心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(111)・・・豊洲散歩

【晴海鉄橋】
晴海と豊洲を結ぶ古い鉄橋がある。この橋は1957年に完成し、元IHIの工場へ石炭を運ぶための引込み線として架けられた。
鉄橋と並行している道路は「春海橋」、下を流れる運河は「春海運河」で、鉄橋だけは「晴海鉄橋」である。これはこの鉄道が、晴海ふ頭に繋がっていたからかもしれない。

しばらく錆びて放置されていたが、2021年から遊歩道として生き返らせる工事が行われていた。それが4年半も掛かり、やっと6月27日に工事が終了した。
夏には歩行者専用で、歩けるようになるそうだ。
そこで私はまだ通行できないが、様子を見に行って来た。


「晴海鉄橋」



道路に架かる晴海橋からみる「晴海鉄橋」は、まだ完成していないように見えた。
最近はどの業種・企業でも人手不足と言われているので、この橋も計画通りに進まなかったのかもしれない。橋の塗装は終っているが、歩道用の手摺などは一部だけ出来ているが、ほとんどがまだこれからのようだ。

横に回って歩道を確認したが、まだ資材や工事用のパイプなどが置かれたままで、完成までは相当掛かりそうだ。「夏に一般公開」という予告がネットに出ていたが、それには間に合うだろう。完成した時には、渡り初めに来ようと思っている。

そこで変なことに気が付いた。
この橋は中央区から江東区に渡る橋であるが、橋の所属はどちらの区なんだろう?
東京都かな?


「晴海鉄橋」



【芝浦工業大学】
今回が2回目だと思うが、豊洲にある芝浦工業大学に行ってみた。
豊洲に芝浦工業大学・豊洲キャンパスがあるのを私が知ったのは、3年ほど前のことだった。この大学は本部が品川にあり、私の同級生のEさんが60年以上前に通っていた大学である。

彼は大学卒業後、自動車部品製造会社に就職し、その後、アメリカの子会社の社長になりオハイオ州に駐在した。アメリカ駐在が決まった時に同級生たちで歓送会を開いたが、英語の全く出来ないEさんは心細そうだった。

そのEさんを訪ねて数年後に私はオハイオ州に行ったが、地元の商工会に入りメンバーから歓迎されていた。その頃はなんとか英語も話せるようになっていて、私は安心した。


「芝浦工業大学」(豊洲キャンパス)



彼からは時々、手紙が届いたが、その頃に『アメリカにはE-mail」という便利なものがある。手紙をインターネットで送信すれば、瞬時に受け取れる。日本にも出来るといいねー』と書いて寄越した。その頃の私はEさんの説明では「なにがなんだか」分からなかったが、あの時の話が今ではスマホにまで発展した。

彼はアメリカ食が体に合わなかったのか、その後、大腸がんに罹りアメリカで手術をした。一時的には快方に向かい、同級生夫婦4組でハワイで落ちあいゴルフを楽しんだ。
でも残念ながら、しばらくしてアチラへ行ってしまった。彼とは学生時代は同じ町に住んでいたので、とても残念だった。


 中央広場の花壇が素晴らしい「芝浦工業大学」(豊洲キャンパス)



(おまけの話)【ららぽーと豊洲】
豊洲と言えば「アーバンドックららぽーと」で有名である。
「ららぽーと」というものが初めて登場したのが、1981年の千葉県船橋市だった。
その頃の私は今と違い元気だったので、家族ですぐに見に行った覚えがある。

そもそも「ららぽーと」という変な名前の由来は、なにかと思い調べてみた。
「la port(ラ ポート)」はフランス語の港を意味し、1号店が海に近い埋め立て地に開業したことに由来している。それに語感の良さを考えて、「la」を重ねて「ひらがな」表示にしたものだそうだ。


 豊洲の中央通り陸橋上から見る「豊洲の街」



「豊洲」という土地の歴史の話であるが、ここは1923年の関東大震災の瓦礫処理で埋められた土地である。この埋立地が豊かな土地になるように、将来の発展の意味を込めて1937年に「豊洲」と名付けられたのである。

豊洲はその後、工業地として発展して行く。20世紀前半までに、石川島播磨重工業などの工場、新東京火力発電所などの他に様々な流通設備が立地し、その関係者向けの商店、社宅等も立ち並ぶようになった。

更に日本最初のコンビニであう「セブンイレブン」の1号店が出来て、今でも営業している。かってはIHIの造船ドックとして栄えたが、2002年に役目を終えて東京第一工場を閉鎖した。現在もIHIの本社もあるし、「ららぽーと」には名残りのドックも残されている。


「豊洲IHIビル」



IHIの工場跡地に建設された「アーバンドックららぽーと」は巨大な建物で、商業施設、飲食施設、映画館などがある。
我が家の前から東京BRTで直接、「ららぽーと」の前まで行けるが、私はあまり行くことは無い。

私が行った日は6月28日で、この日の最高気温は35度だった。
毎日のように中央区から「熱中症に注意」のメールが届き、「厳重警戒(激しい運動は中止)」と知らせて来る。

芝浦工業大学の構内を見学した後に、運河沿いを歩いて「ららぽーと」へ向かった。
日差しが強い。日影が無いので、熱中症になりそうだ。昨年と同じ場所に「アガパンサス」の花が咲いていた。


マンション横の通路のアガパンサス小径



「ららぽーと」の裏には、IHI時代のドックが今でも残されている。
大きなクレーンがあるが、これは船を陸地に上げる時に使うのだろうか?
或いは、ただの飾りかもしれない。

運が良ければ、ここから観光船が出て行くのが見られる時もある。
遠くには「晴海大橋」、その先には霞んでいるがレインボーブリッジも見える。
この場所も「la port(ラ ポート)」なのである。


 ドックの跡地からは観光船も出ている。



建物の裏側から「ららぽーと」に入った。
中は涼しいせいか、大勢の人達で溢れている。土曜日のせいか、通路では色々なキャンペーンをやっている。歩いているのは若い人ばかりだ。
「日本社会の高齢化って、どこの話?』という風に見える。

家族連れは小さな子供を乳母車に乗せて歩いている。みんな何を買うんだろう?
フードコートがあるので行ってみた。色々な店が出ていて、どの店にしようか迷う。
でも迷った挙句に、結局は暑いので「ぶっかけうどん」になってしまった。
帰りは通りに出て東京BRTに乗ったら、12分で家の前に着いた。


 「アーバンドックららぽーと」 

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コメント

  1. 「豊洲の街」(Y)

    「豊洲の街」(Y)

    返信

    豊洲の「ら・ら・ポート」へ連れて行ってもらった折にしみじみと感じ入ったことがあります。「都心には若い人で溢れているなー」おしゃれな乳母車を押しながらとても普段着と思えないおしゃれな装いのママがフードコートには大勢いた。
    それに引き換え多摩平の森イオンのフードコートにはくたびれた老婆がする事もなくボーとたたずんでおります。
    未来予測をすれば一目瞭然!三多摩に輝かしい未来を予測するのは無理なのか?参議院選挙の告示日であった昨日にこれからの日本を託せる人間を探していた。

  2. Shinji

    Shinji

    返信

     「アーバンドックららぽーと」。日本人の造語にはとてもついていけません。「la port(ラ ポート)」はフランス語の港を意味してるそうですが、アーバンドックとはurban dockという英語、その2つの外国語をくっつけて、しかもlaを繰り返している。そのうえ、ひらがな表記などして、お茶を濁している。遊び心があるというか、いい加減、というべきか?

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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