
心の伊達市民 第一号
【銀座のフォトギャラリー巡り】
天気が良いので、銀座のフォトギャラリー巡りをしてみた。
ギャラリーというと画廊になるが、フォトが付くと写真に限定される。
銀座にギャラリーは100軒はあるそうだが、フォトギャラリーも30軒はあるようだ。
ただし画廊やアートを兼ねているところや、既に閉鎖されたところもあるので定かではない。
銀座4丁目角には「三愛ドリームセンター」があったが、現在は建て替えの工事中で、オープンは27年だそうだ。この8階と9階にフォトギャラリーがあった時は、よく見に行った。いまは工事中の壁の上に、当時の建物のイラストが飾ってある。
銀座4丁目交差点の角で目立つのは、NISSANのショールームだ。
そこは「GINZA PLACE」という建物で、6階にソニー・イメージング・ギャラリーがある。ここでは新進気鋭の写真家の作品を展示するので、思い掛けない作品に出合うことがある。
今回は今年で18回目を迎えるソニーワールドフォトグラフィーアワードで、日本賞に写真家の林典子氏の作品が展示されていた。
私が特に興味を持ったのは初めて見る作品で、写真の中に切り抜きがあるものだった。
現在の光景の中の中央に切り抜きがあり、そこが開くようになっている。
そこをめくると、昔の光景が現れる。下の写真ではこの場所が昔は小学校だったらしく、切り抜きをめくったら小学生の卒業写真が出て来た。写真としては邪道かもしれないが、面白い発想だ。
次は三越デパートの裏手の方にある「キャノン・ギャラリー銀座」である。
このギャラリーは他と違って、室内が薄暗くしてある。その方が写真が目立つからかもしれない。6月の作品は上出 俊作氏の「The Whales Are Comingで、クジラだけの写真展であった。
作者の言葉は『この作品は2018年から2025年にかけて沖縄本島・奄美大島で撮影したザトウクジラの記録である。北太平洋のザトウクジラは夏の間はロシア・アラスカ周辺の北の海で採餌し、冬になると繁殖のために暖かい海域に移動して来る。その繁殖地の一つが沖縄・奄美周辺だ。体長15メートルにも迫る巨体を震わせ、求愛、子育てするクジラたちの迫力は、人間の想像を遥かに超える』。
銀座通りを新橋方面に向かうと、8丁目で右側にレンガ色の建物がある。
このギャラリーは1919年に開館した、日本最古のアートギャラリ-でもある。
6月の作品展は平田 尚也氏の「仮現の反射」である。
作品は映像を背景に彫刻が立っている。映像は色々と変化するが、私には作品が難解過ぎた。
作者の言葉『今、人々が世界を見つめる視線は、新たなテクノロジーの登場によって。急激ではなく。徐々に無意識のうちに変化していっていると感じています。テクノロジーが変われば、体の使い方も変わります。体の使い方が変われば、それに伴い精神も自然に変わっていきます。私たちの精神は今、どのような形をしているのでしょうか。そんなことを考えながら、自分の表現に向き合っていきたいと思います』。
もと来た道を戻り、7丁目交差点を左に入った。
今までも気になっていたが、入らなかった「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」がある。ここは写真展ではなく、グラフィック・デザインの作品展を開催しているようだ。
この時は「Identity Systems」というタイトルで、1945年以降のドイツのブランでイングを展示していた。聞いたことがある会社のグラフィック・デザインなどがあったが、私にはあまり興味がわかなかった。
次は4丁目を通り越して、1丁目まで行く。
小さめのビルの4階にあるのは「富士フォトギャラリー銀座」で、申し込めば誰でも展示できる。しかしフジフィルムで現像が義務付けられていて、出展費用もかなり掛かるようだ。
私の同級生もここで展示会を行ったが、60万円以上も掛かったようだ。
2つの部屋が仕切られていて、どちらも写真教室の生徒や写真同好会の作品を展示していた。片方の部屋の作品はかなりレベルが高かった。
素人の作品展なので、私は参考になるので時々、見に行っている。
最後に有楽町駅近くにあるエプソンの「エプサイトギャラリー」に行ってみた。
ところが予想外の閉鎖になっていて、ネットで調べたら今年の5月3日で閉鎖になっていた。銀座7丁目の「ニコン・フォトギャラリー」もかなり前に廃止になっているし、企業の合理化の煽りを受けているようだ。
仕方ないので、少し先の新東京ビル2階にある、「丸の内フォトギャラリー」に行くことにした。ここはこのビルの企業に勤務する人たちのための、休憩場所を兼ねている。
作品展のタイトルは「ピカドンのドンが聞こえなかった人々」で、写真はモノクロで「ろうあ者の被爆体験に光を当て、戦後の生きざまを語るもの」だそうだが私には重過ぎた。でも疲れたので、休憩にはとても良かった。
(おまけの話)
「丸の内フォトギャラリー」の写真展が私には重過ぎたので、そのまま帰らず気晴らしに銀座通りに出て行った。銀座通りに出ると、相変わらず外国人観光客で大混雑である。2025年の来日外国人数は約4000万人と推定されているが、私の肌感覚では「もっと来る」と感じている。
最近はイスラム教徒も大勢やって来ているが、写真のように女性は頭から足元まで布で覆っている。なにかで読んだが、「イスラム教徒の男は、女性の髪や露出した肌を見ると興奮してしまう」のだそうだ。
「本当かよ?」と思うが、イスラム教では「髪の毛や美しい肌を見せるということは、男性を誘惑している」という意味になるそうだ。
それでは日本に来ているイスラム教の男は、日本滞在中は興奮しっぱなしなのか?
銀座通りのブランドショップには、開店前から行列が出来ている。
ヨーロッパのブランド店には中華系の人達が並んでいる。
きっと彼らは「日本で買えば、偽物を掴ませられない」と思っているのだろう。
一方で日本ブランドの「ONITSUKA TIGER」で買い物をするために、欧米系の人達が並んでいる。「ONITSUKA」は時間に関係なく、店の前にはいつでも長い行列ができている。普通サイズのカメラ画面では行列が長くて収まらないので、今回はパノラマで撮影した。行列が途中で途切れているが、これは他店の迷惑にならないように、途中で離しているのである。
銀座通りに座り込むのは中国人と決まっていたが、今回はインドネシア人が座り込んでいた。道路の反対側にいるので話し声は聞こえないが、女性がヒジャブを被っていることと、男の肌が黒いことから想像した。
銀座通りは普通の時間でも、半分以上は外国人である。
最近は中国人や韓国人も服装が良くなったので、なかなか日本人との違いが分かり難くなった。私でも「東京は現代的でもあり、江戸的でもあり面白い」と思っているのだから、初めて日本に来た外国人はさぞ面白いと思っているのだろう。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
Rietty
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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
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