オジサンは小学校に入る前は昭和30年代だ。当時は登別市のはまなす団地と呼ばれるブロックづくり長屋に住んでいた。今のはまなす団地と場所は同じだが、当時は海岸沿いの砂地に建物を建てたような状態で、強い風は砂嵐となり、目を開けられないような場所だった。
 ノセサンとよばれる商店とタバコ屋しか、店はなく、緊急の要件があるとタバコ屋の赤電話に電話がかかってくるので、50メートル以上離れたタバコ屋の人が歩いて連絡してくれるといった貧しさだった。
 当時は、それが当たり前だったので、貧しいとは思わなかったが大人たちは大変だったようだ。

 菓子では、羊かんと煎餅が主力の時代で、かっぱえびせんの登場は間もなくだった。バスで1時間かかる輪西の菓子屋にいくと、菓子箱から小さなスコップで、菓子をすくい上げ量り売りしていた時代だ。
 
 砂地で轍のできる道路を月に1、2度訪れる移動販売車あった。日糧のジャムパンとクリームパンが5円程度で販売されていた。小学校の遠足のおやつが50円までという時代の5円だ。板垣退助の100円札もあった時代。そのクリームパンは最高においしかった。

 今でもカスタードクリームが好きなのは、当時の記憶があるからだろう。よく考えると、当時のパンはパサパサで、現在主流のもちもちしたパン生地とは隔世の感がある。

 伊達に住むようになって30年になるが、金盛堂のクリームパンに出合えたのは運命だ。クリームの質と量は断トツだと言っておこう。糖尿病に認定された今、月に1個に我慢しているのが悲しい。まあ、ベーカリーあけぼのの「くるみぱん」と「きんぴらごぼうぱん」は体にいいだろうと自分に言い聞かせている。クタクタになるまで働く毎日にちょっとした楽しみがあっても罰は当たらないだろう。









当時最高のお菓子は、


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