心の伊達市民 第一号
ブログの話題が無い時と、土曜日と休日には「ブログ閉鎖中の話題」を投稿している。
その場合は以前に書いたブログの「同じ月」のものから選んでいる。
最近だが、昨年の9月に投稿したブログを見てみたら、なんと今年の9月にも全く同じものを投稿していることに気が付いた。
「え~!同じものだ!」となり、「ボケたかー」と恐ろしくなった。
身近な親戚の者もパソコンで色々な物を発注してしまい、家族が困っている。
まだ私はそこまで行っていないが・・・。
前年のブログを見ると同じ月だから、同じような行動をしていることも確かめられた。
だが少し違うのは、昨年は夜でも出掛けていたが、今年は殆ど夜に出掛けないので「夜の話題」が少ない。
「昨年はこんなことをしていたのか!」とか、「すっかり忘れていた」という行動もある。なんだか段々と終りが近付いて来ているようで、気持ちも明るくならないのである。「もう前のことは振り返らない」という必要があるかもしれない。
そこで「今日の話は昨日の続き」であるが、これは私が高校生の頃に「ラジオ関東」で午後10時頃から放送された番組だった。当時は放送作家が足りず台本を用意する時間が無くなり、放送作家が番組に出るという異色のもので、とても面白かった。
出演者は前田武彦、永六輔、大橋巨泉、はかま満緒などが代りばんこに登場した。
彼等はみんなテレビ時代でも活躍した人達である。
この番組は「昨日のことは振り返らない」という良さがあった。
日本が急速に経済発展をしている最中で、みんなは「前へ、前へ」という時代だった。
「今日の話は昨日の続き」の後に、「今日の続きはまた明日」とラジオでは言っていた。ところで誰にとっても、「人生というものは、昨日の続き」ではないかと感じるようになった。毎日をなんとなく過ごしているが、それは「昨日の続き」なのである。
私は「今日の続き」が無くなると、「人生は終り」のように考えている。
このブログも頑張って日曜日以外は投稿し、「昨日の続き」はもう2年は経ったのではないだろう?
ブログが改良されたことにより、以前のブログを見るといまより文章が短かった。
年と共に「くどく」なるのか、書いている文章が長くなっている。
詳しく説明するのが良いのか、短くして想像してもらうのが良いのか?
いずれにしても、私のブログの「昨日の続き」は長文になっている。
人は誰でも「昨日の続き」を生きている。
仕事のある人は、今朝も会社に行って昨日の続きの仕事をしている。
仕事の無い人は昨日だけでなく、今日もズーと昨日の続きをやっている。
しかし「昨日の続き」をやろうと思っても、体力・気力・能力で段々と出来なくなって来る。昨日の続きが出来るのは、もしかしたら「幸せ」なのかもしれない。
私は「昨日の続き」を出来なくなってしまった友人を、今までに何人も見送った。
特に私より若い人を見送るのは、とても辛い。何ごとも「順番通り」というのが、平穏である。伊達市でお世話になった人達の中には、私が伊達市に溶け込む時に大いに助けてくれた人達がいる。
同級生の中でも、先に逝ってしまった友人もいる。以前の地元の友人には、私よりかなり若いのに自分からアチラへ逝ってしまった人もいる。
時間があるので色々と考えることがあるが、やはり「昨日の続き」、そして「今日の続きはまた明日」を大事にしたい。
(おまけの話)
以前にギンナンの話を書いたが、その「続き」である。
9月20日の台風が去った午後に彼岸花の撮影に行った時に、日比谷公園でギンナンを4個、拾って帰った。女房は大事そうに器に水を張って浸しているので、私は聞いた。
『もっと欲しい?』。彼女は『拾えるなら』と言ったので、21日には用事があったので22日に日比谷公園に行ってみた。
「もしかしたら、もう公園の清掃班が片付けてしまったかも?」と思って心配したが、幸いにまだ清掃はしていなかった。
そこで私は用意したビニール袋に、ギンナンを数えながら拾って行った。
1袋に150個、拾ったら、まあ良い量になった。
でも袋は3枚用意して来たし、地面にはまだまだ沢山のギンナンが落ちている。
集め出したら、もっと拾いたくなった。2袋がいっぱいになり、3袋目に挑戦した。
通り掛かる人が怪訝な顔をして、私を見ている。
3袋がいっぱいになったところで、家にメールをした。『500個も拾ったぞ!』
女房から『無理をしないで。思いでしょ』と連絡が来た。
なんだかいいところ見せたくなり、もう50個を拾った。
でも地面には全然、減ってしまった感じが無いほど沢山落ちている。
しかし550個のギンナンは匂いがキツイ。都バスでは乗客に迷惑を掛けると思い、新橋まで歩いていつも空いている東京BRTで家に戻った。自宅の居間に新聞紙を敷いて拾って来たギンナンを広げたら、部屋中に甘い香りが充満した。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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06/14(火) 愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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Shinji