ホテルマンの幸せ

ものスゴい方のブログを発見する!!

おはようございます♪
先日、砂川北高校の野球部後輩の山内くんから教えてもらったのですが…
とあるブログの存在を知りました。
それはこんな方のブログでした。


なぜ山内くんがこの方のブログを発見したのかは謎ですがこの方の今年の「1月14日」のブログに私のコトが書かれている!と言うのです。
なになに…

ちょっと写真が小さいので原文をそのままコピーしますと…
↓  ↓  ↓
ワテと、関吉雅人は同世代なんやな。
高校野球も好きやったし、砂川北高校のパワー野球の強さ、全国に見せたかったわ。
それが叶ったんは、関吉の豪快な場外弾のおかげや。
北大会決勝、旭川龍谷との死闘な。
スタメン唯一の2年、白戸毅が旭川龍谷の2年エースの川上勝利から先制タイムリー。
その後は、旭川龍谷の猛攻を砂川北はエース佐藤文計と横山泰之の継投で必死に交わす展開やった。
微妙な判定に、両軍の監督がヒートアップし、終いには選手にもそれが伝播しよったんや。
砂川北の、後に「伝説のホテルマン」となる強打の一塁手、礒部大助が旭川龍谷の選手とガメリ合い、塁審に引き離されるシーンがテレビ中継に抜かれるアクシデントもあったんやわ。
バファローズをリーグ制覇に導いた礒部公一のような打撃センスと、ボクシング世界チャンピオンとなった内藤大助のような強さを兼ね備えた男やね。
そんなカオスな試合を決めたのが、関吉だったんや。
8回やったか、満塁で関吉の打順となったんや。
皆が、関吉のグランドスラムを期待していた雰囲気やったろうな。
旭川龍谷は、3年の右サブマリンに継投した、山中やったかな。
関吉は、山中の失投を見逃さずレフト場外に放り込んだんや。
甲子園でも、関吉は豪快な一発を放ちよったんや。
勝てる展開やったけど、礒部大助のエラーが失点に繋がり、逆転負けやった。
そんな砂川北高校野球部は、今や伝説となってしもうた。
はいっ!!
まずはここまで!!!
検証しますと…
まず1つ言えるコトは…
この方、超~~~~~詳しいのです!!!!!
この文章…
『砂川北の、後に「伝説のホテルマン」となる強打の一塁手、礒部大助が旭川龍谷の選手とガメリ合い、塁審に引き離されるシーンがテレビ中継に抜かれるアクシデントもあったんやわ。
バファローズをリーグ制覇に導いた礒部公一のような打撃センスと、ボクシング世界チャンピオンとなった内藤大助のような強さを兼ね備えた男やね。』
と褒めて下さっているのはとても嬉しいのですが…
『礒部大助』
4文字のうちの3文字が間違っているじゃないかぁ~~~~~~っ!!!
で、『旭川龍谷の選手とガメリ合い…』はこのシーンなんですケド…

昨年、このメンチ切りあっていた旭川龍谷の末澤選手と24年ぶりに再会して和解して酒を呑み交わしまいた☆
同じアングルです☆

はい!
で、次のこの文章…
↓  ↓  ↓
甲子園でも、関吉は豪快な一発を放ちよったんや。
勝てる展開やったけど、礒部大助のエラーが失点に繋がり、逆転負けやった。
そんな砂川北高校野球部は、今や伝説となってしもうた。
はいっ!!!
勝てる展開でしたが私がエラーして逆転負けしたのは…
ごめんなちゃ~~~~~~いっ!!
ホントにそうなんです…☆
この方の言い分に手も足も出せね~~~ぜっ…
で、続きです。

原文をそのままコピーすると…
↓  ↓  ↓
関吉雅人も、ブルーウェーブに指名されたが一軍には上がれず。最強時代やったからなかなかチャンスがなかったみたいやわ。
伝説のホテルマン、礒部大助に関しては様々な伝説があるみたいや。
彼は、中学ではエース兼4番兼番長と、昭和の不良の王道やったみたいや。
そんな彼でも、実績不足で佐藤茂富監督から一度は門前払いを喰らってもうた。
普通やったら、そこで諦めるんやけど礒部大助は、空手道場に入門し100人抜きを成し遂げたらしいで。
袋叩きにされながらも、血まみれになりながらも立ち上がる礒部大助に、空手家達はビビってギブしたという噂や。
不良やから、殴られ慣れしとるし空手家達は、そんなクレイジーに対しては対処でけへんやろ。
道場の師範が、佐藤監督に推薦状を書いたから入部が認められ、入試もギリギリ合格やったみたいや。
同期は力のある連中が揃い、佐藤文計と横山泰之の二枚看板は1年夏からバリバリ投げていたみたいや。
不良が大半な先輩達からの、日常から掛かるプレッシャーにも耐え続け、2年夏には礒部大助と関吉以外の、秋以降のレギュラーが皆ベンチ入りしよったんやわ。
礒部大助や関吉は、夏に頑張って力を付け、秋以降のレギュラーの座を掴んだんや。
もう一人、ライトのレギュラーで彼らと一緒に初のベンチ入りを掴んだ選手がおったんや。
ただな、秋の全道準決勝にて最終回、一点リードのツーアウト二塁で、ライトフライをバンザイしてもうて。
はいっ!!!
検証!!!!
まず…
『伝説のホテルマン、礒部大助に関しては様々な伝説があるみたいや。
彼は、中学ではエース兼4番兼番長と、昭和の不良の王道やったみたいや。
そんな彼でも、実績不足で佐藤茂富監督から一度は門前払いを喰らってもうた。』
ですが…
私は中学時代にエースでもありませんでしたし、4番でもありませんでしたし、番長でもありませんでした!!
なのでここは違うよね☆
でもここっ!!
『実績不足で佐藤茂富監督から一度は門前払いを喰らってもうた。』
これは惜しいっ!!
私は佐藤茂富監督から「一度」ではなく『二度』門前払いを喰ってるんですよ~~~~☆
で、ここっ!!
『普通やったら、そこで諦めるんやけど礒部大助は、空手道場に入門し100人抜きを成し遂げたらしいで。』
やけに詳しいなっ!!
でも惜しい!!!
空手道場には通いましたケド、一度も空手はしていないので「入門」はしてないんですよね☆
「何しに通ってたんだ説」が急浮上しちまうのです。
で、次!!

原文をそのままコピーすると…
↓  ↓  ↓
即座に白戸毅に懲罰交代、試合も負けて甲子園を逃したんや。
勝っていたら、手の内を知る南北海道の強豪の駒大岩見沢相手やったし、大差負けしない限り北北海道の砂川北とのアベック出場が確実やったらしいで。
それはともかく、ライトのレギュラーは白戸になってしもうたんや。
彼は、甲子園で横山の代打で最後の打者となったんやけど、腐らず頑張ってベンチ入りは確保したんやな。
関吉は、2年秋から30発以上量産しよったんや。
場外弾もかなりあるらしいで、腐らずに努力したんやろな。
礒部大助もまた、気合と根性で一塁のレギュラーを掴み、通算打率が4割とチーム一のアベレージを誇っとったみたいや。
関吉と共にプロ入りを目指すも叶わず、野球をキッパリ諦めてホテルマンとなったようやね。
礒部大助は今や、総支配人になったらしいで。
砂川北高校の屋上からよく飛び降りていたらしく、着地に失敗して足首を捻挫しても必死に隠しながら練習に参加もしたみたいや、休めるわけあらへんしな。
後輩が「俺たちなんかまだまだ優しいんだぜ、礒部大助さんとかはもっともっと厳しかったんだぞ」と言い伝えるくらいやったみたいやわ。
何が厳しかったかって、それは体育会系としての指導に決まってるやろ。
また、ギターが得意で内野手の控えの同期の結婚式にて、歌を歌いながら同期の喫煙を暴露し、その同期は佐藤監督にゲンコツを喰らったようやでw
ある飲み会にて、高校野球マニアの方から聞いた話ですわ。
はいっ!!
検証!!!
また惜しい!!
ここの文章!!!
『砂川北高校の屋上からよく飛び降りていたらしく、着地に失敗して足首を捻挫しても必死に隠しながら練習に参加もしたみたいや、休めるわけあらへんしな。』
はい!
私が飛び降りてたのは「屋上」からじゃなくて正しくは「3階の教室」からでした☆
惜しいっ!!

原文をそのままコピーすると…
↓  ↓  ↓
ある飲み会にて、高校野球マニアの方から聞いた話ですわ。
写真も、その方から頂いたんやわ。
関吉雅人や礒部大助の代の砂川北高校は、濃いメンバーが15人やったみたいな。
1番センターの野々村昌浩は、左投げ左打ちのスラッガー、強肩俊足で4番サードの番長、栗山学と東北福祉大からNTT北海道や。
栗山は、流し打ちができよったから関吉より評価が高かったんやな。
ちなみに野々村、卒業記念に礒部大助と半ば強要され、自宅から真冬の寒さの中を学校まで結構な距離を遠足したそうな。
2番セカンドは、安定した守備と犠打が武器やったようやで、不良やけど。
礒部大助と一緒に、気合いを入れるために練習試合のある朝に極細眉にしたんやけど、佐藤監督に見られてキツイ指導となったみたいや。
3番レフトは関吉、圧倒的なパワーを誇るプルヒッターや。リンゴを握りつぶす握力はチーム一やで。
5番捕手は、中学時代は度々警察のお世話となっとったらしいが、強面かつヘビー級な体躯で佐藤や横山を牽引、打撃もパワフルかつ勝負強かったで。
6番一塁は礒部大助、高打率と実は逃げ足が速い俊足が武器やね、
7番はエース佐藤、降板したらライトやけどパンチがある打撃。
8番ライトは白戸毅、勝負強さと強肩俊足。横山がリリーフならリリースされベンチや。
9番ショートはキャプテン、マジメやから皆を背中で引っ張る堅守、現在はファイターズを支える裏方や。
控えは、サブマリンの11番と140キロを超える左腕の12番と、短いイニングなら全国でも通用した秘密兵器や。
はいっ!!
検証!!!!
この『ある飲み会にて、高校野球マニアの方から聞いた話ですわ。
写真も、その方から頂いたんやわ。』
なのですが…
写真…

俺じゃねぇ~~~~~~~~~~っ!!!
だれぇ~~~~~~~~~っ?!
色々と細かく検証するとたくさん「ちょっと違う」んですケド…
とにかくこの方の情報収集能力はCIA並みなのです!!!
私の紹介の『6番一塁は礒部大助、高打率と実は逃げ足が速い俊足が武器やね、』
の「逃げ足」がやや気になりますが…
確かに当時は内野安打が多かったのです。
甲子園でも内野安打だったし…
この方のブログはまだ続くのですが相当長くなってしまいましたので検証はもう終わりにしますね☆

原文のコピーはこちら…
↓  ↓  ↓
甲子園で延長やったら、彼らを動員する予定やったらしいで。データもあらへんからな。
礒部大助も、練習で対戦してもなかなか打てへんかったくらいやし、他に行っとったらエース級やったろうな。
13番は捕手兼一塁、真面目系なベースコーチやった。
14番は、内野の控えで結婚式にて礒部大助に秘密をバラされてもうた。
15番はエラーで外野の控えに回された元レギュラー、代打で最後の打者や。
佐藤茂富監督の、最初の夏の甲子園のメンバーは、メチャ濃かったんやな。
礒部大助⁉の写真、何かのコスプレなんやろか。
スキンヘッドに見えるんやけど、最初に就職したホテルが倒産後はしばし放浪しとったみたいで、その時のものやろな。
放浪とは、どっかのフロ・ド・アホーターみたいやけど、礒部大助もリフレッシュ期間にしたかったんやろな。
再就職先のホテルにて出世し、総支配人になったんやろ。
長々と、正直スマンカッタ。
でした。
関西にいらっしゃるだろうと思われますのでこの方ともお会いして酒を吞みながら思い出話をしてみたいと思いました☆
色々と当時のことを書いて下さいましてとても光栄でございます!!
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