
明るく元気な町づくり 洞爺湖町
ライオンズクラブ
2022年4月洞爺湖町長に初当選。
大学卒業後、証券会社に勤務し米国留学、海外駐在経験。
帰国後、札幌市で学習塾を13年間経営。
30年ぶりに地元に戻り町議会議員とバス会社の二刀流で2022年1月まで4期途中まで活動。
1985年成城大学経済学部卒。
- ジャンル
- 政治・ビジネス
- アクセス総数
- 84,653回
ハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
12/20(火) 中国系ホテル「華美」オープン
-
06/11(日) セブンイレブンと買い物支援協定締結
-
05/16(土) 洞爺湖マラソン前夜祭

イベント
-
03/01(土)
~03/02(日)ひなまつりディスコパーティー(PPSディスコパーティー)
- 開催場所
-
室蘭市中島町5番街ビル2階(PPS)
ブログに関する
特集記事
-
07/15(月) 【あの人に会いに】"今” やってみる [田中イェイツ養子さん/豊浦]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.5 今回は、豊浦町の 『パン・菓子工房mem』 田中イェイツ養子(やすこ)さんです。 シュタイナー教育に惹かれ、豊浦町へ 養子さんは伊達市大滝のご出身で、ご実家は有機栽培の『アンパン&やんま農場』。大滝の大自然の中で育ち、高校はシュタイナー教育*を実践する『いずみの学校』へ進学しました。(当時はNPO法人、現在は高等専修学校。) 卒業後は国内外様々な場所で暮らしたのち、オーストラリア人の旦那様とご結婚され、出産。長女の成長を見守るうち、シュタイナー教育* が合うかもしれないと感じたことがきっかけとなり、豊浦町に移りました。 ご自身も通ったうえでお子さんの進学先にも選ばれたことは、母校への信頼を感じますが、当時はどのように体感されていたのでしょうか。 「一番記憶に残っているのは、先生方のこと。先生って子ども達のことをこんなに想ってくれているんだ!と。反抗期でトゲトゲしていた中学時代を経たというのもあると思うけど、”先生方って良い人なんだ”って気付けたというか……」 ちなみに、当時の先生方の多くが、今もいずみの学校にいらっしゃるそうです。 「授業もおもしろかった。覚えているのは、いろんな職業の人が来て、話を聞く授業。牧師さんとか、議員さんとか」。養子さんはいずみの学校の”第1期生”! 当時は高等部の保護者が毎春、校舎を作りに行っていたとか。さすがは『親と先生でつくる学校』ですね。 *シュタイナー教育とは……哲学者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した、個性の尊重を重視した教育法。子どもの心身の発達を7年間のまとまりとして捉え、それぞれの年齢に応じた環境を準備し、ふさわしい働きかけをする。芸術作業を取り入れていることや、15年の一貫教育や8年間同一担任などが特徴的で、子ども自身の中にある学ぼうとする意欲を引き出しながら、人間の『意志、感情、思考』をバランスよく育んでいく。ドイツを中心にヨーロッパやアメリカなど世界60カ国、1000校以上が実践し、約100年もの歴史がある。 子育て真っ最中の姉妹がつくる、パンとお菓子 工房にあるお庭からは、いつも子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきます。 『パン・菓子工房mem』は 養子(やすこ)さんとお姉さんの文(あや)さん、 子育て真っ最中の姉妹で営まれています。 養子さんは3歳~8歳の3児の母、 文さんは11歳~21歳の4児の母です。 養子さんが豊浦に移って来たタイミングで、先に豊浦に住んでいたお姉さんと一緒に何かしようか、と始まりました。元々趣味でパンを焼いては友人知人にふるまっていたところ評判が良く、「売れるよ!」と声をかけてもらっていたことも後押しとなりました。 起業という選択、全てが自分次第に パン・菓子工房を始める際に、夫婦で会社を立ち上げることを決意。2022年、34歳の頃でした。国内外を大移動され、様々な経験をされてきている養子さんですが、直近のターニングポイントはこの『起業』だそうです。 「それまでは雇われてきたけど、自営になると全部自分の責任になるから。誰にも何もなすりつけられないし……やるもやらないも自分次第」 当時はまだ赤ちゃんを抱えながらの起業でした。「思いたったら即行動してるかな、後回しにしたら後悔するから」。起業の準備期間が子ども達の入園・入学と重なってしまったそうですが、それでも「子どもを言い訳にしない、絶対やればできると思っていて」と言う養子さんは乗り切りました。 「はじめた頃は(パンをつくるのも)子どもが寝たタイミングで!みたいな感じだった」。現在も、3歳の末っ子がいつも一緒です。 天然酵母でつくるパン memさんのパンは自家製の天然酵母でつくられています。イーストではなく、植物や果物からおこした酵母がパンを膨らませてくれます。 「カフェで働いていたときはイーストで作っていたけど、酵母がおもしろくて。その辺に生えているもの、庭のミントやオレガノなどから酵母がおこせるのが面白い!」 酵母の起こし方は、密閉容器に水と果物や植物を入れ、温度管理をして見守るだけ、といたってシンプル。ですが、酵母は生きていて、奥が深いのです。 「面倒を見れば見るほど元気になったり、でもいじりすぎてもダメだったり……。常に気にかける」。家を空ける時は一緒に連れて行ったりもするそうです! memさんのパンを手にとられた際には、ぜひ手塩にかけられた酵母たちにも想いを馳せてみてください。 今後の展望をお聞きすると、「工房での対面販売をオープンしたい!」とのこと。 現在の対面販売は、事前予約制の定期販売のみ。曜日が決まっているので、気になる方はお電話にてお問い合わせください。 【パン・菓子工房 mem】 北海道虻田郡豊浦町船見町127-13 お問い合わせはお電話にて:0142-82-7739 <<委託販売先>> ・天然豊浦温泉しおさい(豊浦町浜町109) :金曜日PM ・天花地星(伊達市末永町58−1) :火曜日PM ※ 日時は変更することがあります。 <<週末イベントに出店することも!>> インスタグラムで都度お知らせしていますので、 ぜひフォローしてチェックしてください。 ↓ ↓
misaki
0
-
07/02(土) 子どもの頃の夢をお米のお菓子で叶えた無店舗販売 “ ももと木 “ の桃子さん
蘭越町湯里にあるベアーズというペンション&パン屋さんの工房をお借りしてお菓子を作っている “ ももと木 “ のオーナー木村桃子さんは、東京都青梅市出身34歳。 わたし、おかしやさんになりたい! 4年前、当時勤務していた世界のお茶専門店「ルピシア」のヴィラルピシア・ニセコの店長として赴任して来られたのが北海道移住の始まりでした。 とっても元気&しっかり者、感性豊かで笑顔がチャーミングな女性ですので、一大リゾート地の店舗「ニセコ店」リニューアルオープンの店長として抜擢された理由がわかるような気がします。 バリバリと働いていた桃子さんでしたが、「いつかはおかしやさんになりたい!」という夢は捨ててはいませんでした。 「小学校低学年からお菓子作りが好きでした。最初はクッキー作りでしたが、姉がとても褒めてくれたので、友達によくプレゼントしていました。そうすると友達も褒めてくれるのです。それが嬉しくて、もう本当にしょっちゅう作っていました。」 そして、ももと木の誕生 「事情があり仕事を辞めた翌年の2020年1月、とあるカフェでブラウニーを焼くチャンスを得ました。そのカフェは、実はお世話になっているベアーズの娘さんのカフェでした。その後、お菓子の製造許可を取り、引き続きベアーズの工房をお借りして、その年の11月から自己ブランドでお菓子の製造販売を開始することができたのです。」 ご縁とか、星回りというのは不思議なものです。 強く思うと願いが叶うとおっしゃる方もおられますが、「本当にそうなのかも…」と思ってしまいます。 そして、2020年11月1日 晴れて“ ももと木 “のラベルを付けたお菓子が店頭に並びました。 ブランドを立ち上げてからもベアーズの工房を使わせていただき、委託販売の1st.ステージは蘭越町の「街の茶屋」となりました。 今では委託販売先が近隣3店舗になり、東京にも1店舗増え、オンライン販売も開始されています。 さて皆様。 前回の「Café creperiz」の記事を覚えていらっしゃいますか? https://mushanavi.com/specials/59670/ 実はこちらも委託先4店舗のうちの一つです。 ↑人気のクッキーは直ぐに売れてしまいます。 その記事の中で。 “政義さんの影になり日向になり、そっと寄り添いながら支えている大きな力がありました。” というくだりがありました。 そう、実は桃子さんは政義さんとご夫婦なのでした。 「ももと木」は2020年11月1日立ち上げ。 「Café creperiz」は2021年3月21日立ち上げ。 政義さんには米農家としてのバックボーンがあるものの、お二人で同時期に起業するのは勇気が要ることです。 絶対に成功させる!という強い意志と、地道な努力と、周りの人を大切にするお人柄が、道を開かせているのだと感じました。 米農家の妻としてのプライドと強い想い 「ところで、お菓子の材料へのこだわりを教えていただけますか?」 「お菓子はすべて小麦粉ではなく米粉を使っています。夫の実家が米農家ですから、義父が作ってくれた ” ゆめぴりか “を札幌で挽いてもらい利用しています。砂糖はきびさとうや黒糖。抹茶やココアはオーガニックのもの、イチゴや蜂蜜は蘭越産です。レモンは瀬戸内産の無農薬のものです。また、クッキーは卵不使用になっています。 できるだけ国産のもの、できるだけ北海道産のものを使用するように心がけています。」 なるほど~! 旦那様のご実家のお米を使っているなんて最強の地消地産です。 「以前は、米は主食のイメージしかありませんでした。でも、木村の米に出会ってその美味しさに惚れました。惚れ込んだお米をお菓子の材料として使いたい!と思いました。」 あれれ? もしかして、旦那様よりも先に木村農園の米に惚れっちゃったのかしら?? 焼き菓子を中心にラインナップはこんな感じ~。 例えばカヌレ・レモンケーキorバナナケーキ(季節限定)・クッキー5種類・クッキー缶(イベント用)などなど。 なかでも密かに話題になっているのは “みそ&チーズクッキー“ ! なんとその味噌は、木村のおじいちゃま製なのだそうです。 ↑こちらはプレーン。こちらのカヌレは旦那様のお店「Café creperiz」でしか買えません。 もう見るからに美味しそう~♡ そこで筆者、米粉のカヌレを初めていただいてみました。 ↑仕込みに丸一日かかるというカヌレは絶品! ↑ビターな抹茶味もあります。大人の味! 一口噛むと、中はしっとり。 外側カリッととても味わい深くて美味しい~~! 小麦粉製のものとはまた少し違う食感と味。 まったく違和感なく美味しい!と感じるのは、桃子さんの研究の成果と、 ”日本人に馴染んだ食材だから” ということもあるのかもしれません。 「自分が過去に出会った米粉のお菓子は、どうしても納得できないものが多かったのです。だからこそ、義父が丹精込めて作ったお米を挽いた米粉で美味しいお菓子を作りたい!という気持ちが強くありました。小麦アレルギーの方にも安心して食べられる、日本人の体に優しいお米を、形を変えて多くの人に食べてほしいと考えています。」 主たる原料に絶対的に自信があるからこその言葉だと感じます。 だからこその次の言葉なのでしょう。 ↑田植えを終えた木村農園の様子 「薄利多売は考えていません。原材料には納得したものだけをお金をかけて仕入れていますから。夫婦間であってもお互いにビジネスですので、米粉も木村農園から買っていますし、夫の店に置いてもらっているので販売手数料も払っています。」 ↑米粉のお菓子てっぺん目指します! あれ?お腹 ^^; かっこいいな。 桃子さんのお話を伺いそう思いました。 夫婦であってももたれ合わず。 けれども仕組みとして支え合う。 素晴らしいです。 「夫がよく口にする話があります。それは、" 米農家として、米を主食としてだけ販売するのは正直先行き不安だから、米の多様な食べ方を提案して消費拡大に繋げるぞ! " ということです。私もその想いに強く共感しているので、共に頑張りたいと思っています。私の強みは東京出身の余所者だということです。だからその視点を忘れずに、米の消費拡大に向けて工夫をし続けたいと考えています。」 「ところで、 “ ももと木 “ の名前の由来をお聞きしてもよろしいですか?」 「実はよく “ももの木“ って言われます 笑 発音しやすさから言っても “と” じゃなくて “の” ですよね? でも敢えて“と” にしたのは “の=in “ではなく “ ~と共に=with“ にしたかったからです。私は桃子です。 “ 桃子は木村農園と共に “ という想いです。そして、木村桃子は木へんが三つもある。だから、“ももと木“ にしました。」 なんということでしょう! 政義さんのご家族がどれほど喜んだことか容易に想像できます。 主原材料=米への愛。 政義さんのご家族への愛。 だからこそこんなに美味しいお菓子ができるのだと思いました。 「東京からの移住でしたが、ゆったりのんびりした蘭越暮らしは自然も含めてとても気に入っています。子どもの頃からの夢 “おかしやさんになりたい!” という夢が、代々続く木村農園のもと叶ったのですから、ここ蘭越でお菓子作りを一生続けていきたいと思っています。」 最後にきっぱりと桃子さんの決意をお聞きしたところで取材を終えました。 ↑近々イベントにも出店されます。 ―ももと木情報― Instagram https://instagram.com/momotoki.123 メルカリ ももと木 https://jp.mercari.com/user/profile/453063195 ラクマ ももと木 https://fril.jp/shop/MOMOtoKI 委託先情報 蘭越 街の茶屋 https://rankoshi-tourism.com/spot/spot05-07/ かふぇ&小さな宿 のどか https://instagram.com/niseko_nodokaハコノカフェ https://instagram.com/haconocafe ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。取材2022年
Rietty
0
-
05/31(月) 川のほとりの癒しのお花屋さん “青葉“
こちらは気門別川のほとりにあるお花屋さん「青葉」さんです。 20年前から変わらぬ可愛らしい笑顔で店主の知子さんが迎えてくださいました。 今の場所に引っ越されて8年目。 2001年にオープンされた時は山下町にお店を構えていらっしゃいました。 その時はまだお勤めをされていたので、そのお休みを利用し、土日のみの営業だったと言います。 素敵なランプは、おそらく洞爺湖のglaglaさんの作品。 「若かったからできました。」と、当時を振り返る知子さん。 でも、それだけではない起業への強い想いを感じました。 同時に、ものすごい努力だったのだろうと想像します。 壁をさり気なく飾りたい方に~ 人気の多肉植物や、可愛らしい花瓶も並びます。 「お花屋さんというお仕事は、実は子供の頃からの夢ではなかった。」というお話しには驚きました。 一旦は札幌で就職をなさった知子さんは、一念発起してお花を学ぶ学校へ通い始めました。 「その時もなんとなく花かな~という程度だった。」と。 学校卒業後は、お花屋さんに就職。 3年間の実践的な修行が始まりました。 初めはそれほど強い思いでお花の道に入られたのではない知子さんが、とても厳しいお花の仕事を経験されてからどんどんのめり込んでいったというストーリーが、私にはとても興味深く聞こえました。 「今日はお花が少なくて…。」 とおっしゃった知子さん。 お互いを引き立て合う様なラインナップで素敵です! きっと、3年間は自分自身の本気を試す期間だったのだと思います。 もちろん、知子さんは本気でした。 というより、どんどん本気度が増していきました。 だからこそ、お勤めがあるにもかかわらず、お休みの日にお花屋さんになるという大胆行動を起こされたのだと思います。 窓の向こうには川が流れています。 右端が空いているのは筆者が連れて帰ったからです ^^ ハンショウヅルという植物を購入しました。 「川が好きだからこの場所を選んだ。」とおっしゃる知子さん。 “青葉”の店名の由来も尋ねてみました。 「洞爺湖畔の仲洞爺あたりの道が大好きなのです。 木のトンネルが続いていて、そこからの木漏れ日を感じたり木々の隙間から見える洞爺湖の水に癒されたり。 だから、緑にまつわる名前にしたかったのです。」 なるほど~! あの道をイメージしてのお名前だったのですね! とっても納得してしまいました。 そんな理由もあって、“青葉”さんでは、お花はもちろんですが枝物やグリーン系のラインナップに力を入れていらっしゃるのだそうです。 確かに、店内はカラフルというよりも緑色が多いです。 いかにも、緑のトンネルがお好きな知子さんらしい♡ 緑好きなお客様にもとても喜ばれているそうです。 これは、“青葉“さんならではの大きな特色ですね。 面白い植物も並びます。 育て方も相談に乗ってくれます。 シダ類! 涼しげです。 そして。 「“コロナ禍なので、おうち時間を明るく過ごしたい“ とお花を買いに来てくださる方が実は増えているのです。 そのお気持ちが本当に嬉しいです♡」 という素敵なお話も飛び出しました。 「ゆくゆくは、アンティーク雑貨と植物を組み合わせた商品も作っていきたい。」 と、今後への想いも語ってくださいました。 アンティーク好きとしては本当に楽しみです。 最後にこのお店を通して、皆様にお伝えしたいメッセージはありますか? とお尋ねしました。 「こんな時だからこそ、植物の癒しの力を感じていただきたくて、気軽に入れる雰囲気作りを心がけています。 雑貨も置いていますので、お気軽にご入店いただけたら嬉しいです。 そして販売するだけでなく、アフターケアのことなどお花の相談所的な感じでいろいろご相談いただけたら嬉しいです。」 取材時もちょうど、お花の寄せ植え相談に訪れたお客様がいらっしゃっていました。 大滝の方の手作り葉書です。 ハンドメイド作家さんの作品も並びます。 どの花よりも輝いていた知子さんの笑顔でしたが、とっても恥ずかしがり屋さんなので写真はパスでした ^^ 実は、筆者が最後に気づいたことがありました。 それは、”青葉”さんの心地良さは、自然の中にいる状態に近い雰囲気だからだということ。 きっと、自然好きなオーナーの知子さん・植物たち・店舗・雑貨全てが作る空気感なのでしょうね。 川のほとりの “青葉“さんは、全てが癒しの空間でした。 青葉 住所 伊達市錦町15-2 電話/Fax 0142-21-1112 Open. 10:00~18:00 Close. 月曜日 http://aoba-flower.exblog.jp ※配達で不在の場合もあります。お出かけ前にはお電話でお確かめください。 ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
0
-
10/23(月) “窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
0