伊達に住み始めたのは30数年前。最初は梅本町の木造平屋の長屋に住んだ。開拓記念館のすぐ近くで、図書館も近い便利な場所だった。

 ご存じの通り、伊達市は亘理伊達家の家臣団が移住したのが始まりとされている。もちろんアイヌの人はそれ以前から住んでいたが、主に有珠や虻田方面に集落があったと聞いている。移住先発隊が土地を調査し、長流川の東側を開拓の地に決めた。それは、過去の有珠山噴火で東側に被害が無かったと調べがついたからだった。この辺の話は、開拓記念館の収蔵物を受け継いだ、歴史文化ミュージアムで確認してほしい。

 殿様は、旧開拓記念館の迎賓館の場所(梅本町)に住み、その周辺の地名を松竹梅に区分けした。迎賓館の東側を松ヶ枝町、北側を竹原町、中心部が梅本町という地名は今も使われているとおりだ。

 梅本町の長屋住まいでは、開拓記念館の庭園を小さな子どもの遊び場として使わせてもらった。春先は職場のジンギスカン会場となり、秋には栗拾いなどして遊び、エゾリスを追いかけたりした。今では、火気厳禁でジンギスカンはできないようだが、当時はオオヤミートさんに頼むと、肉とコンロが運ばれてきたのを思い出す。栗拾いは、落ちているのでは物足りず、2メートルぐらいの竹でたたき落とすなどした。良い子はまねしないでね。

 ある時、浄水器を販売するセールスマンがやってきたが、試薬で水質を調べると、塩素が入っていないおいしい水で、浄水器を売らずに帰っていった。長屋は大宅さんの庭にある井戸からの水を電動ポンプで汲み上げ水道にしていたからだ。水代込みの家賃だった。古い長屋の最大のメリットが「水がおいしい」だった。貧乏なのか贅沢だったのか今考えると微妙な住まいだった。そのかわりに何年かに一度、家族の一人がエキノコックス検査を受けなければならないルールもあった。井戸水の水質を人体実験していたような塩梅だ。

 きっと井戸水の家庭は今でも、エキノコックス検査が求められているのだろう。都会では聞いたことのない、体験ができるのも伊達ならではだ。

きょうはクタクタにならないいい話だ。


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