
心の伊達市民 第一号
【オミクロン】
新型コロナウィルスが登場して、もう2年半以上が経過した。
その間に次々と変異をし感染力を増して、いまは「オミクロンBA.5」が猛威をふるっている。東京都の感染者数は7月28日に「40,406人」まで膨れ上がった。
感染とは縁遠いはずの皇族までが感染している。
「次は私か?」と思いながらも、出歩いている。
私は無菌状態より、毎日でも少しずつ感染していれば発症しないと決めている。
これが正しかったかどうかは、コロナ騒動が収まった時に分る。
【元気が無い友人】
私の友人の殆どが後期高齢者である。
お付き合いのあるベトナム人はみんな私より50歳は若いが、友人とは言えない。
コロナ騒動で友人にも会う機会が無いが、メールで知らせて来る内容は寂しい。
「楽しかった話」、「面白かった話」はほとんど無く、健康に関する話が多い。
これは仕方ないとはいうものの、アドバイスも難しい。
みんな年で頑固になっているので誰も私の話は聞かないが、「私もそうかも」しれない。
【台湾の妖怪】
書籍の推薦で「台湾の妖怪伝説」という本を知り、図書館で借り出した。
値段は3520円と高額の本である。それで思い出して、台湾から日本に帰化したXさんに「暑中見舞い」のメールを出した。
すぐに返信があり、『暑い日が続いていますが、私は元気です。大半の会議や打ち合わせはウエブ会議が常態化しました。先月から台湾から日本へ来る訪問客が増えましたが、私はコロナと車での移動を理由に飲み会や会食は断れるようになりました』とあった。現役の人からの情報は、引退オヤジには貴重である。
【ブログのコメント】
少し前に「ブログ閉鎖中の話題」で「都心を歩く お茶の水から水道橋」と書いた。
その時に私に同行して一緒に歩いたYさんから、次のようなコメントがあった。
『5年後の2022年の夏である。今では脊椎狭窄症の悪化により5分間も歩くと蹲ってしまう。お茶の水駅から歩き始めて聖橋やニコライ堂を覚えている。豊島屋本店も記憶にある。山の上ホテルは古き良き時代を彷彿とさせて落ち着ける雰囲気が好きである。それにしても5年経ってもまだ、「三多摩格差」の是正されない東京都政に改めてクレームを付けたい。美人よ来たれ!』。それにしてもYさんは文章が上手だなー。
【窓から見る飛行機】
夏休みに入り、窓から見える羽田空港に向かう飛行機の数が増えたようだ。
コロナ騒動が始まった頃からしばらくは、窓から飛行機は見えなかった。
私の家から見える飛行機は都心上空を飛ぶコースで、南風の時の15時~19時の内の3時間だけを飛行する。
以前はこのコースを飛ぶほどの着陸便の数が無かったので、使われていなかっただけのようだ。夏休みで旅行する人が増えたことが、窓から見て分かる。
機数の多いのは午後5時台である。
【築地本願寺の盆踊り】
私の菩提寺の築地本願寺は今年の盆踊りは、コロナの影響で規模を縮小して予約制となった。中央区の主催する盆踊りは、今年は盛大に行われるようだ。
昨年は時代を反映して、なんと「オンライン盆踊り」になっていた。
「オンラインの盆踊りとはどういうものか?」と思って、前年の動画を見てみた。
すると各自が家などで勝手に踊ってそれを投稿し、みんなでその動画を見たり踊ったりするのだった。それでも楽しいのかなー?
(おまけの話)
【人生の縮図】
私の家の周りはマンションだらけである。
昼間はそれほど気になっていないが、暗くなるとアチコチのマンションの窓に灯が点る。
それを見ると私は1人で想像する。『あのひと部屋ひと部屋に、色々な人生があるんだろうなー』・・・と。住宅ローンの問題、夫婦関係、子供の教育、仕事の悩み、老後問題などなど上げたらキリがない。
そんな時に『タワーマンションは縦長の長屋なんだ』と感じるのである。
【グー・チョキ・パー】
ソファに座って本を読んでいたら、夕陽が窓から差し込んで来た。
『もうこんな時間になったか』と思って、なんとなく右の方を見たら本の影絵が出来ていた。
そこでぜだか影絵で遊びたくなった。
そして「グー」、「チョキ」、「パー」をやってみたら、意外に面白かった。
『まだ遊び心がある内はボケていない』と考えたが、『いや、いい年をしてこんなことをするようじゃボケている』とも思えたのである。
【ソフトクリーム】
数寄屋橋交差点の角に「不二家」の店がある。
その一角で操業70周年を記念して「ミルキー70」として、ソフトクリームを販売していた。この店は「店内飲食禁止」なので、私はソフトクリームを買って向かい側の交番裏の公園で食べていた。
値段は「300円」と安く、とても気に入っていたのだが、7月初旬に「改装の為に閉店」となってしまった。
私の想像では「店内で食べられないとなると、どこで食べればいいの?」と思う人が多くて予想外に売れなかったのではないだろうか? それはソフトクリームを買って、食べている人を私が見たことが無かったことから想像している。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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愛こそ全てです! 占いスペース ”タリズマン“ の言霊
衝撃的な取材の始まり まずはちょい怪しげなタリズマン北條マスターの意外な経歴から。 東京の某大学教育学部出身の58歳。 教師である母と二人の母子家庭で育つ。 本当は獣医になりたかったが、奨学金を受けることに抵抗を感じ、獣医の道を諦める。 大学卒業後は教師ではなく、某大手金融関係の会社に就職。そして時代はバブル期。 怪しい?タリズマンのマスター 筆者が市役所通りにある”占いの館「タリズマン」“ の存在を知ったのは20年ほど前のことです。 「むしゃなび」ページを見た時、なんとなく警戒心を持ってしまう (本当にごめんなさい!)占い師の方がいるなあ…と、思ってしまったのが最初の出会いでした。 それから何度かお見かけすることはあったものの、「占っていただきたい!」という気持ちには、正直、この取材日までなりませんでした。 でも、取材を終えた今ならば「是非占っていただきたい!」と思っています。 店内はスピリチュアルなグッズでいっぱい 自分ではなくなっていた二年間 「1日に200万円くらい使うことに何の疑問も持たない毎日を過ごしていましたが、ある日、” そういえば、俺、万札しか使っていないし、受け取った釣りを使ったことないな ” そう思って数えてみたら、なんと溜まった釣り銭(札込み)が60万円もあったのです。もう愕然としました。その時、自分が自分でなくなっていることにようやく気づきました。だから会社を辞めました。辞めた時、2400万円くらい貯金がありました。 でも、お金の使い方の癖はそうそう直るわけもなく、退職後1年で900万円もの借金を抱えてしまいました。」 つまり、1年で3300万円使った計算になります。 「決定的に自分を否定したのは、飼っていた犬を餓死させたことでした。犬の餌すら用意してやれなくなっていました。たった数百円の金を握りしめ、電車に乗って、辿り着いたところで死のうと思っていました。 そんな気持ちで新宿をふらふらと彷徨っていた時、一人のホームレスに声を掛けられました。”おまえ、死のうと思っているだろ? 生きていてなんぼだぞ ” そう言われたんです。見抜かれたのがすごく悔しかった。なんでおまえなんかに言われなきゃいけないんだ!と心底悔しかった。」 日本の多くの霊験あらたかな各所をまわる 後日、そのホームレスを探しに行ったそうですが、どこを探しても、誰に聞いても、その手がかりは得られませんでした。 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そのホームレスはマスターの守護霊だったのです。 つまり、人ではありませんでした。 (さて、皆様。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか?) 見えない世界のこと 世の中、見えている世界だけではないことに、筆者も薄々感づいてはいますが、何しろ誰にでも見えるものでないので、正直、胡散臭く感じてしまう人もいらっしゃることと思います。 けれども、「何かを察する」とか、根拠なく「そんな気がする」とかという経験は誰にでもあるはず。 そう、第6感的な。 きっとマスターは、それがしっかりと見えてしまい、しっかりと感じてしまう能力をお持ちなのだと思うのです。 多くの芸能人もお忍びで訪れる それが証拠に、このお仕事をされて33年。 なんと10万人以上の方を占って来られたといいます。 伊達の市役所通りでひっそりと占いスペースを営んでいらっしゃるにも関わらず、日本全国からお客様は集まってきます。 中には、有名芸能人の方も多数いらっしゃいます。 さて、話を戻します。 タロットカードを使いながら霊感と合わせる 自分の守護霊だったホームレスに出会ったその足で、マスターは六本木の「タリム」という占いの館に頭を下げ、占い師として雇ってもらうことになりました。 「そこでは死ぬ気で働きました。1年1ヶ月で900万円の借金を返し終わった後は、お導きを受けるように高野山で3ヶ月の修行をしました。弥勒の世界に惹かれたのです。その後は札幌・苫小牧・函館と点々としながら、妻の故郷の伊達に根を下ろすことになりました。この占いスペースを開いて27年になります。」 お客様からいろいろなフィギュア類が集まってくる・・・ (さてさて、皆様‥。 もう一度お尋ねします。 大丈夫でしょうか? 話について来られていますか? Rietty大丈夫? とか思ってはいませんか? Riettyはもちろん大丈夫!) 実は、文章にはし辛いくだりもあったりで、分かりにくいかもしれませんが、そこはほら、見えない世界の話が多いので、ちょっぴり察しながらお読みいただければと思います。 霊力を高めるお祈りも欠かさない 何故占いを仕事にできるのか? そこで、一体何故どうして「占い師」なのか? それが皆様一番気になるところだと思います。 さきほど、この世に存在しないホームレスとの出会いのところでもサラッと書きましたが、つまりはマスターは霊能力者なのです。 守護霊と会話ができます。 ですので、相談に来られた方の守護霊のメッセージを代弁してお伝えする役目を担っています。 時に真剣な眼差しで何かを感じとる 「子どもの頃から、大人からすれば見えてはいけないものが見える子どもでした。でも当時の僕は、みんな同じように見えているものだと思っていました。ところがどうやらそうではなく、見えたことを口にしては嫌われるし虐められし友達も居なくなるのだということを学びました。例えばこんなエピソードがあります。ある人を見た時、この後この人は死ぬということが分かってしまう。それで、そのまま口にしたら、周りの大人に酷く怒られました。でも、確かにその方は死んでしまった。当然、気持ち悪い子どもという烙印が押されてしまいます。そんなことが何度かあったうちに、2度と見えたことを口にしなくなりました。例え見えても言ってはいけないということがわかったのです。だからもちろん、仕事にしようなんて思いませんでした。絶対に占い師なんかになりたくない!とさえ思っていました。ところが運命というか宿命というか…。今はこれが仕事になっているわけです。」 さあ、ここまで書いたお話を『信じるも信じないもあなた次第』です。 馬鹿馬鹿しいと思うのも、素晴らしいと思うのも皆様の自由です。 全てを救うのは愛 でも筆者は、たくさんのお話をする中で、マスターの 根底にある「地球への愛・世界への愛・自然への愛・人間への愛」を、とても強く感じてしまいました。 それが、次のお話に表れています。 「僕はお客様に生かされています。だからお守りしたい。」 「僕は、お客様に生かされています。だから、僕もお客様が楽しく命の継続をしていけるようにその方をお守りしている守護霊様の代弁者となります。お客様をお守りしたいと思っています。今この時代、一番大切なのは愛をおいて他には何もありません。生きている上で一番嬉しいこと、幸せなことを思い起こしてみてください。それは、自分にとって大切な人が、自分を認めてくれて側にいてくれることですし、家族になること、愛し合うことではないですか? だから、お客様が愛を持って生きられるように、愛に守られるように、守護霊様のお力を借りて道しるべを立てて差し上げたいのです。」 いかがでしょうか? 筆者はこのお話でとても腑に落ちました。 最後にこんな質問をさせていただきました。 「占い師をやってよかったと思いますか?」 「正直わからないです。でもこれしかできない。きっとお客さまの評価が全てなのだと思います。そして個人的には幸せです。家族もいますし。例え未来が見えたとしてもとても幸せです。もし皆様が “いかに生きるべきか?と迷われた時に、もし興味があったらどうぞ ”タリズマン“ の扉を開けてください。」 怪しいか怪しくないか決めるのはあなた次第 もう一度、書きます。 信じるも信じないもあなた次第です。 けれども、筆者は信じます。 ―タリズマン情報― 占いの80%は霊視。 タロットカードと併せながら占います。 今回のむしゃなび占いはこちら まずはお気軽にお電話で相談ください
Rietty
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Shinji