
ホテルマンの幸せ
おはようございます☆
いつどんな成り行きで設立されたのかは全く覚えていないのですが‥
先日こんな連絡が来たのでした
『カツカレー食べよう会』の第2回目の会合の案内です
しかも2年半ぶりの開催
実にシブい会合なのです
というワケで先日『第2回 カツカレー食べよう会』が開催されたのでした
場所は洞爺湖温泉街にある‥
松前屋さん
ただのカツカレーではなくて『オムカツカレー』にしてみました
とても優しいお味でした☆
メンバーは北川さんと美香さんと3人の会なのです

第1回目は2年半前に室蘭の蘭亭に行って、今回は2回目
伊達に戻ってビックリなドンキーに行ってデザートをいただきました
私はジョッキマロンパフェとのみごろキウイの大きい方
めちゃ美味かった☆
この日はなぜかカツカレーもパフェも北川さんが奢ってくれました♪
テイクアウトも注文しておけば良かったぜ‥
洞爺湖から伊達に戻ってくる車内で美香さんと北川さんが‥
『女の人でも立ちションは出来るよね!!』というワケがわからな過ぎる会話で盛り上がっていました‥
僕はなんか2人の会話を黙って聞きながら2人が立ちションをしている姿を想像してしまってなんだかとてもイヤでした‥
(食後だったし)
そんなコトがあった『第2回 カツカレー食べよう会』でした☆
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交わり・出会い・分かち合える場でありたい 「ヨツカド商店」が目指すコト
一つ目の角にはチーズがありました。 二つ目の角には珈琲がありました。 三つ目の角にはワインがありました。 四つ目の角には中継隊がいました。 四つの角の主となる二組の夫婦たちは、ある決意を持って、神奈川県から壮瞥町に移住してきました。 移住前、それに先立つ第一段階のアクションとして、2021年5月にオンラインショップを立ち上げました。 その名も「ヨツカド商店」です。 チーズ担当 今井真希さん ワイン担当 今井亮輔さん 珈琲担当 前橋史子さん 中継&橋渡し担当 前橋雄さん 「ヨツカド商店」物語は、四つの角=四人それぞれの物語から始まるのでした。 〜一つ目の角 真希物語 “チーズ”〜 青森県出身の真希さんは、大学で酪農とチーズ製造を学び、ナチュラルチーズの奥深さを知りました。 前職の会社のビジョンでもあった “食を通して地球や人を大事にする” という考え方に深く共感した真希さん。 “ミルクの生産者やチーズの作り手の想いも含め、チーズの美味しさを多くの人に伝えたい” “ミルク消費の手助けをしたい” “チーズと他の食材とのコラボの面白さと、チーズが加わる食の奥行きを多くの人に伝えたい” そんな想いをもって、8年前にナチュラルチーズを取り扱う「mikoto」を立ち上げました。 〜二つ目の角 史子物語 “珈琲”〜 青森県出身の史子さんは、大学生活とデザインの仕事で3年間をニューヨークで過ごしました。 そして、帰国後に勤めた珈琲店「Mui・所在地:神奈川県川崎市」で衝撃的な出会いをします。 「なんて美味しい珈琲なの!?」 豆の個性を知り、それを最大限生かすために適切な焙煎をし、ハンドピックを丁寧に行うことで生まれる美味しい珈琲。 そんな焙煎士の仕事ぶりと珈琲に魅了され、「このMuiの珈琲はたくさんの人が出会ってほしい」という強い想いに突き動かされた史子さん。 その後、全国のコーヒーフェスに参加したり、自身も食にまつわるイベントを催したりしてMuiの珈琲を紹介してきました。 そして、3年前に「yurulit」の屋号で活動を始め、本格的な販売を始めました。 〜一つ目の角と二つ目の角が出会う〜 ついに、真希さんと史子さんが出会いました。 同郷だったのは偶然のことでした。 初めは「mikoto」のお客様だった史子さん。 何度も通い、話をするうち、「珈琲とチーズの相性の良さを提案しよう!」とそれぞれの想いを共有し合い、一緒に活動をする機会が増えていきました。 〜三つ目の角 亮輔物語 “ワイン”〜 横浜ご出身の亮輔さんは、有名企業でITの仕事をしていました。 以前から都会生活者の需要と、田舎の豊かな資源を結び、田舎を守りたいと思っていた亮輔さんは、「ITはそのために必要なツール」と捉えていました。 遠くから見守り支援をしようと考えていたところからの一念発起、「田舎に住む」と決めた先には大きな夢がありました。 亮輔さんは、以前よりワインが好きでした。 真希さん(妻)が扱うチーズとの相性も良いことなどもあり、ぶどう本来の個性を活かしている自然派ワインを選んでいます。 ワインとチーズ、珈琲とチーズなどマリアージュの楽しみを伝えたい! さらに壮瞥町のおいしいものを組み合わせることで生まれる新しい体験を多くの方に楽しんでいただきたい! と想いは募ります。 〜四つ目の角 雄物語 “中継&橋渡し “ 〜 田舎への移住を決めてから、ふた家族は北海道で場所探しの旅をしました。 雄さんは、先ずは妻の史子さんを先発隊として送り出しました。 川崎に残った雄さんは、都会と壮瞥を繋ぐという「ヨツカド商店」の未来の構想への大きな役割を持っています。 この角がなければ、成り立たない「四つ角=ヨツカド」なのです。 現在、前橋史子さんと今井亮輔さんは、壮瞥町の地域おこし協力隊として働いています。 そして、今井真希さんはイベントに出店しながら次の準備をされています。 今は別々のステージを持ちながらも、近い未来のためにそれぞれの「角」を守りつつコツコツと活動をしています。 移住1ヶ月半にして壮瞥での物件探しも始めました。 「壮瞥に根を下ろそうと思った決め手は、なんと言っても人の温かさです。壮瞥の皆様が、私たちを全力でサポートしてくださりフォローをしてくださっています。ここならやっていけると確信を得ました。 1日も早く物件を見つけて四人の構想を実現させたいと思っています。」 とにかく行動の速さ、想いの強さと真っ直ぐさが本当に気持ちの良い皆様です。 ↑洞爺湖の前に四人が揃う日のために。四人で共有する夢を形にするために。いまはそれぞれがそれぞれの立場で活動をしています。 〜「ヨツカド商店」@壮瞥町 の未来〜 「将来は物販だけでなく、ゲストハウスやシェフインレジデンスも行いたいと思っています。シェフインレジデンスとは、期間限定でシェフがその土地に滞在し、地域の食材を選び、お客様に料理を提供するいわゆる出張レストランのようなものです。それぞれのシェフが創り出すそれぞれの食のスタイルを楽しんでいただきたいと考えています。 四つ角は交差点という意味を持ちます。私たち四人がそうだったように、一人一人が出会い、想いを分かち合い、想いを広げていく場所です。ヨツカド商店もそうありたいと思っています。ヨツカド商店を通して、人と人、人とその土地ならではの食が出会い、人々が自分の拠点に戻った時、暮らしに彩と心の豊かさが増している。そんな存在でありたいと思っています。」 ↑ワイン&チーズは当たり前。 ほかにも珈琲&チーズ、そして壮瞥町特産物の果物&ワイン、果物&チーズなど、ベストマッチな組み合わせをご提案いただけます。 ↑こちらはチーズとスイーツ。スイーツは史子さんが焼きます。 壮瞥に新しい食の提案と集いの場を作り、人と人が交わり・出会い・分かち合える場を作る! と決心した四つ角=ヨツカドたち。 「そうべつぐらしのときめきを伝える」 をコンセプトに、きっと明るく楽しく温かい四つ角になっていくに違いないと、楽しみで楽しみでワクワクが止まらなくなった筆者です。 既にイベント出店など、おもしろい取り組みが始まっています。 「ヨツカド商店」から目が離せません。 オンラインショップ https://yotsukado-shouten.com Instagram https://www.instagram.com/yotsukadoshouten 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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元気をもらえる蕎麦屋「なかよし」さんはおかみさんと娘さんの笑顔あふれるお店です♡
伊達市北黄金、国道沿いのお店の「なかよし」さん、気にはなるのになんとなく入りにくい…。 ここは皆、ついついスピードを出してしまうところ。 だから、通り過ぎざまに視界に入ってもなかなか入っては行きにくいのです。 でも「よし!」と左にハンドルを切り、暖簾を潜ったのが一年前でした。 衝撃的でした。 とにかくめちゃくちゃ蕎麦が美味しかった! 頼んだ“ もりそば “は、半分以上つゆをつけずにそのまま食べてしまいました。 何故もっと早く入らなかったのだろうと後悔しました。 入る前「意外と混んでるなあ…」と思ってしまったことを反省しました。 意外と…なんかではなく、美味しいからお客様はいらっしゃるのだと。 あの時の”もりそば “の味が忘れられず、今回も!と思っていたのですが、「そうだ。今日はしっかりとつゆを飲もう!」と” かしわそば “を注文しました。 予想以上のかしわの量。 そして煮込んだ葱の量もたっぷり。 鶏肉のコラーゲンと葱でつゆにも自然なとろみがついていました。 「おいしい~!」 つゆも期待通りにおいしい!! 鼻に抜ける出汁の香りも素晴らしい。 あまりに美味しかったので出汁の材料を聞いてみました。 なんと、鰹節・昆布はもちろん、5種類もの材料から毎朝出汁を取っているのだそうです。 蕎麦は基本2:8で、石臼で挽いた蕎麦粉で毎日打っていらっしゃいます。1日2回打つこともあるそうです。 平日は蕎麦の産地がミックスされるそうですが、土日・祭日は1産地100%の自家製蕎麦粉10割をいただくことができます。 こちらも是非とも行かなくては! 原料の蕎麦は幌加内・蘭越・黒松内・下川・積丹・洞爺の農家さんと契約をして仕入れているので、1産地100%の日(土日・祝日)は、店に来たらどこの産地か分かるという仕組み。 その時のお楽しみで訪れるのもワクワクしますね。 創業25年の「なかよし」さん。 最後に名前の由来を尋ねてみました。 「実は、亡くなった姉が東京と函館で店を営んでいた時の名前なんです…。」 一瞬寂しそうな顔を見せたおかみさん。 同じ名前のラーメン屋さんがあることから、別の名前にしようかと、悩まれたこともあったと言います。 でも、店名とお店の皆様の笑顔を見ると、私には「なかよし」以外の名前は思いつきませんでした。 「家族なかよくできればいいしね!」と言った時には、また元の笑顔に戻っていたおかみさん。 その明るく優しい笑顔につられ、1杯のお蕎麦で随分と長居をしてしまいました。 「コロナ禍でもお客様が減らなかった。」の言葉には納得。 こういう時だからこそ、「なかよし」さんに行きたくなるお客様たちの気持ちがわかりました。 天ぷらも好評らしいので、次は海老天蕎麦にしようかな♪ 美味しいお蕎麦と素敵な笑顔をごちそうさまでした! 石臼自家製粉 手打ちそば処 「なかよし」 営業時間 11:00~蕎麦がなくなるまで(14:00くらい) 定休日 火曜・水曜 住所 〒059-0272 伊達市北黄金町65-44 電話 0142-24-1765 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニュー、料金等変更になることがあります。(取材2021年3月) ★シェア、リンク 大歓迎です!
Rietty
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“納豆デザート”は4代目社長の粘り強さと愛が生んだ!(有)伊達納豆さん
北海道糖業への道をまっすぐ走り、そこを通り越して300mほど走ったところ、「え!?こんなところに?」という場所に(有)伊達納豆さんはありました。 創業76年。 なんと、終戦の年に初代の店主は海岸近くの西浜町に納豆屋を作りました。 その時の名前「大友納豆製造所」は、今も伊達納豆の看板の下に残されています。 1代目はわずか1年足らずで店を閉め、その後、2代目が「伊達納豆」と社名を変えて事業を引き継ぎ、その後現在のところに引っ越されました。 30年前にお嫁にいらした詠子さん。 その時は3代目(旦那様のご両親)を見様見真似で家業を手伝っていたそうです。 そして、4代目の旦那様の代になり、夫婦で仲良く続けてこられましたが、残念なことに3年前に旦那様を亡くされてしまいました。 それからはもう無我夢中。 寝ても覚めても我が子のこと(納豆さん)で頭が一杯! どうしたら美味しい納豆ができるか? 今でもそれしか考えていないとおっしゃっていました。 ものすごい納豆愛です♡ この大きな鍋で大豆を蒸します。 こちらは麦入り納豆を作っているところ。 まだ発酵前の状態です。 容器に詰めたら、この機械に入れて発酵させます。 小さな工場で、全て丁寧な手作業で作られています。 なので、大量生産はできません。 私はこちらの3点を購入しました。 上の二つは、いつもスーパーマーケットで購入しています。でも、工場で買うと美味しさが増す感じがするのは、作り手の顔が見えるから。 「ん? デザート!?」 反応された方、さすがです。 びっくりしますよね。 納豆がデザートになるなんて。 これこそ、旦那様亡き後に4代目社長として会社を受け継いだ 大友詠子さんの粘り強さと愛が生んだ一品なのです。 パッケージを開けると、まさしく黒豆納豆が出てきます。 これに備え付けの黒蜜をかけていただきます。 本当に美味しい! めちゃくちゃ美味しい! 次回は必ずアイスクリームと共にいただきます。 トルコアイス風になりそうです。 これ、本当に食べてみて欲しいです。 そしてもう一つのビックリは…。 実は“伊達納豆”黒豆納豆はあのウィンザーホテルさんの朝食に提供されているのです。 なんと、料理長自らが覆面調査で味を確かめにいらして採用されたと言います。 立派なお墨付きですね。 このウィンザーホテルさんの朝食で提供されているものと同じものは、こちらの店舗でのみギフト用としてセット販売されています。 そう。 ここだけで手に入る品物です。 ほかにもこんなラインナップ♪ 大豆は外国産もありますし、伊達産もありますが、豆の品質にはとことん拘り、製品になるまでの工程では、可愛い我が子の様に大切に大切に扱われています。 それと、もう一つの大きなこだわり。 それは、「大豆そのものを味わっていただきたいからたれを備え付けていないこと」だそうです。 稀に「たれを入れ忘れている!」とクレームが入ることがあるそうですが、きちんとした理由があるのですね。 大豆の味を何よりも大事にしている自信の現れでしょう。 詠子さんのおすすめのいただき方は、「出汁が入っていない普通の醤油だけか、オリーブオイルと塩」だそうです。 オリーブオイル+塩との組み合わせは、私のおすすめでもあります! 是非お試しあれ。 アイデア豊富な詠子さんは、今後の計画への想いも色々お持ちのようです。 そのお話は、是非店頭で直接伺ってみてくださいね。 最後にお客様にお伝えしたいことはありますか? と、お聞きしてみました。 「納豆は安心して召し上がっていただける安全な食品です。もっと、気軽に毎日の食卓に上らせてあげてください。 皆様にも納豆パワーで健康に美しくなってほしい」 つやつやの優しく気さくな笑顔で、4代目大友詠子さんは突撃取材で訪れた私を見送ってくださいました。 有限会社 伊達納豆 伊達市館山下町1-68 電話 0142-23-2648 WEBショップ https://datenattou.stores.jp/ *水曜日〜土曜日 七飯町 勝田商店さんの手作りとうふ・揚げ・おから・湯葉なども販売しています。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューほか変更になる場合があります(取材2021年5月)
Rietty
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パウダースノーをこよなく愛する店主の、素朴でやさしいネパールの味。ビスターレ・カナ【ニセコ】
旅に出る代わりに、時々、エスニック料理が食べたくなる。 日本にはない、異国の香りが心を自由にしてくれる気がするから。 ニセコの道の駅で小さなスパイスの袋を見つけた。「ネパールチキンカレー」と書いてある。 素朴なパッケージと民芸調のイラストが、いかにも本場の感じだ…。 エスニックな香りを求め、お店を訪ねた。 青年海外協力隊OBが、現地で覚えたネパールの味 アンヌプリ国際スキー場の麓に、ペンション&レストラン ビスターレ・カナはある。 こんもりとした緑に覆わた、石貼りの壁が印象的な建物。 正面の不思議な文字に、目を奪われた。ネパール語で「ビスターレ・カナ」と書いてあるらしい。 「ビスターレ」は「のんびり」、「カナ」は「食事」という意味があるそうだ。 店内にはネパールの民芸品が飾られ、窓から濃い緑がのぞいていた。 時間がゆっくり流れているような、静かで落ち着いた空間。「ビスターレ」という言葉がぴったりくる。 オーナーの山野 美昭(やまの よしあき)さんは東京出身。青年海外協力隊としてネパールに赴任した経験を持ち、現地で覚えた味を、独自にアレンジして提供している。 ニセコ産野菜をふんだんに使った「ネパールカレーセット」はとてもカラフル!この日は13種もの野菜が使用されていた。 中に見慣れない野菜…と思ったら「摘果メロンです」と聞いてびっくり。カレーによく合うことにも驚いた。 インドカレーとも、スープカレーとも違う、独特のスパイスの香り。どこか懐かしいような…これがネパールの香りなのだろうか、想像がふくらむ。 山野さんとニセコの出会いは古い。 26歳でネパールに行くもっと前、10代の頃に遡る。 中学生の時に、おじさんに連れられ白馬八方尾根に行って以来、スキーが大好きになった。高校でますますのめり込み、「ただただスキーがしたい」と進路を北海道に決めた。酪農学園大学短期大学部に進学し、スキー部に所属してニセコによく通うようになった。 初めはスキー関係の接点しかなかったが、短大を修了し大学に編入する間の1年間、ニセコで酪農実習を行った。そこで農家に出入りするようになり、農業や酪農に携わるさまざまな人たちとのつながりができた。 この頃から、ニセコは山野さんにとって第二の故郷となった。 大学を卒業後、町内のペンションで乳肉製品の製造担当として働き始めた。仕事は楽しく、冬はスキー三昧。「好きなこと」に邁進する日々は充実していた。 ところがある日、常連のお客さんに言われた一言が、山野さんに転機をもたらした。 山野さん: 「あんた、いつまでぬるま湯に浸かってんのさ」みたいなことを言われて(笑) お客さんて、本当によく見てますよね。 要するに「好きなこと」と言いながらも、社会的立場としてはアルバイトじゃないですか。いつまでこんなことやってんのさ、なんて言われちゃって。 それで、何かしなくちゃな、と考えたのが青年海外協力隊でした。 食に関わる仕事をする中で、「飽食の時代」に疑問を持つようになって。 業務上やむなくではありますが、まだ食べられるものでも捨てていくわけですよ。そういう現場を目の当たりにするうちに、「食えない国、貧しい国ではどういうふうな生活をしているんだろう」という興味がすごく湧いてきたんですよね。 貧しいっていうのはどういうことかを知りたかった。 26歳~29歳までの3年間、山野さんはネパールで野菜の普及活動に勤めた。 飼料作の経験はあったものの野菜は素人だったため、協力隊の試験前に八ヶ岳農業実践大学校で研究生として学んだ。 実際に赴任してみると、気候も栽培品種も日本とは大きく異なり、かなり苦労したそうだ。猛勉強しながら巡回指導や作付け計画など、さまざまな支援に取り組んだ。 現地の文化にも興味を持った山野さんは、村の子ども達に混じって祭りの踊りを習い、一晩中、村人達と踊り明かしたこともある。そのエピソードは今でも新しい協力隊に語り継がれているという。 山野さん: 最後にネパールを出る時、みんなが見送りに来てくれたんですよ。そうしたら、思いもよらなかったんですけど、涙が出てきて、止まらなくて…。 なんで泣きっぱなしなんだろう、周りに恥ずかしい…でも自分で止めることができないんです。 3年間で悔しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと。そういう喜怒哀楽や、いろんなものが、全部出ちゃったんだろうな、と思います。 協力隊は一人だったので、日本人の代表として恥ずかしくないように、日の丸を背負うような気持ちで取り組んでいました。とにかく一生懸命やって、日本人は勤勉だという姿を見せたかったんです。 すごい背伸びをしていた3年間でした。でもあれをしたから今がある。 涙は、バンコク空港に到着するまで流れ続けたそうだ。 帰国後、結婚した山野さんは、しばらく後に元の職場からオファーを受けた。妻のカナさんを連れニセコに戻り、3人のお子さんに恵まれた。 1995年にビスターレ・カナをオープンし、以来ペンションとレストランを営んでいる。 ネパールカレーの多くは、「唐辛子の辛さと塩っ辛いのが、どーーんと刺さってくるような味」で、日本人には食べづらい。日本でいう昔ながらの塩ジャケや漬物、味噌汁のような感じだそうだ。 そこで山野さんは、当時コックとして雇っていたネワール族の少年に、「こういう風に作って」と指示して毎日食べられるカレーを作ってもらっていた。ネワールは美味しいカレーを作る民族として知られている。 その味と、ネパールで友人の奥さんが作ってくれたカレーがベースになってビスターレ・カナのカレーが出来上がった。 電気もガスも水道もなく、朝日と共に起き、陽が沈んだら眠る。山野さんが体験したネパールのローカルな暮らし。そこから生まれたカレーなのだと思うと、一層味わい深い。 のどかな農村の風景が、ぼんやり見えてくるような、素朴さと優しさを感じた。 「ここのパウダーはすごい」外人さんが教えてくれた、ニセコの魅力。 ペンションが最も賑わうのはスキーシーズンの12月から3月。Booking.comへの登録を機に7年ほど前から海外宿泊客が年々増え、8割が外国人に。客層がガラリと変わった。 日本のスキー・スノボ人口が減少する中、海外からのお客様はとてもありがたかった。 しかしその分、コロナ禍による被害は甚大だった。「外人さんが来ないということはこういうことなのか」と思い知らされる日々。今も大きなダメージが続いているが、とにかくやれることをやっていこう、と夫婦で力を合わせ頑張っている。 ニセコの雪をよく知る山野さんだからこそ、海外のスキーヤーに伝えられることが沢山ある。 コロナ以前にはいいポイントを教えてあげたり、時に一緒に滑りに行ったりしてとても喜ばれたという。そうした交流がニセコの魅力を再発見することにつながった。 山野さん: 海外のお客様が来て、教えてもらったと思っています。ニセコの雪が、世界レベルなんだということを。 例えばカナダのバンフやウィスラーがベースだという人がここにくるわけですよ。 「なんで?」って聞いた時に「パウダーここ違うよ」という。 「ここのバックカントリーは、1週間いたら少なくとも2回は滑れる。世界有数のスキー場でも1か月滞在して1回あるかないかの素晴らしい雪質だ」と。 僕にとっては当たり前だったんですよ。ニセコのパウダースノーが大好きで、ずっと昔から滑っていましたから。 「アンヌプリはスキー場自体は小さいけれど、雪は最高だ」と聞いた時に、とても驚きました。 彼らを連れて一緒に滑った時の満足げな顔!それを見るのが僕はもう、最高ですね! 筆者は今年、初めてニセコの冬を体験する。昨冬、引っ越し準備に訪れた時には、どこもかしこも分厚い雪に覆われ、あまりの真っ白さに、おそろしいと思った。 しかし、厳しい冬ならではのパウダースノーであり、その雪をこよなく愛する山野さんの言葉に、なんだかとても勇気が湧いてきた。 ネパールカレーを味わいながら、「私も冬を、楽しむぞ!」と決意した。 世界中のスキーヤーでニセコが賑わう冬が早く戻るようにと祈るばかりだ。 ペンション&レストラン ビスターレ・カナ 詳細情報 住所: 北海道虻田郡ニセコ町ニセコ431-1 電話: 0136-58-3330 ランチタイム: 11時30分~15時(ディナーは要予約) 不定休あり。事前に電話確認するのがおすすめです HP: https://sites.google.com/site/bistarekana/ スパイスキットは道の駅ニセコビュープラザで購入できます ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
ch
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どさん子料理人が描くおいしい「世界地図」。 多国籍料理Kiko図【喜茂別】
中山峠を越えて札幌方面に向かうとき、かならず通る、峠のふもとの喜茂別町。 のどかな景色を横目で眺めつつ、通り過ぎてしまうことが多いのですが、通る度に気になっていたお店がありました。 壁に並ぶ、たくさんのフライパン。 看板に描かれた、不思議な鳥。 外観から溢れ出す、エキゾチックでポップな雰囲気。 車庫カフェKiko図(キコズ)です。 海外を旅し、さまざまな国のシェフたちと仕事をしてきた料理人Kikoさんのおいしい多国籍料理をたっぷりと味わってきました! 魅惑の多国籍料理、いろいろ。 ドアを開けると、カラフルなピンクや黄色の壁に、エスニックな調度品の数々。 店内にはにぎやかな音楽が流れ、開放的かつホッと落ち着く居心地のよさ。異国の風がさあ〜っと吹き抜けるような、気持ちのいい空間です。 もともと車庫だった建物を改装して店舗にしたとのこと、驚きました。言われてみれば、トタンがのぞく天井などに車庫の名残りが。それがかえって、なんとも渋いいい味を醸し出しています。 カウンターの奥で、キビキビと立ち働いているのが店主のKikoさんこと松宮亜樹子さん。 スパイスが混じり合う豊かな香りが、お店中に広がっていました。 Kiko図は2019年7月にオープン。この夏、3周年を迎えました。 札幌出身の松宮さんは、30代から40代にかけて10年ほど、海外を旅しながら、ニセコと外国を行き来する暮らしをしてきました。 日本では札幌やニセコを中心に、海外はカナダやニュージーランドなどの国のホテルやレストランで、国際色豊かなシェフ達と仕事をし、料理の腕を磨いたそうです。 南米、アジア、中東、ヨーロッパなど、訪れた国は多数。旅の途上で出会った現地の味や、海外の友人たちに教わった料理の数々を独自にアレンジして提供しています。 「日本の方には海外の味を、外国の方にはほっとする味を」がkiko図のテーマです。 壁に並ぶフライパンは、ペルーで行った料理屋さんから着想を得たそう。そのお店にはものすごくたくさんのフライパンがかかっており、とてもかっこよかったのだとか。 時々「磨きたくなる」と言われるそうですが、「このサビがいいんです」と松宮さん。確かに、渋くていい感じのサビですネ! さてさて、ランチメニューは不定期でいろいろと替わります。どんな一皿に出会えるかその時々のお楽しみです。 今回は人気メニューのひとつファラフェルと、濃厚なタイカレーヌードルをいただいてきました! カラフルなファラフェルプレート。 中東の家庭料理ファラフェルをメインに、さまざまな国の味を楽しめる盛りだくさんでヘルシーな一皿です。この日はフムス、ギリシャのパイ・スパナコピタ、南米のトルティーヤ、穀物や野菜たっぷりのサラダなど、珍しいお料理がずらり。(※プレートの内容は、ファラフェル以外はその時によって変わります) 一部チーズを使用していますが、肉や魚はなしのベジタリアン仕様。 別々のルーツを持つ料理が、同じお皿の上で見事にマッチし、おいしいハーモニーを奏でています! ファラフェルは、つぶしたひよこ豆にスパイスを混ぜて揚げたコロッケのような料理。イスラエルが発祥と言われますが、中東地域ではどこでもポピュラーに食べられているそうです。 日本ではあまり馴染みのないひよこ豆ですが、クセがなくサクッ&フワッとした食感で食べやすい。松宮さんによれば、冷めても硬くならないように、現地の一般的なレシピの工程や食材をオリジナルにアレンジして作っているそう。お子さんはもちろん、エスニック料理に慣れていない年配の方にも好評です。 それからこちらは、タイのレッドカレーをライスヌードルでいただくスパイシーな一皿。たっぷりのパクチーにエビやチキンなどの具材が入り、スパイスとナンプラーが濃厚に香る本格派。汗をかきかき食べたら、ここが北海道だということを忘れてしまいそうです。 ハブタウンに活気を。道産子料理人のチャレンジ 窓の外を見れば、国道230号線が目の前を走っています。中山峠の入口まで車で10分弱、という立地。 交通量は多いものの、飲食店など人の集まるスポットは少ないエリアだけに、なぜ喜茂別でお店を?というのが気になって伺いました。 松宮さん: もともとはニセコ・倶知安でお店を開こうと考えていました。海外の方が多く多国籍料理はニーズがありますし、知り合いもたくさんいるので。ただ、なにせ高くなりすぎていて、手が出なくて。 喜茂別は小さな町ですが、周辺にはニセコ、留寿都、洞爺湖、峠を越えれば札幌と、いろんな地域につながるハブタウンなんですよね。それなのに立ち寄るところが少ないことがもったいない。 そこで中継地点であるこの町がもっと盛り上がれば、周辺地域も含めて全体がさらに活気付くのではないかな、と思ったんです。 道産子としては、やはり何かちょっとでも自分ができることで、北海道を活気づけたい、という気持ちがあります。いろんな地域でたくさんの方が、過疎といわれる地域を、少しでも面白くするような活動に取り組んでいらっしゃいますが、喜茂別でそれができたらいいな、と思いました。 最初は家族や友人みんなに心配されましたけどね。 喜茂別を選んだ背景に、道産子スピリットともいうべき、松宮さんの北海道への熱い思いがあることを知りました。 お料理や空間はグローバルな世界観。でもその根っこにはローカルな視点もあって、地域を大切にしながら根付いている。海外の方にも、日本の方にも、国籍を問わず親しまれるKiko図の魅力は、そういったところにも所以があるのかもしれないな、と思いました。 お店のシンボルである鳥のイラストは、松宮さんがご自身で描いたもの。カラフルな色使いと独特のフォルムが印象的です。まるで生きているかのような存在感を放つこの鳥は、大切なご友人がモデルなのだそう。優しい眼差しでお店とお客さんを見守っています。 ドリンクメニューも多国籍。コーヒーだけでもベトナムコーヒー、イスラエルコーヒー、ココナッツミントコーヒーとあり、エスニック好きにはたまらないラインナップでした。上の写真は、ブラックコーヒーにカルダモンを効かせたイスラエルコーヒー。食後にピッタリな一杯です。 Kiko図の図は、地図の図。 Kikoさんがお店をキャンバスに描く地図、というわけです。 「これから展開していきたいことが、まだまだたくさんあります」と松宮さん。幅広く豊富な海外経験と、プロフェッショナルな料理の技術から生み出されたオリジナルの世界地図は、これからもどんどん広がり厚みを増していくことでしょう。 旅する気分で世界を味わう…そんなとてもとても素敵なひとときでした! 店舗での営業は例年、雪解け〜降雪前まで。 今シーズンの店舗での営業は、10月10日にて終了しました。 冬季はお店はクローズし、ルスツエリアにて営業予定です(詳細はKiko図のSNSをご確認ください)。 記事が遅くなり、お店のシーズン中に掲載が間に合わず、大変申し訳ありません。 冬の営業予定など、インスタグラム等で最新情報をチェックして、ぜひぜひ、お出かけください! 車庫カフェ Kiko図 店舗情報 住所 北海道虻田郡喜茂別町伏見332-3 HP https://akikokikokikoz.wixsite.com/kikoz-kimobetsu オープン日、イベント出店情報はSNSをご覧ください。 Instagram Facebook ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。メニューや料金は変更になることがあります。取材2022年
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【2025年度版】豊浦いちごの旬がやってきた!どこで買える?直売所スケジュール
豊浦いちごの季節がやってきた! 豊浦町では名産の”いちご”が旬を迎えています! 農家さんはなんと1年かけて、いちごをお世話しています。「やっと来た」収穫シーズンですが、赤く色づくまで時期に差があり、出荷期間は店舗によってバラバラです。 豊浦いちごはどこで買えるの? 今はどこがオープンしているの? 道の駅が売り切れだった! そんなあなたに、直売所スケジュールをお届けします。 ※ 随時更新していきますが、変更もございますので、 各店舗インスタグラムのフォローをオススメします! ※売り切れ次第終了となる店舗が多いです。 午前中のお買い求めや、 前もって予約やお取り置きなどをお勧めします。 \まず場所が知りたい!/ 噴火湾とようら観光協会さんが 農家さんの顔が見える素敵マップを作られていました!! ⇩わかりやすいキュートなマップはこちらから!⇩ 豊浦町いちご直売所マップ ※ 豊浦町「すいしゃ」にて いちご直売会も開催されます! 2025年5月5日(月・祝)10:00~15:00 今いちごが買えるのはココ!! ● 道の駅とようら <4月からオープンしています!> 9:00~17:00(4~10月は定休日なし) ※GW中は混雑が予想されるため、 電話でのお取り置きや発送は受付中止 まだまだ数量限定、午前中に売り切れることも。 インスタグラムのストーリーを要チェック! インスタグラム @toyoura.rss ● Farm 699 <4/13~オープンしています!> 10:00~15:00 月・水・金・日 OPEN (火・木・土曜 定休:前日15時までのお電話で引き渡し可能) < 5/4臨時休業 ↓ > <5/5(月)「すいしゃ」のいちご直売会に出店!> 売り切れ次第終了 インスタグラム @farm.699 ● 佐藤農園(佐藤さんちのいちご) <4/20~オープンしています!> 月・水・木・日 10:00~16:00 ※火・土は収穫しない為、 前日15時までのご予約のみ販売可能 インスタグラム @toyoura.sato_farm ● 北浦いちご農園 <4/26~オープン!> 国道230号線沿い、のぼりが立っていたら販売中。 4/26 (土), 27(日) 10:00~売り切れ次第終了 4/28 (月) クローズ 4/29 (火) 未定 4/30 (水) クローズ 5/1 (木) 未定 5/2 (金) 未定 5/3 (土) ~ 5/6 (火) 10:00~売り切れ次第終了 インスタグラム @kitaura_farm ● 完熟いちご 髙橋農園 <4/27~ オープン!> 10:00~無くなり次第終了 4/27 (日) 4/30 (水) 5/3 ~ 毎日営業 スーパーでは買えない 幻の品種「宝交早生」(ほうこうわせ)。 「けんたろう」は6月頃から。 インスタグラム @toyoura15.7takahashifarm GW以降オープン予定 ● 星の実ファーム <5/7(水)~ オープン!> 5月の地方発送baseにて受付中 星の実ファームHP インスタグラム @hoshinomi_farm ● 佐藤いちご店 本店 (& 喫茶室) <喫茶室はオープンしています> いちごの直販開始は未定ですが、 農園併設の喫茶室で珈琲とスイーツが楽しめます! 4月営業日:12,13, 19, 20, 26, 27日 11:00~16:00 (l.o.) インスタグラム 本店 (いちご)@sato.strawberry.shop_h 喫茶室 @sato.strawberry.shop_k ● たつんこファーム <5/5(月)「すいしゃ」のいちご直売会に出店!> 主に「道の駅とようら」「天然豊浦温泉しおさい」で販売。 タイミングが良ければ直販も…?! インスタグラム @tatunko_nikki google Mapの直売一覧 以上の直売場所を、グーグルマップで見れるようにしました! インスタで販売日時をご確認いただいた上で、 いくつか巡ってみたい!と思ったらぜひご活用ください! Google Map [🍓豊浦町いちご販売場所🍓一覧] 【さらに!】いちご農家の卵たちもご紹介 ● まーのん夫婦 現役・豊浦町地域おこし協力隊、いちご農家見習い夫婦! インスタでは作業の様子も見られますよ。 インスタグラム @maanon_fufu 「いちご豚肉まつり」はいつ? もうおなじみ、豊浦町と言えば「いちご豚肉まつり」 豊浦の名産品SPF豚といちごを楽しむお祭りです。 海沿いでBBQや沢山の屋台を楽しめます。 イチゴの直売は毎年長蛇の列ができます。 毎年6月上旬の日曜日に開催されており、 2025年の開催日は6月1日(日)!! ※ 開催時間10:00 ~14:00 たった2ヶ月~3か月しかない、豊浦のいちごの季節! ぜひ、豊浦町まで足をのばして”旬”の味を楽しんでくださいね!
misaki
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終わりなき研究をしつづけるために〜谷藤貴昭さんの『チョコレート研究室』
店を継ぐ決意とチョコレート ごはん処「たにふじ」は室蘭の有名な老舗です。 主力商材は仕出し弁当。 もちろん、店内でお食事をすることも出来ます。 さて、北見のパティスリーで8年間パティシエとして活躍をされていた谷藤貴昭さんは、2021年9月にお父様が営む「たにふじ」を継ぐ決意をして帰郷されました。 今回は、ごはん処「たにふじ」の三代目 谷藤貴昭さんを取材させていただきました。 ただし、お話を伺ったのは和食の料理人としてではなく、bean to barを手掛けるパティシエとしてでした。 そう、貴昭さんは「たにふじ」を継ぐ決心だけではなく、チョコレート研究室を室蘭に立ち上げるために帰郷したのでした。 挑戦したかったチョコレートは、カカオ豆からチョコレートまでを一貫して手掛ける製法のbean to barチョコレート。 様々な産地から原料を仕入れ、カカオ豆という原点からオリジナルのチョコレートを製造されています。 オリジナルチョコレートとの出会い 高校卒業後調理師専門学校に進学した貴昭さんは、在学二年間のうち一年間は調理の勉強を、一年間は製菓の勉強をしました。 そして、卒業後は北見のパティスリーに就職、持ち前のコツコツ気質が徐々に頭角を現わし、1年に1度開催される国内最大規模の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」では、銅賞の受賞するほどにパティシエとしての腕をあげていきました。 ところが、順調にスキルを磨いていた頃、コロナが蔓延し始めました。 「今年もコンテストで頑張ろう!と思っていた矢先のことでした。全精力を注ぎたいと考えていたのですがエントリーは叶いませんでした…。でもその時、そのエネルギーをお菓子に関わる何か未知のことに向けたい!!と、気持ちを切り替えることにしました。それがチョコレートでした。」 コロナだからと凹まず、エネルギー転換をする。 全てのことにおいて、その転換が出来た人が成功を手にしているような気がしています。 「当時お世話になっていたパティスリーのオーナーシェフが、フランスのチョコレートメーカー『カカオバリー』が行なっていた、オリジナルチョコレートを作れるサービスシステム(オ・ル・ノワール)の提供を受けていらっしゃいました。そして、店独自のチョコレートを作っておられたことに強く影響を受け、チョコレートに大きな興味を持つようになりました。」 それは、パティシエとして扱う素材の一つ、チョコレートが特別なものに見えた瞬間でした。 けれども貴昭さんは、オーナーの真似に止まりませんでした。 自分のオリジナルチョコレートを作りたい! 「カカオ豆からチョコレートを作るbean to barに挑戦しよう!」 そう考えた貴昭さんは、” 将来は親の店を継ぎたいこと “ “ どうしてもbean to barに挑戦したいこと “ をオーナーシェフに相談をしました。 すると、理解をしてくれたオーナーシェフは、店の厨房を貸してくれ、同時経営をしていたカフェの一角で販売することを認めてくれました。 こうして夢への第一歩を歩き出した貴昭さんは、オリジナルチョコレートのブランド名を「チョコレート研究室」としました。 「ところで、なぜ、『研究室』と名付けたのですか?」 「カカオ豆からチョコレートへと加工する『bean to bar チョコレート』に挑戦したいと思ったものの、当時はそのやり方を全く知りませんでした。そこで『bean to bar チョコレート』の数少ない実践者(全国でも少ない)に教えていただいたり、独学をするなどして工程を習得していきました。同時に『チョコレート検定』にもチャレンジをしてカカオ豆の知識はもちろん、チョコレートの歴史なども学びました。カカオ豆の香りや味わいは、産地によって全く違います。それが、焙煎具合や洗練時間、副材料によって複雑に混ざり合った結果、芳醇な香りを作り出すことができます。学んでも学んでも、本当に奥が深い世界で、日々研究をし続けなければなりません。だから研究室にしました。」 なるほど…。 地道な努力を続けようとする、貴昭さんの決意の現れなのですね。 「たにふじ」に工場を作る! さて、帰郷した貴昭さんでしたが、「たにふじ」には製菓スペースがありませんでした。 保健所の許可を得るためには、料理をする厨房とは別に工場を作らなければなりません。 そこで、ご両親の許可を得て、亡くなった御祖父様の寝室を工場にさせてもらうことにした昭貴さんは、2022年4月、クラウドファンディングで資金を集めることにしました。 そして見事に資金集めに成功。 元寝室が、念願の工場に生まれ変わりました。 「室蘭にオープンされて5ヶ月ですね。チョコレート研究室を通して皆様に伝えたいことがあれば聞かせていただけますか?」 「実は、現在日本に入ってきているカカオ豆の産地はそのほとんどがガーナ産なのですが、カカオ豆は産地によって香りやテクスチャーが全く異なるのです。その違いを含めてチョコレートや産地に興味を持っていただけたら嬉しいです。それと、カカオ豆農場で働く人々の労働環境などを考えて、可能な限り正当な取引をしようとすると実はとても高価であることに気づきます。そういうことも含めて、チョコレートについての認識を新たにしていただき、チョコレート研究室を通してチョコレートの価値を上げていきたいと考えています。」 取材させていただき、チョコレートの社会問題をも含めたその深い歴史と、魔力とも言える魅力に満ちたbean to barに惹き込まれました。 そして、bean to barに取り憑かれた貴昭さんが、コツコツとひたむきにチョコレートと向き合う姿に、原点を知る人の真の魂を見た気がしました。 本物との出会いに感謝しながら、ショコラとコーヒーのジュレを堪能させていただきました。 ―チョコレート研究室情報― ※ 公開初日に「貴昭さん」のお名前を間違えて公開してしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
Rietty
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農業は化学&科学だ! 〜尾川農園的マネジメントとは? 尾川 圭延・佳奈夫妻を訪ねて
別海町の酪農家に生まれ、中学生までは早起きして親の仕事を手伝う毎日。 家族でどこかへ出かけることすら出来ない。 あまりの大変さに、“ 絶対に農家にはなりたくない “ と、サラリーマンの道を選び、営業マンとして忙しい日々を送る圭延さんでした。 一方、地方回りで忙しく、1週間に2日くらいしか家に帰ってこない夫を待つ妻 佳奈さん。 佳奈さんは当時医療事務の仕事をされていました。 そんな尾川夫妻が伊達への移住を決め” 就農する “ と決めたのは13年前のことでした。 農業の道を選んだ理由とは? 「いったい何故、そんなに嫌いだった農業の道を選んだのですか?」 「別海に住んでいた両親はすでに酪農を引退し、今は弟子屈町に住んでいます。そこへ遊びに行った時、家庭菜園を楽しみながらのんびりとスローライフを楽しんでいるのを見た時、なんだかとても良いなあって思えて憧れました。周りでも農的生活を見聞きする機会があり、農業への興味が湧いて来て、転職を考えるようになりました。両親の生活を見て来た上でそう思ったので、できる気がしたんですよね。」 「まあ、圭延さんはよいとして…。佳奈さんはそんな旦那様の提案に抵抗はなかったのですか?」 「私自身も夫の親の姿を見て、土や野菜に触れながら生活する暮らしはいいなあと感じていました。それに農業ならば一緒に仕事ができるので嬉しかったんです。でもね、理想と現実は違っていました 笑 喧嘩もずいぶんしました。」 そもそも農業をやりたくて伊達に来たわけではないという尾川夫妻。 「サラリーマン時代、営業でこの辺りも回っていました。その時も感じたのですが、伊達の気候の良さにはいつも驚かされていました。東の方から車を走らせてくると、伊達市に入った途端晴れているということが良くあります。知り合いの学校の先生も” 退職後に住むなら伊達だ “ という話をよく聞いていました。全道各地を転々とする学校の先生の言葉には信憑性があります。そして、伊達が農業の町であることも知りました。その時に、自分の想いと伊達とが繋がりました。” ここで就農したい! “ と。」 ついに『伊達に移住して農業を仕事にする』と決意した圭延さん。 伊達市の農務課へ向かいました。 ところがその時は、移住も就農もあまり勧められなかったそう。 けれどもそんな反応に怯むことなく、農業についていろいろ調べた圭延さんは〜 「調べれば調べるほどできる気がしていました。でもお金を貯めなければ!と札幌の家を引き払い、まずは洞爺湖温泉街の寮がある職場を探し、二人で8ヶ月間働いてお金を貯めました。いきなり伊達に移住せず、洞爺湖温泉に行ったのは正解でした。そんな僕らの真剣さを知り、伊達市の農務課の方はその後親身になって相談に乗ってくれました。」 さて、ご存知かもしれませんが、農業はなりたいからと言ってすぐに出来るものではありません。 認定新規就農者になるためには、1年間の修行を経なければならないのです。 「研修期間は、土起こし・肥料撒きなどの畑作りに始まり、農業全般一連の作業を親方に付いて学びます。もちろん学ぶ中には「作業」だけでなく、経営についても学ばせていただくわけです。思いだけでは食べていけません。経営が上手くいってこそですからね。」 1年間の修行を終えた尾川夫妻は、牧草地を手に入れました。 “ 自分にも出来るような気がする” という想いをついに現実に繋げました。 尾川農園的マネジメントとは? 尾川農園の経営スタイルは考え抜かれていました。 ・一年中収穫できるように、ビニールハウスでのみ栽培をする。 ・作る野菜の数を極力絞り込む。 ・出面さんは雇わず二人でできる範囲で行う。 ・土との対話を常に行う。 「2011年5月から始めたのですが、収益は経験値と共にどんどん上がっていきました。わずか1~2年で “ 大丈夫だ “ と実感しました。安定した生活は思った以上に叶えられ、住宅も購入することができました。ところが3年目に連作障害を出し、そこからは随分と「土」に悩まされました。土のECやPHを頻繁に測り、農家を始めて5年くらいで土の扱いを変えました。連作障害への不安は結局事業開始後9年間くらい続きました。そんなこんなで、理想としていたスローライフとは段々かけ離れていきましたね 笑 」 ビニールハウスの栽培は、天候に左右されることなく収穫することができます。 一年に6~7作もできるというのは、北海道としては画期的なことです。 伊達市では、150種類を超える種類の野菜を作っていますが、特に、冬でも葉物野菜が道の駅に並ぶ地域は他にはあまりありません。 尾川農園では、切れ間なく作物が育ち出荷できるように、ハウス毎・作物毎にタネを蒔く時期や植え付けの時期をずらしながら栽培しているそうです。 「チンゲンサイは1月上旬から11月半ばまでが栽培〜収穫期。そのほとんどを市場に出します。コマツナと水菜は道の駅のみ販売。夏場の2ヶ月は少しだけオクラも作ります。」 「種類をかなり絞り込んでいらっしゃるのですね。」 「はい。手法的にはほとんど修行先の親方のやり方を真似しています。その農家さんはしっかりと経営が上手くいっていらっしゃいますから。やはり生活ができるということが大前提です。だから、人を雇わなくても二人で出来る範囲で、無理をせずに確実に利益を生める方法で営むというスタンスをとっています。野菜の種類を絞り込むというのもその一つです。」 「さきほど連作障害への不安も語っていらっしゃいましたね。全くの素人的質問ですが、同じ野菜ばかりを作るということはそのリスクが高まるということはないのでしょうか?」 「一般にはそう言われています。ですので、『これが良い』と言われる色々なやり方も試しながら、土と肥料のバランスにはとても気を配っています。同時に、僕の中での「土のマネジメント」は、いかに土の良さをいかに壊さないかに尽きると思っています。畑ではない土の中は、多様な微生物たちが絶妙なバランスを保って存在しています。例えば森は何も手を加えなくてもほとんど毎年同じものが生えてきますよね。」 ものすごく納得します。 化学的見地に立ち、いかに地力を壊さないようにするかを考えて土に向かう圭延さんの姿勢に、農業者の日々の努力あってこその美味しい作物なのだと認識新たにしました。 この夏の異常な暑さにより、多くの農家は作物の出来が悪く苦戦を強いられました。 けれども、尾川農園のハウス栽培の葉物へのダメージは少なかったそうです。 ハウス栽培のみを選択したことが功を奏した今年の異常気象だったようです。 「今年はあまり被害を受けませんでしたが、同じ作物でも毎年出来が違います。大切なのは常に化学目線で作物を育て、科学的にマネジメントすることだと思っています。当たり前のことですが、作物は土の栄養を吸い上げています。収穫した後は土に足りなくなった成分を補わなければいけない。ある時から、” 土作り “ という表現が僕の中でしっくりと来なくなりました。土を本来持つ力に戻す、言い換えれば土の良さを壊さないのが一番大切だと考えるようになりました。でもまあ、今でもトライアンドエラーの繰り返しです。研究し続けたいです。」 面白いエピソードを伺いました。 「だて道の駅でのチンゲンサイの販売が終了した11月末、お客様から1本の電話が掛かって来ました。” もうチンゲンサイ出さないの?うちの鳥が尾川さんのチンゲンサイしか食べないのよね “と言われたんです。聞いてすぐは “え? 鳥? “ って、正直釈然としませんでした。でも、冷静に考えたらすごいことだと気づきました。舌が敏感な生き物がうちのチンゲンサイを安全で美味しいと認識して食べてくれているわけですから。嬉しかった。ネタも出来ましたしね笑」 素敵な話です。 鳥の真似をして生で齧りたくなりました。 「最後に今後の展望を聞かせていただけますか?」 「事業を拡大したいとかは全く考えていません。現状をできるだけ維持したい。そして新しい人がどんどん続いて伊達で農業を始めて欲しいと思います。そのためにも何らかの仕組みがあるといいなと思います。現在、新規就農研修者の受け入れ先が高齢化で減少してしまい、新規就農がここ数年止まった状態です。たとえば学生の農業体験受け入れなどもできる仕組みがほしい。体験をきっかけに若い人が農業を職業選択のひとつに考えてくれたら嬉しいです。」 「決して裕福な暮らしをしているわけではありませんが、今まで僕らがしてきた選択は間違っていなかったと自信を持って言えます」と圭延さん。 「農業が好きです。最初に話した “ 農家ならば二人で一緒にできるから嬉しい “と言ったこと、やっぱり優等生みたいで恥ずかしいから書かないでね。」と佳奈さん。 こんな素敵なお話し、書かないわけにはいきません♡ ごちそうさまでした! ありがとうございました〜! ―尾川農園情報― 代表 尾川 圭延 住所 伊達市弄月町75-9 電話 0142-25-2125 Instagram :https://instagram.com/oga_farm0501
Rietty
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【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
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