
心の伊達市民 第一号
【ティッシュ配り】
私は常に歩いているので、アチコチで色々なものを手渡される。
新宿駅の近くで男にポケット・ティッシュを渡されたので、受け取って先を急いだ。
すると係員が追い掛けて来て、『クジが付いているので開けて下さい』と言った。
面倒だが開けたら「2等」と書いてあった。すかさず係員は『おめでとう御座います。こちらにどうぞ』と言った。そこは「auショップ」の前で、店の中に入ると2等商品の小さな入浴剤を1袋渡された。
外へ出ようとしたら、『少しだけ質問にお答え下さい』と言ったので、暇だから付き合った。
電気料金・スマホの月額料金・インターネット料金などを聞かれたが、私はそれに答えた後に『auは私のマンションでは非常に通信状態が悪い』と言ったら驚いていた。
私の与えた情報なら、入浴剤10袋の価値はあるぞ!
【私はがんで死にたい】
医科大学を卒業後、消化器外科医になり、最終的に「ホスピス」の医者になった人が書いた本を読んだ。私の父も、私の4人兄弟姉妹の内、私も入れて3人が「癌」に罹っているので、「癌」には興味がある。
この本で著者は「私はがんで死にたい」と述べている。「癌」で突然、死ぬことはないので、準備が出来る利点がある。本の最後には世間で信じられていることの間違いを羅列しているのが、とても役に立つ。
「癌の遺伝要因は20%」、「ストレスと癌は無関係」、「明るく生きることと癌の進行は関係ない」、「5年生存率は伸びていない」、「日本の癌医療レベルは高くない」、「癌に名医という人はいない」、「抗がん剤治療は殆どの癌に効果が無い」、「免疫療法は全く効かない」。
要は無駄な治療を受けず、「残りの人生を有効に使って欲しい」ということのようで、私の考えと同じだった。
【外交史料館】
「どこか近くで、行ったことの無い場所はないかなー?」と考えていたら、「外交史料館」という見学可能な施設があった。
この施設は外務省の所管でHPによると、『外交史料館は幕末以来の日本の外交資料を保存し、皆様の利用に供している外務省の公文書館です。当館では外交資料の整理・公開、「日米修好通商条約」などの貴重な条約書、資料に関する展示、明治以降の主要な外交資料を編纂・活字化「日本外交文書」の刊行、デジタル公開を行っています』とあった。
あまり面白そうでは無いが、場所が麻布ヒルズ森JPタワーの5階なので、久し振りに麻布ヒルズを見ようと思ったのである。館内には貴重な外交文書が展示してあり、少し意外だったのはカメラの持ち込みがOKだったことだ。
久し振りに日本の近代の歴史に触れて、思いがけず勉強をした。
【動く歩道】
「東京モダン建築さんぽ」の取材で、新宿住友ビルへ行った。
ここは私の現役時代に重要な取引先が入っていたので、懐かしいビルだ。
昼にここで「小龍包」のランチを食べてから、新宿駅まで歩いて行った。
専用道路の右側には「動く歩道」が設置されている。
通勤時間帯には新宿駅から副都心方向へ歩道が動くが、帰社時間には逆に動くようになっている。昼間は乗る人も少ないので、私は動画撮影をしていた。
それでもたまに乗る人は立ち止まっていないで、私の横を追い越して行く。
みんな忙しいのだなー!
【ホリエモン】
新宿西口の地下道の柱に、「ホリエモン」の顔が出ているコマーシャルが並んでいた。
彼は東大中退、ライブドアの設立、株式公開、2006年にフジテレビの買収で話題になった。その時に証券取引法違反で逮捕・服役、野球球団買収失敗、衆議院選挙に立候補し落選、宇宙開発事業開始、他には歌手、タレント、ユーチューバー、会社設立、予防医療活動など、書き切れな程の活躍である。
こんなに色々な方面で才能がある男も、日本では珍しい。小粒のイーロン・マスクのようだ。今回の広告の経緯は詳しくは分からないが、「大企業に行かず、スタートアップに行け」と言っている。スタートアップの会社の成功例が増えてくれば、日本もアメリカ並みに優秀な学生がスタートアップに行くようになるだろう。
(おまけの話) 【産業遺産情報センター】
少し前に虎ノ門の「領土・主権展示館」に行ったので、次は同じように近隣諸国ともめている総務省所属の「産業遺産情報センター」に行った。場所は大江戸線の「若松河田駅」の近くで、私がここへ行くのは3回目である。
HPでは次のように紹介されている。『産業遺産情報センターは世界遺産「明治日本の産業革命遺産・製鉄・製鋼・造船・石炭産業」のインタープリテーション戦略に基づき、「明治日本の産業革命遺産」の8県11市に立地するビジネスセンターの中核センターとして各地と連携しインタープリテーション戦略を推進します』。
世界遺産の登録に関しては、「軍艦島」の登録に韓国が猛烈に反対した。
その理由は「朝鮮人に強制労働をさせた」というものだが、これは朝日新聞の「慰安婦問題」と共通している。「慰安婦問題」は後に朝日新聞が誤報であったと訂正したが、韓国では知られていない。
2015年7月、ユネスコ世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」の登録に際して、「歴史全体についても理解できるインタープリテーション (展示)戦略」を策定するよう決議されたことを踏まえ、日本政府はインフォメーションセン ターの設置などの適切な措置を当該戦略に盛り込む旨発言した。
これに基づいて「産業遺産情報センター」が設置されたが、強制労働は無かったので、その展示はしていない。
それが韓国では気に入らないようで、設置当初は過激な韓国人が訪れた。
それに凝りて、現在は見学は予約制となったのである。
ここの館長は高橋 康子氏で、彼女は日本の政治家の衆議院議員だった高橋六月の娘である。2020年に開館した時は、私はすぐに見に行った。
韓国の猛烈な反対運動があった時期なので、私が行ったら韓国人と思われたのか高橋館長が案内してくれた覚えがある。
今回は久しぶりだったので、大規模にリニューアルされた施設を初めて見た。
事前に申し込んでおけばガイド付き案内も出来るが、私はイヤフォン・ガイドで見て廻った。古い時代の歴史から始まるので動画は無く、写真とパネルとスクリーンである。
それでもイヤフォン・ガイドの説明で、日本の産業の発達の歴史が良く理解出来た。
お勧めの施設である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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