自然の美しさと残酷さ



季節は巡り、もう夏も終わろうとしている。

今日も一期一会の夕焼けを見ることができた。
自然の創り出す美しさはいつも誠に恐れ入るものがある。


見事な模様のクジャクチョウ

しかし一方で自然は残酷だ。

先日の大雨で伊達の農家の兄貴の作物が全てやられて壊滅状態。

しかも秋の作付けも畑の水分が多すぎてできず
このあとの収穫は絶望的だという。

そして政府がコントロールしている米や麦などの作物と違って
野菜などの市場作物は自然災害などの保証は何もないという。

そんなこと、知らなかった・・・・

本当に気の毒で仕方がないのである。

自然を相手にしているのだから

「自然相手の生業なのだから受け入れるしかない。」

としか言うしかないのだろうが、
それにしても兄貴も生活の死活問題なのだから感情的には
相当な無念さが残るであろう。

「なぜこの大切な時期にこんなふうになるのか?」とか
どうしてもその不条理さを考えてしまうはずだ。

しかし自然とは不条理なのである。


人間に何ができるのか

では「自然は不条理なのだからどうしようもない。」
とあきらめることしかないかというと
もちろんそうではない。

人間はこれまでも自然に抗おうとしてきた。

津波があれば防波堤を作るし、
水不足にはダムを作る。
気象変化も予想できるようになったし
地震予知も試みてきた。

寒ければ気密性の良い住宅を考え、
暖房器具をつけ、
暑ければクーラーをつける。

害虫がいれば殺虫剤で殺してきた。

大量生産のために遺伝子組み換え作物を作った。

ウィルスに対してはワクチンを作った。

しかし実のところ
どこまで行っても解決していないのではないか?

だから人は祈るのしかないのだろう。

そんな人間の無力感をあらためて感じてしまう夏の夕暮れであった。





コメント

    心の伊達市民
    心の伊達市民

    「自然は厳しい」という当たり前のことが、都会に住むと忘れている。Katakerさんの諦観したような詩的な文章が素晴らしい。

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