな活動がしたいと相談に行くと、じゃあうちの子も……とすぐに子どもは集まって。」 親たちが当番制で見守りをして、子ども達に学習の場を提供する『親子塾』がスタートしました。さらに、見守り担当の親も一緒に学ぶスタイルが定着しました。 親子塾には月に2回程度、食事提供の回があります。(冬季を除く)その名も、『親むすび子ろりん(おむすびころりん)』。中学生は部活帰りでごはんを食べずに親子塾に直行になることもあるらしく、ここでご飯を食べられる回はありがたいそうです。 「やっぱり食は繋げてくれるよね、参加率が高い。笑」 食事の提供には、地域の農家さんから野菜をいただいたり、フードバンクを活用したりしています。 美味しい!とニコニコでごはんを食べる小学生たち。そこに部活帰りの中学生たちもワイワイと加わります。学校の外で友達とごはん食べられるって、嬉しいですよね。食後の片付けは子ども達自身で。学年が異なる子どもたちの交流は、兄弟が増えたようで楽しそうです。 無理しない、出来る限りのことを 一緒に活動するメンバーに『里佳さんはどんな人?』と聞いてみると、『しっかりしてるのに、フワフワしてる。だから緊張しすぎないし、楽しく活動できる』とのこと。 「無理はしないって決めていて。トップが無理しちゃうと、みんなも苦しくなっちゃうから」。みんなで楽しく活動すること。そのためにはトップが程良い”ゆるさ”がを保つこと。持続可能な活動にするための秘訣はここにありました。 <運営するお母さんたちに話を聞いてみました> Q.なんで『TOYA親子塾/親むすび子ろりん』に参加していますか? A.「たのしい」「子育ての情報交換になる、先輩がたくさんいて何でも聞ける」 「友達と居る時の子どもの様子を見られる」 「子育てを離れても、小中高の話が聞けて情報が入る」 どなたもとても楽しそうに参加されており、 保護者のみなさんにとっても憩いの場となっていることが伺えました。 ここだから、続けてこられた 親子塾は、なんと今年で10周年! 子ども達は卒業していき、保護者も入れ替わる中、この活動が10年も続くというのはとても凄いことだと感じます。 子どもが卒業しても変わらずにお手伝いに来てくれる方もいるそうです。 「はじめはこんなに賛同して、協力してくれる人が沢山いるなんて思っていなかった。洞爺地区だから、この地域だから続けてこられた、というのは凄く思う」 洞爺地区に訪れると、地域で子育てをしている様子を見かけることがよくあります。ひとりの大人が沢山の子どもを連れていたり、他人の子どもでも自分の子どものように叱っていたり。みんなお互い様で、子ども達を見守り合っているコミュニティ。この地域力が根底にあることが、親子塾が存続できる理由だと里佳さんは言います。 「みんなが同じ方向を向いているから、助けて!って言いやすい、頼みやすい」 10年間ずっと続いているから、いつでも帰って来られる安心感。日々活動を積み重ね、子どもにとっても親にとっても大切なコミュニティが出来上がっていました。 さて、今後の展望はあるのでしょうか。 「私たちが老後になっていって、いろいろと困ることがあると思う。次はその問題を解決していくようになるのかな?」。何かあっても助け合える、心強い関係性は既にできているように見えました。 『TOYA親子塾』・『親むすび子ろりん』は、洞爺地区の親子が参加できます。 (毎週水曜19時から、洞爺総合センターの和室にて。) 次は誰かのために、と活動し続けられる優しさ、包容力あふれる里佳さん。子育てに悩む方にはぜひお会いしてほしい、素敵な”地域の母”でした。
misaki
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川のほとりの癒しのお花屋さん “青葉“
こちらは気門別川のほとりにあるお花屋さん「青葉」さんです。 20年前から変わらぬ可愛らしい笑顔で店主の知子さんが迎えてくださいました。 今の場所に引っ越されて8年目。 2001年にオープンされた時は山下町にお店を構えていらっしゃいました。 その時はまだお勤めをされていたので、そのお休みを利用し、土日のみの営業だったと言います。 素敵なランプは、おそらく洞爺湖のglaglaさんの作品。 「若かったからできました。」と、当時を振り返る知子さん。 でも、それだけではない起業への強い想いを感じました。 同時に、ものすごい努力だったのだろうと想像します。 壁をさり気なく飾りたい方に~ 人気の多肉植物や、可愛らしい花瓶も並びます。 「お花屋さんというお仕事は、実は子供の頃からの夢ではなかった。」というお話しには驚きました。 一旦は札幌で就職をなさった知子さんは、一念発起してお花を学ぶ学校へ通い始めました。 「その時もなんとなく花かな~という程度だった。」と。 学校卒業後は、お花屋さんに就職。 3年間の実践的な修行が始まりました。 初めはそれほど強い思いでお花の道に入られたのではない知子さんが、とても厳しいお花の仕事を経験されてからどんどんのめり込んでいったというストーリーが、私にはとても興味深く聞こえました。 「今日はお花が少なくて…。」 とおっしゃった知子さん。 お互いを引き立て合う様なラインナップで素敵です! きっと、3年間は自分自身の本気を試す期間だったのだと思います。 もちろん、知子さんは本気でした。 というより、どんどん本気度が増していきました。 だからこそ、お勤めがあるにもかかわらず、お休みの日にお花屋さんになるという大胆行動を起こされたのだと思います。 窓の向こうには川が流れています。 右端が空いているのは筆者が連れて帰ったからです ^^ ハンショウヅルという植物を購入しました。 「川が好きだからこの場所を選んだ。」とおっしゃる知子さん。 “青葉”の店名の由来も尋ねてみました。 「洞爺湖畔の仲洞爺あたりの道が大好きなのです。 木のトンネルが続いていて、そこからの木漏れ日を感じたり木々の隙間から見える洞爺湖の水に癒されたり。 だから、緑にまつわる名前にしたかったのです。」 なるほど~! あの道をイメージしてのお名前だったのですね! とっても納得してしまいました。 そんな理由もあって、“青葉”さんでは、お花はもちろんですが枝物やグリーン系のラインナップに力を入れていらっしゃるのだそうです。 確かに、店内はカラフルというよりも緑色が多いです。 いかにも、緑のトンネルがお好きな知子さんらしい♡ 緑好きなお客様にもとても喜ばれているそうです。 これは、“青葉“さんならではの大きな特色ですね。 面白い植物も並びます。 育て方も相談に乗ってくれます。 シダ類! 涼しげです。 そして。 「“コロナ禍なので、おうち時間を明るく過ごしたい“ とお花を買いに来てくださる方が実は増えているのです。 そのお気持ちが本当に嬉しいです♡」 という素敵なお話も飛び出しました。 「ゆくゆくは、アンティーク雑貨と植物を組み合わせた商品も作っていきたい。」 と、今後への想いも語ってくださいました。 アンティーク好きとしては本当に楽しみです。 最後にこのお店を通して、皆様にお伝えしたいメッセージはありますか? とお尋ねしました。 「こんな時だからこそ、植物の癒しの力を感じていただきたくて、気軽に入れる雰囲気作りを心がけています。 雑貨も置いていますので、お気軽にご入店いただけたら嬉しいです。 そして販売するだけでなく、アフターケアのことなどお花の相談所的な感じでいろいろご相談いただけたら嬉しいです。」 取材時もちょうど、お花の寄せ植え相談に訪れたお客様がいらっしゃっていました。 大滝の方の手作り葉書です。 ハンドメイド作家さんの作品も並びます。 どの花よりも輝いていた知子さんの笑顔でしたが、とっても恥ずかしがり屋さんなので写真はパスでした ^^ 実は、筆者が最後に気づいたことがありました。 それは、”青葉”さんの心地良さは、自然の中にいる状態に近い雰囲気だからだということ。 きっと、自然好きなオーナーの知子さん・植物たち・店舗・雑貨全てが作る空気感なのでしょうね。 川のほとりの “青葉“さんは、全てが癒しの空間でした。 青葉 住所 伊達市錦町15-2 電話/Fax 0142-21-1112 Open. 10:00~18:00 Close. 月曜日 http://aoba-flower.exblog.jp ※配達で不在の場合もあります。お出かけ前にはお電話でお確かめください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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『役』を捨て自分自身に戻る時間 “hinna produced by Toya Pirka Shop” で癒される時
今回はToya Pirka Shopのオーナーで基礎化粧品“ hinna ”の開発者 加藤亜貴絵さんにお話を伺いました。 待ち合わせ場所に現れた亜貴絵さんは、スラリと背が高く素肌の美しい方でした。 石狩市ご出身で、短大では経済学を学び、長らく銀行員をされていたそうです。そして、6年前に洞爺湖町に移住されてからも同じ銀行の支店で働いていらっしゃいました。 ↑湖畔で遊ぶ亜貴絵さんの愛息子様 「地元に密着した洞爺湖町の支店では店内のチームワークも素晴らしく、営業の立場から地元の皆様とお話をさせていただく機会も多くあり、どんどん洞爺湖町の魅力に惹かれていきました。気づいたら洞爺湖町の大ファンになっていて、洞爺湖町の良さを町外はもとより町内の皆様にもっと知ってほしい!と思うようになっていました。」 そしてこんなお話も。 「自分自身、洞爺湖町に移り住んでから性格が変わったと感じています。それまでは常に何かに追われるようにキリキリとした生活でした。でも、洞爺湖町に移り住み、美しい自然や温かい人々に囲まれているうちに、周りの自然や人に心から感謝するようになりました。そして、“ 肩肘張らなくてもよい。自分の精一杯を生きればよい。”と、思うようになったのです。」 なるほど…。 “ hinna “のお名前の由来がわかりました。 hinnaとはアイヌ語で感謝を表すことばです。 「全てのものに感謝して生きていきたい」そんな亜貴絵さんの気持ちを表していたのですね。 さて、今回の主役 “ hinna “のことについて 「でも何故、その想いが化粧品に結びついていったのでしょう?」 そんな筆者の問いに、亜貴絵さんはこう答えてくださいました。 「私は元々アレルギー体質でもあり、ものすごい乾燥肌なのです。ですから、ありとあらゆる化粧品を試しました。その中で、これはいいかも!と思う基礎化粧品に出会ったとしても、何かしらの矛盾や難しさを感じて持続できない。加えて自分をすり減らす都会の生活にも疲れた頃に洞爺湖町に転勤して……。 そして先ほどの話に繋がっていきます。 ある日、ある農家の方に教えていただいた洞爺湖町名産の財田米と赤シソを知ったことは、私の中でとてもとても大きな出来事でした。洞爺湖町産の赤シソは、農家さんが毎年タネを採り、それを毎年撒き、手作業で何十年も繰り返し育てられているのです。命と産物を繋ぐ作業を全て手作業で行っていることに感動を覚えました。それに、抗アレルギー作用がある赤シソは、アトピー体質の私にはジャストフィットでした。この本当に素晴らしい洞爺湖町の産物をなんとか多くの人に知ってほしい! しかも私らしい方法で! そんな想いが化粧品とリンクしていったのです。」 一念発起した亜貴絵さんは、会社を辞め、わずか半年で『日本化粧品検定1級』を取得しました。 さらにお話しは化粧品成分に及び、語りは熱く繰り広げられました。 「まず、財田米はとにかく食べて美味しい! 実は私の父は石狩の米農家で育ちました。ですので、いつも美味しいお米をいただいていて、『うちのお米が一番美味しい!』と思っていたのです。ところが、財田米を食べたらそれが覆されました。初めて味わったお米での敗北感でした 笑。 心から美味しいと感じるものは肌にも良いと思っています。 お米には保湿や血行を促進する成分があると言われています。 そして赤シソ。赤シソには殊の他強い思い入れがあります。実は洞爺湖町は北海道で1.2を争う赤シソの産地なのです。それは残念ながらあまり知られていない事実です。こんなに良いものなのに何故!?と叫びたいくらい。赤シソには抗アレルギー・抗酸化作用があると言われる他、美白や保湿の効果もあると言われています。 この2大主役に加え、北海道産のサラブレッド由来のプラセンタも配合しています。こちらには優れたペプチドやアミノ酸が含まれているのです。 それと、hinnaは着色料や合成香料を使っていませんが、化学成分は含まれています。自然由来にこだわりすぎず、『人間が長年研究をし続けてきたお肌にとって必要な成分=化学の力』とのハイブリッドで作っているのです。 」 ↑手のひらサイズより大きな葉の赤シソ畑 ↑黄金色に稔った財田米 北海道産のサラブレッドにこだわった理由は、「餌の面でも衛生的にも丁寧に管理されていることと、北海道の原材料を使いたかったということです。」とのこと。 亜貴絵さんとお話ししていると、全てのことに裏付けがあり、きちんと分析されての言動だということが分かります。 ご自分のお仕事に対して『腹を括っている』という潔さが伝わり、ものすごく説得力がある。 本当にスカッと気持ちが良い方です。 ↑パンフレットデザインもパッケージデザインも全てご自分で行なっていらっしゃいます。 本当にバイタリティー溢れる方です。 ↑この優しい紫色は、お米の研ぎ汁の白と赤シソの紫を足した色だそうです。 「ところで、作っているのは亜貴絵さんご自身ではありませんよね? どのように開発レシピ通りに化粧品を作ってくれる製造会社を見つけたのですか?」 すると、その行動力に感動するお答えが返ってきました。 「あちこち電話を掛けまくって、直接営業をしにいきました! ですが、個人の話を聞いてくださるところはなかなか見つかりませんでした。変なオバさん扱い。ですが、実はこのコロナ禍はチャンスでもありました。化粧品業界もテレワークなどが多くなり、化粧をする人が減り、取引先自体が増えないという悩みを抱えていたのです。ですので、個人の話でも前向きに聞いてくださる会社様も現れました。それが現在、製造をお願いしております(株)粧薬研究所様です。こちらでは、私の話を本当に良く聴いてくださり、OEMに快く応じてくださいました。」 きっと、数字でものを説明できるという前職でのご経験も強みになっているのでしょう。 コロナ禍は、亜貴絵さん自身にも会社員であることのメリットとデメリットを深く考えさせてくれたと話してくださいました。 “ ピンチをチャンスに! コロナ禍をチャンスに!” 多くの人がそう口にしますが、誰にでも簡単にできることではありません。 でも亜貴絵さんは、コロナ禍をチャンスと捉えました。 止まりたくない。 前進あるのみ。 たとえ失敗したとしてもこうと決めたら突き進みたい! そんな亜貴絵さんの強い想いにより、準備期間に多くの苦悩を抱えて過ごしながらも、構想から1年半というハイスピードで ” Toya Pirka Shop ” を立ち上げることができました。 立ち上げ前には80人のモニターの方に使っていただきました。 いただいた感想から成分配合の手直しを繰り返し、ついに2021年12月に” hinna “が世に送り出されました。 最後にこう話してくださいました。 「しばらくは『変なオバさん』扱いでしたが、最近メディアで取り上げていただけるようになり、活動を知っていただけるようになったのはとても嬉しく有り難いことです。 ” Toya Pirka Shop “のコンセプトは10年後、20年後も使い続けたい持続的なものであることです。持続的であるためには価格はとても重要です。ですから、” Toya Pirka Shop ”の製品は価格設定が先です。 製造以外、今は一人で回しているので、製品コストは最低限に抑えることが可能です。 hinnaは1本3300円ですが、150ml入っていますので、だいたい2ヶ月半はお使いいただけます。内容成分的には絶対の自信を持っています。 女性にはたくさんの役割がありますが、1日の内のせめて数分だけでも自分自身に戻ってほしい、自分に優しくしてあげてほしい、そう願っています。スキンケアは自分自身の手で労わることができる作業です。自分で自分を癒すために毎日お使いいただけたら幸せです。 」 お話をいただく間、何度も周りの方への感謝の気持ちや、自然への感謝の気持ちを口にされた亜貴絵さん。 お話を伺い、この商品には” hinna “ 以外の名前は見当たらない。 そう思った筆者です。 ↑洞爺湖町 230号線沿いにある「きつつきカナディアンクラブ」さん敷地内にある「森と休日」さんで委託販売中です。 ↑こちらは洞爺湖温泉街の「越後屋」さんで委託販売中です。 「そうべつ道の駅 サムズ」さんでも2/11より委託販売が開始されました。 ※記事の内容は取材時の情報にもと基づいています(取材2022年)
Rietty
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