
ホテルマンの幸せ
おはようございます♪
あの日から5年が経過したみたいですね
胆振東部地震
あの地震が起きた時、このブログの底力が発揮されたのでした
5年前のこのブログはこんな内容でした
あの日、北海道では今まで体験した事のない大きな地震が起こってしまいました。
その後すぐに停電になり北海道は大きな傷を負ったのでした。
停電2日目の朝に電気が復旧しました。
電気が戻ってすぐに私は休憩時間になったので札幌の小西さんへ電話しました。
『今年は砂川のゴミ拾いじゃなくて地震で困っている人のために何かしよう!』とです。
Tシャツを作ってその売上金を届けに行こう!と決めたのです。
その日の夜にこの2人に表と裏のイラストを描いてもらいました。
小学3年のJhonneyと農家で50歳の中井さんです。
イラストをすぐに札幌の小西さんにメールで送って夜中のうちにデザインを起こしてくれて翌朝に完成したのでした!
私と小西さんと中井さんの想い…
『次は俺達ががんばる番だ!!』とです。
それからの3日間、たくさんの方々がこの『次は俺達ががんばる番だ!!』Tシャツを広めて下さいました。
札幌のFMアップルの番組『TAKE IT EAZY』のパーソナリティーのイッセイさんも生放送で呼びかけてくれました。
室蘭のFMびゅ~でも紹介して下さったと聞きました。
皆さんが『次は俺達ががんばる番だ!!』と行動を起こして下さったおかげで…
たったの3日間で595枚もTシャツ購入の申し込みが入ったのでした。
その3日間は通常勤務だったので仕事を終えてから自宅でメールやFacebook、LINEや電話などなどの注文を仕分けして小西さんに発注しなければなりませんでした。
595枚の注文でしたのでとても1人では対応出来ずに困っている時に千春さんからメッセージが来てその仕分け作業を分担して手伝ってくれました。
そして1ヶ月前の9月15日に595枚分の義援金『58万円』を厚真町とむかわ町の3ヶ所に届けに行ったのです。
この支援物資を運ぶためのハイエースはオートスタイルケーの桂社長が無償で貸して下さいました。
移動の高速代やガソリン代、そして昼食代などTシャツの料金以外で『活動資金に使って下さい!』とたくさんの方がお金を渡して下さいました。
現地にお金を物資を届けに行った翌日には595枚のTシャツを全国へ発送しなくてはならなかったのです。
ホテルで引き渡しと全国各地への発送作業と集金などなど…
美佐子さんとさっちん、めしCafeの青木さん、Naoさんがその仕分けと発送作業を手伝いに来てくれました。
そして郵便局の下段さんは仕事を終えた夜や休日の日に何度も何度もホテルに来てくれては黙々と発送作業を担ってくれました。
そして全国各地へこの『次は俺達ががんばる番だ!!』Tシャツが行き渡ったのです。
北海道だけではなく全国の都道府県へ…
たくさんの方がご協力して下さったのです!!
あれから1ヶ月…
3日で595枚だった販売数がなんと…
722枚にまで増えていたのです!!!
9月15日に『58万円』
10月15日に『13万円』
そう。
昨日、再び下段さんと一緒に新ひだか町まで行ってきました。
新ひだか町の人や役場の人と直接会って色々とお話を聞いてどこにお渡しすればいいのかを相談を聞いてもらいました。
新ひだか町ではあの地震から今もイオンはクローズのままでした…
改修工事中だったのです。
今月20日から復帰できるそうです!!
そして色々とリサーチした結果…
新ひだか町の方皆様『とてもありがたいお話ですがまだまだむかわ町や厚真町の方が大変なのでそちらへお届けして下さい!!』との事でしたので…
むかわ町役場へ届けに行きました。
役場の担当者から『町への義援金ですか?それとも被害に遭われた方への義援金ですか?』と問われたので『被害に遭われた方への義援金です!』と伝えて昨日無事に『13万円』をお渡ししてきました。
総額71万円。
『次は俺達ががんばる番だ!!』と停電が復旧した直後に思ったコトがとんでもない展開へ発展してまさかの71万円も義援金が集まったのです!!
全国各地から北海道のために応援して下さった皆様。
連日Tシャツを作ってくれた札幌の『Tシャツのホクト』の小西さんをはじめとするスタッフの皆様。
仕分け作業や発送作業を手伝ってくれた千春さん、美佐子さん、さっちん、Naoさん、めしCafeの青木さん。
物資を運ぶための車を提供して下さったオートスタイルケーの桂社長。
活動資金を託して下さったホテルローヤルの河原社長や中井さんや全国各地の皆様。
2度に渡り現地までの運転をしてくれたり発送作業を担ってくれた下段さん。
私の想いをイラストにしてくれた小学3年のJhonneyと農家の中井さん。
この活動をラジオで広めてくれたFMアップルとFMびゅ~の関係者の皆様。
Tシャツを購入して下さってツイッターやブログで広めてくれたCCBの関口さん。
そして『次は俺達ががんばる番だ!!』とアクションを起こして下さった全ての皆様に感謝致します!!!
ありがとうございました!!!
心から感謝しております!!!
『次は俺達ががんばる番だ!!』プロジェクト
小西章広 中井健太 磯辺大輔
5年前 こんなコトをさせていただいていたのでした。
ブログ『ホテルマンの幸せ』
14年間 毎朝更新していたらね
こんなスゴいコトが出来たのでした!!
改めてこの時にご協力してくださいました全ての皆さまに感謝です!!!!!!!
来年の1月21日で15年になります。
まずは15周年を目指して明日も更新したいと思います☆
これからもどうぞ宜しくお願いいたします!!
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今日も明日も明後日も…
頑張っている人みんなに嬉しい出来事が舞い込んでくるという噂を聞いたコトがあります☆
OH〜〜〜〜ファンタスティック♪
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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