
ホテルマンの幸せ
卒業式と嬉しい報告♪
おはようございます♪
昨日は道内の公立高校の卒業式でしたね♪
ホテルでアルバイトしていた人達の多くも卒業式でした♪
みんなおめでとう!
今年はホテルアルバイトの高校生の卒業生は20人もいました♪
……!
そんなにたくさん卒業して3月以降人足りるのか…?!
専門学生も2人卒業だし……。
伊達高校♪
伊達緑丘高校♪
虻田高校♪
室蘭栄高校♪
室蘭大谷高校♪
今年のアルバイトの卒業校です♪
いろいろな思い出がありますね♪
近くこの卒業生達の送別会をホテルで行う予定です♪
毎年この時期には別れがあり、来月には新しい出会いがあるのでしょう…♪
今日もOBのミキTさんと煮村くんと昼ご飯を一緒に食べました♪
ミキTさんも来月には24歳になるそうです♪
15歳の学生時代に出会ったのでもう9年も経過しているのです…。
もうそんなに経過したのか…。
昨日はさらに…♪
学生アルバイトOBの真穂さんから
『今日の12時30分に赤ちゃんが産まれました♪女の子です~☆』とメールが届きました♪

(ドレスを着ているのが真穂さんで制服の人が昨日卒業したsakiさん♪)
嬉しい報告でした♪
つい先日もOBのあいりさんから
『磯辺さんっ♪私入籍しますっ♪』とメールが来ました♪
結婚式も考えているので近く相談しに来てくれるそうです♪
卒業式を終えた後に児玉さんはわざわざホテルまで来てくれて箱でジュースを持ってきてくれていました♪
会えませんでしたがとても丁寧な感謝メールを送ってきてくれました♪
みんな嬉しい報告をありがとう!!!
こんな私ですがこれからも本音で語り合える仲間でいてね♪
20人の3年生諸君!
みんながそれぞれ抱く夢の実現に向けて全力で生きて下さいね♪
全力で働き全力で遊ぶんだよ♪
いつでもホテルに顔出しに来て下さいね♪
嬉しい報告でも悲しい相談でもね♪
君たちの活躍を願い続けてますからね♪
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身体の中身と容姿、各部バランスがつりあう幸せ ♡ “均整きぃとす” で整う時間を
身体の痛みを抱える不安と恐れは、おそらく誰もが経験したことがあるはずです。 人は、その痛みの場所を示すことができても、その痛みを引き起こしている根本的な原因はわからないことが多いです。 あるいは、わかっているつもりだったけれど思い違いだったということもありますね。 見えない身体の中のことだから、不安や恐れは痛みをさらに増長させる。 筆者自身も経験があります。 そんな時、自分の心配の話にしっかりと耳を傾けて寄り添ってくださるところに出会いました。 先ほどの写真の左側が代表の島川弘美さん(理学療法士)、右側が店長の福田知美さん(看護師)。 医療従事者としての確かなバックグラウンドをお持ちのお二人による “均整きぃとす“です。 実は、お二人とは以前から緩い繋がりはあったのですが、この度ゆっくりとお話しを伺い、施術を体験させていただき、“均整きぃとす“ に絶大なる信頼感を持ってしまいました。 さて、“均整きぃとす“が何をされているのか? ここにホームページから一部転載させていただきます。 ↑“均整きぃとす“HPより抜粋 施術・パーソナルトレーニングなどのメニューは上の通りです。 ↑こちらは高濃度酸素の吸入器 実は筆者、ここ一年くらい身体中がカチコチで、常に胃や背中や横隔膜が痛かったのです。 それをお話しすると…。 「あ〜。 頭使いすぎですね〜。まずは体験してみてください。」 とのことで、このマットに横になることに…。 ↑興味深いポスターが貼られていました。 ふむふむ…。 正直、整体の類はあまり得意ではなく…。 というのは、ひどく痛く辛い思いをしたことが何度もあり…。 この方ならば!の安心感はあるものの、ただでさえ硬い体を、さらに硬くして横になったわけです。 ↑怖がらなくても大丈夫よ〜!と看板猫のニャンズたちが柵の向こうで見守ってくれていました ^^(猫アレルギーの方がいらっしゃるときは、柵からこちらに来られないように躾けられています。) ところが…拍子抜け ^^; それは今まで経験したことがない方法でした。 「え? これで効くの?(ほんと、ごめんなさい!)」 と疑ってしまったほど優しいタッチ。 自分で行うストレッチより痛くない! というより気持ち良い。 そして、施術前後に撮っていただいた写真を見てビックリ!! ただ優しく触れていただいただけなのに、こんなに変わるの!? なぜ?なぜ!? と、驚くばかりでした。 思わず、「魔法みたい」と口走ってしまったほど。 今まで食わず嫌いをしていた自分を叱りたくなりました。 そしてわかったこと。 身体をお任せできるには信頼感が大切だということ。 そして、間違いのない技術。 実際に身体均整法を体験してみて、まったく微塵も痛くなかったことには驚きました。 今回はお試しということもあり、施術の前に身体の状態を詳しくお話はしなかったのですが、お二人には私の立ち姿を見てすぐにどこをどうすれば私の身体の歪みが整うのかが分かるということが驚きです。 「この身体均整法の特徴は、身体の歪みに注目して分析し、その日の体型に効果のある方法を選んで調整するということです。それと、あくまでも健康サービスなので、安全に行えることを気にかけています。ですから、痛みのあるところは直接刺激しません。動きの悪いところを無理やり伸ばさないので拍子抜けされる方も多いのですが、安全に不調を改善できる調整法なのです。」と島川さん。 なるほど…。 思い返せば、私が過去に経験したものは、痛いところに直接触れるものばかりでした…。 だから、恐怖症になってしまったわけです。 さらに島川さんのお話は続きました。 「身体の中は繋がっていますからちゃんと効果があるし、施術後もどんどん身体が変わっていくので、きっちり仕上げてしまうと変わりすぎてしまい、具合が悪くなることもあるのです。 施術をしたら終わりではなく、また不調を起こす歪みができないように、身体の上手な使い方や暮らし方の工夫、運動方法などもお伝えしています。」 もう、すこぶる納得! 施術を体験したあとの2日間の経過がそのお話しを証明していました。 その場しのぎではなく、身体の中から間違いなく好転したという実感を得たことにも感動しました。 まさに、『本物』です。 もっと早くお二人と本業でのお付き合いをさせていただきたかった! そんな想いが駆け巡りました。 そして、何よりも絶大な信頼感を感じたのはこんなお話しからでした。 「身体均整法やパーソナルトレーニングを通し、ひとりひとりに合った運動方法や身体の動かし方、上手な暮らし方、どなたにも安全で、なおかつ各自が取り組みやすく成果が出る方法を提案しています。囲い込みはしない主義です。 X線検査やMRI・エコーなどはここではできません。医療が必要な方には、早期発見していただくためにも適切な医療・相談機関へと繋いでいます。時には逆のケースもあります。病院や介護施設など各種機関と信頼関係を作り、お客様のためにより良い方法で連携し合うことこそ大切だと考えています。 ですから、インタビューやカウンセリングの時間はしっかりと取ります。主観と客観からの分析をしながら一番良い改善方法を探るためにも、お客様の心身の状態にきちんと向き合って、交通整理をし、次へのアクションをとるためには非常に重要なことだからです。それとね、『手』はスーパーセンサーなのです。文字通り、『触れること』いわゆる触診も大切にしています。私たちが目指すのは、繰り返しこういうところに来ないようにすることです。 」 とてもとても心に響く、ありがたいお話しでした。 ↑“均整きぃとす“は伊達市の健康づくりサポーターにも登録をされています。 ―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* 健康づくりサポーターとは(伊達市HPより引用) 健康づくりサポーターとは、日頃の活動を通して市民の健康づくりを支援している関係団体・企業・グループなどです。市は、登録した団体などの情報を市の広報紙「広報だて」やホームページなどでお知らせします。また、登録した団体は、その他のサポーターの活動を知ることができ、サポーター同士の新たな連携や協力体制を作ることもできます。 ―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―* ところで〜 『市民の総合的な健康づくり=命を守る』ことを実践されている“均整きぃとす“では(特に島川代表)、『防災』への取り組みにも精を出されています。 ですが、この話題はとても長くなりそうなのでまたの機会に〜。 最後に、代表の島川さんはこう話してくださいました。 「年をとっても障がいを抱えていても、どんな状態状況であっても、どこで暮らしていても安心安全に笑顔で暮らしていくことが私たちの目指すところです。 これからも誰もが健康で幸せな生活を送っていけるようがんばっていきます。」 確かな裏付けがあるからこそ、信頼できるお言葉です。 体に不調を感じていらっしゃるあなたに。 体験者として、“均整きぃとす“を心からオススメいたします。 ホームページ https://kinseikiitos.jimdofree.com 過去の特集記事はこちら↓↓ [clink url="https://mushanavi.com/specials/10489/"] ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2022年)
Rietty
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子どもの頃の夢をお米のお菓子で叶えた無店舗販売 “ ももと木 “ の桃子さん
蘭越町湯里にあるベアーズというペンション&パン屋さんの工房をお借りしてお菓子を作っている “ ももと木 “ のオーナー木村桃子さんは、東京都青梅市出身34歳。 わたし、おかしやさんになりたい! 4年前、当時勤務していた世界のお茶専門店「ルピシア」のヴィラルピシア・ニセコの店長として赴任して来られたのが北海道移住の始まりでした。 とっても元気&しっかり者、感性豊かで笑顔がチャーミングな女性ですので、一大リゾート地の店舗「ニセコ店」リニューアルオープンの店長として抜擢された理由がわかるような気がします。 バリバリと働いていた桃子さんでしたが、「いつかはおかしやさんになりたい!」という夢は捨ててはいませんでした。 「小学校低学年からお菓子作りが好きでした。最初はクッキー作りでしたが、姉がとても褒めてくれたので、友達によくプレゼントしていました。そうすると友達も褒めてくれるのです。それが嬉しくて、もう本当にしょっちゅう作っていました。」 そして、ももと木の誕生 「事情があり仕事を辞めた翌年の2020年1月、とあるカフェでブラウニーを焼くチャンスを得ました。そのカフェは、実はお世話になっているベアーズの娘さんのカフェでした。その後、お菓子の製造許可を取り、引き続きベアーズの工房をお借りして、その年の11月から自己ブランドでお菓子の製造販売を開始することができたのです。」 ご縁とか、星回りというのは不思議なものです。 強く思うと願いが叶うとおっしゃる方もおられますが、「本当にそうなのかも…」と思ってしまいます。 そして、2020年11月1日 晴れて“ ももと木 “のラベルを付けたお菓子が店頭に並びました。 ブランドを立ち上げてからもベアーズの工房を使わせていただき、委託販売の1st.ステージは蘭越町の「街の茶屋」となりました。 今では委託販売先が近隣3店舗になり、東京にも1店舗増え、オンライン販売も開始されています。 さて皆様。 前回の「Café creperiz」の記事を覚えていらっしゃいますか? https://mushanavi.com/specials/59670/ 実はこちらも委託先4店舗のうちの一つです。 ↑人気のクッキーは直ぐに売れてしまいます。 その記事の中で。 “政義さんの影になり日向になり、そっと寄り添いながら支えている大きな力がありました。” というくだりがありました。 そう、実は桃子さんは政義さんとご夫婦なのでした。 「ももと木」は2020年11月1日立ち上げ。 「Café creperiz」は2021年3月21日立ち上げ。 政義さんには米農家としてのバックボーンがあるものの、お二人で同時期に起業するのは勇気が要ることです。 絶対に成功させる!という強い意志と、地道な努力と、周りの人を大切にするお人柄が、道を開かせているのだと感じました。 米農家の妻としてのプライドと強い想い 「ところで、お菓子の材料へのこだわりを教えていただけますか?」 「お菓子はすべて小麦粉ではなく米粉を使っています。夫の実家が米農家ですから、義父が作ってくれた ” ゆめぴりか “を札幌で挽いてもらい利用しています。砂糖はきびさとうや黒糖。抹茶やココアはオーガニックのもの、イチゴや蜂蜜は蘭越産です。レモンは瀬戸内産の無農薬のものです。また、クッキーは卵不使用になっています。 できるだけ国産のもの、できるだけ北海道産のものを使用するように心がけています。」 なるほど~! 旦那様のご実家のお米を使っているなんて最強の地消地産です。 「以前は、米は主食のイメージしかありませんでした。でも、木村の米に出会ってその美味しさに惚れました。惚れ込んだお米をお菓子の材料として使いたい!と思いました。」 あれれ? もしかして、旦那様よりも先に木村農園の米に惚れっちゃったのかしら?? 焼き菓子を中心にラインナップはこんな感じ~。 例えばカヌレ・レモンケーキorバナナケーキ(季節限定)・クッキー5種類・クッキー缶(イベント用)などなど。 なかでも密かに話題になっているのは “みそ&チーズクッキー“ ! なんとその味噌は、木村のおじいちゃま製なのだそうです。 ↑こちらはプレーン。こちらのカヌレは旦那様のお店「Café creperiz」でしか買えません。 もう見るからに美味しそう~♡ そこで筆者、米粉のカヌレを初めていただいてみました。 ↑仕込みに丸一日かかるというカヌレは絶品! ↑ビターな抹茶味もあります。大人の味! 一口噛むと、中はしっとり。 外側カリッととても味わい深くて美味しい~~! 小麦粉製のものとはまた少し違う食感と味。 まったく違和感なく美味しい!と感じるのは、桃子さんの研究の成果と、 ”日本人に馴染んだ食材だから” ということもあるのかもしれません。 「自分が過去に出会った米粉のお菓子は、どうしても納得できないものが多かったのです。だからこそ、義父が丹精込めて作ったお米を挽いた米粉で美味しいお菓子を作りたい!という気持ちが強くありました。小麦アレルギーの方にも安心して食べられる、日本人の体に優しいお米を、形を変えて多くの人に食べてほしいと考えています。」 主たる原料に絶対的に自信があるからこその言葉だと感じます。 だからこその次の言葉なのでしょう。 ↑田植えを終えた木村農園の様子 「薄利多売は考えていません。原材料には納得したものだけをお金をかけて仕入れていますから。夫婦間であってもお互いにビジネスですので、米粉も木村農園から買っていますし、夫の店に置いてもらっているので販売手数料も払っています。」 ↑米粉のお菓子てっぺん目指します! あれ?お腹 ^^; かっこいいな。 桃子さんのお話を伺いそう思いました。 夫婦であってももたれ合わず。 けれども仕組みとして支え合う。 素晴らしいです。 「夫がよく口にする話があります。それは、" 米農家として、米を主食としてだけ販売するのは正直先行き不安だから、米の多様な食べ方を提案して消費拡大に繋げるぞ! " ということです。私もその想いに強く共感しているので、共に頑張りたいと思っています。私の強みは東京出身の余所者だということです。だからその視点を忘れずに、米の消費拡大に向けて工夫をし続けたいと考えています。」 「ところで、 “ ももと木 “ の名前の由来をお聞きしてもよろしいですか?」 「実はよく “ももの木“ って言われます 笑 発音しやすさから言っても “と” じゃなくて “の” ですよね? でも敢えて“と” にしたのは “の=in “ではなく “ ~と共に=with“ にしたかったからです。私は桃子です。 “ 桃子は木村農園と共に “ という想いです。そして、木村桃子は木へんが三つもある。だから、“ももと木“ にしました。」 なんということでしょう! 政義さんのご家族がどれほど喜んだことか容易に想像できます。 主原材料=米への愛。 政義さんのご家族への愛。 だからこそこんなに美味しいお菓子ができるのだと思いました。 「東京からの移住でしたが、ゆったりのんびりした蘭越暮らしは自然も含めてとても気に入っています。子どもの頃からの夢 “おかしやさんになりたい!” という夢が、代々続く木村農園のもと叶ったのですから、ここ蘭越でお菓子作りを一生続けていきたいと思っています。」 最後にきっぱりと桃子さんの決意をお聞きしたところで取材を終えました。 ↑近々イベントにも出店されます。 ―ももと木情報― Instagram https://instagram.com/momotoki.123 メルカリ ももと木 https://jp.mercari.com/user/profile/453063195 ラクマ ももと木 https://fril.jp/shop/MOMOtoKI 委託先情報 蘭越 街の茶屋 https://rankoshi-tourism.com/spot/spot05-07/ かふぇ&小さな宿 のどか https://instagram.com/niseko_nodokaハコノカフェ https://instagram.com/haconocafe ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。取材2022年
Rietty
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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【あの人に会いに】地域にひらく [ 坂本瑠美さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 一度は会いに行ってみてほしい、 地域を盛り上げる ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.2 今回は、2024年6月2日(日)に 洞爺八幡神社にて開催される 『とうや古本市』の主催者 坂本瑠美さんにフィーチャーします。 瑠美さんが暮らしているのは洞爺地区。一緒に町を歩いてみると、並外れた情報量に驚きます。 「ここは〇〇さんが管理してくれてる場所でね……」「ここの道は子ども達と歩くのにとっても良い場所で……」「あ、〇〇さんがいる!寄っていこう!こんにちは~」……と、こんな様子でエンドレスに繰り出される地域のお話。 この地区の住民はほぼ全員知り合い、町のあらゆることに詳しい、まさに地域の生き字引。そんな瑠美さんなので、もう何十年も洞爺地区の住民かと思いきや……なんと移住してまだ8年だと言います。 「何年も前から居る人みたいだって、洞爺に来て数週間の時にはもう言われてたね (笑)」 多くの人と繋がり、大量の情報を蓄積し、それをまた人へ繋げていく。瑠美さんにとってはとても自然なことなのかもしれません。 移住の決め手は、子どもが沢山いること 瑠美さんは帯広市出身。清水高校の総合学科に進学します。とても自由な校風で、好奇心の赴くままに楽しく過ごし、”キャンプ好き”となっていきました。卒業後は札幌の調理専門学校へ。そこで旦那様と出会い、結婚・出産。若くして母となりました。瑠美さんについて特筆すべきことのひとつは、”子どもと仲良しな母ちゃん”。 「長男がもう20歳!長女も中3、子育てが終わっちゃうのが寂しい!!!」 札幌や江別で長く暮らしていましたが、よくキャンプに訪れていた洞爺湖に惹かれ、移住を決めます。長男が中学校に進学するタイミング、長女が小学校2年生の時でした。 「札幌はモノも人も多くて沢山繋がれるけど、都会ならではの子育てのしにくさもあって。例えば、騒音問題だったり、公園でボール遊びしちゃダメだったり、子どもだけで遊びにいけるところがなかったり……」 洞爺地区で、自由に遊ぶ地元の子ども達を見かけていたことが、のちに移住の決め手となりました。 地域に根差し、広がり続ける人脈 食べるの大好き、食べさせるのも大好き!な瑠美さんは、調理師として働いていましたが、洞爺移住後は「生産者側を経験したかった」と農家へ。3年程働き、調理の道へ戻ろうと転職を考え始めた頃に新型コロナウイルスが流行します。飲食業は縮小、調理師としての就職先は狭まっていました。そんな中、変わらずに募集があったのが保育園の給食室でした。 「午前は給食の調理をして、午後は学童スタッフとしても勤務できることになって。学童で子ども達と遊ぶのが、とっても楽しかったんだ~!ずっと一緒に遊んでいられる!」 偶然たどり着いた二つ目の天職。現在は学童の職員となり、時には給食センターやとうや水の駅食堂TSUDOUにて調理師も続けています。母でありながら3足の草鞋!とても忙しそうですが、まだまだそれだけではありません。 NPO法人地域自然活動センター森・水・人ネットの理事、PTA活動、洞爺八幡神社の総代、等々……ここに書ききれないほど多くの団体に携わっています。あちこちから声をかけられるひっぱりだこ、人脈は広がり続けます。 地域の神社をもっとオープンに! 沢山の活動のうちの一つ、洞爺八幡神社で開催している『とうや古本市』はどのようにして始まったのでしょうか。 きっかけは、瑠美さんが町内会の役割の一つとして、たまたま総代*になったことから。長く神社を支えてきた会長や総代たちの想いを聞き、動き出します。 「総代を務めたい人も少なくて、町内会で回り番でっていう感じで……もっと地域の若い人に楽しんで場所を繋いでもらわないとっていう危機感があったんだよね。会長も、もっと自由に使ってと言ってくれていて」 氏子……氏神様がお守りする地域に住んでいる人々。氏神神社の運営・維持、行事などを行う。 総代……氏子の総代表。祭祀や保持活動に努める役割を持つ人々。 ”本好き”という共通点があった会長や総代たち、話はとんとん拍子で進みました。 「(当時)本屋が無いこの地域で、本を手にとれる場所が欲しいよね、とよく話していて。神社での開催だから(予算をかけず)”ばくりっこ”で。この地域だとどんな本が出てくるんだろう、という興味もあったしね」 とうや古本市は、不要な本を持参し欲しい本を持って帰る、”ばくりっこ”スタイル。ゆったりとした境内では『その本は〇〇さんのオススメだよ』、『これ面白いね』と会話が生まれ、来場者が本を通して繋がっていきます。 「小さい頃この境内で遊んでいたという人たちが、『神社で何かやってる!』とたまたま来てくれたことがあって、そういうのも嬉しいよね」 ただ場を繋ぐためのイベントではなく、持続可能な開催を目指して主催者が楽しむことを大切にしていることも、とうや古本市の特徴。『焚き火で焼き芋がしたい』、『地域の楽しいお店も呼ぼう』……そうして、地域住民にも毎年楽しみにされるイベントとなりました。 子ども達のたまり場をひらきたい 地域のために動き続ける、実行力抜群の瑠美さん。これからやっていきたいこと、目指すところはあるのでしょうか。 「誰もが気軽にふらっと集まれるような、子ども達のたまり場を作りたいなと思っていて」 学童で日々子ども達と触れ合い、真っすぐな好奇心に共鳴していくうちに、もっと探求できる場をひらいてあげたいと思うように。 「大人は知りたいことを自分で見つけられるし、すぐに調べることもできる。でも、子ども達が自分でリーチできるものって、自分の周りにある環境だけ。すぐ近くに沢山の面白いこと・面白い人がいるから、それを繋いであげられる場所がほしいなって」 そんな場所ができたなら、子どもだけでなく大人も楽しめるスポットになりそうです。老若男女がワイワイ集い、誰でもフラットな関係で、好奇心のままに学びを追求できる……素敵な”未来の場”のイメージが浮かびました。 来る6月2日(日) のとうや古本市は、そんな明るい未来の話が自然と生まれる場所でもあります。とにかく多忙な瑠美さんとゆったり話せる、貴重な機会かもしれません。新緑が眩しい、気持ちの良い境内を楽しみに、ぜひ足を運んでみてください。明るい瑠美さんにつられて、笑顔になってしまうこと間違いなしです。 <とうや古本市> 日時:2024年6月2日(日)10:00~15:00 場所:洞爺八幡神社(虻田郡洞爺湖町字洞爺町1番地) ★入場無料、飲食や雑貨など各種出店あり ★お家に眠る不要な本がありましたら、ぜひご持参ください! ★とうや古本市は、年2回、春・秋に開催しています。今回が5回目!
misaki
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